第7話 救助料は、俺たちの名前で
説明会の入口で、係員が俺に名札を渡した。
元暁冠、と印字されていた。俺はペンを借り、その三文字の横に、帰還術師と書き足した。今日は前の仕事を弁解しに来たのではない。今の仕事の記録を渡しに来た。
凛がその名札を見て、少しだけ口元を動かした。
「字、小さい」
「余白がなかった」
「次は大きい名札を作ろう」
広域迷宮交通機構と市の共同説明室には、長机が三列あった。入口管理所の職員、暁冠の担当者、救助された隊員。許可を得て入った記者の前に、顔を映さない範囲がテープで示されている。
千景さんは最前列に座らず、原記録の提出先の横にいた。手元には、公開可能な複製と、調査用の原本を分けた箱があった。
黒瀬は俺より早く着いていた。彼は自社の説明資料を配り終え、机へ両手を置いた。
「まず、二十四人を無事に帰還させた現場の努力に感謝します。ただし今回の撤退は、当初から暁冠の指揮下で」
「その時刻を確認してから伺います」
機構の調査員が遮った。怒った声ではなかった。それだけで、部屋の向きが変わった。
最初の画面には、落盤前の作業命令が映った。退路用支柱の転用と、補強予算の停止。黒瀬の承認番号が、提出された会社側の控えと一致する。
「予算の整理です。現場判断に関わるものではない」
黒瀬が言った。次に、現場側から出た危険報告が表示された。支柱を抜けば迂回路を失う、という短い文だ。その下に、予定どおり実行の返信がある。
牧野が椅子の上で両手を重ねた。
「俺は危険報告を出しました。その後、命令を受けて抜かせました。止めなかった責任は、俺にもあります」
「独断で作業手順を変えた可能性は」
「そのために、返信を原本で持ってきました」
牧野は黒瀬を見なかった。机の上へ、端末を一つ置いた。
次の画面では、救助要請と自己脱出の命令が、時刻順に並べられた。千景さんが入口管理所の受信記録を重ねる。違う機械、違う保存先、同じ時刻。
「公開資料では、救助隊の出動指示が先とされています。原記録では、要請を受けたあと、救助費を認めず自力退出を命じています」
千景さんは、説明に必要な部分で止めた。
「私は動機を断定していません。この順序と、公開資料との差について、回答を求めています」
黒瀬が口を開きかけ、入口管理所の職員が挙手した。
「東の水路は通れませんでした。当日、こちらの班も現場で確認しています。真柴さんの報告に基づき、分岐を閉鎖しました」
彼が示した写真には、沈んだ板と、張られた綱が映っていた。昨日の音まで蘇りそうだった。
黒瀬の指が、机に置いた資料の角を揃えた。何度揃えても、画面の時刻は動かなかった。
「真柴個人に救助の資格があったかも、調べるべきでしょう。元の登録はE級です。攻撃能力も」
「攻撃力の審査と、今回の搬送を混同しないでください」
調査員が俺へ向き直った。
「真柴さん。現場へ入ってからの経路と、搬送の手順を説明できますか」
俺は立った。地図を指し、迂回路を使わず西へ回った理由、杭を固定した位置、二便に分けた人数を伝えた。二便目の途中で道が変わったことも、予定より十二分遅れたことも省かなかった。
「なぜ一便目のあと、あなたも駅へ戻ったんですか」
「術者が同じ便で帰る必要があります。車両を遠隔で往復させることはできません。石の交換も、駅で行いました」
凛が点検票を差し出した。そこには彼女の護衛記録と、文さんの整備時刻がある。俺一人の手柄にするには、名前が多過ぎた。
許可を受けた隊員が二人、証言した。一人は手袋を探した男だった。もう一人は、初めの便で段差の前に止まった男だ。
「怖くて動けませんでした。急げと言われると思った。でも、名前を呼んで、返事を待ってくれた」
彼は膝に置いた帽子を揉んだ。
「俺を帰した人の名前を、違うことにはしないでほしい」
部屋は静かだった。拍手はなかった。その方が、彼の声はよく聞こえた。
調査員は提出資料を閉じ、黒瀬へ向いた。
「本日付で、暁冠の該当工区における探索指揮権を停止します。救助判断と記録公表について正式調査を開始します。原記録の保全に協力してください」
「それは会社の営業を止める判断です」
「安全上の措置です。責任の範囲は、これから調べます」
黒瀬の机に、受領欄のある通知が置かれた。彼はしばらくそれを見ていた。俺の封筒を滑らせた時のように、紙を向こうへ押すことはできなかった。
その場で、公開中の救助報告の訂正も求められた。暁冠の広報担当者が端末を開き、救助実施者の欄を直す。俺は画面を見て、一度だけ止めてもらった。
「真柴奏一名、ではありません。護衛と整備、受付がいます。公的な救護班の記録も、提出した通りに」
彼女は無言で名簿を見直した。俺を睨むでもなく、謝罪の言葉を重ねるでもなく、確認した名前を一つずつ入れていく。その作業が済むまで、俺は立ったまま待った。
更新された報告が画面に出た。救助実施、南岬の独立搬送班。原記録に基づく訂正であることが、最初の行に載っていた。
朔は俺の横で、携帯の画面を何度も下へ引いていた。更新された本文に自分の名前を見つけると、両手で携帯を持ち直した。
「俺、受付にいただけです」
「俺も、道を歩いただけだ」
彼は顔を上げ、それから初めて声を出して笑った。八年分を取り返した気分になるには、俺の方もまだ早い。けれど、彼が自分のした仕事を小さく呼ばなくなる、その最初のきっかけにはなった。
調査員が俺へ、保管用の複製を一部渡した。俺は表紙を開いた。搬送した人数の横に、帰還を確認した時刻が二つ並んでいる。
討伐数は、どこにもなかった。ある必要もなかった。
説明会が終わり、廊下で呼び止められた。
「真柴。話そう」
黒瀬は以前より近い距離で立った。後ろに凛がいたが、彼女は俺の返事を奪わなかった。
「現場の支援は必要だ。君の部署を独立させてもいい。報酬も見直す。今、暁冠を抜けられたら困る」
「もう抜けています」
「そういう形式の話じゃない。八年いたんだろう」
八年。俺はあの封筒を思い出し、それから、昨日十二人分ずつ並べた名前を思い出した。
「八年いました。だから、どこを歩けば帰れるか分かった。使わなくていい理由にはなりませんでした」
俺は鞄から請求書を出した。宛先は暁冠、救助対象二十四名、二便。踏査、護衛、石、整備。緊急救護を受け持った市の費用は、別の精算だ。
作業者の欄に、俺と凛と文さんと朔の名前がある。
「請求は俺たちの名前で出します。救助した記録も、そのまま残してください」
「高いな」
「二便ぶんの適正額です。明細で説明します」
値引きのために誰かの名前を消すつもりはなかった。黒瀬は請求書を受け取った。俺の八年間が入った封筒より、ずっと厚い紙だった。
午後、俺たちは機構の登録窓口へ移った。現場記録と車両の点検票を照合し、試行業務の確認を受ける。攻撃力の評価欄には、今までどおり零があった。
その下に、帰還搬送の業務登録が新しく記された。
窓口の担当者は、俺の顔と写真を見比べてから、登録票を渡した。
「南岬帰還救助所。代表、真柴奏さん。共同運営、朝凪凛さん。次の更新まで、運行記録と整備記録を継続してください」
俺は票を両手で受け取った。これからは、請求書と点検票が増える。それでも、帰り道のために椅子を一つ借りるたび、説明から始めなくてよくなる。
駅へ戻ると、文さんが看板を作業台に載せて待っていた。木は新しく、文字は凛が昨日書いたものだった。彼女は黙って持ち上げ、入口の金具へ掛けた。
南岬帰還救助所。
少し右が下がり、俺が手を伸ばすより先に、凛が直した。
「どう?」
「客が読める高さだ」
「感想にしては実務的」
「嬉しい。かなり」
凛は看板の端から手を離した。彼女の笑った顔を、俺はそれまでのどの現場より長く見てしまった。
文さんが咳払いし、納品書を差し出した。看板の材料代だった。感動は無料でも、木材は無料にならない。俺は笑って受け取った。
地上の待合室では、朔が受付印を押していた。まだ脚を休める必要があるので、駅の中は誰かが代わりに動く。彼は受付の席から、ほかの誰にもできない字の丁寧さで名前を書いた。
駅長が登録票の上へ座り、乾く前の角を隠した。俺は猫を動かすのを諦め、窓を少し開けた。
「ただいま戻りました」
病院への届け物を終えた運送屋の青年が、入口から声をかけた。救助された隊員の一人で、今日は自分から朔の荷物を運んでくれていた。
「お帰り。お茶、あるよ」
凛が言った。
その返事のあとで、受付の新しい電話が鳴った。俺は登録票を猫の下から半分だけ抜き、受話器を取った。
窓の向こうの看板が、夕日の中で真っ直ぐに下がっていた。
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