第6話 最後の十二人
二本目の帰還石を、文さんは盤へ押し込む前に俺へ見せた。
「傷なし。装填したら、二人が現地に着くまで空車で待機。こちらから勝手に動かせないのは、昨日と同じ」
「お願いします」
俺と凛は地上へ出た。車両で戻ってきても、次の現場へは足で入る。道を省くのが仕事なのに、自分の歩数だけは順調に増える。
入口で堤さんの班から工事用の板を受け取った。現地へ一本運んでほしいという。俺は杭の予備固定具を背負い直し、凛と板の前後を持った。
「急いでる人が二人で荷物を運ぶと、歩幅が合わない」
「俺への助言か」
「半分は私。前ばかり見てると、奏が角に引っかかる」
角の多い道だった。ありがたい配慮だ。
地下へ入り、最初の分岐で牧野へ連絡した。予定より二分遅れていること、戸車の点検で遅れたことを伝える。彼は分かったと短く答えた。大丈夫だという言葉を、こちらの気休めに使わない声だった。
東の水路へ張った綱は残っていた。その先で、白い板が一枚、水面へ沈んでいる。前の便の時に誰かが渡っていれば、名前を数える場所はなかっただろう。
俺たちは西へ折れた。最初に通った斜面の縁が少し下がり、足跡の一部が見えなくなっていた。凛が俺の前へ腕を出した。
「ここ、形が違う」
「十歩ぶん、確かめ直す」
板を下ろし、測量棒を突き出した。小さな石が隙間へ落ちる。一番深いところで、棒の先が止まらなかった。
そのまま歩けば速い。歩けなくなったと知るのも、速い。
俺は受信機を押した。
「牧野さん。途中の斜面を補強します。到着、十分延びます」
向こうから、誰かが何かを言う声がした。牧野が少し間を置いた。
「待てる。残りの水をまとめた。十二人で分けてる」
「棚の奥へ下がって。杭は動かさず、その周囲一メートルを空けてください」
堤さんの班員が現地側から来た。彼らは途中の変形に気づき、こちらへ支柱を運んでいたのだ。俺たちの板を見て、短く頷く。
工事は魔法より遅く、魔法がない場所でも働いた。支柱を基礎へ当て、板を渡し、綱を張る。俺は完成を待って最初に足を置いた。揺れは小さい。二歩目、三歩目。一歩ごとに自分の重さをかけ、途切れかけた道を歩き直した。
最後の板を渡り切った時、掌の中の杭の登録が細く繋がった。現地の杭は生きていた。そこへ至る道が、もう一度俺のものになった。
採掘棚で待っていた十二人は、最初より言葉が少なかった。
恐れていると決めつける前に、呼吸を見た。肩で息をする人はいない。水を飲んだ痕があり、壁の奥へまとまって座れている。堤さんが作った待機場所は、きちんと機能していた。
牧野が俺へ、封をした記録端末を差し出した。
「先にこれを預かってくれ。本隊の生ログだ」
「どうして今」
「書き換えられないうちに。帰ってから、あんたの目の前で開ける」
俺は端末を袋へ入れた。証拠を守るのも大事だが、持ってきた人を先に帰す方がもっと大事だった。
杭の根元に膝をつく。基礎は割れていない。固定金具に緩みはない。周囲の床を歩き、車両の止まる幅を測り直した。凛はその外側へ移動し、剣を抜いた。
壁の亀裂が、先ほどより広がっていた。奥から石殻の魔物が出てくる。彼女は杭を背にせず、斜め前で受ける位置を選んだ。弾いた魔物を、待っている人の方へ飛ばさないためだ。
乾いた音が三つ続いた。凛の靴が床を擦る。俺は目を上げかけて、杭へ戻した。彼女へ任せた仕事を、俺の心配で取り上げるわけにはいかない。
「接続できる。乗車を始めます」
俺が灯号を呼ぶと、初めて見た時の歓声はなかった。代わりに、十二人が一斉に腰を上げた。見えた出口へ、体が先に向かおうとした。
凛が剣を鞘へ戻し、扉の前へ立った。
「順番は変えない。足元を見て」
声を荒らげなくても、彼女の手の位置はよく見えた。最初の人が一歩を止め、後ろの人も止まる。牧野が名簿を読み、俺が一人ずつ返事を受けた。
八人目の男は、自分の手袋を探して座り込んだ。
「片方だけない。あれがないと、明日」
俺は足元の荷箱を見た。右手袋が取っ手に挟まっていた。引き抜くのは一秒だったが、その一秒を彼に見せるように渡した。
「明日、使ってください」
男は何度も頷き、手袋を胸へ押し当てた。仕事の道具を持って帰ることが、体を動かすきっかけになる人もいる。
十一人目は、厚い盾を片腕に通していた。入口へ向かう途中で、その縁が扉の枠へ当たる。男は持ち替えようとしたが、指が留め帯から離れなかった。
「武器、預かります」
凛が言うと、男は首を振った。
「これを持ってなかったら、上で二人、死んでた」
「うん。仕事はした。次は体を入れて」
俺は盾の裏を見た。曲がった留め金が、袖ごと腕を噛んでいた。握っているのではない。離せなくなっていたのだ。
凛も気づき、刀身を半分抜いた。俺は首を振って小さなペンチを出した。ここで金属を斬れば、腕へ振動が伝わる。
「留め金だけ外す。盾は手荷物で持っていくから」
男が肩の力を少し抜いた。俺は曲がった金具を一段ずつ戻した。凛が盾の重みを受け、腕を上げ下げしなくても済む角度で保つ。
帯が抜けた瞬間、男の腕が落ちた。紫色の痣が手首まで続いていた。俺たちは彼を座席へ案内し、盾は足元の荷物用金具へ固定した。隣の一席を潰して置くわけにはいかない。
「明日、これも直せるかな」
男が盾に触れた。
「整備士に聞きましょう。まず腕を見せてから」
凛の返事に、男は短く笑った。いつかまた仕事をするために、今日の帰り道がある。俺は留め金を道具袋へ入れ、危ない曲がり方をあとで文さんへ見てもらうことにした。
その時、背後の岩壁で低い音がした。凛がすぐに俺と岩の間へ入った。大技を振るう間合いではない。彼女は落ちてくる石を鞘で逸らし、俺の足が段差へ届くまで体を動かさなかった。
「急ぐところは、今」
男の固定帯を二度引いた。必要な確認まで省くのは、急ぐこととは別だった。
最後が牧野だった。彼は堤さんへ残った水を渡し、入口を振り返った。
「現場の班は?」
「補強した道から普通に戻る。こちらは三人、点呼は管理所が取る」
堤さんは言って、俺にも頷いた。公的班の帰り道まで、列車の十二席へ無理に押し込む必要はなかった。彼らは装備と足を持ち、俺が確かめた工事路を使える。
凛が車体の外を一周して戻った。袖が短く裂け、肘の下に細い赤い線があった。俺が視線を止めると、彼女は指を一度曲げて見せた。
「動く。先に帰る」
俺は最後に乗務区画へ入った。
南岬駅の明かりが窓を満たした時、牧野はずっと握っていた名簿を膝へ置いた。誰かが、終わった、と言った。
俺は扉を開け、外にいる朔へ人数を告げた。
「十二人。合計二十四人、帰還」
待合室にいた青い手拭いの男が立ち上がった。後から降りた同僚へ水筒を渡し、何か短い言葉を交わす。中身は聞こえなかった。聞こえなくても、待っていた用事が済んだのは分かった。
救護が終わるまで、記録端末の封は開かなかった。俺は凛の袖を洗い、傷へ清潔なパッドを当てた。彼女は俺の手つきを見ていた。
「痛むか」
「少し。奏は?」
「肘に傷はない」
「それ以外」
俺は答える前に、膝へ肘を置いた。足の裏がじんじんした。言葉にする前から、体は知っている。
「疲れた」
「うん。なら、今は座って」
彼女も隣に座った。俺を監視するためではなく、自分の脚を休ませるための座り方だった。
夕方、堤さんの班が三人とも入口へ戻ったと連絡が入った。そこでようやく、全ての現場欄に帰還時刻がついた。
千景さんが待合室へ来て、牧野の立ち会いで端末の封を切った。原本の保存用に複製を取り、俺たちは同じ画面を見た。
落盤の四十分前、退路の補強費を削る承認が出ていた。支柱を転用する現場指示。その指示を受けた側の異議。黒瀬の承認番号が、順番に残っていた。
さらに救助要請の着信と、その後に出た自己脱出の命令。発表資料では順序が入れ替わっていた。
「これで断定できるのは、少なくともこの時刻に、救助要請が届いていたことです」
千景さんは画面を止めた。
「公表には、個人情報の切り分けが要ります。調査窓口へは原本を渡せます。牧野さんの同意を確認したい」
「渡す。俺も、支柱を抜かせた責任は聞かれる。それでいい」
牧野は端末から手を離した。言い訳を減らすほど、肩が軽くなるようには見えなかった。それでも彼は書類へ名前を書いた。
俺はその横へ、二便分の搬送記録を置いた。救助した人数と、使った石と、誰がどの仕事をしたか。ずっと裏面にさえ載らなかったことを、一枚目へ並べた。
朔が最後の名前の下に線を引いた。線の下は空白だった。
今日はもう、そこへ誰も追加しなくてよかった。




