些細な違い(2)
「ほら、ウチらって高校から入った組だし、広くて良く分かんない場所とか多いじゃん?」
「特に姫ちゃん、部活入ってないから、行ってない場所とか多いだろうし?」
「姫ちゃん一人じゃ案内大変かなーって思って!」
「みんなで行った方が絶対楽しいし!!」
「ねーっ!」
私を囲んで口々に言葉を紡ぐ彼女達の眼差しは、あたかも私に向いているようで、実際はちらちらと私を通り越した奥へと向けられている。どういう理由で一緒に行くことを提案したのか、理由なんて明らかだ。そして同時に、私への呼び方が変わった理由も何となく悟った。
この子達が『姫ちゃん』と呼び始めたのは、きっと一緒に行きたいからだ。普段から一応同じグループにいるわけだから、今まで通りの呼び方でも構わない気もするけれど……入学してから半年以上が経つ中で、未だに苗字にさん付けでほとんどの子から呼ばれてるのは私くらい。私自身はこのことを気にしてはいないけど、彼女達の中では多分、『白井さん』っていうのは他人行儀過ぎる呼び方で、もっと親しい呼び方の方が良いって考えたんだろう。一緒に行くことを提案するには、仲良くしているって映る方が良いからか、もしくは……月くんの幼馴染っていう立ち位置には、それだけの魅力があるからか。
期待に満ちた皆の目を見ればすぐに分かる。……きっと、この子達は既に月くんのことがかなり好きなんだっていうことは。幸い一番の人気者であるマッチはまだ月くんに対して明確にそういう好意を示してないから、現時点では自分達にも可能性があるって考えてるんだ。それは私の前の席に座っている女の子が、月くんが教室に入ってくる前、語っていたのと同様に。
『だってイケメンなんでしょ? 万智が倉前くんから乗り換えなきゃ、私にもチャンスあるかなーってさ!』
そう口にしていた彼女もまた、同行を希望してるメンバーの中にいる。正しく有言実行だ。既に目の色が違うというか、むしろ私への距離感も全く違ってるというか……今までにないような距離の近さにちょっとだけ戸惑う私の耳は、少し離れた場所にいた男の子達の声を捉えた。
「何だよ、アイツら」
「イケメンには甘いよなぁ、ホント」
「オレらに対してと態度違ぇし」
不満げな眼差しを向けている彼らの意見も、もっともなものだとは思う。ここまで女の子達が夢中になるような子は中々いない。同等の扱いをされてる子なんて、きっと倉前くんぐらいだろう。ただ同じ中学出身で美少女なマッチと凄く仲良くしてるから、ここまで積極的に親しくなろうっていう雰囲気はないけれど。
確実に、普通の男の子達に対してとは違う反応を見せる皆に、思わず小さく息を吐く。決して呆れたからじゃない。……やっぱり月くんは特別な人なんだと改めて分かって、余りの違いにそうする以外の反応が出来なかったんだ。感想らしい感想が思い浮かばない。ようやく出て来た言葉なんて、凄いなぁ、の一言だった。
まだ一日。……まだ、このクラスの一員になったばっかりなのに。
月くんは、こんなにも多くの人を惹き付ける。
「……由季?」
ぼんやりと考えていたら、背後から声をかけられた。そんな風に私の名前を呼ぶ相手は月くん以外にいはしない。ようやく我に返った私の視界に、顔を真っ赤に染めている女の子達が映り込む。
「何何? 名前呼び!?」
「『白井』とか『姫ちゃん』じゃないんだーっ!」
「何それ! 超羨ましいんだけど!」
「え、と……」
興奮交じりに盛り上がる彼女達の勢いに飲まれて、言葉を挟む隙がない。今までこんな立ち位置にいた経験がないせいで、まずどれからこなしていくべきか、その判断すらつかなかった。呼び方について答えるべきか、それよりも話しかけてくれた月くんに対して、皆と一緒に行くことに関しての意見を聞くべきなのか。まごついてる私よりもよっぽど周囲の行動は速くて、私が何かを言うよりも先に、女の子達は月くんへと顔を向けていた。
「赤城くんって、姫ちゃんと知り合いなんだよね?」
「ああ……幼馴染だ」
何処かはしゃぎ気味の女の子達とは対照的に、落ち着いた声で質問に答える月くんは、薄い笑顔を浮かべてる。愛想の良い、非の打ちどころのない微笑だ。けれども何故かその表情に違和感を覚えてしまうのは、きっと今朝やお昼休みに浮かべていた、時折浮かんだ笑顔とは若干違っているからだろう。
決して今浮かべている顔も、冷たいとか、無理矢理作っているものなんだとすぐに感じる程じゃない。だけどやっぱり他人行儀とでも言うべきか、形式的に浮かべているように感じるのは、多分、その眼差しに興味とでも呼ぶべきものが浮かんでないからなんだろう。当然だ。何せ彼は転入生で、ほとんどの人とは初対面。見知った相手に対して浮かべるものと浮かべる表情が違っても何も不思議はない。そう考えると、私は彼の幼馴染だったんだという事実を改めて実感させられた。私に向ける眼差しや声の端々に優しさが滲んでいる気がしたのは、例え私が覚えてなくとも、確かに月くんと知り合いだった過去があるからなんだろう。記憶にはない、けれども確かに存在するんだろう積み重ねに、思わず私は月くんの顔を見つめていた。
「……じゃあ、」
けれども、ふと聞こえた新たな声に、私は視線をスライドさせる。今までは会話に参加していなかった……けれども酷く聞き慣れたソプラノの主を、私が間違えるはずもない。きっと月くん以外の誰もが私と同じだっただろう。
切り出したのは他でもない、笑顔を浮かべたクラスのアイドル――マッチだったんだから。
「赤城くんって、姫ちゃんとすっごく仲良しなの?」
ちょこっと首を傾げながら、無邪気さを湛えた大きな瞳で月くんを見上げる小柄なマッチは、同性の私から見ても凄く可愛い女の子だ。まして男の子からすれば魅力的に違いなくて、話しかけられたわけじゃない男の子までもが、普段よりも明るさを増しているような気がするマッチの笑顔に見惚れているのが、傍目からでも良く分かった。
……でも、問題はその質問の内容だ。
どういう意図でそう尋ねたのかは分からないけど……何となく、お昼休みの月くんとの一件が頭の中に浮かんできて、どうにも気分が落ち着かない。月くんの方はどうなんだろうとちらりと視線を向けてみれば、他の男の子よりも長身の彼は、近付いて来たマッチのことをただただ見下ろしているだけで、やっぱり動揺してなさそうだった。まあ、マッチがあの一件を知っているはずもないし……なんて安堵していたのも数秒のこと。漠然とした違和感を覚えた私は、その正体に気付いた瞬間、改めて顔を上げていた。
月くんの表情は、さっきまでと同じ、他人行儀で綺麗な笑顔を浮かべてるだけ。……本当に、あくまでそれだけで、他の男の子達のようにマッチに見惚れることもなく、マッチにじっと見つめられて恥ずかしそうにしているような様子もない。本当に、ただマッチを目に映してるだけだっていうことに、驚きを隠せなかった。
他の男子なら何かしら反応してるのに――実際、無関係とも言える子達もマッチに対して熱い視線を向けながら、成り行きを見守っている状態なのに――当の月くんはそれに関してはまるで気にかける風もなく、質問に対しての答えを探しているらしかった。
……月くんは、一体どう答えるんだろう。ぼんやりと考えながら私も成り行きを見守っていれば、不意に月くんの視線が私に向けられた。真っ直ぐな眼差しを向けられて、再び心臓が跳ね上がる。途端に頬に熱が集まった気がしたけれど、それはどの程度表面に出てしまったのか。自分では分からないけれど、絶妙なタイミングで月くんの顔にふわりと微笑が浮かんだから、何だか筒抜けになってるようで凄く気恥ずかしくなった。どうにも落ち着かない気分でいる私とは対照的に、月くんは薄く微笑んだまま、再度マッチに向き直る。
「……俺は、そう思ってる」
静かに返された肯定に、他の子の反応が気になったけど……その一方で、私の中に新たな疑問が浮上した。
月くんの一人称は、昼休みの時点では確かに『私』だったはず。なのに今使ったのは『俺』だ。もちろん、年齢とか、高校生の男の子っていうことを踏まえれば『俺』の方が合ってる気はするけれど……お昼休みの、知り合いの私しかいない時には『私』だったっていうことは、そっちの方が地なんだろう。わざわざ変えてるってことなのかな……
疑問を抱きはしたけれど、今この状態で尋ねられるはずもない。「そうなんだ!」とすんなり納得したマッチの声が耳に届いたかと思えば、丸く大きな双眸が月くんから私に移された。くりくりとした瞳で私を見上げて来たマッチは、にっこりと可愛い笑みを浮かべる。
「知らなかったなー……姫ちゃんに、こんなカッコいいお友達がいたなんてっ!」
マッチの発言に、一瞬にして教室全体が静かになった。しんとしている空気の中、月くんのことを囲んでいた女の子達はお互い顔を見合わせてるし、男の子達も目を丸くしてこっちに視線を向けてくる。それ程驚かれてるのはきっと、マッチが月くんのことを『カッコいい』って言ったから。――月くんに興味が湧いたんだって、皆が判断したからだ。
マッチ程の女の子なら、月くんに十分釣り合うし……月くんだって、マッチが好きになったとしても全くもって不思議じゃない。どちらの可能性も高いんだって皆が思ったんだろう。当然だ。それだけのものを、二人とも持っているんだから。
「そうそう。姫ちゃん、今から赤城くんのこと案内するんだよねっ?」
「あ……うん、そうだね」
……そうだった。そういえば、後ろの女の子達が最初に私の所へ来たのもそれがきっかけだ。思い出しながら問いかけに私が頷けば、マッチは何処までも嬉しげにぱっと明るい笑顔を見せる。
「じゃあ、万智も一緒に行って良いっ?」
「え……?」
女の子達に次いでのマッチの提案に、声を上げたのは私じゃない。誰か別の女の子だ。私は多少予想はしていたし、別段断る理由もない。けれども月くんの意見を聞く前に私が答えるわけにもいかなくて、どうしようかと迷う私の視界には、月くんを見上げてにこりと笑うマッチが映る。
「皆で一緒に行くんだよね? すっごく楽しそうだもんっ! それに……」
『それに』。その後に続く言葉が何なのか、私は結局聞けなかった。――マッチが続きを紡ぐより先に、足音を立てずに近付いて来た月くんが、私の手を取ったから。
「……済まないが、今日は由季と二人だけで行く」
するりと指に絡められた掌は私よりずっと大きくて、滑らかだけれども武骨なそれは、確かに男の子のものだ。ごく自然に繋がれた手を引き寄せながらそう宣言した月くんに、私を含めた皆が驚きに目を見開いて彼を見た。台詞の内容とは裏腹に、見上げた先にある彼の横顔に浮かんでるのは、迷いが微塵も見えない微笑。失礼な言い方だと思うけど……断ることに関しては、申し訳ないとは思っていないように見えた。
女の子達も、男の子達も、それからマッチ本人も。マッチからの提案をまさか月くんが断るなんて、誰一人として予想していなかったんだろう。正直なところ、私も月くんがそんな風に判断するとは全然思っていなかった。誰もが目を瞠ったまま彼のことを見上げる中で、月くんは微塵も動じるような姿を見せず、落ち着き払った雰囲気のまま、まずは最初に話しかけてきた女の子達へ、そしてマッチへと視線を順に向けていく。
「久々に会ったからな……ゆっくりと、二人で話したいことが山積みなんだ」
淡々と紡いでいくその口調は決して押し付けるようなものじゃない。けれども、誰よりも大人びた雰囲気を纏っているからなのか、それとも何処か絶対的な意思のようなものを言外に滲ませているからか。浮かんでる微笑や口調の穏やかさとは裏腹に、反論どころか、口を挟むような隙すら微塵も与えない何かが確かにそこにある。
「また違う機会に誘ってくれ」
短く言い切れば、それが最後。誰も二の句が継げないどころか、一言たりとも台詞を紡げない中で、既にその話題は完結したものとして認識したらしい月くんが、静かにその身を翻す。そうして向かい合った瞬間に私と視線が交じり合えば、再び月くんの口角が上がり、唇が緩く弧を描く。和らいだ目元も含めたその表情は、確かに微笑みと称しても全く差支えないもので。
「行くぞ、由季」
「え!? あ、あの……っ!」
握った手はそのままに、月くんは教室を後にする。月くんに手を繋がれている私もそれは同じで、碌に言葉も発せないまま、ただ月くんに連れられるまま廊下へと足を踏み出した。
振り返って、一瞬だけ見えた教室。そこにあるのは、唖然としてるクラスメイトと……呆然とした様子で佇んでいる、マッチの姿だけだった。




