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白雪姫とヴァンパイア  作者: 澪川夜月
第一章 斯くて世界は廻り出す
20/21

些細な違い(1)

 ……一体、どうすれば良いんだろう。最後の授業だった日本史の教科書を未だに見つめ続けながら、幾度目かの疑問が再び私の頭を占拠した。


 教室に戻って来てからずっと、私の頭に浮かんでくるのはそのことだけ。授業は大事だからって必死に集中しようとはしたけど、結果は見事に惨敗だった。どんなに多く見積もってもいつもの半分ってところだろう。その位、昼休みに告げられた内容は衝撃的で、信じ難いものだった。


 だって、あれは……間違いなく──告白、だ。


 改めて浮かんできた事実に、かぁっと顔に熱が集まってくる。誰が聞いているわけでもないのに、酷く気恥ずかしかった。とんでもない失敗を犯してしまったかのような、酷い思い違いをしているような、自意識過剰な気がするのは、それだけ自分に縁遠い出来事だったからなんだろう。ましてや相手が月くんみたいな特別過ぎる人ともなれば、私なんかじゃあ不釣り合いにも程がある。例えば……そんなことはしないけど、もしも私がこのクラスの誰か一人にでも月くんから告白されたことを話せば、一日も待たずにクラス中にその発言が広まるだろう。それもきっと、とんでもない妄想か、嘘に過ぎない話として。誰も信じたりしないだろうし、クラス中から失笑を買うこと請け合いだ。今こうして悩んでいるだけでも指を指されて笑われそうで、私は硬く目を瞑ると小さく首を振ることでどうにか気分を入れ替える。


 冗談や、嘘……じゃあないんだろう。そのことだけはちゃんと分かった。そうやって全部を否定する程、私は月くんのことを悪い人だとは思わない。長年良くしてくれているカロルさんの息子さん、それも"自慢の"が付きそうな程の雰囲気も漂ってたし……不思議と、そこまで初対面な気がしないことも理由としてはかなりある。けれど、それ以上に大きな根拠は、告げられた内容こそ私とは丸きり無縁のものだったけど、眼差しは確かに真剣で、誠実なものだったから。少なくとも、からかいの色は全く浮かんでいなかった。……だから、その発言自体を疑い続けるつもりはない。それじゃあ、どうして私なんだろう……っていう肝心な部分に関しては、残念ながら答えは貰えなかったけど。


 また、知っていけば良い。そう、月くんは言ってくれた。申し訳ないけれど、彼のことを何一つとして覚えていない私にも……また、一から関係を築いていけば良いんだと。幸い、今の段階では告白の返事も急いでしなくて良いらしい。……そうかといって、何時までも待たせるわけにもいかないから、きちんと月くんを知った上で、考えなければならない問題ではあるけれど。


 ただ、それが果たして今の私に出来そうかと聞かれたら、確実に答えは否だろう。


 今だってそう。私の後で時間を置いてから教室に戻ってきた月くんに、私は一度も顔を向けられないままだった。教科書を一緒に見ていた関係で、多少の会話こそあったけど、どうしても視線を月くんの口許以上に上げられない。こんな状態で関わり続けるなんて絶対に無理だ。

 そうかといって、返答を待たせている以上、平然と会話出来るようになるまで延々と待たせるわけにはいかなくて、けれども平常心を保ったまま接するなんて私なんかには難易度が高過ぎるのも事実であって……


「由季?」

「ひやぁいっ!?」


 不意に話しかけてきた一つの声に、思わず変な声が出た。知らない声音じゃないその主は、明らかに私の左隣……窓際の最後尾っていう、今日から新たに設置された座席に腰掛けている人のもの。ほとんど距離なんて空いてないそこに座ってるその人は……月くんは、きょとんとした表情を浮かべながら、灰色がかった薄青色の瞳を私の方へと真っ直ぐに向けた。


「どうかしたのか?」

「ど、どど、ど……っ!?」


 どうしたって! それを尋ねるんですか! 私に! 貴方が!

 ……なんて、言いたいことは次から次へと頭の中に溢れてくるのに、どうしても声には出てくれない。結果的に無言のまま口だけをぱくぱくと開閉させてるだけの私に、月くんは依然として不思議がっているような表情のまま、私のことを見つめていた。私みたいに動揺している様子はなくて、午前中と全く同じ、極々普通の表情をしてる。そのことに何だか複雑な気分に陥るのは、自然なことだと思いたい。


 いやだって……月くん、あんまりにも平然とし過ぎじゃないかな……仮にも私に……告白、を、して、あんなに甘さをたくさん含んでいるような、少女漫画に出て来そうな言葉だってたくさん口にしてたのに。告げられた方の私はこんなにも動揺しきりなのに、月くんの方はまるで全部が夢だったように至極平然としているのは一体どうしてなんだろう。気恥ずかしさとか、そういうもので、緊張するっていうことは全然ないんだろうか。


 気まずい雰囲気にはなりたくない。折角仲良くなれそうだと思えた相手だったから、その点では有難いと言えるんだけど……それでも、私だけが緊張と混乱の最中に陥ってて、月くんが平然としているこの状況に、どうにも思考が追いつかない。悩まないでくれとは頼まれたけど、ここまで何事もなかったかのように振る舞って構わないものなんだろうか。普通の子達の恋愛はそうなのかな。ましてや月くんは今までだって絶対にモテたんだろうし、告白するのもそんなに恥ずかしくなかったりとかするのかな。……そんな馬鹿な。一人頭の中でぐるぐるとそんな考えが回るけど、結局のところ、私がどうするべきかっていうことへの結論は全く出てこなかった。私に出来ることはただ、月くんからさりげなく視線を逸らすことだけだ。


「……な、何でもない、よ……?」

「そうか?」


 なるべく自然に俯きながら、出しっ放しだった日本史の教科書をそれとなく鞄の中へと片付ける。月くんの方も首こそ傾げたらしいけど、それ以上追及することもなく机の上を片付け始めたことからして、さして疑問は抱かなかったってことだろう。ほっと息を吐いた私は、気を取り直してこれからのことを考えた。


 残すところは担任の先生からの確認とか話を聞くだけだ。今週は掃除当番じゃないし、部活に入っていない私は特に予定も入ってない。何処か……そう、何時ものように図書室に行って、静かな場所でこれからのことを考えよう。幾らか考えが纏まれば、朔ちゃんに相談出来るかもしれない。うん、それが良いはずだ。と、私が決意した瞬間だった。


「申し訳ないんだけど、これから会議が入っていてね……白井さん」

「あ……はい」


 担任の先生に名前を呼ばれて、私は即座に顔を上げる。特別、委員会なんかにも所属してない私の名前は呼ばれることも滅多にない。どうしてだろうと視線を向ければ、初老の担任の先生は、優しい笑顔を私へと向けた。


「これから簡単に赤城くんに校舎内を案内して貰っても良いかな?」

「あ、はい。…………え?」


 理解するより先に了承してしまった私は、やがて追いついて来た頼まれごとの内容に思わず身体ごと固まった。けれども疑問の声の方は先生に届かなかったんだろう。ぴしりと石化しつつある私に気付くこともなく、先生はにっこりと人好きのする顔で笑う。


「赤城くんのお母さんから聞いたよ。何でも、幼馴染だそうだね」

「え……あ、はい……」


 尋ねられるままに私はぎこちなく頷いた。先生の言うことは正しい。正しいんだけど、一応、やや一方的にではあるけれど、確かに事実上は幼馴染らしいんだけど。それでも今の状況を思えば、しばらくとまでは言わないから、せめて今日だけはちょっと一人でいる時間が欲しいというか、正直今の心境で一緒に居るのは大変気まずいんですというか……!

 なんて、最後尾で内心だらだらと冷や汗をかく私になんて、教室の前方に立っている先生が気付くはずもなく。


「もし都合が良ければ、彼の案内、お願いしても良いかな?」


 優しい微笑で尋ねられてしまったら、それも、嫌味ではなく好意から、私が断ることはないって信じてくれていることがしっかりばっちり伝わってきてしまったら。私が返す答えなんて決まっているようなものだった。


「……あ、赤城くんが、私で良いなら……」


 そんな風に、曖昧な返答をすることしか出来ない。ただ、こんな答え方をすれば、月くんだって「別の人でお願いします」だなんて言えないだろう。しまった、失敗したかもしれない。だなんて後悔をしても後の祭りだ。ちらりと横目に月くんを見れば、彼は今までの会話も当然聞いていたんだろう。先生に向けていた真っ直ぐな視線が無言のまま私に移されて、瞳に私が映り込む。しっかり合った目にどきりと心臓が跳ねたけど、そんなものは序の口で。次の瞬間、ふ、と目元や唇が柔らかく緩んで確かに微笑まれたことに、鼓動は激しさを増した。


 綺麗だと、改めて思う。さっきまでの羞恥心が全部何処かに追いやられて、ただただ茫然と眺め続けてしまうような、見る人を強く引き付けて止まない何かがそこにある。目を逸らすこともできずに見つめ続けている私に、浮かべた微笑はそのままに、月くんは先生へと視線を戻した。


「……是非、白井さんにお願いしたいです」


 澄んだ声音が教室へと響くけど、内容が頭に入ってこない。呆けたままでいる私の鼓膜に、「そうか」なんて落ち着いた男性の声音が遠くから響いたような気もしたけれど、それが誰のものなのか、それすら理解が出来なくて。


「じゃあ白井さん、この後、赤城くんに校内を案内してあげてね」


 再び呼ばれた自分の名前に、はっとして意識を先生に戻せば、私の了承を待つ先生の笑顔がそこにある。ここでようやく月くんと先生の会話の全てに思考が追いついた私は、既にこの話題は終了を迎えるだけになっていることを悟った。


「…………はい」


 静かに頷いた私がまさか混乱の最中にあるなんて、先生の方では夢にも思ってないんだろう。月くんの返答が満足のいくものだったからか、或いはグループ内で常に端にいるような私にも親しい友達がいたって事実に安堵をしてくれているからか。微笑ましげな表情でこっちを見ている先生には、恨むだなんてことが出来るはずもない。

 本当に、今日は色々なことが起きる日だとつくづく思う。嫌じゃない。けれども、できることならもっと一つ一つに対してゆっくり対応できる位の余裕があって欲しかったっていうのが正直な感想だ。


 ……もしかして私、神様に嫌われてたりするのかな……

 なんて一瞬考えながら、こっそりと溜息を吐き出したのは、多分、誰にも分からなかっただろう。




* * * * * 




 掃除の為に机は教室の前方まで寄せたから、私達がすることはこれで終わり。私と同じ班に割り振られてる月くんもまた掃除当番じゃないから、すぐにでも案内はできる状態だ。この高校は附属の中学も一緒の敷地内にあるせいで校内はかなり広いから、説明するにしても短時間じゃあ絶対に終わらないだろう。鞄は置いていったほうがいいかな……なんてことを考えながら、隣の月くんの方を見た。

 ……けれど。


「姫ちゃんっ!」


 背後から、急に声をかけられた。……けれどもそれはマッチじゃない。ましてや、違うクラスの朔ちゃんの呼び声でもなくて。


「アタシ達も一緒に行っていい?」


 問いかけに、振り返って声をかけてきた子の顔を見る。一瞬聞き間違いだと思えたのは、それがマッチといつも一緒にいる子……クラスメイトの女の子だったからだ。


 『姫』。そういう風に私を呼ぶのは、この高校ではマッチと朔ちゃんだけだった。間違いなくそう言い切れる。だってそれは小学校時代までのあだ名だったし、そこまで古い知り合いはその二人だけなんだから。現に今朝も、マッチが私をどんな風に呼んでるのかに関して、認識していないような会話をしていたはずだ。なのにどうして、と、急に呼び方が変わって困惑する私とは裏腹に、私の方へと小走りに近寄って来た彼女達は、明るい笑顔はそのままに話をどんどん進めていく。

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