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中ボス悪役貴族に転生したので、予定通り王国を奪います ~悪役をやめると死ぬ誓約なので、征服という名目で人類を救います~  作者: Jint
第2部:征服のお知らせ

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第9話:蝕の氾濫

 鐘を三度鳴らした。


 火事ではない。第一避難線を放棄する合図だ。


「全員、西へ! 木札の番号順に移動しろ! 荷物は持つな!」


 兵の声が夜のノルド村を駆け抜ける。


 扉が次々に開き、眠れずにいた村人たちが街道へ出た。老人と子供は荷車へ乗せる。歩ける者は世帯ごとに結んだ縄を握り、暗闇ではぐれないよう進む。


 昼間に一度訓練していた。それでも実際の恐怖は人を乱す。


「母さんがいない!」

「家へ戻るな! 巡回班が確認する!」

「家畜を連れていかせてください!」

「命と鶏を量るな。置いていけ!」


 俺は広場に立ち、流れが詰まる場所へ兵を回した。


 東から音が近づく。


 風ではない。無数の乾いた枝を折り続けるような音だ。


 村外れの森が内側から崩れた。


 黒い靄が地面を舐める。触れた草は色を失って灰になり、大木は幹から腐って根を引き抜かれるように倒れていく。


 その残骸が動いた。


 鹿だったものが四本の脚で立ち上がる。肉はなく、黒い枝と骨だけで形を保っていた。眼窩の奥に赤い光が灯る。


 《尖兵》。


 蝕に呑まれた生き物の形骸だ。


 ゲーム画面では何百体も倒した雑魚敵だった。実物は腐った森の臭いをまとい、骨を鳴らしてこちらを見る。


 怖くないはずがない。


「来ます」


 ベルナデッタが一歩前へ出た。


 赤い髪を結び、長剣を低く構える。彼女の背後には選抜した二十名の騎士が並んだ。


「第一列、槍を固定! 首ではなく脚を狙え!」


 鹿ほどの尖兵が二十を超えて駆け出した。その後ろでは、熊ほどある形骸が黒い木々を押し倒している。


 最初の一体をベルナデッタが両断する。横薙ぎの剣が前脚を払い、返す刃で赤い核を砕いた。


 黒い体が灰へ変わる。


 左右から二体。頭上の屋根から一体。


 彼女の剣は止まらない。足を運ぶたび銀の軌道が走り、一撃ごとに尖兵が崩れる。


「右から五!」

「承知!」


 騎士たちの槍が脚を止め、ベルナデッタが核だけを斬る。


 個々の敵は倒せる。


 だが森の奥から際限なく湧いてくる。


「閣下、北の柵にも尖兵!」


 黒い靄は用水路に沿って村の北へ回り込んでいた。


「予備隊を北へ! 用水路の水門を落とせ!」

「水では止まりません!」

「流木を詰まらせて進路を絞る。倒す場所をひとつにしろ!」


 尖兵を消す力はベルナデッタたちにある。必要なのは二十人の剣を、二十か所へ散らさないことだ。


 水門が落ちる。兵が荷車を横倒しにして枝道を塞いだ。回り込んだ尖兵が狭い入口へ集まる。


「槍隊、三歩下がって固定! 突くな、受け止めろ!」


 骨の獣が槍衾へぶつかる。兵の靴が土を削った。


 ベルナデッタが横から入り、並んだ核を一息に断つ。


「見事な狩り場です、閣下!」

「褒める暇があれば次を斬れ!」


 彼女の剣は頼もしい。だからこそ限界も見える。


 呼吸は速くなり、踏み込みのたび右足がわずかに遅れる。敵が尽きなければ、いつか剣士のほうが先に止まる。


 ギデオンが避難名簿を抱えて駆けてきた。


「南側は全員通過。北側は家畜を連れ出そうとして遅れています」

「家畜は放せ。綱を切れば自分で逃げる」

「鶏を籠ごと抱えた老婆が応じません」

「老婆ごと荷車へ載せろ。鶏もだ」

「資産保全ですね」

「わかっているなら聞くな」


 次の瞬間、村の北で屋根がひとつ崩れた。


 さらに本体の浸食は戦いを無視して進んでいた。


 尖兵の死骸を呑み、柵を呑み、畑へ黒い舌を伸ばす。


「火を放て!」


 油を撒いた溝へ火矢が落ちる。


 炎の壁が上がり、尖兵が足を止めた。黒い靄も一瞬だけ揺らぐ。


 次の瞬間、炎そのものが黒く染まった。


 熱を失い、煤の塊になって崩れる。


「効いていません!」

「わかっている!」


 原作でも通常攻撃で蝕は止まらない。勇者の聖剣か、鎮めの儀の力が必要だ。


 それでも時間は稼げると思っていた。


 甘かった。


 黒い先端が第一避難線の白杭へ届く。杭は音もなく朽ち、地面へ沈んだ。


「第一線、突破されました!」

「第二線へ移れ! 戦闘班は後退しながら尖兵だけを減らせ!」


 村民の最後尾が西の街道へ入る。俺は名簿を持つ兵を捕まえた。


 第一線まで二百八十息だった訓練が、今夜は四百を越えている。暗闇と恐怖、持ち出そうとする家財が人の足を遅くした。


 それでも訓練をしなければ倍はかかった。


 色紐を握った子供たちは同じ組の大人から離れず、字の読めない老人も避難図の矢印を覚えている。昼間に打った杭が夜道の輪郭を作っていた。


 準備は奇跡を起こさない。


 ただ一人ずつ、生存する確率を積み上げる。


 前世でも今世でも、それが俺にできる仕事だった。


 だから最後まで数える。一人も名簿から零さない。


「黄色の組が一人足りません!」

「家の位置を名簿で確認しろ。巡回班二名をつける!」

「未確認は」

「十二名! 東端の三世帯です!」


 街道を進む最後尾は全員確認済みだ。未確認の十二名だけが村内に残っている。


「巡回班を戻す。俺も行く」

「閣下がですか?」

「領主が最後に逃げるのは、資産の検分のためだ」


 本音を言い換える余裕すらなかった。


 東端の家々へ走る。既に庭の草が黒ずみ始めている。


 一軒目は空だった。二軒目では足を痛めた老婆を兵が背負う。三軒目の床下から子供が二人見つかった。恐怖で隠れたらしい。


「母ちゃんは?」

「先に行っている。走れるか」

「妹は走れない」

「なら俺が運ぶ」


 小さな少女を抱き上げる。熱がある。兄の手を兵に握らせ、街道へ戻った。


 背後で家が崩れる。


 浸食の速度が上がっていた。


「閣下、左から!」


 兵の警告と同時に狼の尖兵が飛ぶ。


 少女を抱えたまま身を捻った。爪が外套を裂く。


 剣を抜くより先に銀光が走った。


 尖兵の首が落ちる。


「御無事ですか!」


 ベルナデッタだ。鎧には黒い傷が増え、息も乱れている。


「戦線はどうした」

「副長に任せました。主君を失えば守る戦線もありません」

「まだ十二人いる」

「ならば全員連れ戻します」


 言葉どおり彼女は尖兵を斬り開いた。


 だが一人で守れる範囲には限界がある。


 第二避難線の石橋が見えたところで、前方から悲鳴が上がった。


 名簿では確認済みだった最後尾の荷車が、溝へ車輪を落としている。乗っているのは老人六人と子供たちだ。押す男たちも疲労で足が動かない。


「馬を外せ! 車体を直接持ち上げろ!」


 兵を走らせる。


 黒い靄はもう背後三十歩に迫っていた。


 ベルナデッタが一人で間へ立つ。


「ここは通しません」


 尖兵が押し寄せる。


 剣が閃く。一体。二体。五体。


 彼女の足元へ灰が積もる。


 十体目を斬ったとき、右肩へ黒い角が掠った。鎧が割れ、血が飛ぶ。


 それでも下がらない。


「ベルナデッタ、退け!」

「まだ斬れます!」


 問題は尖兵ではない。


 本体の浸食が彼女の足元まで迫っている。剣で斬っても黒い地面は止まらない。


 荷車はまだ動かない。


 子供が泣いている。老人の一人が降りようとして転んだ。


 計算する。


 浸食の速度。石橋までの距離。荷車を持ち上げる時間。


 間に合わない。


 兵も知恵も準備も使った。二段の避難線も機能した。だから千人近い村民をここまで逃がせた。


 それでも最後の数十歩が足りない。


 俺の脳裏に原作知識が並ぶ。


 蝕を押し返せる手札は一枚しかない。


 《魔人化》。


 簒奪の誓約を全身へ展開し、勇者級の力を得る中ボス形態。原作でヴァイスが使い、勇者一行を半壊させた力だ。


 代償も知っている。


 発動するたび体の一部を持っていかれる。


 治癒魔法では戻らない。


 俺は抱えていた少女を兄へ預けた。


「橋まで走れ」

「おじちゃんは?」

「俺の土地を検分してから行く」


 子供たちを兵へ押しつけ、足を止める。


 左胸の紋章が誘うように熱い。


「閣下?」


 ベルナデッタが振り返った。


「前を向け。村民を橋へ送れ」

「しかし――」

「命令だ」


 俺は黒い靄へ向き直る。


「ベルナデッタ。目を瞑っていろ」


 胸の紋章が赤く燃えた。


「これは、お前が見なくていい俺だ」


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