第6話:簒奪宣言
「宣言は夕刻。大広間には家臣、商人組合、職人組合、十二村の代表を入れます」
ギデオンが式次第を読み上げる。
俺の執務机には書類が山と積まれていた。招待者名簿、警備配置、演説原稿、宣言後に公布する政策案。紙の量だけなら国を奪ったあとに見える。
「本当に領民の代表まで呼ぶのか」
「呼ぶから意味があるのです。密室の陰謀は人を不安にしますが、堂々と宣言する逆賊は後ろ暗い王家より信用されます」
「その理屈はまだ納得していない」
「結果で御覧に入れます」
ギデオンは自信満々だった。
「なお宣言後は王都へ全文が届きます」
「誰が送る」
「招いた商人の誰かが喜んで。情報を止めるより、こちらの望む形で流すべきです」
「王都が即座に討伐軍を寄越したらどうする」
「寄越せません。国王は病床、聖蓋府は西部の蝕への対応中です。加えて我々はまだ一兵も国境を越えていない。将来の野心を口にしただけの辺境公を攻めれば、王家が言葉だけで諸侯を潰した前例になる」
ギデオンは招待者名簿を指先で叩いた。
「流れるのは宣言だけではありません。減税、街道整備、備蓄の拡充も同時に伝わる。王都が動けば、善政を始めた領主を恐れて討ったように見えるでしょう」
「俺の悪名を盾にするのか」
「悪名と実利を一緒に流すのです。向こうが迷っている間に民心を固め、誰が我々を探るかも見極める。黙って三年後の討伐を待つより有益です」
危険な策ではあるが、相手の反応を早く引き出し、こちらの望む形で戦場を作る利点は理解できた。
俺は式次第を閉じた。
大広間で正式な簒奪宣言を行う。彼が提案した策だ。
誓約の条項一を安定して満たし、領内の方針も一本化できる。俺が王座を狙っているという噂は既に広まっているため、今さら隠しても意味がない。
問題は演説の内容だった。
「この原稿では俺が善政を敷くように見えるぞ」
「実際に敷くのでしょう?」
「言い方の問題だ」
善意を説明すれば心臓が締まる。ギデオンにも誓約のことはまだ話していない。俺は原稿の語句を黒々と書き換えた。
復興は支配基盤の整備。
減税は将来の徴税対象を増やす投資。
休養規定は人的資産の保全。
「より悪く聞こえるようになりましたね。素晴らしい」
隣から覗いたギデオンが感心する。
「これでいいのか」
「広報として満点です」
この軍師と話していると善悪の基準が揺らぐ。
窓際ではベルナデッタが剣を磨いていた。式典警備の打ち合わせに呼んだはずだ。
「お前も意見を出せ」
「御心のままに。宣言へ異を唱える者がいれば斬ります」
「斬るな」
「では峰で」
「そういう問題ではない」
戦力は得た。頭脳も得た。なのに俺の負担は増えている気がする。
午後、リーゼが式典用の上着を持ってきた。
「これ、お母さまが選んだんだって。お兄さまの目と同じ色」
濃灰色の上着には銀糸でレーゲンハルト家の紋章が縫われている。
「似合う?」
「怖さが増したな」
「褒めてる?」
「支配者には必要な威厳だ」
リーゼは俺の襟を整え、満足そうに頷いた。
「今日は王さまになるの?」
「今日は宣言するだけだ」
「じゃあ、いつなるの?」
「三年以内だ」
討伐イベントより先に盤面を変えなければならない。五年後の蝕を待つ余裕もない。
数字にすると時間の短さが際立った。
夕刻。大広間の扉が開く。
家臣と領民の代表が左右に並び、ざわめきが高い天井へ反響していた。正面の壇上へ俺が上がると声が消える。
皆の顔に不安がある。
当然だろう。王家へ逆らうということは、敗北すれば全員が逆賊になるということだ。
俺は壇上から人々を見渡した。
家令。料理長。目の下の隈が薄くなった給仕長。城下の鍛冶師。街道沿いで宿を営む夫婦。畑で見かけた村長もいる。
原作では名前のない人々。
俺の敗北で巻き添えになり、勝っても五年後には蝕に呑まれる人々だ。
守るためだと言いたかった。
口にすれば心臓が止まる。
だから俺は最も悪役らしい笑みを作った。
「よく集まった」
低い声が広間へ響く。
「噂で聞いている者もいるだろう。俺が兵糧を蓄え、兵を鍛え、王国へ叛意を抱いているとな」
列の中で誰かが息を呑んだ。
「噂は間違いだ」
安堵が広がりかける。
「俺は叛意を抱いているのではない。王座を奪ると既に決めている!」
今度こそ広間がどよめいた。
ベルナデッタだけが誇らしげに頷き、ギデオンは予定どおりだと指を組んでいる。
「このレーゲンハルト領は俺の足場だ。痩せた民、崩れた道、空の倉では王都まで進めん。よって命じる!」
俺は机を拳で叩いた。
「領民は肥やせ。道は直せ。倉は満たせ。病人には薬を配り、子供には教育を与えろ。働けぬ者を飢えさせるな。働ける者を倒れるまで使うな」
そこまで言って胸の紋章がわずかに疼く。
理由が必要だ。
「すべては簒奪のためだ! 俺の駒を勝手に減らすことは許さん!」
痛みは来なかった。
完璧な悪役口上だ。
ところが人々の反応がおかしい。
恐怖のどよめきが徐々に困惑へ変わる。商人組合の代表が隣の男と囁き合い、やがて恐る恐る手を挙げた。
「閣下。一点、確認をお許しください」
「言え」
「つまり……街道を再建し、備蓄を増やしてくださると?」
「俺の軍が使うためだ」
「街道は我々も使ってよろしいので?」
「通行を禁じる理由はない」
今度は村長が手を挙げる。
「二年の減税と、農具購入への貸付も簒奪のためで?」
「将来まとめて搾り取るには、いま肥えさせる必要がある」
「返済できない凶作年は?」
「免除する。離散されては徴税できん」
広間の空気が変わった。
恐怖が消え、期待を押し殺したような妙な熱が広がっていく。
「つまり……減税と復興をなさると?」
「そうは言っていない!」
俺は反射的に否定した。
だが内容は完全にそのとおりだ。
「いや、そうだが! 目的は簒奪だ! 勘違いするな!」
どこからか拍手が起きた。
ひとつが二つに増え、あっという間に広間を満たす。村長が深々と頭を下げ、家臣たちもそれに続いた。
「簒奪公閣下の御命令、謹んで承ります!」
違う。そうじゃない。
俺はいま王国への反逆を宣言したんだぞ。なぜ減税を発表した領主のように歓迎されている。
ギデオンを見た。満足げに頷いている。
……。
鳴り止まない拍手の中で、俺は言うべき言葉を何ひとつ見つけられなかった。
散会後、俺は壇上で頭を抱えていた。
「式典は大成功でした」
「反逆者が大勢の前で自白したんだぞ」
「隠さないことで民心を得ました」
「なぜだ」
「実利があるからです」
ギデオンは簡単に言う。
ベルナデッタも近づき、胸へ拳を当てた。
「あれほど堂々と首を懸ける御姿。必ずや玉座まで御供いたします」
「首から離れろ」
「では腕を」
「部位の話ではない」
こっそりリーゼが俺の袖を引いた。
「お兄さま」
「何だ」
彼女は周囲へ聞こえないよう背伸びをする。
「また本当のことを悪く言ってる」
図星だった。
「ごほっ」
「大丈夫?」
「何でもない」
誓約には見抜かれず、十二歳の妹には見抜かれている。
夕暮れ。俺はギデオンと城壁に上がった。
宣言を終えた領内には灯がともり始めている。倉庫では早くも備蓄量の確認が始まり、城下へ帰る代表たちは新しい政策について語り合っていた。
家臣団の最初の形はできた。
頭脳のギデオン。武のベルナデッタ。俺の本心を見抜くリーゼ。それから雇った覚えのないメイドは、今日は柱の陰から式典を記録していたらしい。
王座への道は始まったばかりだ。
「閣下」
ギデオンの声から軽さが消えた。
彼が東の空を指す。
夕焼けの下。山並みに近い低空へ、黒い靄がわだかまっている。
雲ではない。
風に流されず、一点から染み出すように広がっていた。
ゲームで何度も見た《蝕》の前兆だ。
「おかしい」
俺の記憶では発生は五年後。それまで東の空に異変など現れない。
ギデオンが懐から小さな記録帳を出した。
「聖蓋府に残る過去の記述と同じです。ですが――」
黒い靄を見つめ、低く呟く。
「閣下。あの靄、記録より五年早い」
背筋が冷えた。
俺の知識では三年後に討伐され、五年後に蝕が来る。その予定を前提に動き始めた。
だが俺が転生したことで何かが変わったのか。それとも原作で知らされなかっただけなのか。
東の空で黒い靄が脈打つ。
まるで俺の胸に刻まれた紋章と呼応するように。
ふと、昼間の広間が脳裏をよぎった。
契約は悪役の評判そのものを求めている。書庫の検証でそう結論づけた。だが宣言を終えた俺が今日得たものは、恐怖でも憎悪でもない。拍手と人望と、面白い領主という評判だ。
契約の目的は、表向き少しも達成されていない。
なのに紋章は咎めるどころか、満足げに脈打っていた。
――悪の評判を求めるはずの契約が、なぜこの結果に黙っている?
答えはない。規則正しい鼓動が返るだけだ。
この契約を作った何者かは、本当は何を求めている。そして五年早いあの靄は、契約と無関係だと言い切れるのか。
ゲームの知識は未来を保証する攻略本ではない。
もう予定表ですらないのかもしれない。




