第5話:果たし状の騎士
翌朝、城門前に一人の女騎士が立っていた。
白銀の鎧。背中まで流れる赤い髪。腰には幅広の長剣を佩き、馬すら連れずに城を見上げている。
城壁の兵たちは弓を構えたまま動けない。
当然だ。
ベルナデッタ・クロイツは単騎で小隊を壊滅させる。原作で勇者の剣術指南を務めた王国最強格だ。矢を射れば挑発にしかならない。
俺が城門を出ると彼女は灰色の瞳を細めた。
「簒奪公ヴァイス」
「人の城の前で物騒な呼び名を叫ぶな」
「決闘を申し込みます」
「断る」
即答した。
正面から戦えば十秒もたない。素のヴァイスも弱くはないが、ベルナデッタとは格が違う。
「お断りになるなら門を斬ります」
「門に何の罪がある」
「貴方が中から出ざるを得なくなります」
会話が通じるようで通じない。
後ろに立つギデオンが小声で言った。
「修繕費が惜しいので受けてください」
「お前は主君の命より門を選ぶのか」
「忠誠は誓っておりませんので」
そうだった。
ベルナデッタが決闘を求める理由は原作知識にある。彼女は聖堂騎士団の腐敗を告発し、逆に職を追われた。正義を掲げる王国へ失望した末、悪を公言するヴァイスに興味を持つ。
原作では決闘を挑んで殺される。プレイヤーが読む記録には「簒奪公の卑劣な罠に散った」とだけ記されていた。
この女を死なせるつもりはない。
「なぜ俺に挑む」
念のため本人へ尋ねた。
「聖堂騎士団は民の盾であるべきでした」
ベルナデッタの声には抑えた怒りがある。
「ですが上官は聖蓋府の命令を優先し、蝕の被災民を門前で追い返した。私は命令に逆らい門を開けました。その結果が罷免です」
「それで正義を捨てたのか」
「捨ててはいません。正義を名乗る者が信用できなくなっただけです」
彼女は俺を真っ直ぐ見た。
「貴方は悪を隠さない。王座を奪うと公言しながら、領内では過酷な取り立てを止めたとも聞きました。言葉と剣のどちらが真実か、この目で確かめます」
噂がもう王都まで届いているらしい。
俺の善行ではないと否定したくなるが、それを説明する言葉は誓約に塞がれている。
「剣で人間のすべてがわかると思うな」
「少なくとも、死を前にした振る舞いはわかります」
灰色の瞳に迷いはない。死ぬことも殺すことも、既に覚悟の中へ入れている目だった。
だからなおさら正面から応じるわけにはいかなかった。彼女が求める作法に従えば、原作と同じ結末へ滑り落ちる。
俺は城内へ戻りながら告げた。
「中庭の演習場で受ける。正午だ」
「逃げませんね?」
「俺の城だぞ。どこへ逃げる」
言い捨てて門をくぐり、数歩進んでから足を止める。俺は振り返り、条件を付け足した。
「場所はこちらで決めた。手段も俺に委ねる。それでいいな」
「無論です。戦場で敵の支度へ注文をつける騎士はいません」
正午までの一刻半、俺は演習場を歩き回った。
長方形の地面の東側に武器庫、西側に観覧廊、南壁には古い排水溝があり、北側の土だけが雨で柔らかい。
太陽の位置を確認する。
ベルナデッタの癖も思い出す。彼女は初撃で相手の武器を弾き、二撃目を首筋へ止める。踏み込みは右足から。敵を見失った瞬間、音を頼って左へ薙ぐ。
ゲームでは動きを覚えなければ苦戦するボスだった。俺は何度も倒されたぶん、彼女の剣筋を知っている。
「閣下、勝算は?」
ギデオンが観覧廊から問う。
「剣を合わせなければある」
「それを決闘と呼ぶかは議論の余地がありますね」
「生き残った者が決める」
正午。ベルナデッタは演習場の中央に立った。
「武器を」
俺は腰の剣を抜かず、足元へ置いた。
「要らん」
「侮辱ですか」
「三歩以内へ入れたなら俺の負けでいい」
彼女の目に怒気が灯る。
挑発は成功した。
「後悔なさいませんよう」
地を蹴る音がひとつ。
速い。
予想していても体が反応できない速度だ。だが俺は彼女ではなく、足元を見ていた。
ベルナデッタの右足が境界線を越える。
俺は手にした短杖を振り下ろした。
武器庫の屋根に張っておいた縄が外れ、磨き上げた訓練用の盾が一斉に傾く。正午の光を反射し、彼女の正面へ浴びせた。
「っ!」
眩しさに目を細めても踏み込みは止まらない。
さすがだ。
ベルナデッタは気配を頼りに左薙ぎを放つ。俺は後ろへ下がらず、その場で身を伏せた。
剣が頭上を通過する。
同時に杖で排水溝の留め具を叩いた。
昨夜のうちに溜めておいた水が地面へ流れ出す。柔らかな北側の土が一気に泥へ変わった。
彼女の右足が沈む。
体勢を立て直すより早く、頭上から砂袋が落ちた。
「――上等ッ!」
敬語も作法も剥がれた声で吼え、ベルナデッタは袋ごと両断する。
中身は訓練線を引くための白墨の粉だ。目に入っても水で洗えば済むものを選んである。
白い粉が舞い、反射した光をさらに散らす。
視界と足場を同時に奪われても彼女は転ばない。だが一瞬だけ左膝が下がった。
それで十分だった。
俺は横を駆け抜け、背後へ回る。地面に置いた剣ではなく、観覧廊の柱へ立てかけておいた槍を掴んだ。
穂先を彼女の首筋へ当てる。
三歩の内側へ入られる前だった。
「そこまでだ」
演習場が静まり返る。
俺は剣を一度も合わせていない。まともに戦えば負けるから、まともに戦わなかった。
ベルナデッタはゆっくり目を開いた。
首筋の穂先を確かめるように顔を動かす。
「私の負けです」
「潔いな」
「首を」
「要らん」
「決闘の勝者には敗者の命を取る権利があります」
「首より腕をよこせ。雇う」
ベルナデッタが初めて呆けた顔をした。
観覧廊ではギデオンが額を押さえている。
「なぜ殺さないのです」
「殺す理由が――」
言いかけたところで胸が軋んだ。
危ない。それは善意の申告になるらしい。
俺は悪役らしい理由を必死に探した。
「お前を斬るのは玉座の上と決めている」
口から出任せだった。
「王国最強の騎士を従え、王座を奪ったその日に首を落とす。それまでは俺の剣となれ」
どうだ。十分に悪いだろう。
誓約は沈黙している。合格らしい。
だがベルナデッタの反応は想定外だった。
灰色の瞳に危険な光が灯る。頬までわずかに紅潮していた。
「玉座を得るまで私を傍に置き、最後には御自ら?」
「そう言った」
「なんと……苛烈な」
なぜ嬉しそうなんだ。
ベルナデッタは泥の中で片膝をつき、俺を見上げた。
「この剣、今日より貴方に預けます。私の首はあなたが取るために磨いておきましょう」
「いや、磨く必要はない」
「最高の状態で刎ねていただくのが礼儀ですので」
何かがおかしい方向へ転がった。
ギデオンが降りてきて俺の肩を叩く。
「おめでとうございます。武の柱を得ましたね」
「代わりに別の問題が生まれていないか」
「忠誠心が高いことは美点です」
「お前にはないものだな」
「ええ。ですから役割分担は完璧です」
ベルナデッタはその日のうちに騎士団長へ着任した。
兵たちは最初こそ怯えていたが、彼女の指導は厳格で公平で、日暮れには全員が背筋を伸ばして訓練を受けている。
戦力は戦力だ。三年後の討伐を覆すには彼女の剣が要る。
そう自分に言い聞かせて執務を終えた。
夜、寝室へ戻ると寝具が完璧に整えられていた。
枕元には温かい夜食。明日の衣服も用意され、机には俺の予定表が分単位で書き直されている。
気の利く家人がいるものだと思い、廊下の侍女へ尋ねた。
「誰が部屋を整えた?」
「私どもではございません。旦那様付きの新しいメイド様かと」
「新しいメイド?」
「黒髪の、とても静かな方です。先ほど廊下の角に……」
侍女が振り返る。
そこには誰もいなかった。
寝室へ戻ると予定表の端に小さな字が増えている。
『本日の旦那様:女騎士の勧誘に成功。悪役らしい言い換えまで二・八秒。観測継続』
「最近雇った覚えのないメイドがいる気がする」
返事はない。
ただ廊下の暗がりで、黒いスカートの裾が一瞬だけ消えた。




