第4話:忠誠なき軍師
ギデオン・ハーケンは約束の時刻ぴったりに現れた。
四十代半ば。痩せた長身を古びた外套で包み、褐色の髪を無造作に後ろへ撫でつけている。旅塵にまみれているのに眼鏡だけは曇りひとつない。
応接室へ通されても礼をする気配はなかった。
「私は王国への復讐に都合がいいから貴方を使うだけです。誤解なきよう」
椅子に座る前の第一声がそれだった。
「まだ雇うとも言っていない」
「雇いますよ。貴方には私が必要です」
「大した自信だな」
「自信ではなく事実です」
雇われる側に主導権を奪われている。
原作どおり扱いにくい男だ。だが同時に原作どおりなら、その能力は本物だった。
俺は向かいの椅子を示した。
「座れ。使えるかどうかは俺が決める」
「ええ。精々、正しく値踏みしてください」
ギデオンは腰を下ろすと革鞄から分厚い紙束を出した。
「まず手土産です。聖蓋府の過去二十年分の公開予算と、私が在職中に閲覧した内部帳簿の差異をまとめました」
紙には細かな数字がびっしり並んでいる。項目は祭具の更新、祈祷官の手当、魔晶石の輸送費。
表面上は鎮めの儀に必要な支出だ。
しかし毎年、蝕の発生地域が決定される三か月前だけ魔晶石の購入量が跳ね上がっている。輸送先は王都地下。使用後の残滓に関する記録はない。
「鎮めの儀が本当に祈祷なら、地脈制御用の魔晶石をこれほど消費する理由がない」
ギデオンの指が数字をなぞった。
「私はその説明を求めました。翌週には西部の徴税監へ転任です。さらに追及すると、公金横領の嫌疑までかけられた」
「それで王国に復讐したいと?」
「復讐という言葉は便宜上です。馬鹿な組織が正しい数字を嫌うことは珍しくありません。私が許せないのは、帳簿の辻褄すら合わせず私を追放したことです」
怒る場所が独特だった。
「追放されたあとは何をしていた」
「西部で代官の帳簿を直しました。横領していた代官本人に感謝されず、三日で解雇されました」
「当然だ」
「次に商会の顧問へ。輸送経路を組み直して利益を倍にしましたが、会頭の息子が無能だと数字で証明してしまい一週間で解雇です」
「言い方を選べ」
「事実に装飾は不要でしょう」
「お前が職を失う理由はよくわかった」
ギデオンは悪びれず眼鏡の位置を直した。
「最終的に、私の能力と性格を同時に使いこなせる雇用主は逆賊しかいないと結論しました」
「逆賊への評価が高すぎないか」
「既存の人事制度へ従う必要がありませんから。無能を家柄だけで上に置かずに済む」
それは俺も前世で嫌というほど味わった。現場を知らない理事の思いつきで計画が変わり、しわ寄せを受けるのは支援を待つ人々だ。
だが共感を口にすれば話が長くなる。俺は紙束へ視線を戻した。
それでも彼は真実の縁に指をかけている。
地脈制御。王都地下。蝕の発生地が決まる前の支出。地図の上で組んだ仮説と、寸分違わず噛み合っていく。
「鎮めの儀が蝕を消すものではないとしたら?」
俺は反応を探るため問いを投げた。
ギデオンの瞳が眼鏡の奥で細くなる。
「続けてください」
「消すのではなく逸らす。王都へ向かう災厄を魔力脈に沿って辺境へ流しているとすれば、支出の異常は説明できる」
「証拠は?」
「ない」
「根拠は?」
「俺が知っている」
言えるのはそこまでだ。ゲームの世界へ転生したなどと話せば、天才軍師ではなく医者を紹介される。
ギデオンは長く沈黙した。
否定されるかと思ったが、彼は紙束を別の角度から並べ始める。
「仮説としては美しい。蝕の発生地と魔晶石の量を照合すれば検証できます」
言いながら、ギデオンは紙束から三枚を抜いて並べ替えた。
「在職中に暗記した数字だけでも、直近の三回は照合できる。十一年前、南方辺境。八年前、西部国境。三年前、北の山峡」
細い指が魔晶石の購入量を順になぞる。
「王都から遠い土地に蝕が出た年ほど、購入量が多い。距離に綺麗に比例します」
「……消すための儀式に、届ける距離の勘定は要らないな」
「ええ。これは祈祷ではありません。制御です」
地図の上では仮説だったものが、数字の裏打ちを得て初めて像を結んだ。
玉座の間の地下に眠るものは、祈りの祭壇ではない。災厄の舵だ。
「もっとも、三点では偶然を殺しきれません。断定には過去百年分の記録が要る」
「聖蓋府の書庫か」
「ええ。私を追い出した連中の懐です」
口元に初めて薄い笑みが浮かんだ。
「それを暴いてどうするおつもりで?」
「王座を奪う」
俺は即答した。
「王家が隠す儀式を止めるには玉座が要る。この国の仕組みごと俺が簒奪する」
本心では領民を救うためだ。だがそう説明すれば心臓が痛む。だから契約に許された部分だけを高らかに言い切る。
ギデオンの目が輝いた。
「素晴らしい」
「何がだ」
「王座への野心を隠さない逆賊。政治的に、これほど攻めやすい旗はありません」
「攻めやすい?」
「人は陰謀を恐れます。何を企んでいるかわからない相手には近づかない。ところが貴方は最終目的を自分から叫んでいる」
ギデオンは楽しげに指を一本立てた。
「王座を奪る。そのために領地を富ませ、民を増やし、軍を整える。目的が明快なら利害の一致する者を集めやすい。曖昧な善政より、堂々たる簒奪のほうが信用できます」
「俺は逆賊だぞ」
「ええ。広報として満点です」
なぜか褒められた。
しかも誓約に強制された悪役口上が、戦略的に肯定されている。
この男を雇って本当に大丈夫だろうか。
「能力を見せろ」
判断を先送りし、領の財政資料を渡した。
「今日中に問題点を三つ挙げろ。できれば試用を考える」
「三つでよろしいので?」
「まずはな」
ギデオンはその場で資料を読み始めた。
半刻後、応接室の机が足りなくなった。
一刻半後、問題点は三つどころか二十七に増えた。
使われていない関所の維持費。途中で消える街道修繕費。倉庫ごとに異なる穀物の計量法。徴税官の不正だけでなく、制度上の無駄まで赤い印で洗い出されている。
「不正を働いた徴税官は全員切るべきか?」
能力だけでなく判断を見るため訊いた。
「いいえ。首謀者二名は告発し、残りは証拠を握ったまま働かせます。一斉に替えれば徴税実務が止まる。冬までに後任を育ててから処分すべきです」
「民から奪った金は?」
「来期の税から差し引いて返還を。閣下の慈悲ではなく、不正な徴収で商いが細れば将来の税収を損なうからです」
俺が言い換える前に悪役の理屈まで用意された。
「試用は合格だ」
「まだ問題点を半分しか説明していません」
「残りは昼食後に話せ」
「この調達契約を一本化すれば年間支出の八分の一を削れます。浮いた分を街道と治水へ。税率は二年だけ下げたほうが人口流出を止められる」
「待て。休憩を取れ」
「不要です」
「昼食も食べていないだろう」
「時間の浪費です」
こめかみに血管が浮いている。手もわずかに震えていた。
前世で見慣れた過労の兆候だ。
「命令だ。食え。一刻ごとに休め」
「私の体を案じておられるので?」
危険な質問が来た。胸の紋章が待ち構える気配を見せる。
「違う。採用初日に壊れる道具は不良品だ。俺の投資を無駄にするな」
「なるほど。合理的です」
無事に通った。
そこへ茶を運んできたリーゼが資料の山を覗き込む。
「新しいお仕事の人?」
「まだ試用中だ」
「ギデオン・ハーケンです。貴女の兄君を王座へ押し上げるため、都合よく使う予定です」
「お兄さまを使うの?」
「互いにです」
リーゼは少し考え、俺へ顔を向けた。
「お兄さま、お友達ができてよかったね」
「どこを見てそう思った」
ギデオンが小さく吹き出した。
夕刻には採用を決めていた。
「忠誠は誓いません」
差し出された雇用契約書に署名しながら彼が言う。
「要らん。仕事をしろ」
「では遠慮なく」
妙に噛み合う返答だった。
ギデオンは書類を鞄へ収め、扉の前で振り返った。
「ところで閣下。近々、果たし状が届きます」
「なぜお前が知っている」
「王都で聖堂騎士団の副長が職を辞したそうですので」
その一言で該当する人物が浮かんだ。
ベルナデッタ・クロイツ。
王国最強格の女騎士。原作ではヴァイス討伐戦の先鋒を務める人物だ。
「まさか、もう来るのか」
「人気者は大変ですね」
ギデオンは心から愉快そうに去っていった。
翌朝、城門から鐘が鳴った。
急使が持ち込んだ封書には一文だけ記されている。
『簒奪公ヴァイスへ。明朝、貴殿の首を求める』




