第45話:束なった時限
西門を出て半日。最初の野営地で、昨夜決めた期限をもう一度読み上げさせた。
外縁まで三十日、中心流まで四十五日。王都まで二十五日。核を探して止めるために残るのは、差し引き五日しかない。
地図の上へ置いた蝋燭が短くなるたび、昨夜は何度も同じ数字を読み直した。
そして今は、ギデオンが同じ地図を馬車の荷台へ固定し、車輪が穴を踏むたび王都の駒が揺れる。期限は机上の数字ではなく、車輪一回ごとの距離になった。
「東部軍一万二千。うち遠征に出せるのは七千です。残り五千は国境、避難路、穀倉の防衛に割きます」
「王都守備軍は公称二万」
ギデオンが駒を置く。正門、北兵舎、鐘楼、王城。四つの守備点を赤い糸が結んだ。
「まともに攻めれば一月です」
「だから攻めない」
俺は王城の駒だけを倒した。
「地下の儀式核へ一人届けばいい。王都を獲る必要も、王を討つ必要もない」
「それまでの壁は」
「俺たちが消す」
ベルナデッタが即答した。だが俺は彼女を見据える。
「殺すな。王国兵も王都の民も、核を止めた後は俺の民だ。死体の上に新しい旗を立てるつもりはない」
帳内が静まった。敵の二倍を倒せという命令より、敵を生かして突破せよという命令の方が難しい。
「死者を出さないための順序を決める」
正門は調略、市街は規律、兵舎は装備破壊、王城門は勇者の擬装。失敗するたび次の手段へ移るが、火攻め、毒、水源封鎖だけは最初から作戦表へ書かせない。
「門が開かなければ」
「工兵が蝶番を外す。壁は壊さない」
「市街で投石を受ければ」
「盾を上げて通る。家へ踏み込むな」
「王国兵が降伏しなければ」
「武器だけを奪う」
ベルナデッタが満足げに頷く。最後だけ自分の仕事だと思っているな。
負傷者の扱いも敵味方で分けない。施療班は軍列の中央へ置き、白旗ではなく青い治療旗を掲げる。捕虜は縛って放置せず、名前と所属を記録して水を渡す。
「王国兵へ薬を使えば遠征分が不足します」
補給官が言った。
「王都の倉を奪って補充する」
「略奪禁止では」
「簒奪後は国庫だ。俺の倉から俺の兵へ移すだけになる」
補給官は納得し、ギデオンは頭を抱えた。
「法的な時系列を武力で解決しないでいただけますか」
未来の所有権を先取りしただけだ。
シュカが王都の古い系譜図を広げた。レーゲンハルト家の名から、薄い線が王家へ伸びている。
「王弟の娘が東辺へ降嫁した記録です。五代前。王家傍流の血が閣下に残っている可能性があります」
「可能性で作戦は組めん」
「でも地下の封印が王家の血を求めるなら、覚えておく価値はある」
父が決して見せなかった銀の家印を思い出した。王冠から一本だけ枝の折れた意匠。東辺では敗者の印と呼ばれていた。
シュカが持参したのは系譜図だけではない。降嫁時の持参金目録、王弟の娘が東辺で産んだ子の洗礼記録、銀印の拓本。三つは別々の書庫にあり、同じ偽造者が触れた形跡はなかった。
「なぜ父は隠した」
「王位継承争いで二度利用されかけています。先代は家印を敗者の印と呼ばせ、価値を消したのでしょう」
簒奪を企む家の血が、実は王座へ近い。悪役の設定として出来すぎている。ただし血筋を掲げて王位を請求する気はない。必要なのは地下の扉を開ける鍵だけだ。
「系譜は公開するな。俺が正統だという戦争にすり替わる」
「王位を奪うのに正統性を捨てますか」
「奪う者が血統書を振るう方が格好悪い」
胸は痛まない。悪役としての美学で通ったらしい。
「記録を持ってこい。使えるかは王都で確かめる」
リーゼには城と民の避難計画を任せた。井戸を封じず、穀物を分散し、蝕が早まった場合は国境を越えず旧鉱山へ逃がす。
留守居には実権を持たせた。避難開始、倉庫開放、橋の切断、遠征軍への帰還命令。その四つを俺の許可なしで出せる印を渡した。
「帰還命令も、わたしが?」
「中心流が予定より七日早まれば出せ。俺が王城へ入っていてもだ」
「お兄さまは戻る?」
「命令に従う領主でなければ兵が従わなくなる」
戻るとは言っていない。だがリーゼは印を握り、まっすぐ頷いた。十五歳へ渡すには重すぎる。だから文官団と避難責任者三人の連署がなければ発動しない仕組みにした。
一人へ責任を押しつけない。それがグレゴールの千年と違う最初の線引きだ。
彼女は最後まで同行を願わなかった。ただ帳面を閉じて言う。
「帰ってきてください。城がなくなっても困りますが、領主がいなくなる方がもっと困ります」
「守れ。帰ってきた時に城がなければ困る」
「はい。お兄さまの帰る場所も」
軍議の夜、七千の兵が城外に並んだ。元王国兵、追放された官僚、国境の農民、降伏した傭兵。三年前なら互いに剣を向けていた者たちだ。
「目的地は王都。手段は簒奪。理由は世界を残すためだ」
俺は義手を掲げた。
「王国に捨てられ、俺が拾った者たち。今度は王国そのものを拾いに行く。略奪するな。民家へ入るな。降伏者を傷つけるな。目標は王座ではなく、その地下だ」
一拍置き、声を張る。
「全部、俺のものにするためだ!」
鬨の声が夜を揺らした。リーゼは城門の上で手を振らず、右手を胸へ当てた。俺も生身の右手で同じ仕草を返す。
義声帯は七千人へ届く出力に耐えきれず、最後の音が少し割れた。リリウムが壇下から交換時刻を指で示す。決戦前の檄より機械の保守予定が優先らしい。
兵たちは口上の裏を知っている。王国を拾うとは、敵兵まで生かすことだ。全部俺のものにするとは、一人も蝕へ渡さないことだ。
理解されすぎて悪役としては敗北している。だが軍としては、それでいい。
夜明け、七千の列が西へ動き出した。
そして半日後の今、最初の報告が馬車へ届く。東の観測値は予測曲線内。外縁まで二十九日と半日。西の偵察隊は次の宿場に王国兵なし。補給所は既に開いている。
行軍そのものにも期限がある。夜までに先頭と最後尾の差を二里以内へ戻せなければ、翌日の速度を落とす。速い兵だけ王都へ届いても攻城具と薬が来なければ意味がない。
初日から荷車が一台ぬかるみへ沈んだ。兵が引こうと集まるのを止め、工兵へ板を敷かせる。十人で持ち上げれば早いが、毎回それをすれば隊列が崩れる。
「急いでいるのでは」
ベルナデッタが聞く。
「急ぐために手順を守る」
前世の災害現場でも同じだった。一人の無理は、その場だけ速く見える。翌日には怪我人と引き継ぎ不足が全体を止める。
荷車は百八十息で戻った。工兵は使った板へ番号を振り、次のぬかるみ用に先頭へ回す。小さな遅れを次の短縮へ変えるのが組織だ。
「順調ですね」
シュカが言う。
「順調な作戦ほど信用するな」
「では旦那様の不安を記録しておきます」
「記録して何に使う」
「帰還後、心配性だったとリーゼ様へ報告します」
帰還を前提にした脅迫だった。
前方の丘を越えると、街道脇に水樽がずらりと並んでいた。最初の征服地ノルドの旗が風に揺れている。
三年分の長い時間が、俺たちより先に道を進んでいた。
水樽の横には木札が立っている。
『簒奪公軍専用。代金は王都から取り立てること』
兵たちが笑った。俺の悪役口上は、ついに街道設備の利用規約になったらしい。
「そのとおりだ。王都の国庫へ利息までつけて請求しろ」
丘の下で待つ老村長が、聞こえる距離でもないのにただ静かに深く頭を下げた。
最初の期限は三十日。残り二十九日と半日。




