第46話:道は民が拓く
進軍最初の補給所はノルド村にあった。
水樽、乾パン、干し肉、馬の替え蹄。村人は徴発命令もないのに三日前から用意していた。
「押し売りか」
「投資でございます」
老村長は胸を張った。
「誰に似た、その理屈は」
「公爵様でしょうな」
代金を払おうとすると拒まれたため、受領証を発行させた。戦後に倍で返す、と利息まで書き込む。
俺は受領証へ領主印を押した。老村長は紙を日の光へ透かし、本物だと確かめてから革袋へしまう。
「信用していなかったのか」
「公爵様は命を安売りなさいますからな。借金を残せば、返すまで死ねません」
領民にまで俺の扱い方が広まっている。
補給所は善意だけで作られてはいなかった。村の備蓄を削れば、蝕が早まった時にノルドが飢える。補給官が倉を調べ、村の三十日分へ手をつけていないか確認する。
乾パンは余剰分、水は井戸二本の一日回復量まで。干し肉だけが予定より多い。
「冬越し用ではないのか」
「去年、公爵様が建てた燻製小屋の分です」
復興事業が遠征食へ変わっていた。俺が作ったのではない。村人が使い続け、生産量を増やした結果だ。
「受け取る。ただし老人と子供の配給を減らしたら、戦後に三倍取り立てる」
「何をです」
「健康を損ねた分の治療費だ」
村長が笑い、周囲の兵が「慈悲深き徴収」と囁いた。聞こえているぞ。
「戻らなければ紙切れだぞ」
「なら戻っていただかねば困ります」
ハーゼでは警告鏡が行軍の合図に転用され、メルカでは募金式の護送天幕が街道に並んだ。三年前に征服した土地が今や一本の補給路になっている。
警告鏡は元々、蝕の方向を隣村へ知らせる設備だ。今は先頭隊の到着時刻を三十里先へ送り、宿場が炊き出しを始める合図になった。軍が着いてから火を起こす必要がなく、一日ごとに半刻ずつ稼げる。
メルカの護送天幕では商人が靴底と車輪を修理した。代金箱には金額でなく荷札を入れる。戦後、王都国庫へまとめて請求する仕組みだ。
「我が軍の借金が増えています」
ギデオンが言う。
「王国を奪えば債権と債務が同じ財布へ入る」
「その理屈で会計を滅ぼさないでください」
国を滅ぼすよりは軽い。
最初の関所に王国旗が見えた。守備隊長エルンストは、兵糧の尽きた第一隊で武器を置いた元士官だった。
門上には弓兵が二十。石壁の内側には油壺が積まれている。エルンストの顔を知る兵ばかりではない。王都から派遣された監察官が一人、開門装置の前に立っていた。
「反逆者へ門を開けば家族まで罪に問われるぞ」
監察官が叫ぶ。エルンストは鍵束を握ったまま動かない。
俺が合図すると、シュカが矢文を門上へ放った。中身はエルンストの家族を保護したという通知ではない。王都に住む家族が今朝も自宅へいることを確認した記録だ。
「人質には取らん」
「では何のために調べた」
「お前が自分で選べるようにするためだ」
胸が締まりかける。
「家族を盾に寝返った兵など使い物にならんからな」
悪役の理由を足すと痛みが退いた。エルンストは通知を読み、監察官へ鍵束を差し出す。
「あなたが閉めますか」
「当然だ」
「では城壁をご覧ください」
門上の王国兵は一人も弓を引いていなかった。油壺の蓋も封じられている。監察官一人で門は守れない。
「通行税は要りますか」
「侵略者へ税を求めるのか」
「では不要ということで」
内側から門が開く。エルンストは鍵束をギデオンへ渡した。受け取った軍師の口元が緩んでいる。
「王国への復讐だと言っていたな。剣も抜かずに門が開いたぞ」
「これがその最上の形です。王国が何をしたか、王国の兵が自ら記録へ残します」
関所の兵は武装解除したが、捕虜にはしなかった。食事を与え、帰郷か同行かを選ばせる。半数が家へ帰り、三分の一が道案内を申し出た。
残る者は関所へ留まり、後続する施療隊と補給車を通す役を引き受けた。旗だけを王国旗から青い通行旗へ替える。
監察官も拘束しなかった。命令書と印章を預かり、王都へ帰す。
「我々の兵数を報告されます」
ベルナデッタが言う。
「見たまま報告させろ。門を開けた兵を処刑すれば、次の門は王都へ従わなくなる」
監察官は屈辱に震えながら馬へ乗った。生かして返すことまで攻城戦の一手になる。
昼には石橋が落とされていた。ベルナデッタは浅瀬を探そうとしたが、対岸の村から大工が現れた。昨冬に東部から届いた鉄材を使い、夜までに仮橋を架けるという。
橋脚は残っている。中央の二間だけが爆破され、川には折れた梁が刺さっていた。騎兵だけなら迂回できるが、荷車千台は渡れない。
工兵長は二日を要求した。対岸の大工は一日と言う。理由を聞けば、東部から買った規格材が村の倉にあるらしい。
「なぜ橋材を備蓄している」
「去年の洪水で、レーゲンハルト領の橋を見ました。同じ長さに切っておけば、どこでも使えると」
俺の領で始めた規格化が、王国側の村へ商売として広がっていた。思想は止められても、便利な寸法は国境を越える。
問題は対岸に王国斥候が残した火薬樽があることだった。仮橋が半ばまで伸びた時に爆破する仕掛けだ。
シュカが水鳥へ細い糸を結び、川面を渡らせる。糸の先で導火線だけを引き抜いた。ベルナデッタは斥候の背後へ回り、剣を抜く前に鞘で手首を打つ。
「武器だけ、と命じられました」
「今のは手首では」
「武器を持つ機能です」
解釈を広げるな。斥候には施療班が湿布を巻いた。
「礼は」
「蝕を止めてからで結構」
兵が材木を運び、魔人が杭を打った。剣を抜くより時間はかかった。それでも死者は出ず、翌朝には荷車まで渡れる橋ができた。
道沿いの町では人々が戸口から軍列を見た。
「東の簒奪公だ」
「敵の……」
「飯を奪われるぞ」
「あそこは配るらしい」
恐怖が半歩ずつ後ろへ退く。石も歓声も飛ばない。ただ道を塞ぐ者がいないだけで、行軍は一日早まった。
ひとつの町では徴募所の前だけ人だかりができていた。王命は成人男子百二十人を翌朝までに出せと告げている。集まったのは三十七人。残りの名には病人、行方不明者、既に死んだ者まで含まれていた。
徴募官は帳簿を抱えて俺たちの列を見ている。
「連れて行かないのですか」
「何の訓練もない人間を盾にしても邪魔だ」
集まった三十七人へ家へ帰れと命じる。歓声が上がりかけたので義声帯の出力を上げた。
「勘違いするな。町ごと征服予定だ。勝手に王国へ命を前払いするな」
徴募官が深く頭を下げた。なぜ王国の役人まで納得する。
シュカは徴募名簿を写し、王都全域の数字と照合した。十二の徴募所で定数四千八百、実際の集合は二千百余り。宿場へ入った部隊数とも一致する。
「公称二万の守備軍は、補助兵を含めても一万四千前後です」
王国の空洞化は、空欄だらけの名簿として街道沿いへ落ちていた。
集まらなかった理由は明白だ。辺境を捨て、王国兵を見殺しにし、徴募兵へ核の真実も語らない王命に命を預ける者はいなかった。
「民を獲って、軍を殺した」
ギデオンが馬上で言う。俺は首を振った。
「俺たちが説明できる理屈はそれだけだ」
王都まで半日の野営地に夜霧が下りた。
予定より一日と三刻早い。稼いだのは水樽、警告鏡、規格材、開いた門、帰された徴募兵。ひとつずつは小さな判断だ。それが軍全体を王都へ押した。
見張りの合図が一度鳴る。白銀の鎧を着た男が、ただ一人で街道の中央に立っていた。王都近衛の紋章。腰と背に剣が一本ずつ。
アルヴィンは両手を見せて告げた。
「簒奪公ヴァイスを討伐しに来た」
誰も剣を抜かなかった。彼の右手が、味方へ渡すための地図筒を握っているのが見えたからだ。




