第43話:勇者の答え
勇者宿舎へ差出人のない包みが届いた。
王都書庫の返却本へ挟まれ、副官が受け取ったものだ。運んだのは墓守から書記へ、書記から貸本係へつながるシュカの網。誰も全経路を知らない。
アルヴィンは副官に扉を守らせ、封を切る。
中には鎮めの儀の記録写しと一枚の地図。王都から伸びる線が、彼自身の鎮撫した村々へ重なっていた。
「偽造だ」
最初にそう言った。
信じなかった。信じたくなかった。
書庫へ戻り、欠番の頁、地下保管庫の目録、過去の蝕発生日を照合する。
一日目は直近のノルドを照合した。写しを窓の光へ翳す。紙の透かしは聖蓋府の官用紙と同じ位置に、同じ紋を浮かべた。儀式時刻も、座標の魔力式も、公式文書と一致する。
偽造なら、ここで崩れてくれ。
そう願いながら翳した手が、崩れない紙の前で止まった。
二日目は四十七年前の欠番を調べた。三百十二の次が三百十九。写しの頁番号は、抜かれた六頁と一枚残らず噛み合う。誰かが原本から抜き、別の誰かがその原本ごと写した。欠けた形まで一致する偽造は、偽造と呼ばない。
三日目は百六十年前の最大被害年を選んだ。
消えた三村の名を、王都の古い教会の埋葬簿で探す。堂守の老神父は目録も見ずに答えた。
「その年は多くてな。三つの村から、まとめて運ばれてきた」
「死因は」
「記録には流行り病と。だが棺を納めた者は皆、同じことを言った。体が黒く枯れていた、と」
埋葬簿の頁には、子供の名が並んでいた。公式記録が『自然災害・被害軽微』とした年に、王都の教会ひとつで百を超える名前が眠っている。
名前は、あった。
王国の帳簿ではなく、埋葬簿の側に。
全てを読む必要はない。異なる年代を異なる証拠で確かめても、ひとつも崩れなかった。
三日目の夜、アルヴィンは写しを火へ入れようとした。手を離せば信じずに済む。王命へ戻り、次の蝕だけを斬ればよい。
紙の端が炎で茶色く縮む。その先にメルカの救護記録番号があった。自分が現地で署名した数字だ。雨と血で末尾が滲み、公式の清書では修正されたはずの番号まで原本には残っている。
偽造するなら、ヴァイスは勇者本人しか知らない汚れまで作ったことになる。
「燃やさないのですか」
副官が火鋏を持ったまま聞く。
「燃やせば事実も消えると思った」
「消えません」
「ああ。だから調べる」
焦げた端を切り取り、検証記録と一緒に封じた。信じた証拠ではない。疑った末に燃やせなかった証拠だ。
四つ目の検証は現地証言だった。西部から王都へ来た神官を探し、自然災害とされた夜の空を聞く。神官は王都方向から伸びた光を見たと証言した。公式記録には一行もない。
神官だけでは足りない。利害の異なる行商人、夜警、避難民にも別々に同じ夜を描かせた。光の色と時刻、地鳴りの向きが一致する。互いに会ったことのない四人が、同じ嘘をつく理由はなかった。
五つ目は予算。儀式の前月だけ祈祷費が増え、被害後には消えた村の税収が帳簿から遡って削られていた。支出先は聖蓋府、修正命令は王領会計局。二つの部署の印が、写しの発動日を挟んで並ぶ。
紙、術式、墓、証言、金。異なる証拠が同じ嘘を指した。
副官は扉へ防音札を貼った。
「ここから先は検証ではなく政治です。聖蓋府へ報告すれば写しは没収され、証人は消えます。報告しなければ我々が反逆者です」
「第三の道は」
「調査未了として時間を稼ぐ。写しを三分割し、別々の隊員へ預けます」
ヴァイスが証拠を分けて送ったように、勇者側も同じ結論へ辿り着いた。一人が捕まっても事実全体は消えない。
誠実に裏を取るほど逃げ道が消える。
「俺が鎮めてきた蝕は、全部王都から逸らされたものだった」
守った村の数だけ別の村が選ばれている。救援が間に合わず、地図から消え、自然災害として記録された。
アルヴィンは折れた聖剣を壁へ投げた。
布に包まれたまま鈍い音を立てる。
「俺は何を守っていた」
副官は答えない。
夜明けまで地図の前に座り、少年はようやく立った。
「王国を守る戦いと、人類を守る戦いは別物だった」
「どちらを選びます」
「後者だ」
勅命の折れた剣を机へ置き、予備の剣を腰へ佩く。王から与えられた象徴ではない。自分の意思で振るための剣だ。
折れた聖剣の布を解く。刃は途中で断たれ、王家の紋章だけが根元に残る。予備の無銘剣には何の印もない。
「勅命を捨てれば勇者資格を失います」
「資格が人を救うのか」
「剣を振るのはあなたです」
副官は止めなかった。ただ王都を敵に回す場合の逃走路と、残る隊員の名簿を机へ置いた。
「全員を巻き込まない。公式には調査継続、討伐保留のままだ」
「ヴァイスと共闘は」
「まだしない。あの男が何を壊すか見届ける。それが人類を守るなら、その時は俺の剣で道を開く」
反転は信仰ではない。疑い、調べ、自分の責任で王命と違う道を選んだ結果だった。
「ヴァイスへ返事を」
「公式に送れば彼との内通を疑われます」
「署名はしない。一行でいい」
アルヴィンは三度書き直した。
一枚目は『証拠を受領した。共同で王家を糾す』。副官が即座に破る。共同という一語で内通の証拠になる。
二枚目は『調査の結果、鎮めの儀へ重大な疑義を認める』。今度はアルヴィン自身が丸めた。役人の回答であって、剣を選んだ者の返事ではない。
三枚目へ短く書く。
『征服、続けてくれ。俺は俺で、確かめ終えた』
「許可を出すような文ですね」
「あいつなら腹を立てる。本人確認になる」
副官は返却本の背糊を剥がし、細い紙を差し込んだ。届け先は東辺の貸本屋。そこから先は知らない。
「返事が届いたと、どう確認します」
「東辺でまた妙な布告が出る。あの男は黙って喜べない」
敵同士の理解としては妙に深かった。
◇◆◇
数日後、俺の机へ短い文が届いた。
『征服、続けてくれ。俺は俺で、確かめ終えた』
署名はない。だが字はメルカの配給表へ署名した勇者のものだ。
「ずいぶん偉そうだな」
義声帯の声で言う。
ギデオンは白い駒を黒い駒の隣へ置いた。
「公式には敵のままです。その位置が最も動きやすい」
ベルナデッタは駒を見比べる。
「勇者は味方になったのですか」
「まだだ。王国の命令より自分の検証を選んだだけだ」
「では次に会えば斬り合いますか」
「お前は会う相手を全員そこへ着地させるな」
シュカが文面を観測帳へ写す。
「返信しますか」
「敵へ返書など出さん」
「征服の進捗報告は」
「もっと出さん」
リーゼが机の隅で笑っている。義声帯の抑揚がまた遅れたらしい。
俺は地図上の勇者駐屯地へ指を置いた。アルヴィンが公然と動けば王国は反逆として処断する。敵のままなら王都内部で調べ続けられる。
「あいつの位置を公表するな。討伐保留も敵対も、そのまま利用する」
「勇者を守るためですか」
シュカが胸の灼ける質問を差し込む。
「使える駒を盤上から落とさないためだ」
「言い換え一・四秒。新しい声でも平常です」
筆記開始時間から発声時間へ測定方法を戻すな。
◇◆◇
同じ頃、聖蓋府で勇者の変化を報告されたグレゴールは長く沈黙した。
「地下書庫へ出入りした記録があります」
「写しが渡ったか」
老人の声に初めて苛立ちが混じる。
机には勇者の閲覧記録が並ぶ。地下目録、会計簿、古い教会誌。閲覧先だけ見れば、どの年代をどこまで検証したかわかる。
「証人を拘束しますか」
「遅い。今捕らえれば証言が正しいと認めることになる」
グレゴールは地図上の勇者駐屯地へ黒石を置いた。討伐を命じれば拒否される。罷免すればヴァイス側へ押しやる。何もしなければ調査が広がる。
「原本を焼却すれば」
「写しの真正性を補強する。地下へ誰も近づけるな。目録だけを通常書庫へ移せ」
部下が去った後、老人は黒石を指で倒した。勇者という王国最大の剣が、命令では動かなくなった。
なら剣が動く前に戦場そのものを変える。蝕を逸らすのではなく、王都へ引き寄せる座標へ。
「ならば順序を変えるまで」
指が儀式の座標盤へ伸びた。
◇◆◇
短い文を読んだ俺は、義眼の記録を閉じた。
「続けてくれ、か。俺へ命令するとは偉くなった」
「嬉しそうに聞こえます」
義声帯の調整不足だ。そういうことにした。
白と黒の駒は触れないまま、同じ王都へ向いていた。今はそれで十分だった。
次の一手だけは、聖蓋府が先に打つ。




