第40話:罠
「東方の客人へ告ぐ」
書庫の外から声が響いた。
「記録は十分に見たか」
侵入に気づいた声ではない。最初から待っていた声だ。
シュカが退路図を広げる。入口、排水路、非常階段の全てに赤い魔力反応が集まっていた。
「泳がされました」
外の指揮官が名乗った。聖蓋府地下防衛官セヴラン。命令は侵入者を原本へ到達させ、内容を見た後に確保せよというものだ。
「捕縛が目的なら書庫へ入る前に止められた」
「旦那様に記録を見せ、動揺させ、ここで魔人化させるのが目的です」
王都の中心で魔人が暴れれば、討伐の大義は完成する。保留した勇者も再び剣を取らざるを得ない。
会見の日、グレゴールは俺の義眼で一拍だけ視線を止めた。あの時点で魔力を視る機能と、代償の仕組みまで推測したのだろう。
敵の読み違いはひとつだけある。それを外へ出すのがシュカの役目になる。
扉が開き、防人が盾を揃えた。
前列八人、後列に捕縛槍が六人。天井の術式へ魔術師が三人。人を殺す陣形ではない。退路を狭め、痛みと恐怖だけを積み上げる配置だ。
「侵入者を制圧せよ。致命傷は避けろ」
セヴランの命令で盾が一歩進む。床へ刻まれた線が青く光り、足首へ重力が乗った。義脚の膝が石へ沈む。
「旦那様、三呼吸だけ止めます」
シュカの針が天井の灯を割った。暗闇になる。俺には魔力線が見えるが、防人には見えない。三呼吸の間に重力術式の節を義手で踏み砕く。爆ぜた光で盾列の視界が白く染まった。
四呼吸目には灯が戻る。誰も倒れていない。ただ陣形だけが左右へ割れ、中央に人一人分の道ができた。
シュカが袖から煙玉を落とす。白煙が書庫を満たし、俺は義眼で盾の隙間だけを見る。
「右、二歩」
義腕で槍の柄を押し、壁へ立てかける。倒さず進路だけを塞ぐ。シュカの針が鎧の留め具へ入り、防人三人の胸当てが落ちた。
一度目の包囲を抜ける。
後ろでセヴランが怒鳴る。
「なぜ攻撃しない!」
「王都の備品を壊すと、いずれ俺が払うことになる」
簒奪後の修繕費を心配している場合ではない。だが防人たちが一瞬だけ迷った。王都を奪うと公言する魔人が、自分たちを殺さず盾の弁償を気にしている。敵の脚本にない台詞は、それだけで足を止める。
西回廊は鉄扉が下りた。北階段へ変えると天井から封鎖格子が落ちる。進むたび次の道だけ残されている。
「誘導されています」
「最後に魔人化させたい場所へな」
二度目の煙で格子番を抜けたが、排水路へ戻る扉は石壁で埋められていた。
東の礼拝廊へ曲がる。そこには弓兵が待っていた。矢尻には麻痺薬、壁には跳弾用の鉄板。避ければ矢が背後のシュカへ向かう。
俺は外套を広げ、義腕で三本を受けた。一本が肩を掠め、生身の指先から感覚が薄れる。
「受けないでください」
「避ければお前に当たる」
「それを口にすると誓約は」
「俺の所有物へ傷をつけさせたくないだけだ」
胸の灼けは一瞬で退いた。言い換えの出来を確認している間に、シュカが床を蹴る。外した針が弓弦だけを断ち、弓兵の手から武器が落ちた。
二列目が捕縛網を投げる。義手で巻き取り、その勢いを使って壁の鉄板へ投げ返した。網は廊下いっぱいに広がり、追手の足を絡める。
「備品を壊しておられます」
「網は畳めば使える」
修繕費の判定が厳しい。
煙は残りひとつ。シュカの針も七本。俺の義脚は泥を噛み、膝の反応が半呼吸遅れている。道だけでなく装備と時間まで順に奪われた。
残るのは一人分の縦坑だけだ。
「先へ行け」
「旦那様が先です」
「記録を持って出ろ」
「義眼は旦那様の中です」
「二重記録の片方は護符へ移っている。リリウムの機構だ」
義眼脇の小片を外し、シュカの手へ握らせる。
「観測者が観測物と心中でどうする」
「観測対象を失うほうが契約違反です」
「契約書に生還保証はない」
「次回更新時に追加します」
シュカは護符を押し返した。俺が握らせ、彼女が返す。狭い縦坑の前で、王国の千年を記録した護符が子供の押し合いのように往復した。
「お前でなければ運べない」
「旦那様でなければ続きを観測できません」
「だから続きが存在した証拠を先に守れ」
返答が止まる。観測者にしか通じない命令だった。
「命令だ」
シュカを縦坑へ押し込む。初めて無表情が崩れた。
「必ず合流してください」
返事をする前に蓋を閉めた。
直後、上から石を落とす音がした。追跡防止に坑道を塞いだのだろう。護符はもう敵の包囲外にある。
俺がここで倒れても証拠は残る。だから安心して代償を払える。安心して、という言葉が最悪だ。
最終回廊へ一人で出る。防人の壁が三列。奥の指揮官が笑った。
回廊の左右には投影水晶が並んでいた。俺が魔人化すれば、その姿は聖蓋府の地上と王都各門へ同時に映る。映像の前には音声記録石まで置かれている。
グレゴールが欲しいのは捕虜ではない。「王都を襲う魔人ヴァイス」という完成済みの政治宣伝だ。原本で怒らせ、防人へ攻撃させ、雄叫びまで民へ聞かせる。
ここまで、セヴランは一度も殺せと命じなかった。武器は捕縛槍、術式は拘束と挑発。俺を殺すのでなく魔人へ変えることが任務だ。
「原本を見せたのは危険ではないか」
「貴様が持ち出せなければ危険ではない」
指揮官は即答した。
「義眼が魔力を見ることは聖蓋卿が読んだ。だが千年の記録を持ち運べるとは考えていない。ここで感情に任せて化け、王都へ牙を向ければ、勇者も民も再び貴様を敵と認める」
情報差がはっきりした。グレゴールは義眼の探索機能を知るが、リリウムが無断で積み上げた記録機能までは知らない。まして護符へ複写を逃がしたことも。
「俺が化けなければ」
「朝まで閉じ込める。証拠は焼き、貴様は公開処刑だ」
選択肢を二つに見せている。暴れて大義名分になるか、捕まって証拠ごと消えるか。
なら三つ目を作る。映像だけを与え、音の意味を奪う。防人を一人も殺さず、逃げるためだけに魔人の力を使う。投影された光景そのものを、敵の嘘への反証に変える。
「魔人よ、化けてみせよ」
望みどおりにしてやる。ただし脚本の中身だけは俺が奪う。
防人の盾には王都守護の祈りが刻まれていた。彼らも命令に従い、都を守っているだけだ。殺せばグレゴールの脚本が完成する。
「最後に投降を勧める」
セヴランが言う。
「断る。王座の下見が終わっていない」
胸は痛まない。悪役として満点の返事だ。
左胸へ義手を置く。残っている生身の部位を数え、次に失うものを選ぶ。眼、腕、脚。声は戦う力ではない。それでも俺が王座への野心を示す唯一の道具だった。
声がなければ命令は出せない。家臣の名も呼べない。リリウムへ帰ったと告げることも、ベルナデッタの果たし合いを断ることもできない。
戦場だけを考えれば軽い代償だ。俺個人にとっては、残った日常をひとつまとめて失う。
それでも護符はもう遠ざかっている。ここで払うものが大きいほど、敵は俺が証拠を逃がした可能性より魔人化の成功へ目を奪われる。
罠に落ちたまま、罠の意味だけを必ず簒奪する。
だからこそ差し出す。悪役の物語を撮りたい敵へ、口上のない魔人を見せるために。




