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中ボス悪役貴族に転生したので、予定通り王国を奪います ~悪役をやめると死ぬ誓約なので、征服という名目で人類を救います~  作者: Jint
第6部:声なき簒奪

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第39話:盗みに来た

 排水路の水は膝下まであった。


 義脚が一歩ごとに重くなる。防水布は水を止めても、泥までは防げない。


「帰ったら全分解だな」

「帰った後の予定を立てるのはよい傾向です」


 シュカが先を進み、懐中時計の蓋を開けたまま歩く。巡回は二十四分ごと。格子を抜け、鐘が二度鳴るまでに次の物陰へ入る。


 地下三層まではギデオンの図面どおりだった。四層から壁の長さが合わない。


 最初の異変は水面に映った灯だった。角の向こうから巡回灯が近づく。予定より四分早い。


 シュカが俺の肩を押し、壁の窪みへ身体を滑り込ませた。掃除用具を収める穴で、二人が入れば呼吸をする余地もない。外套の下で義腕の金具が石へ触れかける。シュカが指一本で押さえた。


 兵が二人通る。


「第五封鎖区画の増員だとさ」

「また司祭長の勘か」

「今夜は鼠が入るらしい」


 俺たちのことか。本物の鼠であってほしい。


 灯が遠ざかってからシュカが耳元で囁く。


「巡回表が変更されています」

「侵入を察知されたか」

「城門から尾行はありません。聖蓋府内部だけの警戒です」


 情報が漏れたなら退くべきだ。だが警報は鳴らず、俺たちの位置も割れていない。原本の存在を知る誰かが、盗まれる可能性そのものへ備えたのかもしれない。


「一層分だけ進む。次も予定外なら撤退だ」


 シュカが頷いた。目的を前にしても進路を切れる。それを確認するための撤退条件だ。


 五層への階段には魔力感知糸が張られ、目に見えない細糸が足首、腰、首の高さで交差している。切れば警報。潜れば義脚が石を鳴らす。


 義眼で結び目を探し、壁の留め具を半回転させる。糸が一呼吸だけ弛んだ。シュカが先に抜け、俺は義脚を両手で持ち上げる。残った右脚だけで跳ぶのは、歩けるようになった人間の移動方法ではない。


 着地寸前、義手を床へ突いて音を殺した。肩に衝撃が走る。感知糸は揺れたが光らない。


「華麗でした」

「記録するな」

「青層へ保存しました」


 侵入記録に俺の片脚跳びまで残す必要はない。


「地図にない区画です」


 義眼の魔力視を開く。


 白い石壁の向こうに細い線が幾重にも積もっていた。魔術が使われた跡は時間と共に薄れる。ここだけは千年分の残滓が書架の形になっている。


「見つけた」


 壁へ触れると封印術式が浮いた。七つの環が互いを逆向きに回り、力で壊せば内部を焼く仕組みだ。


 巡回まで十八分。環を誤って止めれば書庫の温度が上がり、三分で紙が発火する。


 シュカが砂時計を置く。


「残り六分で中止します」

「十八分ある」

「帰路に六分です。作業に使えるのは十二分」


 義眼で魔力線を一本ずつ追う。三つは囮、二つは警報、ひとつは焼却。最後の一本だけが扉を開く。ギデオンの注記がなければ囮へ触れていた。


 その注記を開く。


『聖蓋府の封印は入口でなく出口から考えろ』


「相変わらず説明が足りない」


 義眼で魔力の終点を追う。七環のうちひとつだけ壁側から流れ、残る六つを固定していた。逆流する線を義手で押さえ、シュカが針を差す。


 回転が止まり、壁が音もなく開いた。


 隠し書庫には革表紙の記録が千年分並んでいる。


 最初の一冊を開いた。


『逸らし先、北東第七座標。集落三。推定人口九百』


『儀式成功。王都被害なし』


 次も、その次も同じだ。座標、人口、成功。村の名はなく、人の名はひとつもない。


 数字の列が墓碑銘に見えた。


 義眼の記録を起動し、一頁ずつ映す。リリウムの二重記録層が赤と青に点滅した。


 千年分を全頁めくる時間はない。シュカが年代索引から王朝交代期、最大被害年、直近五十年を抜き、俺は書架単位の魔力写像で残りを記録する。文字は読めなくても、削った跡と差し替えは色で残った。


 役割を三つに分ける。俺が頁をめくり、義眼が王家印と本文を撮り、シュカが原本番号を読み上げる。護符の同期が遅れれば、同じ番号をもう一度読む。映像だけを奪われても音声から欠落頁がわかる仕組みだ。


「第二百八十三冊、原本印あり。追記印二つ」

「次」

「第二百八十四冊、封蝋交換。冒頭四頁欠落」


 欠落の前後を撮る。消された頁そのものは戻らない。それでも、誰かが消した事実は残せる。


「容量は」

「赤層六割、青層五割です」

「同期しているのに差があるぞ」

「旦那様の顔を青層だけへ保存しています」

「消せ」

「歴史資料です」


 こんな時まで狂っている。


 古い記録には『王都南区へ降るはずだった蝕量を東辺へ移送』とある。後世の写しでは『東辺に発生した蝕を鎮静』へ変わっていた。主語と目的語を入れ替えただけで、加害が救済になる。


「よくできた歴史書だ」

「褒めておられますか」

「王家へ同じ添削を返してやりたい」


 四百二十年前の一冊だけ、筆が違った。


 書記が現場にいたらしい。


 ――南部第四座標。避難完了。住民千二百。荷車四十。


 ――道が細く、荷車は三十七台で止まる。老人と病人を先へ通す。残る三台は麦を捨てて人を乗せた。


 ――日没。全員、峠を越える。


 ――ただし峠の向こうへ蝕が回った。逸らし先の再計算に失敗。千二百のうち四百十一、戻らず。


 字が途中から乱れている。


 この書記は四百十一という数字を書きながら、峠を歩く列を見ていた。麦を捨てて人を乗せろと言ったのは、たぶんこの男だ。


 次の頁から筆が変わる。


 ――以後、避難完了の判定は儀式部が行う。現場書記の所見は記載しない。


 四百二十年前に、現場を見た人間が帳簿から外された。


 百六十年前の一冊には、もう数字しかない。


 ――北西三村。座標、人口、成功。


 三村の名を探した。ない。


 千年かけて、この帳簿は現場から目を離す方法を完成させている。


 赤い記録層が七割を超えた。全景を優先すれば個々の死者名が潰れる。文字を優先すれば千年分の連続性が証明できない。


 一瞬だけ迷う。シュカが最大被害年の一冊を俺の前へ置いた。


「全景は私が索引図へ写します。旦那様は人を撮ってください」


 頁の隅に、儀式後の埋葬費を請求した村長たちの名があった。公文書では数字でも、請求書には人間が残る。俺は名をひとつずつ義眼へ焼きつけた。


 直近五十年だけは全頁をめくる。ノルドの前後には三頁の欠番。メルカの記録は人口が二度書き換えられ、死者数が半分に減らされている。


「数字まで隠す理由は」

「犠牲が大きすぎれば、儀式成功と呼べないからでしょう」


 成功という二文字のため人間が帳簿から消える。義眼の焦点が震えた。生身の眼なら涙で滲んだのかもしれない。金属の眼は一字も逃さず記録する。


 ノルドの座標。ハーゼの井戸。メルカ東林。知っている地名へ赤線が引かれていた。


 赤線は選定の印だ。誰かがこの机の上で、あの村々を円で囲んだ。


 ノルドの頁には走り書きがある。『東辺は穀倉なれど、王都への波及少なし』。それだけだ。老婆の井戸も、リーゼが菓子を配った広場も、選ばれた理由は一行で足りた。


 ハーゼの座標の横には成功の判が押されている。俺が半日間に合わなかった三人は、この帳簿では成功の内訳ですらない。氏名どころか、死者数の欄さえ空白だ。数えられてすらいない。


 石板へ三人の名を刻ませた日を思い出す。王国より正確に死者の名を残すと決めた。この書庫は、その正反対の到達点だった。千年かけて、名前をひとつも書かずに済ませた帳簿。


「旦那様。手が止まっています」

「……わかっている」


 義眼の視界端へ温度警告が出た。三十八、四十、四十三。封印を解いた時に触れた魔力が焼却環へ回っている。紙が燃える温度には遠いが、上昇が速い。記録を続けるほど、俺たち自身が証拠を焼く。


「巡回まで六分。規定の時刻です。切り上げます」

「最後の現王朝だけだ」

「撤退条件に従ってください」


 シュカが俺の外套を引く。自分で決めた条件ほど破りたくなるが、記録を守るための撤退だ。


 読む時間ではない。残す時間だ。感情は、帰ってから使う。


 最後の一冊には近年の座標があった。ノルド、メルカ、アルヴィンが救った西部の村。公式記録で自然災害とされた場所が全て並んでいる。


 最終頁と、原本番号、書庫全景、封印術式を一枚へ収めた。偽造だと言われた時、同じ場所へ案内できる証拠になる。


「自然発生ではなかった証拠だ」


 護符を外して再生する。ノルドの座標が青く浮かび、原本と同じ王家印が回った。二重記録は成功している。


 手が震えた。


「寒いですか」

「盗みに来た。返すつもりはない」

「写しなので厳密には盗みですらありません」


 シュカが小さく笑う。


「ですが旦那様、その顔は記録させていただきます」

「本だけ撮れ」


 その時、入口の向こうで複数の足音が止まった。


 巡回周期にはない足音だ。


 四人。鎧の擦れる音が三つ、杖を石へ突く音がひとつ。偶然の巡回なら扉の前で止まる理由がない。しかも杖の主は、隠し書庫が壁に見える位置を正確に叩いた。


「鼠ではありませんでしたね」


 シュカが護符を胸元へ隠す。俺は熱を持つ封印環から手を離し、閉じかけた壁を背にした。


 入口で止まった足音だけが、予定になかった。


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