第34話:討伐の保留
白と黒の剣が同時に動いた。
アルヴィンの切っ先は俺の左胸へ向かう。俺の剣は勇者の右肩へ走る。
直前で互いの軌道が変わった。
聖剣は紋章を外れ、俺の剣は首を外す。刃と刃が中央で噛み合い、魔力が限界まで膨らんだ。
甲高い音がひとつ。
二本の剣が同時に折れた。
白い刃は瓦礫へ刺さり、俺の切っ先は砂の上を滑る。アルヴィンが膝をついた。俺は義腕を地面へ突き、辛うじて立っている。
決着はつかなかった。
「勇者様!」
副官が決闘場へ踏み込みかける。ベルナデッタの剣が鞘のまま進路を塞いだ。
「旗はまだ下りていない」
監察官が叫ぶ。
「アルヴィン殿、逆賊へとどめを! 勅命を果たされよ!」
勇者は折れた聖剣を見た。
それから俺の左脚へ目を移す。魔人化が解け始め、膝下が赤い光となって消えていた。
「討伐は」
アルヴィンが立会人へ向き直る。
「失敗ではない。保留だ」
「保留など勅書にない!」
「なら失敗と書け」
「貴様には討伐能力が残っている。今すぐ執行しろ」
監察官が副官へ命じる。
「勇者隊の指揮権はアルヴィン様にあります」
「勅命を拒んだ時点で停止だ。聖蓋府監察官として私が代行する」
丘の勇者隊がざわめいた。剣へ手をかける者はいない。メルカで共に避難を助けた兵、先遣隊が生きて戻る姿を見た兵もいる。
「全隊へ命令する!」
監察官が声を張る。
「逆賊を包囲し――」
「その命令は受けられません」
副官が遮った。
「決闘規則では第三者の侵入時点で中断です。現在は休戦状態にあります」
「規則より勅命が上だ!」
「その勅命は勇者アルヴィンへ下されたもの。私の名はありません」
言葉の隙間を使い、隊を反逆者にせず時間を稼いでいる。
「この男が何者か、勅命より先に俺の目で確かめる」
「何を根拠に保留する」
「決闘中、ヴァイスの剣は一度も俺の急所へ来なかった。魔人化後も同じだ。俺を殺せる機会は四度あった」
アルヴィンは傷の位置を示した。顎、肘、肩、足首。全て戦闘能力を止める場所で、命を奪う場所ではない。
「魔人が勇者を弄んだだけだ」
「なら俺の未熟を理由に再戦が要る。どちらにせよ今日の討伐は終わりだ」
監察官の論理まで利用して保留へ持ち込む。真っ直ぐなだけの少年ではなくなっている。
「王命への違背だぞ」
「なら俺も裁判へかければいい」
声は震えていない。越権だと一番理解している本人が、それでも言った。
監察官がこちらへ走る。ベルナデッタは約束どおり鎧だけを斬った。留め具が落ち、白い法衣の男が胸当てを抱えて立ち尽くす。
「決闘への介入を記録しました」
どこからかシュカの声がした。
「王都へは勇者様の宣言と併せ、全経路で送信します」
「送信先を言え!」
「王都の書記院、三大商会、東西の宿場、勇者隊員の家族です」
多すぎる。報告をひとつ握り潰しても、別の場所から同じ事実が出る。
ギデオンも署名済みの決闘規則を掲げた。
「監察官殿の侵入と、勇者殿の保留宣言を記録しました。改変された報告が王都で公表された場合、この原本を公開します」
「逆賊の文書など誰が信じる」
「貴方の署名があります」
開始前に規則へ署名させた意味がここで効いた。
逃げ道を塞ぐ時だけ頼もしい。
アルヴィンは副官へ肩を借りた。俺も動こうとしたが左脚がない。均衡を失った体を義腕で支える。
「次に会う時、貴様は何をしている」
勇者は背を向けたまま問う。
「王座を奪る準備だ」
「そうか」
一瞬だけ笑ったように見えた。
「なら俺は、それまでに鎮めの儀を調べておく」
「王国の機密だぞ」
「逆賊に心配される筋合いはない」
アルヴィンは折れた剣を鞘へ戻さず、布で包んだ。勅命を受けた剣は折れた。次に持つ剣を何のために振るかは、こいつ自身が決めるのだろう。
白銀の隊列が西へ退く。
副官は最後までアルヴィンの隣にいた。監察官は鎧を抱えたまま別の馬へ乗り、勇者隊と距離を取る。王都へ着く前から報告書を作るつもりだろう。
シュカの伝令鳥は既に空の点になっていた。
赤い旗が下り、ベルナデッタが決闘場へ入った。
「勝てなかった」
「お帰りになりました」
「まだ砦だぞ」
「リーゼ様のもとへお連れするまでが果たし合いです」
黙って肩を貸される。義腕、右脚、ベルナデッタの肩。三点でようやく立てた。
「重いか」
「歓喜で足元が危ういほどです」
「聞く相手を間違えた」
夕暮れの領境を荷車で戻る。
魔人化が解けるにつれ震えが来た。最初は指先、次に肩、最後は歯が鳴るほど全身が揺れる。
左脚は膝下から消えている。それなのに足裏へ砕けた石が刺さる感覚が残り、存在しない爪先を反らそうとして腰が跳ねた。
「押さえます」
ベルナデッタが右脚と腰を固定する。
「脚はない」
「痛みはあります」
マルタが脈を取り、リリウムは壊れた義腕へ応急回路を繋いだ。街道の揺れひとつが背中の傷へ響く。
「剣の破片は」
「勇者側の副官が双方分を回収しました。監察官には渡していません」
シュカの報告に頷く。折れた剣は、勅命どおり殺し合わなかった証拠だ。
ハーゼの中継所で一度止まり、水を飲んだ。村人たちは勝敗を聞かず、荷車へ毛布と温かい石を積んだ。
「勇者は生きて帰った」
それだけ伝えると老人が頷く。
「公爵様もです」
俺が生きていることまで戦果へ数えられた。
原作では死体になって通るはずだった道だ。俺は息をし、痛みを感じ、家臣の騒がしさを聞いている。
死亡イベントを書き換えた。
そう思ったところで悪寒が走る。
城門を越えた夜、全身が熱を持った。歓声へ右手を上げようとして、腕が途中で落ちる。寝台へ運ばれる途中で意識も落ちた。
限界まで引き延ばした魔人化の疲労と、存在しない左脚の激痛が同時に来る。
意識を失う直前、城門の向こうにリーゼが見えた。白い石を返そうと胸へ手を伸ばすが、指が布袋へ届かない。
「返すのは起きてからでいいよ」
妹の声だけが近い。
「勝てなかった」
「うん」
「勇者も殺していない」
「うん」
「命令どおりだ」
「ちゃんと帰ってきたね」
その評価だけで十分だった。
遠くでギデオンが指示を出す。勇者の保留宣言を全領へ掲示し、王国軍との休戦を維持し、アルヴィン個人への悪評工作を禁じる。俺が倒れても決闘後の政治は動いていた。
「監察官は勇者の命令違反を強調します」
シュカの声が答える。
「なら事実だけ流せ。勇者は八百人を殺さなかった魔人と戦い、自分も殺されず、調査のため保留した」
誰の声かわからない。俺が言ったのかもしれない。
翌朝には王都側とこちら側で二種類の速報が出たという。監察官は「勇者、魔人を追い詰めるも逃走を許す」。シュカは「双方の剣が折れ、勇者本人が討伐保留を宣言」。
違いは半日で商人たちの話題になった。八百人の帰還兵と決闘規則の署名があるため、監察官の文だけでは事実を塗り替えられない。
剣だけでなく記録でも死なずに済んだ。事前に家臣団が積んだ支度が、俺の意識が落ちた後まで戦っていた。
原作の死亡イベントは消えたわけではない。討伐という判定が保留へ変わり、次の審判まで時間を奪っただけだ。
時間があれば証拠を探せる。王座へ進める。勇者も自分の答えを選べる。
枕元に、折れた剣の破片が二つ並べて置かれていた。俺のものと、勇者のものだ。
どちらも、まだ捨てられていない。




