第33話:徴税のためだ
崩れた壁へ背を預けた。
魔人化はまだ解けていない。左脚の感覚だけが遠い。アルヴィンも向かいの瓦礫へ座り、聖剣を杖にして息を整えている。
「何なんだ、と聞いた」
「見たとおりの逆賊だ」
「逆賊は敵兵へ飯を出さない。魔人は殺せる相手を助けない」
「王国の教本でも読んだか」
「自分の目で見た」
アルヴィンが地面へ置いた聖剣は、戦闘を止める意思表示でありながら、手の届く距離からは外していない。
「ノルドで貴様は左眼を失った。村人を逃がすだけなら軍を置いて退けたはずだ」
「征服直後に領主が逃げれば信用を失う。眼ひとつで領地を買った」
「井戸を直したのは」
「病人は納税できん」
「メルカでは俺と役割を分けた。俺が前兆核を壊す間、貴様は避難と配給を引き受けた」
「勇者を働かせる好機だった」
「避難路まで残したな」
「道がなければ商隊から通行料を取れない」
「ハーゼの死者三人は名前まで記録し、中継所を作った」
「同じ損失を出せば補償費が増える」
「第三隊八百人を殺さず、左腕を失った」
「死体は働かん」
答えるたびアルヴィンの顔が険しくなる。どの行動も損得へ変換できる。だが損得の向きが一度も自分へ向いていない。俺が得をするには、相手が生き、働き、帰る場所を持たなければならないからだ。
アルヴィンは瓦礫を蹴って立ち、俺を見下ろした。
「見識が狭いな。損得で語るには、貴様の帳簿は偏りすぎている」
「どこがだ」
「メルカでも、ハーゼでも、今日もだ。なぜ民を守る」
答えようとした。
戦闘で吐いた血は唇の傷からだった。今、喉の奥へ上がる血は違う。紋章が心臓を締め、行き場を失った呼吸が内側を傷つけている。
守りたいからだ。
胸の紋章が心臓へ食い込む。
リーゼが泣く国にしたくない。締まる。ハーゼの三人へ次は間に合わせたい。締まる。前世で見捨てられた者と同じ顔を、二度と見たくない。
息が止まった。
「ヴァイス?」
「その名で呼ぶな」
悪意を混ぜると紋章が緩む。
「全部、徴税のためだ」
喉の奥から血の味がした。
「飢えた民から税は取れない。死んだ兵は働かない。村が蝕に呑まれれば俺の領土が減る。だから食わせ、治し、守る」
「眼も腕も脚も、そのために?」
「安い投資だ」
「では左脚も帳簿へ書けるのか」
「義脚の製作費を含めてな」
「リーゼ殿へ何と説明する」
答えが止まった。
勝たなくていいから帰れと言った妹へ、帰るため脚を置いてきたと伝える。理屈は通る。白い石を心臓の隣へ入れてきたことだけは損得で説明できない。
「家族の感傷を戦場へ持ち込むな」
「持ち込んだのは貴様だ。その胸に何が入っている」
布袋の形を見られていた。俺は上着を閉じる。
「安いわけがない!」
アルヴィンの声が砦へ響く。
「さっき左脚を差し出す前、貴様は震えていた。失うのが怖かったんだろう」
「恐怖と損得は別だ」
「俺を殺さなかったのも徴税か」
「勇者は高価な兵器だ。壊せば王国を奪った後に困る」
何度も使った口上だ。それなのに今日は、言うたび本心へ近づいていく。
アルヴィンは長く黙った。
風が砂塵を払い、白い鎧の傷を露わにする。俺がつけた傷は浅い。急所にはひとつもない。
「貴様は嘘をついている」
紋章が疼く。
「言葉は全部、理屈として正しい。だが一番大きな嘘だけ隠している」
「何の話だ」
「自分は悪人だという嘘だ」
「それを証明できるのか」
「できない。だから確かめる」
「王命は証明を待たないぞ」
「わかっている!」
アルヴィンが初めて感情を露わにした。
「王命へ従えば正しいと教えられた。聖剣に選ばれた者は迷うなと。だがメルカで人を生かしたのは、王命を待たなかった貴様だ。今日も俺を殺せるのに殺さない」
「なら勅書を捨てろ」
少年の手が胸元へ伸び、途中で止まった。
「捨てれば俺の隊が反逆者になる。家族まで疑われる。俺一人の正しさでは決められない」
「それが王国の鎖だ」
「貴様の鎖は何だ」
紋章が熱を持つ。答えられない。
「言えないなら、俺と同じだ」
善人と悪人ではない。違う鎖へ繋がれ、どこまで自分の意思で歩けるか試している二人だった。
心臓が止まるかと思った。
初対面の帳簿一冊でギデオンに見抜かれたことへ、この少年も剣だけでたどり着いた。
「悪人でなければ王座を奪わないとでも?」
「王座を奪うことと、民を守ることは矛盾しない」
「王命へ従う勇者が言う台詞か」
今度はアルヴィンが言葉を失った。
互いに鎖がある。俺は善意を語れず、こいつは勅命を捨てられない。それでも行動だけは鎖の隙間から漏れる。
アルヴィンが立ち上がった。
「なら確かめる。この剣で」
「結局それか」
「言葉で言えないなら、剣を見ればいい」
俺も右脚と壁で体を支えた。左脚はもう動かない。
聖剣が正眼に構えられる。
俺は地面へ落ちた剣を拾う。義腕は動かない。右手一本で握り、存在しない左脚の代わりに壁へ肩を預けた。
「最後の一合で俺が勝てば、投降しろ」
「俺が勝てば?」
「殺せ。勅命どおりに」
「できない条件を出すな」
アルヴィンの口元が僅かに緩んだ。最初にあった殺気は、もうどこにもない。あれは討つ構えではなく、答えを受け取るための構えだ。
「最後の一合だ」
「来い、勇者」
魔力を剣へ集める。
言えないものを、この一撃へ載せるしかなかった。
アルヴィンは俺の胸を見た。
「言おうとすると痛むのか」
「何の話だ」
「民を守る理由へ近づくたび、呼吸が止まる」
剣だけでなく紋章の反応まで観察されていた。
「なら無理に言うな。行動はもう見た」
「勝手に理解するな」
「言えない者へ、言葉だけを求めるのは卑怯だ」
勇者がそこまで譲るとは思わなかった。胸の痛みより、その理解のほうが苦しい。
「だから剣で確かめる。貴様が最後にどこを狙うか」
俺も同じことを考えていた。最後の一合は勝敗ではなく、互いの本心が選ぶ軌道を見るためにある。
構えたまま互いに動かない。
「ひとつだけ教えろ」
アルヴィンが言う。
「王になった後、民をどうする」
「税を取り、働かせ、命令に従わせる」
「従わない者は」
「理由を聞く。俺の命令が間違っていれば直す」
「それは支配者の答えではない」
「間違った命令で領地が減れば俺が損をする」
「また損得か」
「お前の王国は善意で千人を切り捨てる。俺は損得で千人を残す。民にとってどちらがましか考えろ」
言い切ってから胸の痛みを待った。来ない。悪意と支配の形を保ったまま、本心を伝えられたらしい。
アルヴィンの構えが少し下がる。
「貴様が王になれば、今の王国よりましだと言うのか」
「当然だ。だから奪る」
「傲慢だな」
「逆賊だからな」
初めて二人とも笑った。
笑いが消えると聖剣が上がる。最後の一合で答えが決まるわけではない。それでもここまで剣を交えたから、言葉だけでは届かなかった場所へ互いに立っている。
「なら王座を奪うのも徴税か」
「当然だ」
蝕を止めるためだと言いかけた舌を噛む。紋章が再び締まり、今度は戦闘傷の血と誓約の血が混じった。どちらの痛みかは自分だけがわかる。
「王命に従うお前は善人か、勇者」
問い返すとアルヴィンは答えられなかった。剣を握る指が一度緩み、自分の鎖を見下ろすように勅書のある胸元へ目を落とす。
俺は右足へ全体重を乗せた。アルヴィンは傷ついた肩を引く。どちらも万全ではない。
白い石が胸元で鳴る。
帰るための一撃を選んだ。
互いの剣が動いた。




