第30話:口上合わせ
アルヴィンは短い間に背が伸びたように見えた。
金髪は短く切られ、白い鎧には補修跡が増えている。目の奥にあった少年らしい迷いも薄い。メルカで別れてから季節すらひとつ巡っていない。伸びたのは背ではなく、各地の蝕を越えた重みが以前より大きく見せているのだろう。
「久しぶりだな、簒奪公」
「勇者のほうから会いに来るとは出世したものだ」
軽口を返しながら互いを観察する。
アルヴィンの右肩には新しい傷があり、鞘にも焼け跡がある。俺の左側を見た目は義眼、義腕の順に止まった。
「腕のことは報告で読んだ。八百人を生かしたまま失ったと」
「敵兵を安く雇っただけだ」
「そう言うと思った」
以前なら食い下がった。今は言い訳の背後にあるものを測ろうとしている。
廃砦の外には双方の立会人がいる。こちらはベルナデッタとギデオン。向こうは副官と聖蓋府の監察官。シュカは姿を見せない。
勇者隊は二百歩離れた丘へ陣を置き、こちらの兵も反対側の林で待機し、互いの弓が届かない距離へ青い杭を打った。
「杭を越えた兵は敵対行動とみなします」
「ただし捕縛を優先し、投降者は保護する」
「戦う前から投降を?」
「うちの規則だ」
副官はメルカで共に働いた男だ。口先でないことは知っている。
監察官が勅書を読み上げた。
「東方の逆賊にして魔人ヴァイス・レーゲンハルトを討ち、その領を王国へ返還せよ」
魔人。逆賊。どちらも間違っていない。間違っていない言葉だけで人を殺す文書だ。
続いて決闘規則を取り上げる。
「武器破損で終了とは認めない。勅命は討伐だ」
「終了とは書いていません。本人へ継続意思を確認します」
「魔人化した場合は立会人の援護を認めよ」
「なら勇者も聖剣を外せ。人外の力だろう」
監察官はさらに、魔人化を即時処刑の条件へ入れようとした。ギデオンが勅書を示して止める。
「討伐対象の形態を理由に規則を変える条文はありません。勇者殿が敗れそうになってから追加するおつもりで?」
「魔人は人ではない」
「なら裁判への投降を求めた先ほどの勧告と矛盾します」
監察官が黙った。
協議の末、降参、意識喪失、双方の合意で終了。武器破損だけでは止めない。第三者が侵入すれば中断し、侵入側が違反を負う。魔人化も聖剣も本人の能力とした。
文書へ副官、ギデオン、岩棚から現れたシュカが署名する。
「なぜメイドが」
「中立の記録係です。本日は中立の服を着ています」
いつもの黒い服だった。
最後にアルヴィンが署名する。
「この間の村は無事か」
小声で尋ねると、視線が一瞬だけ和らいだ。
「メルカなら死者ゼロだ。貴様の避難路を使った」
「俺の道を勝手に使うな。通行料を請求するぞ」
「請求先は王国でいいか」
「利子を付けておけ」
再会の挨拶が徴税交渉になる。監察官には敵同士の挑発に聞こえたらしい。実際は互いに守った村の無事を確かめただけだ。
「勇者殿、会話は不要です! 魔人の言葉へ耳を貸してはならない!」
アルヴィンは振り返らない。
「最後に聞く」
彼が一歩出る。
「投降しろ。爵位と領地は失うが、裁判にはなる。ここで死ぬ必要はない」
「断る。裁判の被告席は玉座より座り心地が悪そうだ」
「リーゼ殿たちも連座する」
「投降すれば本当に助かるのか」
「俺が証人になる」
「王命へ異議を唱えられない証人か」
アルヴィンの唇が結ばれた。
「グレゴールは助命を計らうと言っただけだ。修道院へ入った後、別の罪状を作ることもできる」
「そこまで疑うのか」
「鎮めの儀を千年隠した組織だぞ」
監察官が反論しかけたが、アルヴィンが止める。
「だから確かめに来た。貴様の言葉も、勅命の理由も」
「だから王座を奪る。裁く側へ回れば問題ない」
監察官が鼻で笑った。アルヴィンは笑わない。
「メルカで言ったな。俺が何者か見極めると」
「まだ答えは出ていない」
「なら剣を抜くには早い」
「……勅命なんだ」
小さな声だった。
「従いたくないのか」
「そういう質問をするな」
「貴様こそ、なぜ本当の理由を言わない」
胸の紋章が熱を持つ。互いに相手の鎖を見つけながら、自分の鎖だけは外せない。
俺には悪意以外を語れない誓約がある。こいつには正義を王命へ預けさせる鎖がある。自由に喋れない者同士が、言葉の代わりに剣を持って向かい合っていた。
「命令なら従うのか」
「従うために理由を確かめる」
「面倒な勇者だ」
「貴様にだけは言われたくない」
アルヴィンが剣の柄へ手を置いた。
「抜く前にひとつ答えろ。第三隊で貴様が殺した兵は、本当にゼロか」
「生存名簿を渡しただろう」
「王都では偽造とされた」
「八百人全員を口封じしたとでも?」
「だから今日、自分の目で見る」
こいつは勅書を執行するだけでなく、王国の報告と現実のどちらが正しいかを剣の距離で確かめに来た。
「好きに見ろ。ただし見終わるまで死ぬな」
「それは俺の台詞だ」
風が砦の砂をさらう。俺は義腕で鞘を押さえ、右手で剣を抜いた。
「安心しろ、勇者。俺はお前を殺さん」
アルヴィンの眉が動く。
「お前を倒すのは、俺が王になる日の余興に取ってある」
「手加減できる相手だと思うな」
「できないから先に言った」
立会人が赤と白の旗を掲げた。
ベルナデッタは俺だけを見ている。副官はアルヴィンへ何かを囁いた。監察官の筆が動く。
「始め!」
旗が落ちる直前、アルヴィンが小さく言った。
「降参してくれ」
「お前こそ王命を捨てろ」
どちらもできない提案だった。
旗が下りる。
アルヴィンの姿が消えた。
義眼が白い魔力線を捉え、俺は剣を斜めへ滑らせる。受けた瞬間、両腕の骨が軋んだ。
衝撃が足元を抜け、背後の石壁へ亀裂を走らせる。
三歩押されてようやく止まった。
剣速も膂力も以前とは違う。これが王国の勇者。原作補正は伊達ではない。
「以前の貴様なら今ので終わっていた」
「残念だったな。毎朝、もっと頭のおかしい女と戦っている」
初撃の余波が収まるまで、誰も声を出さなかった。青い杭の外で馬が怯え、勇者隊の兵が手綱を押さえる。こちらの兵も剣を抜かない。
アルヴィンは剣を戻さず俺の足元を見る。
「地面に印がある」
「古い砦だ。測量跡くらい残る」
「白墨が新しい」
下見を一合で見抜かれた。隠し通す必要はない。
「お前は聖剣と加護を持ち、俺は地形と悪知恵を持つ。公平だろう」
「公平の意味を辞書で引け」
原作ではこの対面に会話などなかった。勇者は勅書を掲げ、魔人ヴァイスは笑い、三頁後には首が落ちる。家族の名も鎮めの儀も語られない。
だが今はアルヴィンが俺の腕を見て迷い、俺はこいつを生かす規則へ署名させた。既に原作と同じ場面ではない。
二合目が来る。最初より速い。それでも殺気だけは真っ直ぐだった。
脇から、次いで足元から。受けずに柱へ流す。アルヴィンも白墨の印を読み、俺が避けたい方向へ先回りする。
「本当に俺を殺さないつもりか」
「開始前の宣言をもう忘れたか」
「なら俺が勝つまで確かめる」
「面倒な確認方法だ」
言葉は続いている。剣を抜いた後も対話を捨てないこと自体が、勅命から外れ始めた最初の一歩だった。
口上合わせは終わった。ここから先は一撃ごとに互いの嘘を剥がす時間だ。
石床へ、二人分の足音が重なる。




