第29話:果たし合いの支度
領境の廃砦跡を決闘場に選んだ。
民家から三里離れ、周囲は岩地。崩れた外壁が風を遮り、北の斜面には退路がある。足場も柱の位置も七日前から義眼へ記録していた。
「ここなら勇者が本気で剣を振っても民家は壊れない」
「閣下が壊れる可能性は考慮されていますか」
ギデオンが冷たく聞く。
「壊れないための下見だ」
廃砦の見取り図へ印をつける。朝は東から逆光、正午には崩れた塔の影が中央を横切る。南壁の石は脆く、強打を受ければ足場ごと崩せる。
図面だけでは足りない。翌朝、家臣団を連れて砦へ向かった。
入口から中央まで百二十歩。崩れた井戸の周囲は泥になり、北壁の階段は三段目だけ沈む。義眼で高低差と亀裂を記録し、使える柱へ白墨を引いた。
「勇者役を頼む」
ベルナデッタへ木剣を持たせ、想定される方向から三度打ち込ませた。一度目は東柱、二度目は南壁、三度目は井戸を挟む。
どの経路も十合以内に追いつかれた。
「勇者はお前より遅いと思いたい」
「首を落として比べましょうか」
「調査方法がひとつしかないのか」
四度目は義眼を閉じて肩の動きだけを読んだ。木剣が耳を掠めて壁へ当たり、反響で北側が予想以上に空洞化しているとわかる。
「ここは盾に使えない。崩して視界を切る」
「逃げ場ではなく時間を買う場所ですか」
「一秒を積むしかない相手だからな」
砦の外ではシュカが北西の岩棚を観測位置に選んだ。
「隠れず公証人として名乗れ」
「旦那様専属の観測者と?」
「中立の記録係だ」
「事実に反します」
「ここからなら、旦那様の義眼記録が途切れても全体を残せます」
「好きにしろ。ただし決闘場へ入るな」
「瀕死でも?」
「旗が下りるまでだ」
返事がない。契約書へ条件を追加する顔だった。
記録は三系統にする。シュカの遠写術、俺の義眼、立会人が署名する議事録。どれかを奪われても事実は残る。記録石は三方向へ置き、同じ記録を城とノルドへ同時送信させた。監察官が報告を書き換えても、決闘の事実までは奪わせない。
「これで旦那様が無様に転ぶ瞬間も永久保存できます」
「戦術記録だけ残せ」
「善処します」
しない顔だった。
リリウムは場外へ救護箱と義腕の予備回路を置いた。
「ここまで出れば交換できるわ」
「出た時点で負けでは?」
「死ぬよりいいでしょう」
ギデオンは場外退避線を図面へ引いた。昨夜まで決闘自体へ反対していた者たちが、今は帰還の確率をひとつずつ増やしている。
決闘規則も用意した。一対一。立会人は各二名。降参、戦闘不能、武器破損のいずれかで終了。ただし武器破損の場合は本人へ継続意思を確認する。第三者が境界線を越えれば中断し、立会人が排除する。決闘外の兵同士は交戦しない。
「魔人化は禁止にできないの?」
「王国は魔人だから討つと言っています。禁止を求めれば恐れたと見られます」
「なら使用時点で旗を黄色へ。体の変化を私が見られるようにして」
リリウムの条件も加えた。魔人化そのものは禁じない。禁止すれば誓約を説明する必要が生じる。それだけは避けたかった。
規則は石板へ刻み、双方の立会人へ読ませる。
ベルナデッタには境界警護、バルトには双方の兵を離す役、ヘルムートには破損記録を任せた。
「決闘後に請求書を?」
「侵入者が壊した分は王国へ払わせる」
平時と同じ仕事を与えると全員の顔が戻った。主人を見送る集団ではなく、厄介な行事を運営する組織の顔だ。
「せめて立会人としてお側に」
ベルナデッタが譲らない。
「一騎打ちに二人で出れば数も数えられない逆賊になる」
「勇者隊から別の者が入れば?」
「その時だけ止めろ。殺すな」
「鎧だけ斬ります」
リリウムが義腕の留め具を締める。
「予備は脚と眼の分まで。それより先は作ってないわ」
「失う前提で支度するな」
「あなたが先に失う前提で戦うからでしょう」
正論は嫌いだ。
全員の反対が同じ方向を向く中、軍議で真っ先に反対したギデオンだけが、今は何も言わなかった。
「もし俺が戻らなければ」
「聞きません」
ベルナデッタが遮る。
「領主として必要な命令だ。リーゼを後継に据え、成人までは評議会が補佐する。座長は父上とギデオンだ。勇者隊への報復は禁止する」
「報復まで奪うのですか」
「俺を殺した勇者を討てば蝕で全員死ぬ」
彼女は返事をしなかった。それでも命令書へ署名した。狂愛を制度で縛るのも領主の仕事だ。
「お前は賛成か」
「いいえ。ただ閣下の狙いが勝利ではないことを、私だけはわかってしまいましたので」
勇者を殺せば蝕と戦う剣が折れる。俺が死ねば家族も領地も終わる。兵を出せば双方に死者が出る。
「殺させず、死なず、退けさせるつもりですね」
「俺の獲物を他人に触らせないだけだ」
「そういうことにしておきましょう」
城壁から戻ると、寝室にリーゼが待っていた。
何も言わず寝台へ座り、右手を握る。義手ではないほうを選んだ理由は聞けなかった。
「みんな、お兄さまが勝つ方法を話してる」
「当然だ。俺は簒奪公だぞ」
「でもね」
小さな手に力が入る。
「勝たなくていいから、帰ってきて」
妹だけが正解を言った。
リーゼは枕元へ布袋を置いた。庭で拾った白い石がひとつ入っている。
「帰る場所の印。砦の石と間違えないでね」
「石を持ち帰る趣味はない」
「左眼と左腕を置いて帰った人が言っても信じない」
布袋を上着の内側へしまう。心臓の隣で白い石が小さく鳴った。
「勝たずに帰れば悪評が立つ」
「もういっぱいあるでしょう?」
「それもそうだな」
笑うとリーゼも笑った。胸の紋章は痛まない。
出立の未明、軍議室へ寄った。机には俺が死んだ場合、生きて捕らえられた場合、勇者側が規則を破った場合の三通の命令書がある。
ギデオンが封を確認する。
「生還した場合の命令書は?」
「ない。帰ってから自分で命じる」
「最も可能性が高いものを用意しないとは」
「縁起がいいだろう」
ヘルムートには決闘中も通常の支払いを止めるなと伝えた。領主が戦っているから給金が遅れる軍団では、俺が守ろうとしているものまで一日で崩れる。
マルタは輸血用の術式石と痛み止めを馬車へ積む。
「魔人化の代償に効く薬はありません」
「知っている」
「では失った後に残る方を治します」
誰も代償を止められない。だから残った体を生かす支度をする。それが家臣団の回答だった。
砦周辺の街道はすでに封鎖してある。商人には迂回料を払い、迷い込んだ旅人はバルトが別路へ案内した。決闘は二人だけでも、その安全には百人が働いている。
城門では兵たちが無言で道を開けた。勝利を叫ぶ者はいない。街道で俺の左袖が空になるのを見た者たちは、勝てば何かを置いて帰ると知っている。
「布告をひとつ追加する」
俺は馬上から全員を見る。
「決闘の結果にかかわらず、勇者隊へ石ひとつ投げるな。俺が負けてもだ」
「閣下を討たれてもですか」
「その時は俺の命令が最後まで残るか試す好機だ」
兵たちは拳を胸へ当てた。
「はっ。未来の徴税対象を保全します」
唱和まで俺の言い訳に染まっている。
最後に義眼の記録印、義腕の日常設定、胸の白い石を確かめる。勝つ支度ではない。何が起きても帰るための支度だった。
西門を出る。心臓の横で白い石が揺れた。帰る場所は背後にある。だから前へ進めた。
夜明け前、廃砦へ続く道は静かだった。
東の空が白む頃、西街道に白銀の列が現れる。先頭に勇者アルヴィン。腰には聖剣、胸元には俺を殺せと命じる勅書がある。
勇者と騎士十二、神官二、監察官一。軍勢ではなく処刑の証人だ。
原作の死亡イベントが、領境へ到着した。




