第28話:前倒し
王都の聖蓋府でグレゴールは勅命へ封をした。
『勇者アルヴィン』
『東方の逆賊にして魔人、ヴァイス・レーゲンハルトを討て』
魔人の噂は討伐の大義名分へ変わっていた。
勅命を受けたアルヴィンは長く沈黙した。
「異存があるか」
「見極めると、本人へ伝えました」
「その必要はない。王座への野心を公言し、領地を奪い、王国軍を破った。事実は揃っている」
「民を救った事実も」
「統治を奪うための懐柔だ」
アルヴィンは勅命を受け取る。
「……この目で確かめてから、剣を抜きます」
◇◆◇
その夜、アルヴィンは宿舎で二種類の紙を並べた。
一枚は聖蓋府の戦況報告。『魔性の力により王国軍八百、敗走』。死傷者の欄は空白だった。
もう一枚は、自分で集めさせた報告の束だ。東からの証言――村人、商人、そして帰還兵。
『死者なし。負傷三十七、全員手当済み』
『土が柔らかく盛り上がり、落ちた者の骨を守った』
『矢はすべて畑へ逸れた。あれは外したのではない、逸らしたのだ』
『解放捕虜の証明書を持たされた。脱走兵として吊るされないように、と』
殺す力を持つ者が、殺さないために力を使い切っている。報告書の空白と、証言の名前。どちらが真実に近いかは、数字の扱いを見ればわかる。
手帳を開く。メルカの夜の一行が、まだそこにある。
『三年後も同じことを言えるといいな――なぜ、三年?』
七日後、本人へ確かめる機会が来た。剣を交える前に、聞くべきことが増えていく。
◇◆◇
勅命は発令から半日で俺の机へ届いた。
シュカの網は王国の伝令より速い。
「原作より二年以上早い」
討伐イベントは三年後のはずだった。
黒い靄に続き、俺の行動が歴史を早めている。
軍議室へ家臣団を集める。
「勇者の現在地は西街道。七日で到着します」
シュカが報告する。
「一騎打ちだ」
全員が黙った。
最初にギデオンが反対した。
「閣下が死ねば領地は分裂します。後継指名もなく、捕虜も旧領主も再び争う」
「だから七日で継承命令を書け」
「死ぬ準備を命じているのではありません」
シュカが勇者隊の随行者を読み上げる。神官二、騎士十二、聖蓋府の監察官一。決闘を処刑へ変える役が混じっている。
「勅命の目的は討伐だけではありません。交戦させ、どちらが死んでも聖蓋府が得をします」
「観衆と記録を置け。一騎打ちへ第三者が入れば、王命違反として全領へ流す」
リリウムが義腕を掴んだ。
「左腕の接続は安定したばかりよ。次に差し出す部位を選ぶには早い」
「使わず勝つ」
「嘘。勝てなければ使う顔をしてる」
「私が露払いを」
ベルナデッタが言う。
「勇者隊を領内へ引き込み、補給を断つ策もあります」
ギデオンが地図を示した。
全員が正しい。誰も感情だけで止めておらず、それぞれの仕事から、俺一人で受ける危険を突きつけてくる。
だから兵はぶつけられない。アルヴィンを消耗させれば蝕の鎮撫が崩れ、こちらの兵を出せば王国は内乱として宣伝する。
「一騎打ちなら被害は二人で止まる。勇者は勅命の外で判断する余地を持てる」
「閣下が死ぬ可能性は」
「ある」
誤魔化さず答えると空気が止まった。
「俺一人で受ける」
「認められません」
ベルナデッタが即答した。
「私の剣は何のために」
「俺以外を近づけないためだ」
「では私を決闘場の境界へ置いてください。勇者以外が一歩入れば斬ります」
「殺すな」
「鎧だけにします」
譲歩の方向がおかしいが、それでベルナデッタは引いた。
「勇者を殺すおつもりですか」
「殺さない」
そして彼には見せる必要がある。
俺が何者か。
善意は言えない。真実もすべて話せない。口で説明すれば誓約が止める。剣なら行動を偽れない。
胸が締まり、最後だけ悪役の言葉へ変わった。
「俺の獲物に手を出すな」
口に出せる理由はそれだけだ。
ベルナデッタの表情が揺れる。果たし合いの文法だからこそ意味が通じてしまう。
「……御命令とあらば」
「決闘場を用意します」
ギデオンが諦めたように地図を畳む。
「逃げ道も同時に」
「要らん」
「閣下が使わなくても我々が必要です」
リリウムは義腕を調整する。
「次はどこを持っていかせる気?」
「まだ決めていない」
「決めたら先に教えて。作る時間がいる」
「失う前提で話すな」
だが魔人化なしで勇者を退けられるとは思っていない。
全員が俺の決定を認めず、それでも決定が失敗しないよう動き始めた。反対しながら準備するのが、俺の家臣団だった。
城壁へ上がる。
城の西門から続く街道が夕日に染まっていた。王都と西部から来る者はこの道を通る。
七日で決闘場、避難路、継承命令、記録手段を用意する。勝つ準備と死んだ後の準備を同時に進めるのは気分が悪い。
夕日の沈む先、西の街道へ目を凝らす。
原作で俺が死んだイベントが、予定より早く向こうから歩いてくる。
七日間の準備は戦うためより、戦わない者を守るために使った。街道沿いの民を退避させ、宿場へ治療所を置く。勇者隊の馬と食事は正規料金で補給できるよう商人組合へ金を預けた。
「敵の補給を助けるのですか」
若い士官が戸惑う。
「疲れた勇者は判断を誤る。万全の状態で俺へ負けさせる」
「慈悲深き決闘条件!」
また唱和された。違う。アルヴィンは蝕と戦う戦力だ。ここで兵糧攻めにして恨みを買う意味がない。
ギデオンは俺が死んだ場合の継承文書を作った。署名を拒むと、軍師は無言で書類を積み上げる。
「脅迫か」
「領民を人質にした合理的な事務処理です。忠誠ではありません」
リーゼを次期領主とし、成人までは評議会が補佐する。捕虜の権利、征服地の配給、蝕の観測網は領主が変わっても残す。俺が死ねば全て終わる組織では王国を奪えない。
ベルナデッタは毎日、決闘場の地面を均した。護衛として立てない代わりに、隠し矢も落とし穴もないことを自分の目で確認する。
「私が介入する条件を決めてください」
「誰かが決闘へ横槍を入れた時だけだ。勇者の刃からは守るな」
「お命じなら。ですが閣下が倒れた後、私が勇者へ挑むことは禁じられていません」
「禁じる。仕事をしろ」
リリウムは義腕の予備導管を三組用意し、次の代償候補を口にしなかった。シュカは勇者隊の現在地を一刻ごとに更新する。
六日目の夜、アルヴィンから正式な果たし状が届いた。
『勅命により逆賊ヴァイスを討つ。ただし領民および兵への攻撃は行わない。決闘の結果をもって隊の行動を決する』
真っ直ぐすぎる文面だ。グレゴールの命令に従いながら、自分の目で確かめる余地を残している。
「受ける。返書は一行でいい」
『俺の獲物に手を出すな』
悪役の言葉しか書けない。だがアルヴィンなら、その裏にある条件を戦場で読むだろう。
勇者は王都から東へ進み、西側の領境街道へ入る。到着までの替え馬宿を七つ数えた。
左の義手を握る。
決闘前夜、リーゼが城壁へ毛布を持ってきた。
「眠らないの?」
「敵を待っている」
「勇者さまも、眠ってから来ると思う」
十二歳に正論で負けた。毛布を受け取り、左肩へ掛けようとして義手の指で端を裂く。調整は済んでも、緊張すれば力が戻る。
リーゼが裂け目を結んだ。
「帰ったら直します」
「縁起でもない言い方をするな」
「帰るって意味よ」
右手で妹の頭へ触れる。左ではなく右を選ぶ癖が、もう体に馴染み始めていた。
西の街道へ小さな灯が連なる。勇者隊の野営火だ。明日の朝、原作では俺を殺す剣がここへ届く。
冷たさはわからない。右手だけが石壁の温度を感じていた。
「七日か」
準備できる時間は短かった。勇者を殺さず、自分も殺させない。勝つより難しい戦いが、夜明けに始まる。
俺は右手で石壁を離し、城壁の階段を下りた。




