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中ボス悪役貴族に転生したので、予定通り王国を奪います ~悪役をやめると死ぬ誓約なので、征服という名目で人類を救います~  作者: Jint
第4部:左腕の値段

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第26話:右手と義手

 義腕ができるまでの七日は失敗の連続だった。


 片手では上着の袖を通せず、書類を押さえながら署名できない。食事の皿を右手で支えれば匙が持てない。眠ると左の指がまだあるように疼き、掻こうとして空の寝台へ右手を落とした。


 リリウムは幻肢感覚だと説明した。


「治せるか」

「消すことはできる。でも痛みまで消すと接続部の異常に気づけない」

「なら残せ」


 便利さだけを求めれば、また壊れるまで使う。違和感も保守機能のひとつだった。


 捕虜の進路だけは片手でも決めた。


 帰郷、期限付き労働、軍への応募の三つを選ばせる。帰郷希望者には二日分の食糧と治療証明。残留希望者には日当と仕事内容を書いた契約書。強制労働はさせない。王国側で脱走兵とされないよう「解放捕虜」の証明もつけた。


「敵へ身分証まで?」

「帰路で処刑されたら無血にした意味がない」

「捕虜へ給金を払う領主は初めて見ました」

「無給では逃げる。監視費の方が高い」


 三百五十人のうち百九十二人が帰郷し、百三十一人が労働を選び、二十七人が軍へ応募した。


「敵兵まで増員に変えるとは」


 ギデオンが報告書を閉じる。


「食わせて働かせただけだ」

「王国軍より待遇がよかったそうです」


 帰郷する捕虜の代表が出発前に訪ねてきた。


「なぜ我々を雇い、帰すのです」

「王都へ俺の悪名を運ばせるためだ。死体は喋らん」

「では何と伝えれば」

「簒奪公は敵兵へ給金を払い、怪我を治し、武器まで返した。恐ろしい男だとな」


 代表は笑いを堪えきれず肩を震わせた。


「承知しました。ありのまま伝えます」


 笑うな。誓約に通じる悪評へ翻訳してから伝えてくれ。


 残った工兵は契約書へ署名し、街道補修班へ入った。昨日まで敵だった技術が領地へ根を下ろす。無血戦で得たものは人数ではなく、次に殺さず勝つための仕組みだった。


 王国へ戻る兵は「殺されなかった理由」を家族へ話すと約束した。


 第三隊の八百はどうなったか。あちらは捕虜にしていない。武装解除のまま食糧を持たせ、王都へ帰した。


 鎧も剣もなく、しかし一人も欠けずに街道を歩く八百人の列は、それ自体が布告より雄弁だったらしい。通過した宿場ごとに「魔人は八百人を殺さなかった」という話が残り、ユリウス伯爵は王都の門前で「生きて戻った敗将」として出迎えられた。


「聖蓋府は八百人の帰還を『魔性の力に敗走』とだけ記録しています。生存の理由には触れていません」


 シュカが写しを机へ置く。


「兵たちの証言は」

「酒場では別の話が流れています。土は柔らかかった、矢は畑へ逸れた、医者が待っていた――数が多すぎて、揉み消しが追いついていません」


 八百人の口は、八百通りの証言になる。王都が虐殺と呼びたい戦を、生き残った敵兵自身が否定していく。悪名と感謝が、同じ街道を逆向きに走っていた。


 七日目、リリウムが義腕を持ってきた。


 黒銀の骨格へ人工筋を張り、表面を生身に近い素材で覆う。左肩の接続部には赤い魔力回路が刻まれている。


「《簒奪の左腕》。今回も元より良くしておいたわ」

「名前が物騒だ」

「握力は生身の三倍。魔力伝導もできる。剣を握れば術式を直接流せるわ」


 装着すると重みが戻った。


 指を動かす。拳を握る。感覚はあるようでない。圧力を数値として理解できるが、冷たさも温かさもない。


 初日は力を抜く練習だけで終わった。羽根ペンを三本折り、扉の取っ手を二つ潰し、服の釦を二つ砕き、ベルナデッタの木剣を握っただけで粉にする。


「素晴らしい膂力です」

「生活用品が耐えない。失敗作だ」

「だから調整するのよ。生身だって二十五年かけて覚えたでしょう?」


 リリウムは指ごとの魔力弁を開き、卵を割らずに持つところからやり直させた。触れた感覚はない。義眼に表示される圧力の数字を見て、指を止めるしかない。


「力を入れすぎ」

「普通に握った」

「普通の値を覚え直して」


 三日目には上着を一人で着られた。五日目には紙を押さえて署名できる。夜、眠る前に義腕を外すと左側の重さが急に消えた。毎晩二度、腕を失うような感覚だった。


 庭を歩くとリーゼが駆けてくる。


 いつものように俺の左側へ並び、手を伸ばした。


 俺は無意識に体を入れ替え、右手を差し出していた。


 気づいたときにはリーゼが右手を握っている。


 何も言わない。


 この四日、リーゼは毎朝左側へ来た。俺は書類、杖、上着を理由に右へ回った。義手で強く握るのが怖いとは言えなかった。何も言わない優しさが一番痛い。


 小さな手の温度が掌へ伝わる。


「左でも握れるぞ」


 言い訳のように聞こえた。


「うん」


 俺から左手を差し出した。義手の指は妹の温度を感じない。握力計の数字だけが安全を告げる。


 リーゼは義指の上へ小さな手を重ねた。


「お兄さまの手、こっちも好きよ。あったかくなくても」


 感じないはずなのに、肩の奥だけが重くなった。


 俺は空を見た。


「壊れた道具を気に入るとは変わっている」

「また本当のことを悪く言ってる」


 言い返せなかった。


 その午後、リリウムは定期整備を週三回と決めた。


「多くないか」

「観測と保全よ。関節の摩耗、魔力回路、握力の設定」

「握力?」

「リーゼ様と手を繋いでも痛くない値に直したから」


 狂愛の解像度が妙なところで高い。


「戦闘時だけ制限を外せるようにしたわ」

「最初からそうしろ」

「日常で何を壊すか観測したかったの」

「危険な実験をするな」


 接続部を締める指が一度止まる。今度は痛みを数値でなく、肩の奥の重さとして感じた。


 シュカは握手まで四日かかったと記録し、ベルナデッタは義腕との果たし合いを申し込んだ。代償を悼む静けさは一刻も続かない。


 夕刻、シュカの記録が届いた。


『本日の旦那様』


『左手で妹君に触れるまで四日を要しました』


『記録者は、この四日を忘れません』


 紙を伏せる。


 家臣団の誰も喪失を忘れさせてくれない。


 それは安らぎではないが、一人で抱えるよりはましなのかもしれない。


 執務室へ戻ると、壊した取っ手と羽根ペンの請求書が机に置かれていた。ギデオンは修繕費を軍事費でなく領主私費へ分類している。


「義腕の性能試験だ。研究費ではないのか」

「扉を開ける行為を軍事研究と呼ぶ国は滅びます」


 反論できない。右手で硬貨袋を渡すと、シュカがその仕草まで記録した。


 夕食では左手で皿を押さえ、右手で匙を使った。圧力表示を見なくても割らずに済む。リーゼは向かいから何も言わず見守り、食後に一枚の紙を差し出した。


 義手の輪郭を写した絵だった。五本の指の間に、右手より少し大きな花が描かれている。


「冷たい手には、枯れない花が似合うと思ったの」


 紙の感触はわからない。折らない強さだけを数字で確かめ、机の一番上へ置いた。


「装飾品は没収だ」

「はい。お兄さまのものにしてね」


 また本当のことを悪く言い換えたと笑われた。


 翌朝、ギデオンが珍しく前置きをした。


「閣下。王都から大物が出てきます」

「誰だ」

「聖蓋卿グレゴール。本人です」

「義腕が完成するのを待っていたような時期だな」

「七日で作る錬金術師まで計算に入れてはいないでしょう」


 工房ではリリウムが会見用の設定を確かめている。


「日常設定のままにして。握り潰したら交渉にならないわ」

「相手次第だ」


 冗談で返したが、リーゼに合わせた握力のまま敵と向き合うことが妙に正しい気もした。


 強さの基準を妹の手に合わせた義腕で、千年の体制と握手する。壊すべきものを間違えずに済みそうだった。


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