第21話:開戦
先遣隊は予測どおり三隊に分かれた。
総勢二千百四十。第一隊七百、第二隊六百、第三隊八百四十。
昨夜、領境へ入った先行隊百八十名は街道宿で足を止めた。バルトが武器を預ければ食事を出すと伝えたところ、若い指揮官だけが部下二人を連れて席へ着いた。
同じ鍋を囲みながら彼は王命の写しを読み、黒旗の返還を要求した。日付も王印もない文書だったため、俺は正式な勅書を持ってこいと返した。指揮官は剣を抜かず、夜明け前に領境まで退いている。去り際、後続の行軍表を一枚だけ置いていった。兵を売ったのではない。避難民へ刃を向けないという条件と交換した情報だ。
「先行隊も時間稼ぎだったか」
「こちらの兵数、命令系統、村民の反応を確認する役目です」
シュカの紙には食事中の質問が一言ずつ残っていた。彼らが確かめた項目を裏返せば、聖蓋府が知らない情報もわかる。
「魔人化の回数は聞かれませんでした。代償の内容も。王都は旦那様の力を把握していません」
「知らないから二千で足りると思ったわけか」
「あるいは二千を捨ててもよいと思っています」
机の周囲から軽口が消えた。
「指揮官の経歴、借金、愛人、好物まで揃っております」
シュカが資料を配る。
「最後の二つは必要か」
「買収と毒殺に」
「毒殺はしない」
「では買収に」
第一隊長は慎重な兵站屋。第二隊長は信心深く迷信深い。第三隊長は武功を焦る若い伯爵。
第一隊長ハインツは二十年兵站畑を歩き、規定量の食糧がなければ進まない。部下を飢えさせた記録はないが、現地判断で規則を破った記録もない。
第二隊長オルフは幼い頃に蝕で故郷を失い、魔人を神敵と説く聖蓋府へ救われた過去があり、兵も同じ教区の出身者で固めている。
第三隊長ユリウス伯爵は二十三歳。父が西部戦線で失った領地を取り返し、王都へ家名を示すことに執着していた。戦功は二度あるが、どちらも退却する敵を追って損害を増やしている。
第三隊は八百四十。騎兵百二十、歩兵六百八十、補給と工兵四十。数字を黒板へ固定し、以後の報告では必ず内訳まで言わせた。人間を駒にするなら、数え間違いで死なせるわけにはいかない。
「性格どおりなら扱いやすい。だが最後の男は命令より功を選ぶぞ」
「そのため峡谷には複数の入口を用意します」
ギデオンが地図へ進路を引く。
「三隊とも性格どおりに動けば、予定地点へ誘導できます」
ヘルムートが費用表を配る。食糧、商人への危険手当、偽情報の運搬、峡谷を塞ぐ資材。通常戦闘の三割を少し超える。
「財務としては反対です。今期の予備費が半分を切ります」
「人を殺す戦なら安いのか」
「埋葬費、遺族補償、装備の再調達まで含めれば三倍です。ゆえに数字の上では賛成します」
「なら最初からそう言え」
「反対意見を記録へ残すのも財務の仕事です」
ベルナデッタが口を挟んだ。
「勝つだけなら簡単です。皆殺しにすれば」
「駄目だ。あれは全員、俺の未来の徴税対象だ」
「先払いで首を取っては?」
「税を払えないだろう」
殺さずに勝つほうが難しい。
敵は武器を持ち、こちらを逆賊と信じている。恐怖で追えば抵抗し、包囲すれば死兵になる。
「一隊目は兵糧で止める」
ギデオンが駒を倒す。
「進路上の食糧と飼葉を買い占めます」
「二隊目は噂で」
シュカが微笑む。
「魔人の森を用意します」
「三隊目は峡谷へ誘導し、出口を塞ぐ」
ベルナデッタが不満そうに腕を組む。
「私の仕事がありません」
「噂を本物に見せる役だ」
「斬っても?」
「鎧だけなら」
目が輝いた。
全軍へ命令を伝える。
「敵を一人も殺すな。傷物の労働力は買い叩かれる」
「はっ、慈悲深き搾取!」
唱和が完全に定着していた。
命令書には負傷者を最小限にする規定も加えた。落馬した敵へ追撃しない。投降者へ武器を向けない。治療班は黒と白の腕章を区別しない。
「敵が利用した場合は?」
バルトが問う。
「捕縛しろ。殺さないことと無抵抗は違う」
「ようやくわかりやすい命令だ」
各隊長に復唱させ、違反時の指揮権剥奪まで明記する。慈悲を気分へ任せれば追い詰められた時に消える。だから命令にした。
「投降者には飯を出せ。負傷者は敵味方の区別なく施療院へ。略奪した者は味方でも処罰する」
「すべて徴税のため!」
「勝手に続けるな」
物見台へ上がる。
遠くの街道に銀色の列が見えた。聖蓋府の白旗が風を受けている。
義眼で拡大すると、先頭の兵の顔まで見える。
若い。俺の兵と変わらない。命令でここへ来ただけの人間だ。
三段構えのどこかが破れたとき、魔人化が必要になる。
左眼はもうない。
次に失う機能を頭の中で並べる。
腕、脚、声、寿命。
どれも簒奪に要る。
だから知恵で終わらせる。
背後で梯子が鳴った。リーゼが籠を抱えて物見台へ上がってくる。
「お兄さま、朝ご飯まだでしょう」
「戦の最中だ。下へ戻れ」
「戦の最中だから食べるの。お兄さまが倒れたら、誰が殺すなって命令するの」
十二歳に兵站の基本を説かれた。パンをひとつ受け取り、残りは見張りの兵へ回させる。リーゼは物見台の端から銀色の列を一度だけ見て、黙って梯子を降りていった。
物見台の鐘が鳴った。
「第一隊、領内へ進入!」
開戦だ。
鐘と同時に伝令が走り、倉庫の封印が切られた。第一隊用の買い付け金が商人へ渡り、第二隊の進路には旅商人が散る。峡谷では土木隊が偽の野営跡を作り始めた。
俺は義眼の記録を起動する。赤い印が視界の隅で灯った。
列が近づくにつれ、領境の草原が銀色に光り始めた。第一隊の槍先だ。隊列は乱れず荷車の間隔も正確。規則を守る兵站屋という分析に間違いはない。
「投降を呼びかけますか」
ベルナデッタが聞く。
「まだだ。腹が満ちている兵に降伏を求めれば、誇りを守るため戦う」
「空腹にしてから飯を見せる」
「選ばせるだけだ。剣を捨てても故郷へ帰れると先に知らせろ」
ギデオンは布告へ帰郷権、治療、捕虜交換の条項を加えた。こちらの兵から不満も出る。敵を養う食糧があるなら家族へ回せという、当然の声だった。
「配給は減らさない。敵へ出す分は俺の私財から買う」
「そこまでして敵を生かす理由をお聞きしても?」
胸の紋章が先回りして締まる。
「王国ごと奪った後、兵が足りなくては困る。未来の徴税対象へ先行投資するだけだ」
「慈悲深き搾取!」
兵たちの唱和が物見台まで響いた。納得するな。いや、今は納得してくれないと困る。内心だけが忙しい。
第一隊の先頭が領境標を越えた。こちらは矢を放たない。敵も罠を疑って足を緩める。静かなまま双方の間から逃げ道だけが消えていった。
「この戦の最初から最後まで残す。王国が虐殺と呼んでも、死者の数と命令書で否定できるようにな」
「旦那様の善行を保存するのですね」
「戦果だ。間違えるな」
銀色の列が進む。まだ誰も血を流していない。
敵の命を奪わない戦争が、ここから始まった。




