第20話:先遣隊、来る
軍議室へ家臣団が揃った。
ギデオン、ベルナデッタ、リリウム、シュカ。採用したヘルムートとバルトも壁際に立つ。
机の中央には聖蓋府の内部文書。
「本隊ではありません」
ギデオンが地図へ三本の駒を置く。
「先遣隊です。腕試しと世論作りが目的でしょう。閣下が攻撃すれば逆賊の暴虐として宣伝し、退けば征服地を取り戻す」
「兵力は」
「最大で二千。三隊に分かれる見込みです」
シュカが街道図へ三枚の紙を置いた。馬商人、街道宿の女将、王都の墓守から届いた記録だ。
「軍馬四百頭、荷車百二十。遠征祈祷を受けた兵は千六百八十三名。実数は千八百前後です」
「出発は」
「二日前。先行する軽装隊だけは本日中に領境へ入ります」
「三隊は同時侵攻ではありません」
ギデオンが駒を時間差で動かす。
「最初が境界を試し、第二隊が村へ王国旗を戻し、第三隊が抵抗を口実に占領する。出迎えれば侵略者、退けば臆病者、無視すれば住民を捨てた領主です」
「勝つ軍ではなく、俺に負け方を選ばせる軍か」
「少ないですね」
ベルナデッタが言う。
「私一人で斬れます」
「斬るな」
「では峰打ちで」
「二千人を峰打ちにしたら死人が出る」
俺は全員を見渡した。
「殺すな。潰すな。恥だけかかせろ」
「難しい注文です」
「王国の兵は、いずれ俺の民になる。死体は徴税できん」
誓約が納得する。
本音は単純だ。王国軍を殺せば遺族が敵になる。簒奪後の国を支える人間も減る。
「今日は迎撃案を決めない」
全員が俺を見る。
「三隊の指揮官も補給量も未確定だ。情報が足りないまま策を固定すれば敵の筋書きに乗る」
「では何を命じます」
「観測と退路の確保。見張りは倍、村人は普段どおり。兵は武器庫で待機し、接触しても先に剣を抜くな」
罠は敵の姿を見てから組む。それまでは殺さないという目的だけ共有すればいい。
ベルナデッタには敵将の顔を覚えさせ、バルトには傭兵を街道宿へ散らすよう命じ、ヘルムートには接収可能な荷と弁償額だけを計算させた。
「軍議というより棚卸しですね」
「戦は始まる前の棚卸しで半分決まる」
「残り半分は?」
「相手の失敗だ」
軍議が終わり、一人で地図を見る。
三隊編成という予測はよくできている。だが戦場で予定どおり動く人間ばかりではない。
どこかが破れれば、間に合う手札は一枚しかない。
左胸の紋章が疼いた。
左眼に続き、何を差し出す。
考えたくはない。考えておかなければ選べない。
リリウムに義眼の残量を測らせた。連続戦闘なら魔力視は二刻、遠距離拡大を併用すれば半分だ。
調整の途中、リリウムが手を止めた。壁にノルドの夜の記録が映っている。魔人化の直前、義眼が最後に捉えた蝕の黒い脈。
「ねえ。この波形、どこかで見たと思っていたの」
彼女は別の映像を隣へ並べた。俺の左胸。診察のたび勝手に記録していた、誓約の紋章の明滅だ。
二つの脈動が、壁の上で重なる。
完全な一致ではない。だが素人目にも、同じ楽譜を別の楽器で弾いたような相似があった。
「蝕とあなたの契約、同じ何かでできてるんじゃない?」
ノルドの帰路で抱いた疑いが、他人の口から初めて形になった。
聖剣でも儀式でもない俺の力が、蝕に通った理由。五年早い前兆が、紋章と呼応するように脈打った夕暮れ。
「……調べられるか」
「材料が要るわ。次に蝕が近づいたら、燃やす前に観測させて」
冗談の口調で、目だけが研究者のものだった。
「変身は禁止」
「命令するな」
「右眼も心臓も交換部品はないの。今度壊したら直せない」
ベルナデッタは無言で俺の左側へ立った。
「まだ戦い方すら決まっていない」
「だから決まるまでお守りします」
伝令馬が次々と門を出る。鐘楼の合図、施療院の空床、予備の水。戦闘を始めないためにも準備は要る。
◇◆◇
西部の野営地でアルヴィンは二枚の報告書を並べた。
一枚は王家直轄地。蝕の前兆による死者四十七、行方不明十九。
もう一枚はレーゲンハルトの征服地。死者三、行方不明ゼロ。
人口比を揃えても差は消えない。
征服地の三名は全員ハーゼ村。別働隊が着く前に、持ち場を離れず逃げ遅れた者たちだ。ノルドとメルカでは死者がない。報告書には氏名と遺族補償まで記されていた。
一方、直轄地の四十七名は年齢別の数字しかない。誰がどこで死に、何が遅れたのかは空欄だった。
数字は嘘をつかない。
「あの逆賊の征服地は、なぜ王国の直轄地より死者が少ないんだ?」
副官が答えを探す。
「備えが早いからでしょう。ですが聖蓋府は、併合のため意図的に蝕を招いた可能性もあると」
「自分の眼を差し出してまで?」
アルヴィンはメルカ村で見た男を思い出す。
悪を語る口。人を生かす手順。嘘ではない答えと、語られない理由。
「勇者様。討伐令が出れば我々にも……」
「わかってる」
聖剣へ手を置く。
「だからその前に、見極める」
手帳を開く。メルカの夜に書き付けた一行が目に入った。
『三年後も同じことを言えるといいな――なぜ、三年?』
言葉の綾だと男は流した。だが、あの男の綾は、いつも綾ではなかった。
東へ向かう先遣隊の噂は勇者隊にも届いていた。
「我々も戻りますか」
「命令は西部待機だ」
アルヴィンは答え、地図の東端を見た。
「東からの報告を全部集めてくれ。討伐側だけじゃない。村人と商人の話もだ」
「逆賊を庇う材料になっても?」
「見極めるなら、都合のいい話だけ選べない」
◇◆◇
城の物見台から狼煙が上がった。
ひとつ、二つ、三つ。
領境の街道へ聖蓋府の旗が現れた合図だ。
「第一陣、領内へ進入!」
鐘が鳴る。
俺は軍議室の窓から煙を見上げた。
「さて――征服者らしく迎え撃つとするか」
誓約が静かに疼いた。
すぐには出陣しない。最初の狼煙から次の報告までの間隔を測る。
「ひとつ目から二つ目まで十二分、二つ目から三つ目は十九分」
シュカが読み上げた。
「第二観測所で遅れています。街道の橋か、伝令の交代に問題があります」
「予備の鳩を飛ばせ。先遣隊へ接触した見張りの報告を待つ」
焦って門を開けば相手の望みどおりだ。軍議室の誰も喋らない。外では出動を待つ兵の鎧が鳴る。
やがて泥だらけの伝令が入った。
「敵先頭、騎兵六十、歩兵百二十! 旗は聖蓋府ですが、王国正規軍の徽章を布で隠しています」
「指揮官は」
「若い騎士です。村へ王命を読み上げ、黒旗を降ろすよう要求しています。略奪も暴行もありません」
挑発役としては行儀がよすぎる。本隊が来る前に、本人たちも試されている側なのだろう。
「村人の反応は」
「旗を守っています。ですが兵が近づけば衝突します」
「ベルナデッタ、百名で村の裏へ回れ。姿は見せるな。バルトは正面から交渉、武器を宿へ預ければ食事を出すと伝えろ」
「それが作戦ですか」
「ただの挨拶だ。三隊全部が見えるまで勝負は始めない」
具体的にどう崩すかは夜の軍議で決める。今は敵の腹、耳、足を測る段階だ。
ヘルムートが先遣隊の携行荷を推定する。騎兵六十なら飼葉は一日二十袋、歩兵の乾パンは荷車三台で、橋を越えた車輪跡とは合わない。
「荷が少なすぎます。後続の補給隊へ依存しています」
シュカも別紙を置く。
「村へ読み上げた王命には日付がありません。正式な勅書ではなく写しです」
「戦争を始める権限までは与えられていないか」
「おそらく、こちらに始めさせる命令です」
輪郭が見えてきた。殺すなという方針は変わらない。だが相手にも殺す覚悟がないなら使える手は増える。
だが直後、その輪郭が一度濁った。
街道宿から届いた新しい結び目は「第三隊、北の山道を既に越えた」と告げていた。事実なら退路の設計が根本から崩れる。軍議室が凍る。
シュカだけが首を振らなかった。
「確度は最下位です。この女将の結び目は過去十一回すべて正確でしたが、今回だけ、結び方の癖が違います」
「偽物か」
「女将本人か、結び目のどちらかが。聖蓋府が私の耳をひとつ見つけ、逆に流したと考えます」
彼女は灰色の印を紙へ押した。外れた情報も、誰かが偽りを流した事実として残る。
「北の山道へ物見を二騎。裏が取れるまで退路の変更はしない」
半刻後、物見が戻った。山道に軍勢の痕はない。蹄鉄の跡は十頭に満たない偵察のものだけだった。
「観測が破られたのは初めてです」
シュカの声はいつもどおり平坦だった。ただ、手帳を持つ指が一本だけ強張っている。
「破られていない。嘘を嘘と記録した。それが観測だ」
確度を三段階で示せ。契約の日に足した条項が、初めて実戦で働いた。敵にも、こちらの耳を探す眼がある。当然のことを、ようやく戦争の形で思い知った。
「バルトへ追加。若い指揮官だけ夕食へ招け。拒んでも人数と理由を記録しろ」
「毒を疑われます」
「同じ鍋から俺が食うと伝えろ」
リリウムが眉を上げる。
「本当に食べるの?」
「毒がなければな」
「あったら?」
「相手の指揮官も食べない」
先遣隊を軍ではなく人間へ戻す。命令、空腹、帰る場所がある個人として見れば、殺さず退かせる糸口がある。
物見台へ上がると、遠い街道に白い旗が見えた。その手前では村の黒旗が風を受けている。二つの間にまだ血は流れていない。
「今夜まで持たせる」
自分へ言い聞かせる。
その頃には後続二隊の顔も、補給線も、噂の流れも揃う。兵糧を断つか、恐怖を返すか、地形へ誘うか。選ぶのは材料を並べてからだ。
征服者らしい戦いとは、大勢を殺すことではない。敵の選択肢だけを奪い、最後に降伏を自分で選ばせることだ。
鐘がもう一度鳴った。今度は交渉開始の合図だった。
俺は義眼の記録を起動した。視界の隅に赤い印が灯る。これから交わす言葉は敵味方の証言になる。王国が望む暴虐ではなく、剣を抜かなかった最初の一日を残しておく。
「門を開けろ。ただし軍門ではない。客を迎える食堂の扉だけだ」
半刻後、バルトが村から駆け戻った。日焼けした顔が妙に複雑そうに歪んでいる。
「返答だ、坊ちゃん。……いや、閣下」
差し出された紙には、若い騎士の生真面目な字が並んでいた。
『夕食の儀、謹んで受ける。ただし当方の携行糧食を持参し、同じ鍋へ加えることを条件とする。毒殺の疑いを双方から消すためである』
「若いのに、いい条件を出す」
思わず口元が緩んだ。
敵の指揮官は、殺し合いを始めない方法を自分の頭で探している。ならば今夜の鍋が、この戦の最初の戦場だ。




