第19話:消える悪評
近隣領主の夜会へ出た翌週、一人の子爵が消えた。
死んだわけではない。屋敷はある。本人も生きている。
だが招待状が届かず、商会は取引を打ち切り、王都の友人は手紙へ返事をしない。社交界から存在だけを切り取られていた。
「俺を成り上がりの田舎者と呼んだ男だな」
机にシュカの観測記録がある。
『ご報告』
『旦那様を「成り上がりの田舎者」と評したローデン子爵は、昨夜、社会的に逝去なさいました』
「シュカ」
「はい」
背後から返事がした。
「何をした」
「観測環境の保全です」
「具体的には」
「ご想像にお任せします」
にっこり笑う。
「想像では統治できん。順番に話せ」
シュカは記録を三枚に分けた。
「子爵が救援金を狩猟園へ流した帳簿を融資元へ返しました。次に、王都用の小麦を横流しした荷札を取引相手へ届けました。最後に、彼が友人ごとに語った悪口を一覧にしました」
「捏造は」
「一文字も。署名、荷札、証人つきです」
本人が積んだ嘘を同時に公開し、逃げ道を塞いだだけらしい。
「商会は倉庫を差し押さえ、狩猟仲間は会員証を返却。議会では彼の発言だけ議事録へ採用されません。午後の茶会は本人を除いて予定どおりです」
「徹底しすぎだ」
「観測対象への雑音源でしたので」
「命は奪っていないな」
「雇用条件は遵守しております」
「財産は」
「不正に得た分だけ、正当な所有者へ戻りました」
「友人関係は」
「真実を知っても続くものだけが友情かと」
何をしたかだいたいわかった。
「今後は事前に報告しろ」
「事後報告のほうが旦那様の睡眠時間を守れます」
「俺の胃を守れ」
シュカは手帳へ書く。
『旦那様、胃の保全を要望』
違う。
「社会的な制裁も事前に出せ。家族と使用人は切り分けろ」
「屋敷が差し押さえられれば使用人も職を失います」
「再就職先を用意してから崩せ」
「ローデン家の二十一名には既に求人を提示しました。御者二名は当家を希望しています」
「先にやっているなら文句を言うな」
「旦那様が同じ結論へ至るか観測しました」
俺まで試験対象だった。
頭痛を抱えてリリウムの工房へ向かった。
扉を開けると壁一面に映像が投影されている。
ノルド村。リーゼの笑顔。ベルナデッタの剣。俺が義眼で見た景色だ。
「これは何だ」
リリウムの肩が跳ねた。
「調整記録」
「映像記録ではないと言ったな」
「言ってないわ。まさか、と言っただけ」
「詐欺師の答えだ!」
義眼の仕様書を掴む。記録層の項目には焦点補正とだけ書かれていた。
「いつから録っていた」
「装着初日から。あなたの見た世界は全部わたしの資料よ」
「昨日の南門を出せ」
怒鳴るだけでは仕様を把握できない。壁に門前の往来が映った。
「正午、荷車の車輪を拡大」
映像が止まり、泥の付着まで鮮明に浮かぶ。
「御者の手」
男の指に青い染料がある。王都東部の織物工房で使う色だ。視覚だけでなく魔力の濃淡も保存されていた。
「連続記録時間は」
「通常で六刻。魔力視を重ねると一刻。古いものから上書き」
「黙っていた点以外は優秀だ」
「褒められた」
「前半を聞け」
「消せ」
「嫌」
「俺の視界だぞ」
「だから貴重なの」
映像の中で、俺がリーゼを右眼で見直している。
リリウムはその場面だけ再生を止めた。
「これは研究に関係ないだろう」
「義眼が映せなかったものの記録よ。一番大事」
狂っている。だが彼女なりに喪失を測っているらしい。
「外部へ出すな。俺の許可なく複製するな。私室では記録を切れ」
「三つも?」
「全部だ」
不満そうに術式を修正する。
「切れていると確認できる印をつけろ」
「視界の隅に鍵を出す。再開したら赤く光らせるわ」
「保存庫は俺とギデオンの許可がなければ開けない構造にしろ」
「信用がない」
「黙って録画した人間が言うな」
複製はひとつだけ。目的を台帳へ残し、閲覧者の署名を取る。私室が映った部分は自動で黒く塗り、戦死者の最期は遺族の許可なしに公開しない。
「映したくないからって、見なかったことにはできないわよ」
「だから規則を作る。記録は真実だが、公開は刃物だ」
記録機能そのものは残した。戦場や蝕の観測に使えるし、将来は言葉だけでは信じてもらえない証拠を残すこともあるだろう。
ギデオンへ愚痴を言いに行く。
「うちの家臣団はおかしい」
「閣下が拾った駒です」
「シュカは悪評の主を社会から消し、リリウムは俺の視界を盗撮していた」
「優秀ですね」
「感想はそれか」
「責任を持って壊れ方まで愛でてください」
「お前もだ」
ギデオンは書類から目を上げない。
「私は忠誠を誓っておりません」
「免罪符にならん」
夕刻、シュカが一枚の文書を差し出した。
「観測のついでに」
「どこまでがついでだ」
「聖蓋府、御前会議の議題です」
表題を見る。
『東方逆賊討伐の件』
悪評どころか、俺自身を消す話が始まっていた。
「文書の確度は」
「最上。御前会議の書記が作った議題控えと、入室した七名の証言が一致しています」
「内容は表題だけか」
シュカが裏面を見せた。討伐の正当化に使う材料が並ぶ。ノルドの武力併合、魔人化、メルカへの越権、ハーゼの死者三名。救援や補償は一行もない。
「事実を切り取っています」
「嘘ではない。だから厄介だ」
俺が今日リリウムへ言った言葉が返ってくる。記録は真実でも、公開は刃物。聖蓋府は最も傷が深くなる部分だけ選んで研いでいる。
「対抗して会議出席者の不正を公開しますか」
「するな」
「全員、消せます」
「社会的にも消すな。ここで議題そのものを潰せば、次は記録へ残らない場所で決める」
敵が見える会議にいるほうが監視しやすい。
「代わりに全文を取れ。誰が賛成し、何を根拠にしたか。反対者が一人でもいれば理由まで知りたい」
「旦那様への悪意を保存なさるのですね」
「悪評も資産だ。誰が何を恐れているかわかる」
シュカは満足そうに頷いた。観測者へは報復より記録を命じるほうが効くらしい。
リリウムの工房へ戻り、義眼の記録を起動した。視界の隅で赤い印が灯る。
「何を撮るの?」
「この文書だ。受領した時刻と封印、紙の透かしまで残す」
「証拠にするのね」
「向こうが俺を裁くなら、裁判の材料は多いほうがいい」
映像を止めると鍵の印へ変わった。初めて自分の意思で記録機能を使った。
工房を出たところで、主人の不正を知りながら家族を養うため黙っていたローデン家の御者が二人、待っていた。
「当家で働きたいそうです」
「シュカに口止めされたか」
「いいえ。知っていることを全部話せと」
雇う前に証言を買ったと思われるのはまずい。二人の供述を第三者の書記へ預け、採用判断から切り離した。片方は馬の扱い、もう片方は街道の知識を試し、能力だけで採る。
ローデン子爵を崩した余波からも人材が流れ込む。悪評が消えるたび敵も増え、同時に俺の足元は固くなる。
「本当に、誰も死んでいないんだな」
「はい。子爵も夕食を召し上がりました。お一人で」
孤独は時に刃より深い。それを喜ぶ気にはなれない。
「再起の道は残せ。横領分を返し、被害者へ謝罪するなら最低限の取引は認めろ」
「完全には消さないのですか」
「死刑にしないと決めたなら、戻る条件も決めておけ。永遠の追放は名前を変えた処刑だ」
シュカは長く俺を見てから記した。
『観測対象、敵の帰路まで保全』
「言い方が気に入らん」
だが訂正はさせなかった。
シュカが記録帳を閉じ、廊下へ出ていく。
机には追放者の名簿が残った。名前の横に空欄が一列ある。戻る条件を書き込むための欄だ。
まだひとつも埋まっていない。




