第17話:勇者と征服者(前編)
メルカ村の広場で二つの軍旗が向かい合った。
白地に聖剣。勇者アルヴィンの隊。
黒地に王冠。俺の征服軍。
中央に立つ少年は十七歳とは思えない目をしていた。金髪は埃に汚れ、白い鎧には黒い傷がある。西部の蝕から休まず来たのだろう。
「簒奪公ヴァイス!」
聖剣の柄へ手を置く。
「貴様、ここも併合する気か!」
「無論だ。蝕に呑ませるには惜しい土地でな」
胸は痛まない。
勇者の隊員が武器を構え、こちらもベルナデッタが一歩前へ出た。
「勇者の首をご所望ですか」
「誰の首も要らん」
広場の端では村人が壁へ身を寄せている。勇者へ助けを求める者、黒い旗に怯える者、どちらへ頭を下げるべきか決められず俯く者。こちらが一歩でも武器を抜けば避難は崩れる。
「両軍、剣を納めろ」
「勇者の前で無防備になれと?」
「先に納めたほうが村人へ命令できる。これは支配権の奪い合いだ」
ベルナデッタは妙に納得して剣を戻した。アルヴィンも隊へ頷く。白と黒の兵が同時に武器を下げ、村人の息が漏れた。
剣呑な空気を裂くように鐘が鳴った。
村東の井戸で黒い粉が見つかった合図だ。
「井戸を封鎖!」
俺とアルヴィンの声が重なった。
「飲用水は川の上流から運べ。煮沸班を作れ!」
また重なる。
互いに顔を見る。
「なぜ貴様が知っている」
「こっちの台詞だ」
言い争う時間はない。
「老幼を西の高台へ。家族ごとに色紐を持たせろ」
「避難線は二段。第一線が破られたら石橋まで下げる」
指示が完全に一致した。
アルヴィンは聖剣を抜き、東の森へ向かう。
「俺が前兆を鎮める。村は任せていいのか」
「俺の征服地だ。勝手に死なせん」
「まだ貴様の領地ではない!」
「なら早く鎮めてこい。戻るころには布告が済んでいる」
勇者は何か言いたげだったが走った。
なし崩しの共同作業が始まる。
最初から噛み合ったわけではない。勇者隊は人員を東へ集めたがり、俺は避難と給水へ回そうとした。
「核を壊せば全部終わる!」
「壊すまでに水を飲んだ者が死ぬ。剣を振れない人間を先に動かせ」
「戦える者が足りなくなる」
「こちらが補う。お前は一番強い場所だけ斬れ」
アルヴィンは井戸のそばで吐いた子供を見て口を閉じた。
「神官二人を残す。残りは俺と来い」
「交渉成立だ」
「貴様に指揮されたわけではない」
そう言いながら最も危険な役目を引き受けて走る。勇者とは便利な生き物だ。
勇者隊の神官が病人を診て、こちらのマルタが記録する。王国兵が井戸を汲み出し、俺の兵が濾過材を運ぶ。
「水桶は赤が飲用、青が洗浄用だ。混ぜるな!」
「配給は世帯木札で管理! 二重受領は後回し!」
ノルド村で作った仕組みがそのまま使えた。
問題は支配権だった。メルカの代官は三日前に逃げ、印璽と徴税簿まで持ち去っている。救援命令は届いても行政官は来ていない。
「誰の許可で倉を開ける!」
残った役人が叫んだ。
「村長と住民代表の署名がある」
「代官印がなければ違法だ」
「では合法になるまで飢えろと?」
アルヴィンが役人へ詰め寄る。
「命を守るための規則だ。命より規則を守るなら、それは誰のためにある」
役人が黙る。俺は倉の扉へ黒い封印を貼った。
「本日から簒奪軍の管理下だ。使用量は記録し、後で所有者へ請求する」
「貴様は隙があれば併合するな!」
「行政の空白を放置するほうが悪い」
反論しつつアルヴィンは扉を押さえ、兵が袋を運ぶのを手伝った。
勇者隊の副官が驚く。
「侵攻軍が避難用の色紐まで持っているのですか」
「侵攻先で必要だからな」
「普通は縄と松明を」
「村を焼いて何を征服する」
副官は返事に困った。
昼過ぎ、東の森から白い光が上がった。
黒い靄が裂け、アルヴィンが戻る。頬には傷があり、聖剣の光も弱い。
「前兆核は砕いた。三日は持つ」
「三日後までに避難を終え、観測所を置く」
「王都へ救援を求める」
「待っている間に征服する」
「なぜそうなる!」
だが村長は既に布告を読んでいた。
『復興させるのは将来搾り取るためである。よって全員、生きよ』
アルヴィンが紙を二度読む。
「これは脅迫なのか?」
「征服布告だ」
「食糧と薬を配ると書いてある」
「投資だ」
「避難した者の土地を保全するとも」
「資産だからな」
勇者は納得できない顔をした。
それでも作業効率は異様によかった。
彼が魔力で汚染箇所を浄化し、俺の兵が安全区域へ人を動かす。勇者隊が尖兵を排除し、こちらが食事と寝床を整える。
対症療法と復興運営。
本来なら王国が一組として用意すべき機能だ。
白い光が井戸を洗う横で、黒い軍服が世帯札を数える。隊員は最初こそ睨み合っていたが、桶を渡すうち所属を気にしなくなった。
「そっちの濾過砂が足りない!」
「白の三番荷車から持っていけ!」
「勝手に命令するな。……二袋で足りるか?」
「三袋だ!」
夕方には勇者隊の鍋でこちらの兵が粥を煮て、俺の天幕で王国神官が患者を寝かせていた。旗だけが敵味方を主張している。
日が落ちる前に村民全員の所在を確認できた。死者はゼロ。熱を出した者も施療院へ収容した。
「貴様の兵は、なぜ略奪をしない」
別れ際、アルヴィンが問う。
「征服地の資産だからだ」
「……資産」
「穀物も家畜も人間も、壊せば価値が減る」
悪役らしい説明だ。
だが少年の目は俺の義眼から配給所へ移り、避難した子供たちへ止まった。
「俺はまだ、ここを貴様の領地と認めていない」
「好きにしろ。認定に税は要らん」
勇者隊は西の野営地へ戻った。
その夜、シュカが報告を持ってくる。
「勇者隊員の会話です」
『……正直、王都の直轄地より段取りが良かったですね』
『口を慎め。だが、まあ……死者は出なかった』
アルヴィン本人の発言はない。
「もう一件」
『勇者アルヴィン、配給表を三度確認。併合布告を持ち帰る。焚火の前で一刻、発言なし』
「沈黙まで報告するのか」
「普段は疑問をすぐ口にする人物です。その彼が言葉を選んでいる。意味があります」
共同作業の結果だけ見れば、魔物を倒す彼と人を動かす俺は最初から組んでいたように映る。
「明朝までに撤収する。接触を増やすな」
「観測対象を避けますか」
「征服が済んだ。留まる理由がない」
シュカは理由が不完全とでも書くように筆を動かした。
沈黙のほうが厄介だった。
撤収準備の最中、メルカの役人が併合布告を返しに来た。
「代官印のない併合は認められません」
「村長たちの署名はある」
「平民の署名では領主権は移りません」
法だけなら正しい。旧代官が逃げても王国の任命は残る。俺が黒い旗を立てただけでは、次の徴税日から二重に請求されかねない。
「なら旧代官へ戻って職務を果たすよう伝えろ。三日以内に来なければ職務放棄の証人になれ」
「私がですか」
「お前は王国の役人だろう。王国法に従え」
法を無視せず利用する。職務放棄が確定すれば住民代表による暫定管理が認められ、俺はその代表から保護を委任される形にできる。
アルヴィンが横から布告を読む。
「最初からそこまで考えていたのか」
「もちろんだ」
本当はギデオンが出発前に用意した手順書の三頁目だ。
「剣で奪うだけが征服ではないんだな」
「剣は土地を空にする。書類は人を残したまま旗を替える」
「恐ろしいことを平然と言う」
「勇者に言われたくない」
役人へ護衛をつけ、旧代官の逃亡先へ送った。これでメルカは救援から復興、復興から暫定統治へ切れ目なく進む。
夜の配給所では最後の確認をした。世帯札と人数が一人だけ合わない。探すと、老人が空き家へ戻っていた。
「先祖の位牌を置いて逃げられん」
アルヴィンは背負って運ぼうとし、老人に杖で叩かれた。俺は兵へ小さな箱を持ってこさせる。
「位牌ごと移す。家は封印し、戻れるまでこちらで守る」
「盗まんだろうな」
「盗めば徴税人が困る」
老人は渋々頷いた。
「貴様はいつもそう言わなければ人を助けられないのか」
「お前はいつも理由なく助けるのか」
「困っているからだ」
眩しすぎる答えだった。俺には口にできない。
だが老人を挟んで歩く俺たちの速度は同じだった。




