第16話:果たし合いの日常
「今日こそ私を斬ってください」
「斬らん。仕事をしろ」
朝の演習場で交わす挨拶がこれになった。
新兵たちも最初は凍りついたが、いまは誰も振り返らない。ベルナデッタが木剣を差し出し、俺が受け取る。
右肩の傷は先週、完治した。シュカの記録に「素振りの初速、平時比十割」と載った朝、前衛半減の命令を解いてある。宣言どおり、この女は以来二倍働いていた。
「本日は本気の一割で」
「昨日は?」
「八分です」
「二分増やすな」
「愛情です」
「減らせ」
開始の鐘が鳴る。
初撃は右肩へ来た。
木剣で受けず、半歩下がって躱す。受ければ手首ごと持っていかれる。
二撃目は足。三撃目は逃げ道を塞ぐ突き。
ベルナデッタの剣筋は知っている。それでも体が追いつかない。義眼の遠距離拡大を切り、魔力視も閉じる。情報を増やせば反応が遅れるからだ。
見るのは肩と腰。
剣が動く前の予兆だけを拾う。
十合目で木剣を弾かれた。
喉へ切っ先が止まる。
「死にました」
「朝から縁起でもない」
「もう一度」
言葉と同時に二本目が飛んできた。拾うため屈んだ瞬間、ベルナデッタの爪先が砂を跳ね上げる。
「開始の鐘は」
「敵は鐘を待ちません」
さっき俺が言うはずだった台詞だ。目を閉じ、砂が落ちる前に横へ転がった。木剣が地面を叩く。
「卑怯だぞ」
「実戦です」
「よく学んでいる」
「閣下から褒められました」
嬉しそうに追撃してくる。教育を間違えた。
これを毎朝五本行う。
俺の素の戦闘力は中の上だ。魔人化なら勇者級へ届くが、そのたび体を失う。使わずに生き延びる技術が必要だった。
二本目は十五合。
三本目は足元の砂を蹴り、二十合まで延ばした。
四本目は間合いを詰めず逃げ続けた。演習場の柱、武器棚、見学中のバルトまで障害物に使う。
「俺を盾にするな坊ちゃん!」
「副官なら団長を止めろ」
「無茶を言うな!」
ベルナデッタはバルトの肩を踏み台に跳んだ。頭上から落ちる一撃を木剣の腹で受け流す。腕が痺れたが折れてはいない。
着地へ合わせて柄を突き出す。彼女は首を傾けただけで避け、俺の足首を払った。
空と地面が入れ替わる。
「二十七合。昨日より七合増えました」
「お前がバルトを踏んだ分は引け」
「戦場に審判はいません」
弟子は師に似るという。認めたくない。
「閣下はなぜ、私に稽古をつけさせるのですか」
「死なないためだ」
ベルナデッタの頬が赤くなった。
「つまり私との立ち合いに、生を懸けてくださっている」
「違う」
「私が閣下の生を握っているのですね」
「解釈を戻せ」
戻らなかった。
縁側ではリーゼとリリウムが観戦している。
「お姉さま、兄が負けてるわ」
「いいえリーゼ様。あれは壊れない程度に壊れる高度な技術よ」
「どちらも応援になっていないぞ」
四本目をやり直させる。今度はベルナデッタの突きを義眼の魔力視で読む。
木剣を滑らせ、初めて彼女の袖へ触れた。
「一本!」
新兵たちが歓声を上げる。
次の瞬間には地面へ転がされていた。
「お見事です、閣下」
「褒めるなら足を退けろ」
胸を踏まれている。
五本目だけは新兵の前でなく、狭い回廊へ場所を移した。逃げ場がない状況を試すためだ。
ベルナデッタの長い剣筋は壁に阻まれる。俺は短く持ち、突きだけに絞った。三度目の攻防で彼女の手甲へ柄頭を当てる。
「今のは一本だろう」
「はい」
次の瞬間、額へ木剣が止まる。
「そして閣下も一度死にました」
「相討ちなら十分だ」
「不十分です。閣下は死なず、敵だけが死んでください」
剣への執着しかない女が当然のように言った。返す言葉を探している間に彼女は俺の木剣を取り上げる。
「本日は四度死亡、一度重傷。一度だけ勝利です」
「勝率だけ記録しろ」
「シュカが全部記録しています」
回廊の陰から黒い髪が揺れた。正式雇用後の働きぶりが腹立たしい。
「首を差し出しやすい位置かと」
「要らん」
稽古後、庭の木陰で水を飲んだ。
リリウムが義眼の焦点を調べる。細い器具を近づけられるたび、反射的に顔が逃げた。
「見えすぎて疲れる」
「贅沢な悩みね。遠距離拡大を使ったまま走るからよ」
「剣先を読むには必要だ」
「生身の右眼に負担が移ってる。休憩中は義眼を閉じなさい」
リリウムの指が右の瞼へ触れそうになり、直前で止まった。
「……生身の右眼、大事にして」
ふと素の声が混じった。
「お前でもそういうことを言うのか」
「次に失う場所が減ると困るもの」
すぐいつもの笑みに戻る。
それでも最初の声は聞き間違いではなかった。
リーゼが俺の右手を引く。
「お昼にしよう。今日はみんな休みなんでしょう?」
「休暇組だけだ。城全体は止められん」
「お兄さまも休暇組?」
「領主に休暇はない」
縁側の向こうからギデオンの咳払いが聞こえた。休暇中なのに監視へ来ている。
「ありますよ、閣下」
「寝ていろ」
結局ギデオンも縁側へ座らせ、四人で昼食を取った。厨房が用意したのは黒パン、豆の煮込み、燻製肉。新しい兵站食の試作品らしい。
リーゼは肉を半分に切って俺の皿へ置く。
「兄は朝いっぱい死んだから食べないと」
「死んでいない」
「四度死亡と記録されています」
シュカが木陰から訂正した。
「食事中の報告は禁止したはずだ」
「これは会話です」
契約の穴を一日で見つけている。
休暇の兵たちは中庭で靴を直し、手紙を書き、昼から将棋に似た盤遊びを始めた。最初は休むことへ怯えていた者も、隣の班が問題なく勤務する姿を見て肩の力を抜いている。
バルトは子供たちに木剣を教えていた。口は悪いが一人ずつ握りを直し、転んだ子には真っ先に手を出す。
「あれが七つの組合を追われた男か」
「組織の評判と本人の価値は別でしょう」
ギデオンが豆を口へ運ぶ。
「それを証明する軍団になりつつあります」
「俺は安い人材を買い集めただけだ」
「はいはい」
雑に流された。
軍団の日常は騒がしい。
果たし合いを求める騎士。欠損を待つ錬金術師。働きながら忠誠を否定する軍師。記録を取るメイド。
誰一人、俺の安らぎにはならない。
昼食が終わる前にシュカが現れた。
「速報です」
西部の地図を広げる。
「被災地メルカ村へ勇者の隊が入りました」
指先が止まった。
アルヴィン。
三年後、俺を討つ男。
「なおメルカ村は旦那様の次の征服予定地です」
休暇は終わった。
「被災の規模は」
「井戸二か所に黒い粉。家畜六頭が衰弱。死者は未確認です。勇者隊は西部から直接入り、半日も休んでいません」
盤遊びの駒を動かしていた兵の手が止まる。
「休暇組は座っていろ。交代班だけ準備しろ」
「征服なら人数が」
「休暇を破って勝っても制度が負ける。足りない分は俺が考える」
バルトが立ちかけた兵の肩を押し戻した。
「聞いただろう。罰金を取られたくなきゃ休め」
口は悪いが副官の仕事をしている。
ベルナデッタは木剣を真剣へ替えていた。
「勇者と果たし合えますか」
「救援へ行く。絶対に斬るな」
リリウムは義眼用の魔力液を革袋へ詰め、リーゼは昼食を包む。ギデオンまで毛布を肩へ掛けて荷車を数え始めた。
「お前は残れ」
「準備と進言は労働に含まれますか」
「含む。寝ろ」
ヘルムートへ指揮を渡すとギデオンは引き下がった。制度は領主の都合でも曲げないから意味がある。
勤務班だけが隊列を作る。休暇組は水筒を渡し、馬の腹帯を確認した。
飯を食い眠った人間が、そのまま戦場へ行く。だから戻す場所を守らなければならない。
「一刻後に出る。メルカの人間も勇者隊も死なせるな」
「征服対象が増えましたね」
シュカを無視して剣を取った。
日常を守るため日常を離れる。果たし合いより難しい仕事が始まった。
今度の相手には勝つだけでは足りない。勇者に誤解されたまま、村だけを奪わなければならなかった。




