第12話:征服された村が一番安全
ノルド村を征服して三週間が過ぎた。
広場を埋めていた配給の列は消え、代わりに小さな市場が立っている。
無償配給から労働対価の食券へ移し、店が再開した区画では貨幣も使えるようにした。支援だけを続ければ在庫が尽きた瞬間にまた飢える。村の中で品物と金が動く状態へ戻さなければ復興とは呼べない。
避難所の天幕も半数が片づいた。
焼けた家の代わりに共同住宅を建て、家族ごとの空間を板壁で区切る。井戸は濾過層を交換して水質検査を通った。
「薬草畑の再建は南斜面から始めろ。東側は蝕の再接近に備えて空けておく」
俺は義眼で地面の魔力を確認した。
薄い青の流れに黒い濁りはない。視界へ直接情報が入る感覚にはまだ慣れないが、観測には役立つ。
「閣下、今週の移住申請です」
ギデオンが紙束を差し出した。
「多くないか」
「百八十七名です」
「村の人口の五分の一だぞ」
「近隣三村から家族単位で。さらに来週、二村の代表が視察を希望しています」
報告書には移住理由も記されていた。
『配給が身分ではなく世帯人数で決まる』
『井戸の水を毎週検査している』
『蝕が来ても領主が逃げなかった』
最後の一行へ視線が止まる。
「妙な評判が立っています」
「どんな」
ギデオンは別の紙を読み上げた。
「簒奪公の領は税を取られるが死なない。征服された村が王国で一番安全だ、と」
「褒めているのか、それは」
「比較対象が王国ですから」
笑えない冗談だった。
村の入口を見ると、本当に人の列ができている。荷車へ家財を積み、幼い子供の手を引いた家族たちだ。
受け入れれば住宅も食糧も足りなくなる。拒めば彼らは蝕の前兆がある土地へ戻る。
「全員を一度に入れれば、もともとの村民と揉めます」
ギデオンが申請書を村別に分けた。
「井戸と市場を使う人数が急に増え、耕地の割り当ても必要になる。善意だけで門を開ければ共倒れです」
「三日ごとに五十人ずつ入れる。先発には大工と井戸掘りを優先。受け入れ設備を作る者から受け入れる」
「残りを待たせる場所は?」
「旧関所を一時宿泊所へ変えろ。通行税を止めたぶん番兵の手が空いている。名簿作成と炊き出しを任せる」
領境で取り込んだ守備兵たちが、今度は移住者の入口を支える。
征服した場所と人間が、次の救援を可能にしていく。
小さな足場だが、原作のヴァイスにはなかった力だった。
領地は奪うほど広がり、支える手も同時に増えている。
この連鎖だけは何があっても途切れさせない。
必ずだ。
頭の中で必要量を計算する。
仮設住宅四十戸。共同炊事場二つ。井戸は現状で一日二百人分の余裕。農地を割り当てるまで三か月分の備蓄が要る。
「閣下。希望者へ何と伝えますか」
胸の紋章が答えを待っている。
「増えた人口は徴税対象だ。歓迎する」
移住者たちの顔が明るくなった。
「ただし働ける者は住宅建設へ参加しろ。職人は技能を申告。病人と子供は先に登録させる。勝手に野営して病を広げることは許さん」
「簒奪公様、ありがとうございます!」
「礼を言うな。将来搾り取るためだ!」
歓声が上がった。
なぜ悪役口上を重ねるほど喜ばれる。
ギデオンは眼鏡を押し上げた。
「広報として満点です」
「この流れはもうわかった」
ベルナデッタが移住者の荷車を誘導している。剣で脅しているように見えるが、実際は車輪がぬかるみに嵌まらない道を教えていた。
ただし、嵌まった車輪を持ち上げる腕はいつも左だ。ノルドの夜に裂かれた右肩はまだ上がりきらないらしい。本人は何も言わないが、朝の素振りが一拍遅れていることはシュカの記録が数字で暴いていた。
「治るまで前衛は半分にしろ」
「では完治した暁には二倍働きます」
話の通じない忠誠だが、命令だけは通った。
リリウムは村外れへ勝手に観測器を立てている。
「義眼の信号を拾う装置よ。記録が溜まれば蝕の動きを予測できるかも」
「先に許可を取れ」
「取ったわ」
「誰に」
「わたしに」
撤去させようとしたが有用なので残した。城の工房もこの調子で占領されたのだろう。
リーゼは新しく来た子供たちへ焼き菓子を配っている。
左側から笑い声が聞こえた。
義眼を向ける。楽しそうに駆け回る姿は鮮明だ。体温だけがない。
俺は意識して体ごと向きを変え、生身の右眼でも同じ景色を見た。
この動作もいつか癖になるのだろう。
「旦那様。本日、妹君を右眼で確認した回数は六回です」
背後から声がした。
「いきなり現れるな、シュカ」
「三呼吸前からおりました」
「それをいきなりと言う」
黒髪のメイドは手帳へ何かを書き足す。
「本日の旦那様。移住者百八十七名を徴税対象として歓迎。受け入れ用住宅の必要数を十一秒で算出。善行を悪く言い換える逡巡、一・三秒」
「その記録を何に使う気だ」
「後世へ残します」
「残すな」
「承知しました。発言も記録します」
何ひとつ承知していない。
その夜、村長宅で復興会議を終えた。
市場の税は半年免除。農具は領から貸与し、収穫後に現物で返す。移住者の技能台帳はギデオンが城へ持ち帰る。
着実に征服地が形になっていた。
王国を奪うための最初の足場。
そして俺が左眼を置いてきた土地だ。
窓から市場の灯を見る。右眼には暖かな橙色。義眼には火を巡る魔力の線まで見えた。
どちらも同じ景色で、同じではない。
俺は窓を閉じた。
◆
夜のノルド村で、老人は孫へ毛布をかけた。
三週間前まで、その毛布も寝床もなかった。熱を出した孫を抱き、閉じられた関所を遠くに見ることしかできなかった。
「おじいちゃん。簒奪公様は悪い人なの?」
孫が小さな声で訊いた。
「ご本人はそう仰ってるなあ」
「私たちをいじめる?」
「俺たちを搾取するために生かすそうだ」
老人は新しい窓の外を見る。
夜警の兵が二人、決められた道を巡回している。井戸には清潔な蓋がつき、倉には明日配る種麦が積まれていた。
「だから病気になれば薬をくださる。家が焼ければ建て直してくださる。蝕が来れば、眼をひとつくれて追い返してくださる」
「搾取するため?」
「そうらしい」
孫は難しい顔で考え込んだ。
「じゃあ、ずっと搾取してもらえる?」
老人は笑った。
「ありがたいことだよなあ」
窓辺に置かれた征服布告が夜風に揺れる。
『よって全員、生きよ』
悪の口上は、その家で祈りの言葉になっていた。
◆
王都エルデ。聖蓋府。
窓のない執務室へ東方からの報告書が積まれていた。
『聖蓋府東方監察記録・第二七四号』
『王暦一〇二四年、春月二十一日』
『分類:辺境諸侯動静/緊急度乙』
『逆賊ヴァイス・レーゲンハルト、ノルド村へ侵攻』
『旧領主の不在に乗じ、被災地を不法に併合』
『食糧配布と防疫を用いて村民を懐柔。近隣領から人口流入あり』
『正体不明の魔性形態を確認。蝕の局地的後退との関連を調査中』
白い手袋をはめた手が最後の一枚を取る。
報告書の隅には、義眼をつけたヴァイスの似姿が描かれていた。
手はしばらく絵の上で止まる。
やがて赤い印章が押された。
『要監視』
さらに一段強い判が重なる。
『王国秩序への脅威』
◆
翌朝、ギデオンが地図へ新しい黒旗を立てた。
ノルド村。征服地第一号だ。
「閣下、次の征服地候補が三つあります」
「もうか」
「向こうから征服を求めていますので」
差し出された三通の嘆願書には、いずれも似た一文があった。
『我らを簒奪公閣下の徴税対象にお加えください』
「国の言葉として何かが間違っていないか」
「効率的で結構です」
ギデオンはもう一枚の書類を出した。
「ところで、そろそろあのメイドを正式雇用なさっては?」
「まず素性を調べろ」
「調べました。大陸規模の諜報網がついてきます」
「なぜメイド一人にそんなものがついてくる」
扉の横を見る。
いつからいたのか、シュカが雇用契約書を持って立っていた。
「旦那様。署名欄はこちらです」
王国に目をつけられ、征服希望の村が増え、正体不明のメイドには逃げ道を塞がれている。
俺の簒奪は順調なのかもしれない。
少なくとも平穏からは確実に遠ざかっていた。




