第11話:義眼の初仕事
「帰れ」
俺は城門で見知らぬ女へ告げた。
「嫌よ」
即答された。
女は俺の左側へ回り込み、光を失った眼を覗こうと背伸びする。近い。薬草と金属、それから微かに焦げた髪の臭いがした。
「眼窩は綺麗に空になってる。傷も血も残さず部位だけを奪うのね。素敵」
「人の欠損を見て素敵と言うな」
「だって大陸で誰も見たことがない壊れ方よ」
会話が成立しない。
「リリウム殿。診察は室内でお願いします」
ギデオンが女の白衣を掴み、俺から引き離した。
「知り合いか」
「リリウム。錬金術師です。大陸で唯一、契約魔術による代償部位を人工物で代替できる」
「こういう時のために呼んでいたのか」
「ええ」
「俺が眼を失う前から?」
「備えとは必要になる前にするものです」
手回しがよすぎて怖い。
リリウムはギデオンの手を振りほどき、器具箱を掲げた。
「工房はどこ?」
「ない」
「じゃあ作るわ。採光がよくて水場に近く、床を焦がしても怒られない部屋をちょうだい」
「最後の条件に合う部屋はない」
「なら床も替える」
城へ入って一刻後、客間が錬金工房へ変わった。
寝台は廊下へ出され、代わりに金属の作業台が据えられる。窓には遮光板、壁には用途のわからない管が並び、使用人たちはリリウムの指示に押されて水樽と炉まで運び込んでいた。
「誰がここまで許可した」
「わたし」
「城主は俺だ」
「患者は黙って座る」
金属椅子へ押し込まれた。
ベルナデッタとは違う種類の強敵だ。
リリウムは俺の顎を固定し、左眼へ細い光を当てた。角度を変え、顔の幅を測り、瞼の動きを紙へ書き込む。
一刻経っても終わらない。
「採寸にしては長くないか」
「観察してるの」
「何を」
「壊れたところと、まだ壊れていないところの境目」
金色の瞳が楽しそうに細められる。
「素敵。あなた、これからどんどんわたしの作品になっていくのね」
「ならない」
「次は腕かしら。脚もいいわ。骨格が綺麗だから置換しがいがある」
「人の体で将来設計をするな」
笑いながら雇用契約書を差し出された。
報酬は高いが払えない額ではない。研究設備と材料は領で用意する。成果物の所有権は共同。
最後に小さな字で一行増えている。
『雇用主の破損時、リリウムは優先して修復する権利を有する』
「勝手に条項を足すな」
「大事な契約よ」
「破損という表現もやめろ」
「では欠損?」
「どちらも嫌だ」
結局、緊急治療の優先権という文言へ直させた。意味はほぼ同じだが気分の問題である。
三日間、工房から金属音と爆発音が続いた。
一度は青い煙が廊下を埋め、使用人が避難した。
「安全なのか」
「失敗は十四回まで想定内よ」
「いま何回目だ」
「十四回目」
「次は想定外じゃないか!」
十五回目の爆発は起きなかった。
完成した義眼は銀の台座に置かれていた。
外見は生身の眼とほとんど変わらない。灰色の虹彩だけが薄い金属光沢を帯び、中心に微細な術式が刻まれている。
「《観測の左眼》。視力は元どおり。暗所補正、遠距離拡大、それから魔力の流れが見えるわ」
「多すぎないか」
「元より高性能にするのが、わたしの矜持」
装着は痛みより違和感が強かった。
冷たい器具が眼窩へ触れ、細い糸のような魔力が神経へ接続される。白かった左側へ輪郭が戻った。
最初に見えたのはリリウムの笑顔だ。
「見える?」
「近すぎる」
顔を押しのけ、部屋を見る。
右眼と変わらないほど鮮明だ。意識を集中すると壁の中を通る魔力管が青い線になって浮かび、炉の火は赤ではなく幾重もの魔力の層として見えた。
「歩いてみて」
床へ白と黒の木片がばら撒かれる。
「白だけ踏んで向こうまで」
「子供の遊びか」
「新しい眼で歩く訓練。転んで義眼を壊したら、二個目を作れてわたしは嬉しいけど」
「絶対に転ばない」
最初の一歩で黒を踏んだ。
映像は鮮明でも左右の視差を脳が処理できていない。義眼側の情報がわずかに早く届き、床が傾いたように見える。
十往復してようやく真っ直ぐ歩けた。
次は投げた布球を受け取る。暗い部屋で文字を読む。遠くの時計の針を拡大して数える。
視力そのものは生身を超えていた。
「魔力視は意識して切り替えて。常時使うと人の体まで線の束に見えて気分が悪くなるわ」
「経験があるような言い方だな」
「試作品を自分につけたことがあるの。三日寝込んだ」
「先に言え」
「言ったらつけないでしょう?」
当然だ。
義眼の奥に淡い熱がこもる。リリウムが細い器具で術式を調整すると、左右のずれが少し減った。
「記録層も問題なし」
「記録?」
「調整記録よ。どの光量で焦点がずれたか残しておけば次回に役立つでしょう」
義眼の虹彩が一度だけ細く収縮した。
「俺の見たものを勝手に残す機能ではないだろうな」
「まさか」
返事が半呼吸遅い。
「こちらを見ろ、リリウム」
「次は遠距離拡大の試験をしましょう」
「目を逸らすな」
記録機能の仕様書は材料名まで細かく提出させた。リリウムは不満そうだったが最後には署名する。
それでも何かを書き忘れたような顔をしていた。
嫌な予感は消えない。
俺は整備時だけ義眼を外せる構造にするよう求めた。着脱には専用器具と鍵が必要で、その鍵は俺が持つ。就寝中に勝手に調整されてはたまらない。
「眠っている顔も貴重な資料なのに」
「やはり何か仕込んだな?」
「調整を続けましょう」
今度は明らかに目を逸らした。
「完全には馴染まないのか」
「神経へ直接つないだものではないからね。眼窩の周囲から魔力信号を拾って、映像へ変えているの。生身と同じ感覚にはならないわ」
高性能でも代用品だ。
その境界だけは消せないらしい。
「これは使える」
「でしょう?」
「蝕の流れも見えるか」
「実物で調整が必要ね。今度壊れに行くとき連れていって」
「壊れに行く予定はない」
工房の扉が開いた。
リーゼが恐る恐る顔を覗かせる。
「お兄さま、入っていい?」
「ああ」
駆け寄った彼女は俺の左眼を見上げた。
「痛くない?」
「もう痛まない」
「ちゃんと見える?」
「前よりよく見えるほどだ」
リーゼの顔が明るくなる。
「よかった」
その笑顔を義眼は正確に映した。
瞳の青。頬に残った小麦粉。安堵して下がる眉尻。
すべて見える。
なのに何も感じない。
魔力の流れや輪郭と同じ、情報としての映像だ。妹の笑顔に伴うはずの温かさが左側だけ抜け落ちている。
俺は顔を右へ向けた。
生身の右眼で見直す。
そこでようやくリーゼの顔になった。
「お兄さま?」
「調整中だ。焦点が合わなかった」
嘘をついた。
リリウムは何も言わない。先ほどまで浮かべていた笑みだけが消えている。
夕食後、ギデオンが報酬の確認に来た。
「予定額の三倍ですが支払いますか」
「払え。技術には相応の対価が要る」
「リリウム殿を高く評価しておられると?」
胸の紋章がわずかに疼く。
「壊れた道具を直す整備費だ。今後の戦力維持に必要な投資にすぎん」
ギデオンは眼鏡へ指をかけ、いつもの言葉を出しかけて、やめた。
「……本日は、広報の採点を控えます」
「どうした」
「数字に強いだけの男にも、値のつけられない支出はあります」
彼は帳簿を閉じ、一礼して出ていった。忠誠を誓わない男の、あれが精一杯の何かだったのかもしれない。
廊下の壁にもたれていたリリウムが笑った。
「ええ。壊れるたび、わたしを呼んで」
「その言い方をやめろ」
工房を出ると黒髪のメイドが待っていた。
見覚えはある。雇った覚えはない。
彼女は完璧な角度で一礼し、湯気の立つ茶を差し出した。
「本日の旦那様。義眼の調整中、ため息九回。妹君を右眼で見直すまで二・一秒。記録しました」
「待て」
「はい」
「誰だ、お前は」
メイドは初めて名乗る機会を得たように微笑んだ。
「シュカとお呼びください。詳細は後日、旦那様の予定に空きがある二分間で」
一礼して去っていく。
止める暇もなかった。
「俺の予定まで把握しているのか……?」
義眼で廊下の先を見る。
彼女の姿はもう消えていた。




