未来への期待
その夜、蓮は眠れなかった。
四十九日。
頭の中で何度も繰り返される。
七月十五日。
八月が終わる頃。
九月の頭。
夏が終わる頃。
数字が、時計の秒針みたいに胸を刻む。
「鈴」
暗闇の中で呼ぶ。
少し間があって、
「なに」
声はある。
だが、もうはっきり分かる。
薄い。
風に揺れる糸みたいに、か細い。
「消えるのか」
真正面から訊いた。
逃げない。
逃げたら、次に口にできる気がしなかった。
鈴はしばらく何も言わない。
静寂が重い。
耳の奥で自分の心臓の音だけが鳴る。
やがて、鈴が小さく笑った。
「分かんないって」
前と同じ言葉。
でも今回は誤魔化しじゃない。
弱いまま、正直な音だった。
「でもね」
鈴が続ける。
「ずっといるわけじゃないのは、分かってる」
その一言で、胸の奥がきつく締まる。
蓮は拳を握る。
握っていないと、指先から崩れそうだった。
「なんでそんな平気なんだよ」
声が震えた。
鈴は少しだけ考えるように間を置く。
「平気じゃないよ」
静かに言う。
「でも、泣いても変わらないし」
その声がやけに大人びて聞こえる。
「それより、蓮が前向いたほうがいい」
天井を睨む。
闇の中の天井なんて見えないのに、睨まずにいられない。
「俺は」
言葉が詰まる。
雫と夏祭りに行く。
きっと楽しい。
きっと嬉しい。
でも。
鈴が消えるかもしれないのに。
「俺、どうすればいい」
弱音が零れた。
情けないくらい、素直に。
鈴はほんの少しだけ優しくなる。
「好きにすればいい」
「好きにって」
「雫ちゃん、好きなんでしょ」
胸が跳ねる。
否定できない。
否定するだけの力がない。
鈴が静かに言う。
「だったらちゃんと向き合いなよ。蓮、逃げ癖あるから」
甘い声なのに、叱り方が優しい。
撫でながら背中を押してくるみたいだ。
その落ち着きが、妙に引っかかった。
まるで鈴自身は対象外みたいに。
最初から、選択肢に入っていないみたいに。
蓮は初めて、その違和感をはっきり感じる。
「鈴」
鈴の気配が、ぴくりと揺れる。
「なに」
「お前は、どうなんだよ」
言ってしまった。
沈黙。
長い。
蓮は息を詰めて待つ。
やがて鈴が、いつもの軽さを無理に作る。
「何が?」
誤魔化している。
はっきり分かる。
「俺が雫と付き合っても平気なのか」
心臓が強く打つ。
残酷な問いだって分かっている。
でも聞かずにいられない。
沈黙。
長い。
外で風が鳴る。
風鈴が小さく鳴った。
ちりん。
鈴はゆっくりと言う。
「平気だよ」
声が揺れている。
すぐ分かる。
「蓮が幸せなら」
また、その言葉。
幸せなら、それでいい。
自分は消える前提で。
蓮の胸に、明確な違和感が生まれた。
罪悪感じゃない。
恐怖でもない。
もっと直接的な感情。
「ふざけんな」
ぽつりと漏れた。
鈴が驚く。
「なに」
「なんでお前が、そんな引いた位置なんだよ」
言葉が止まらない。
「ずっと一緒だったのはお前だろ」
胸が熱い。喉が痛い。
「俺のこと一番知ってるのも、お前だろ」
鈴は黙る。
初めて、完全に言葉を失った。
蓮は続ける。
「なんでお前が、俺の幸せが一番みたいな顔してるんだよ」
呼吸が荒い。
心臓が痛い。
鈴の気配が震えている。
「蓮」
かすれた声。
「だって」
言葉が止まる。
初めて、鈴が迷っている。
「だって、私」
そこで止まる。
それ以上言わない。
言えない。
蓮の胸の奥が強く軋む。
何かに気づきかける。
でも、まだ言葉にならない。
「俺」
声が震える。
「俺、雫のこと好きだと思ってた」
正直に言う。
鈴が微かに揺れた。
「うん」
小さく返事が返る。
「でも」
蓮は息を吸う。
「お前がいなくなるって思ったら」
胸が痛い。
言葉が詰まる。
「なんでこんなに怖いんだよ」
沈黙。
長い。
やがて、鈴が小さく笑った。
泣くのを堪えるみたいな笑いだった。
「蓮、やっと分かってきた?」
その言葉に胸が跳ねる。
分かってきた。
何を。
鈴はそれ以上言わない。
ただ、静かにいる。
気配が少しだけ温かい。
けれど薄い。
蓮は初めて、はっきり理解し始める。
雫といるときのどきどき。
それは未来への期待だ。
鈴を失うかもしれないときの痛み。
それは、今まで当たり前だった存在を失う恐怖だ。
その二つは質が違う。
そして。
鈴に向けている感情が、ただの幼馴染で済まないことに。
まだ言葉にはならない。
でも確実に、芽が出ている。
外で風鈴が鳴る。
ちりん。
その音が、やけに胸に響いた。
夏はまだ続く。
けれど、蓮の中ではもう何かが決定的に変わり始めていた。




