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夏が終わる前に、君は消える  作者: きなこもち
夏が終わる前に、君は消える

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後戻りはできない


翌朝。


目が覚めた瞬間、胸が重かった。


昨夜の会話が、何度も頭の中で再生される。


アンタが幸せなら。

鈴の声。

あれは強がりだ。


蓮はようやくはっきり理解していた。


ずっと一緒にいた。

喧嘩もした。

くだらないことで笑った。

受験前、夜遅くまで電話もした。

鈴はいつも隣にいた。


それを当たり前だと思っていた。


けれど。

当たり前じゃなかった。


「鈴」


呼ぶ。


少し間。


「なに」


声はある。

だがやっぱり薄い。

霧の向こうから聞こえるみたいだ。


「今日さ」


蓮は言葉を選ぶ。


「一日、俺のためじゃなくていい」


沈黙。


「は?」


鈴が少し戸惑う。

普段なら突っ込むのに、声が弱い。


「雫のこととか、俺のこととか考えなくていい」


蓮は天井を見つめたまま言う。


「お前はお前でいろよ」


空気が止まる。


鈴の気配が、わずかに震える。


「何それ」


いつもの軽口のトーンに戻そうとしている。

でも揺れている。


「意味分かんない」


「分かんなくていい」


蓮は小さく息を吐く。


「俺、ずっとお前に頼ってた」


鈴は何も言わない。


「でも、それってさ」


言葉が喉に詰まる。


「お前を消耗させてるってことだろ」


その一言で、沈黙が重くなる。


鈴がゆっくり言う。


「消耗なんてしてないよ」


即答。

でも強すぎる。

無理に笑おうとしている感じがする。


「してる」


蓮はきっぱり言う。


「分かる」


初めて、はっきりと。


鈴は黙る。

言い返さない。

それが答えだった。


蓮の胸が、きゅっと痛む。


「ねえ」


鈴が小さく言う。


「優しくしないで。泣いちゃうから」


甘えるみたいな言い方なのに、声が震えていた。


---


学校。


校門の前で、雫が待っていた。


「おはようございます、蓮くん」


今日も姿勢がきれいだ。

挨拶の言葉が丁寧で、声が落ち着いている。

制服の襟元も整っていて、髪もきちんとまとめられている。


送迎の車が去っていくのが見えた。

黒い車体。運転席の大人はスーツ姿。

雫はそれを特別なことだと思っていない顔で、当然のように歩いてくる。

家庭の違いが、無言のまま伝わってくる。


「おはよ」


蓮は自然に返した。


今日は鈴の指示を待たない。


自分で目を合わせる。

自分で話す。

自分で、逃げない。


雫がいつものように笑いかけてくる。


「夏祭りのこと、少し調べてみましたの」


「うん」


自然に答える。


鈴は静かだ。

時々、小さく頷く気配があるだけ。


それが逆に寂しい。


教室でも、雫の言葉は丁寧で柔らかい。


「浴衣は、祖母が選んでくださるそうです。少し緊張します」


「祖母」


「はい。家の決まりごとにうるさい方で」


言い方は控えめなのに、生活の輪郭が見える。


俺の家には、そういう決まりはない。

その差が眩しい。


でも雫は、俺を見下したりしない。

それが余計に、俺を苦しくさせる。


---


放課後。


隼人がまた声をかけてきた。


サッカー部帰りで、首筋が汗で光っている。

女子の視線が自然に集まるのに、本人は気にしない顔だ。


「今週末、祭りだろ」


「ああ」


「雫と行くんだろ」


何で知ってる。


隼人は笑う。


「噂回るの早いんだよ」


それから、少し真面目な顔になる。


「蓮」


「なんだよ」


「ちゃんと選べよ」


その一言がやけに重い。


「どっちつかずが一番後悔する」


胸がざわつく。


「何の話だよ」


隼人は肩をすくめる。


「さあな」


でも目は真っ直ぐだった。


蓮は理解する。


隼人は何か察している。

鈴のことは知らないはずなのに、俺の迷いの形だけは見えている。


---


夜。


日記を開く。


《今日、鈴に頼らなかった》


書いて、少し止まる。


返事がすぐに来ない。


やがて、ゆっくり文字が浮かぶ。


《えらいじゃん》


線が細い。

でも少しだけ整っている。


《でも無理しすぎるなよ》


蓮はペンを握り直す。


《お前はどうなんだ》


沈黙。


長い。


風が吹く。

風鈴が鳴る。


ちりん。


やっと、文字が浮かぶ。


《私は平気》


またその言葉。


蓮は強く書く。


《嘘つくな》


ペン先が紙を強く削る。


しばらく何も起きない。


やがて、ゆっくりと文字が現れる。


《ちょっとだけ怖い》


その一文で胸が締めつけられる。


初めてだ。

鈴が弱音を吐いた。


《何が》


すぐに書く。


沈黙。


そして。


《消えるの》


その三文字が紙に滲む。


蓮の呼吸が止まる。


鈴は続ける。


《全部なくなるの、やっぱり怖い》


今まで強がっていた。

明るく振る舞っていた。

プロデュースする側に回っていた。


でも。


本当は怖い。


当たり前だ。


死んだのは鈴だ。

消えるのも鈴だ。


なのに、ずっと俺を優先してきた。


胸がきつく痛む。


蓮は震える手で書く。


《消えない方法ないのか》


即答はない。


やがて。


《分かんない》


《でも》


少し間を空けて。


《アンタの中にいるなら、少しは残るかもね》


その言葉が、やけに優しい。

慰めなのに、覚悟にも聞こえる。


蓮はペンを置く。


胸の奥で、何かがはっきり形を持ち始める。


雫が好きだと思っていた。

確かに好きだ。

笑うと嬉しい。

手が触れるとどきどきする。


でも。


鈴が消えると想像すると、呼吸ができなくなる。


その違いはもう誤魔化せない。


「鈴」


声に出す。


「なに」


かすれた声。


「俺さ」


喉が震える。


「まだ分かんねえけど」


正直に言う。


「多分、間違ってた」


鈴は静かに待つ。

急かさない。

いつもそうだ。


「俺、雫だけ見てるつもりだった」


呼吸が荒くなる。


「でも」


胸が痛い。


「お前のこと、考えない日なかった」


沈黙。


長い。


やがて、鈴の声が震える。


「それ、ずるい」


小さな笑い混じり。


「今言うの。私、心の準備してない」


甘えるみたいな言い方。

でも、声が泣きそうだ。


蓮は苦く笑う。


「今しかない」


外で風が鳴る。

風鈴が鳴る。


ちりん。


その音がどこか切ない。


夏祭りまで、あと三日。


カレンダーの丸が、やけに重い。


四十九日という言葉が、頭から離れない。


時間は確実に進んでいる。


そして。


蓮の中で、もう一つの感情がはっきり芽を出し始めていた。


それはまだ好きという言葉にはなっていない。


けれど。


もう後戻りはできないところまで来ていた。


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