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夏が終わる前に、君は消える  作者: きなこもち
夏が終わる前に、君は消える

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帰り道


校門を出ると、夕方の空気は少しだけやわらいでいた。


それでも熱は残っている。

アスファルトは昼の名残を抱えたまま、足元からじんわりと熱を伝えてくる。


雫は俺の隣を歩いている。


それだけで心臓がうるさい。

自分の鼓動が、歩幅に合わせて胸の内側を叩き続ける。


距離は肩ひとつ分。


近いわけじゃない。

遠いわけでもない。

触れそうで触れない、どこか品のある間隔だ。


雫は空を見上げ、襟元を指先で軽く押さえた。

仕草が小さく、無駄がない。指の動きさえ丁寧で、育ちの良さが滲む。


「暑うございますね。日差しがまだ強くて」


言葉の選び方が柔らかい。

普通なら「暑いね」と言うところを、雫は自然にそう言う。


「うん」


俺は短く答えた。


会話が続かない。

いつもならここで沈黙が落ちて、気まずさに負けて終わる。


その瞬間、頭の奥で鈴がせかせかと声を上げた。


「ほらほら、何か言いなさい。黙ると怖い人に見えるよ、蓮」


「怖い人には見えないだろ」


「見える。たまに目が死んでるもん」


心に刺さる。反論できない。


「雫ちゃん、今日髪を結ってるよ。そこ褒める。今。すぐ」


俺は一瞬だけ雫の横顔を見る。


確かに、いつもより高い位置で結ばれている。

淡い色のリボン。髪が揺れるたび、小さく光をはじく。

首筋が少し見えていて、うなじが涼しげだ。


「髪、いつもと違うんだな」


我ながらぎこちない。

褒めるというより報告みたいだ。


雫がぱっとこちらを向いた。

驚きというより、ほっとしたような目。


「気づいてくださったのですか」


視線を逸らしかけた瞬間、鈴が甘い声で叱ってくる。


「だめ。逸らしたら、私が拗ねる。目を見て言うの」


なんでお前が拗ねるんだよ。


俺は踏みとどまる。喉の奥が熱くなる。


「似合ってると思う」


言った。


自分で言って、自分が一番驚いた。

こんな言葉、俺の口から出ると思っていなかった。


雫の頬がほんのり赤くなる。

彼女は目を伏せるようにして、両手を軽く重ねた。

育ちのいい子が照れると、こういう仕草になるんだと妙なところで感心する。


「ありがとうございます。そうおっしゃっていただけると嬉しいです」


胸の奥がきゅっと締まる。


鈴が嬉しそうに小さく笑った。


「えらい。蓮えらい。今の一言、百点」


俺は何も言い返せない。

ただ、足取りが少しだけ軽くなる。


コンビニの前で雫が足を止めた。


「よろしければ、少しだけ寄ってもよろしいですか。冷たいものをいただきたくて」


「もちろん」


店内の冷気が火照った身体に心地いい。

雫はアイスの棚の前でしゃがみ、真剣な顔で並んだ商品を見比べる。

その所作が丁寧で、しゃがむ動作ひとつも静かだ。


「どれにいたしましょう。迷ってしまいます」


呟きが可愛いのに、言葉が上品すぎて現実味がない。


頭の奥で鈴が、甘えるみたいに囁いた。


「蓮も買いなよ。一緒に食べよ。ラムネアイスがいい」


「なんでラムネ」


「雫ちゃん、好きだよ。前にね、文化祭の打ち上げで食べてた。小さく『おいしい』って言ってたの。可愛かった」


観察力が怖い。

俺はそんな細かいこと、何一つ覚えていない。


「そ、そうなんだ」


「そうなの。だから合わせる。こういうのが効くの。ほらほら」


俺は棚からラムネアイスを一本取った。


雫が振り返る。


「あ、ラムネ。私もそれにしようかしら」


言い方が自然に「かしら」になるのが、お嬢様だ。


胸の奥がじわりと温かくなる。

同じものを選ぶだけで、勝手に特別みたいな気がしてしまう。

俺は単純だし、都合よく浮かれてしまう。


鈴が満足そうに言った。


「ね。言ったとおり」


会計を済ませ、外に出る。


夕焼けが広がっている。

オレンジ色の光が街を柔らかく染め、雫の髪の輪郭まで淡く輝かせる。


二人でベンチに座る。


ラムネアイスの袋を開けると、炭酸の匂いがほのかに漂う。

雫は袋の端をきちんと整え、袖が汚れないように指先で丁寧に押さえながら一口かじった。


「まあ、涼しい味がいたします」


上品な感想だ。

俺が同じ状況なら「うまい」で終わる。


雫がゆっくり口を開いた。


「蓮くん」


呼び方が丁寧で、名前だけで背筋が伸びる。


「以前より、よくお話ししてくださるようになりましたね」


心臓が止まりそうになる。


「そう、かな」


自信がなくて、声が弱くなる。


雫は小さくうなずく。


「はい。以前は、目も合わせてくださいませんでした」


痛い。

そのとおりだ。俺は逃げていた。

自分のことを低く見積もって、先に諦めて、傷つかないようにしていた。


雫の問いかけは優しい。


「何か、ございましたか」


頭の奥で鈴が静かに言う。


「無理に言わなくていいよ。雫ちゃん優しいから。今は曖昧で大丈夫」


俺はアイスを見つめる。

溶け始めて、袋の内側に小さな水滴ができている。


鈴がいるなんて言えない。

言ったら雫を困らせる。怖がらせる。

俺はそういうことをする人間だと思われたくない。

というか、そもそも信じてもらえるわけがない。


「少し、考えたんだ」


それだけ答えた。


雫はしばらく俺を見てから、小さく微笑んだ。


「そうですか。考えることは大切ですもの」


それ以上踏み込まない。

相手を追い詰めない距離感が、雫の品の良さだ。


帰り道。


夕焼けは薄れ、空は群青色に変わっていく。

風が少し涼しい。


ふと、雫の手が俺の手に触れた。


偶然かもしれない。

でも、その一瞬で心臓が跳ねる。


雫も驚いたように手を引き、頬を染める。


「申し訳ありません。私、不注意で」


「いや、大丈夫」


沈黙が落ちる。

でも、悪い沈黙ではない。

言葉が見つからないだけの沈黙だ。


頭の奥で鈴が少しだけ静かになった。

いつもなら茶化してくるのに、今日は何も言わない。

それが妙に気になる。


雫の家の前に着く。


門が立派だ。

低い塀の向こうに手入れの行き届いた庭が見える。

灯りの漏れる玄関は、外からでも品が伝わる。


雫が立ち止まり、姿勢を正す。


「本日はありがとうございました。ご一緒できて、とても楽しかったです」


「こちらこそ」


言葉が足りない。

でも、目は逸らさない。

さっき鈴に叱られたのが、まだ効いている。


雫が少しだけ近づく。

距離が昨日より近い。

香水ではない、石けんみたいな清潔な匂いがふわっとする。


「また、ご一緒に帰っていただけますか」


「もちろん」


即答してしまう。


雫はほっとしたように笑い、控えめに手を振って門の中へ入っていった。


その背中を見送りながら、胸の奥がざわつく。


嬉しい。

確かに嬉しい。


なのに、足りない。

なぜか満たされ切らない。


家に入り、自室に戻る。


机の上の日記を開く。

白いページ。ペンを握る。


《今日、雫と帰った》


書く。

少し間を空けて、また書く。


《似合ってるって言えた》


ページを閉じようとした瞬間、ペン先が勝手に動いた。

いや、動かされた感覚だった。


《アンタ、ちゃんとできたじゃん。偉い》


鈴の字だ。

丸くて、勢いがあって、少し跳ねる。鈴そのもの。


俺は息を止める。


「いつの間に書いたんだよ」


頭の奥で鈴が、さらりと言う。


「さっきちょっと出た。ほんのちょっと。書きたくなっちゃった」


「疲れてないのか」


胸がざわつく。


鈴は甘えるみたいに笑う。


「平気だよ。私、強いもん。ねえ褒めて。強いって言って」


「今それどころじゃない」


「ひどい。私、頑張ったのに」


拗ねた声が可愛くて、余計に胸が苦しくなる。


俺はページを見つめる。


鈴の文字は確かにそこにある。

インクはまだ乾いていない。触れると指先にひんやりした感触が残る。


外で風鈴が鳴った。


ちりん。


その音に胸が締めつけられる。


「鈴」


俺は小さく呟く。


「なんで、俺なんだよ」


鈴が少し黙る。


それから、いつもの調子に戻そうとして明るく言う。


「アンタだからだよ」


でも、どこか柔らかい。


「アンタ、私のこと放っとかないじゃん。昔からさ」


胸の奥が強く打つ。


俺は言葉を失う。


鈴は続けない。

ただ、静かにいる。

それが逆に、鈴の本音に触れたみたいで怖い。


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