違和感
白い光が、ゆっくり闇に沈んでいく。
意識が浮上すると、最初に聞こえたのは蝉の声だった。
耳鳴りみたいに、頭の奥で響いている。
天井が白い。
薬品の匂い。
電子音。
病院だ。
身体が重い。
まぶたが乾いている。
「鈴」
喉がひりつく。
返事はない。
当たり前だ。
だって、鈴は――
「はあ?」
いきなり、聞き慣れた声が響いた。
近い。
近すぎる。
耳元じゃない。
外でもない。
「なんで起きて早々、私の名前呼んでんの」
心臓が跳ねる。
俺は勢いよく身体を起こそうとして、視界がぐらついた。
「ちょ、無理すんなって。今アンタ、包帯ぐるぐるだから」
頭の奥で、鈴が喋っている。
はっきりと。
いつもの調子で。
「夢か」
「失礼な」
即答。
「死んだ直後に夢扱いとか、デリカシーなさすぎ」
息が止まる。
死んだ。
自分で言った。
「お前」
声が震える。
「死んだって分かってんのか」
一瞬、沈黙。
ほんの一瞬だけ。
そして、鈴は明るい声を作った。
「分かってるよ」
軽い。
でも、少しだけ薄い。
「トラック、ドーンだったね」
笑おうとする。
けれど、その笑いはいつもより小さい。
胸が締めつけられる。
「なんで喋ってんだよ」
「知らない」
素直だ。
「気づいたら、ここ」
頭の奥で、指を鳴らすような仕草が浮かぶ。
「アンタの中」
背筋が冷える。
「は?」
「だから、入ってるって。今」
冗談みたいに言う。
でも、声は確かに鈴だ。
間も、イントネーションも、全部。
「頭打っておかしくなった?」
「お前だろ」
「ひど」
いつもの言い合い。
それが、逆に現実味を増す。
「触れるか」
俺は自分の腕をつねる。
痛い。
「私に?」
「違う。俺に」
「変な確認すんな」
呆れた声。
でも、少しだけ安心しているようにも聞こえる。
「とりあえずさ」
鈴が言う。
「泣く?」
「泣いてねえよ」
即答する。
嘘だ。
喉が詰まっている。
目の奥が熱い。
「泣いていいよ」
小さく言う。
「私、今アンタの中にいるから」
その言葉が、刺さる。
泣いたら、本当に死んだことになる。
だから、泣かない。
俺は唇を噛む。
「なんで俺なんだよ」
本音が漏れる。
「俺じゃなくてもよかっただろ」
鈴は少し黙る。
そして、ぽつりと言う。
「アンタだからだよ」
軽くない。
ちゃんとした声。
胸の奥が、ぎゅっと縮む。
「意味分かんねえ」
「私も分かんない」
正直だ。
「でもさ」
少し間を置く。
「夏、始まったばっかじゃん」
その言い方が、鈴らしい。
「私、夏好きだし」
声が、少しだけ弾む。
「だからさ、まだ終わらせたくない」
俺は天井を見つめる。
白い。
まぶしい。
「終わってるだろ」
鈴は、少しだけ怒った。
「終わってない」
きっぱり言う。
「私がいる間は、終わってない」
その言葉が、強い。
「いる間って、いつまでだよ」
沈黙。
長い沈黙。
鈴も分かっていない。
「分かんない」
小さく言う。
「でも」
声を整える。
「私、アンタにやらせたいことあるし」
「何だよ」
「雫」
即答。
心臓が跳ねる。
「は?」
「好きなんでしょ」
鈴の声が、少しだけ楽しそうになる。
「このタイミングで恋バナかよ」
「死んだ直後だからこそだよ」
軽い。
でも、その奥に何かある。
「私さ」
鈴が、少しだけ静かになる。
「アンタがずっと後ろ向いてるの、嫌だった」
胸が痛い。
図星だ。
「うるせえ」
「うるさくない」
優しい声。
「ちゃんと前向いて」
その言葉に、あの日の交差点が重なる。
楽しくしなよ。
あの言葉の続きみたいだ。
「プロデュースしてあげる」
鈴が明るく言う。
「冴えない男子、改造計画」
「冴えないは余計だろ」
「事実」
ぐさりと刺さる。
でも、笑ってしまう。
少しだけ。
ほんの少しだけ。
胸の重さが、軽くなる。
「とりあえず」
鈴が言う。
「明日から動くよ」
「何を」
「雫攻略」
自信満々だ。
「アンタ一人じゃ無理だから」
ぐうの音も出ない。
「なんでそこまで」
聞きかけて、やめる。
鈴は、わざと明るく振る舞っている。
死んだ自分を、深刻にしないために。
俺に泣かせないために。
分かる。
分かってしまう。
「蓮」
鈴が、少しだけ柔らかい声で言う。
「今はさ」
「私がいる」
はっきりと。
「だから、ちゃんと生きなよ」
胸が熱い。
視界が滲む。
「うるせえ」
小さく言う。
「泣くなよ」
鈴が慌てる。
「今泣くと、私まで泣きそうだから」
その言葉で、堰が切れそうになる。
俺は目を閉じる。
夏の音が、遠くで鳴っている。
蝉。
風。
そして。
風鈴。
ちりん。
鈴は、俺の中で小さく笑った。
「ほら」
「夏、まだ終わってない」
俺は、ゆっくり息を吐く。
終わってない。
まだ。
鈴が、いる。




