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夏が終わる前に、君は消える  作者: きなこもち
夏が終わる前に、君は消える

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消えかけの夏


三十八日目


朝。


目を開けた瞬間、胸の奥に重い石がある。


夢は見ていない。

ただ、眠っている間に何かが減った感覚だけが残っている。


蓮は枕元の時計を見た。

秒針が規則正しく円をなぞる。


躊躇う時間はない。


「鈴」


すぐに声を出す。


部屋は静まり返っている。

エアコンの送風音だけが、白い壁に反射している。


返事はない。


蓮は布団の上で体を起こす。

背中に冷たい汗が張り付く。


「鈴」


二回目。


三十秒。


一分。


喉が乾く。

呼吸が浅くなる。


一分半。


ようやく。


「いる」


届いたのは、かすかな空気の震え。

声というより、消えかけの息。


長いトンネルの奥から、遅れて返ってくる音のようだ。


蓮はゆっくり息を吐く。


「遅いぞ」


自分の声が、思ったより弱い。


「遠かった」


鈴は正直に言う。


「戻るの、大変」


甘えるような響きはある。

だが芯が薄い。


戻るという行為そのものが、すでに消耗になっている。


---


登校中。


空は高く、雲が薄い。

真夏の濃い青ではない。

光がどこか乾いている。


夏の終わりの空だ。


「鈴」


歩きながら呼ぶ。


返事は来ない。


四十秒。


五十秒。


六十秒。


「いる」


さらに弱い。


「顔、思い出せるか」


蓮は聞く。


沈黙。


「ぼやけてる」


はっきりとした返事。


胸がきつく締まる。


「アンタの顔、輪郭だけ」


存在の線が消えかけている。


蓮は必死に言葉を並べる。


「俺は背が高い」


「前髪が少し長い」


「笑うと目が細くなる」


具体的に、細かく。


鈴が小さく笑う。


「それ、ちょっと盛ってる」


弱いけれど、拗ねた響き。


「いいんだよ」


蓮は強く言う。


「今ここで作り直しても、俺なら俺だ」


沈黙。


数秒。


「うん」


声がほんの少し近づく。


だが安定しない。


---


昼休み。


屋上。


フェンスが風で震えている。

空は白く光っている。


「鈴」


呼ぶ。


一分近く待つ。


時間が伸びる。


「いる」


かすれている。


「今日、どんな感じだ」


「軽い」


即答。


「ほとんど、重さない」


鈴の声は素直だ。


「浮いてるみたい」


その言い方が甘い。


蓮は目を閉じる。


「好きだ」


迷いなく言う。


沈黙。


十秒。


「少し、ある」


ほんの少しだけ、気配が濃くなる。


だがすぐに薄まる。


「長く持たない」


鈴は自嘲気味に言う。


「アンタの好き、効き目短くなってる」


照れたみたいな息。


胸が痛む。


「何回でも言う」


蓮は言う。


「好きだ」


「好きだ」


繰り返す。


鈴が小さく笑う。


「しつこい」


甘い声。


「でも、嬉しい」


その嬉しさが、弱っている。


---


放課後。


校門前。


雫が立っている。


白いブラウスに紺のスカート。

姿勢が美しい。

髪が風に揺れても、どこか整っている。


「蓮」


視線がまっすぐ。


「もうすぐ、何か終わりますよね」


問いではなく、確信。


蓮は一瞬、言葉を失う。


「何が」


「分かりません」


雫は静かに首を振る。


「でも、蓮の背中を見ていると分かります」


胸が痛む。


「私は待ちます」


きっぱりと言う。


「ですが、きちんと終わらせてからいらしてください」


責めない。

縛らない。


ただ、品のある強さで立っている。


未来はそこにある。


だが今は。


鈴がいる。


蓮は小さく頷く。


---


夜。


机の上にスタンドライトの光。


日記を開く。


《38日目》


《顔がぼやける》


文字は細い。


蓮は強く書く。


《俺はここにいる》


待つ。


返事が出ない。


「鈴」


声に出す。


一分。


二分。


三分。


胸が強く打つ。


四分目。


「いる」


息が混じる。


「光、近い」


鈴が言う。


「前より、明るい」


終わりが近づいている。


「怖いか」


蓮は聞く。


間。


「うん」


はっきりした返事。


甘えも、強がりもない。


ただ、怖い。


蓮は喉を鳴らす。


「怖くていい」


声が震える。


「消えても」


言葉が詰まる。


「俺は忘れない」


鈴は静かに聞いている。


「私、鈴だよね」


確認するように。


「そうだ」


即答。


「鈴だ」


「俺の幼馴染で」


「俺の好きな人だ」


長い沈黙。


そして。


「覚えてて」


小さな声。


甘えるように。


「忘れないで」


「うん」


蓮ははっきり答える。


風が動く。


窓の外で風鈴が鳴る。


ちりん。


ほとんど聞こえない。


三十八日目。


残り十一日。


空白は伸び。


顔は薄れ。


光は近づく。


それでも。


まだ、声は届く。


まだ、鈴はいる。



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