表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
夏が終わる前に、君は消える  作者: きなこもち
夏が終わる前に、君は消える

この作品ページにはなろうチアーズプログラム参加に伴う広告が設置されています。詳細はこちら

27/36

声の輪郭


三十三日目


朝。


薄い雲がかかった空の光が、カーテン越しににじんでいる。

部屋は白く、温度だけが重い。

壁の時計の秒針が、やけに乾いた音を立てる。


蓮は目を開けた瞬間、喉を鳴らした。


「鈴」


声は静かだが、迷いはない。


返事は来ない。


二十秒。


四十秒。


一分。


心臓が速くなる。鼓動が耳の内側を打つ。


一分十五秒。


やっと。


「いる」


かすれた声。息が混じり、細く途切れそうな音。


蓮の喉が震える。


「遅い」


自分でも子どもみたいな言い方だとわかる。それでも止められない。


「足場、細い」


鈴は淡々と言う。甘さはある。けれど芯が薄い。


昨日より、確実に弱い。


「名前、言えるか」


すぐに聞く。確認しないと不安で仕方ない。


少しの空白。


「すず」


小さい。甘えるような響き。だが自信がない。


「漢字」


沈黙。


十秒。


「分からない」


やはり。


音だけが残り、形は削れている。


蓮はゆっくり息を吸い込む。肺が痛い。


「鈴」


はっきり発音する。


「金へんに令」


指で空中に書く。ゆっくり、なぞる。


「音が鳴るほうの鈴だ」


鈴は静かに聞いている。


数秒後。


「音」


小さく。


「風鈴の音」


胸が震える。


まだ繋がる。


音が杭になっている。


---


学校。


黒板の白い文字が滲んで見える。

教室のざわめきが遠い。


ノートの端に何度も書く。


鈴。

鈴。

鈴。


筆圧が強すぎて紙が波打つ。


消えないように。

自分の中に刻み込むように。


昼休み、屋上。


コンクリートは熱を持ち、空気は重い。

遠くで野球部の金属音が響く。


「鈴」


呼ぶ。


五十秒。


遅い。


確実に遅い。


「いる」


水の底から浮かんでくるみたいな声。


「今日、どんな感じだ」


「軽い」


「軽い」


「体がないから、分からないけど」


少し間。


「重さがない」


その言い方が甘い。拗ねたみたいに。


胸が締めつけられる。


存在の質量が抜け落ちている。


「俺の声、聞こえるか」


「うん」


かすかに嬉しそう。


「好きって言われると」


少し間。


「少しだけ重くなる」


蓮は息を止める。


「好きだ」


はっきり言う。


数秒。


鈴の気配が、ほんの少し濃くなる。


だが。


以前ほどではない。


「ある」


小さく。


「でも、すぐ薄くなる」


照れたみたいに笑う気配。


「ごめんね。効き目、弱くなってる」


その言い方が甘くて、苦しい。


言葉の効力が、確実に落ちている。


---


放課後。


河川敷。


夕焼けが川面に赤く反射している。

風が草を揺らす。


雫は淡い水色のワンピースを着ていた。

背筋はまっすぐ。仕草は控えめで、どこか育ちの良さが滲む。


「蓮」


声は落ち着いている。


「私、覚悟できました」


胸が揺れる。


「何の」


「選ばれない覚悟」


視線は逸らさない。


「でも」




「後悔はさせません」


強い。


静かな強さ。


未来が、まっすぐ立っている。


今は、揺らいでいる。


蓮は卑屈な自分を自覚する。

こんな整った未来を前にして、消えかけの声に縋っている。


それでも。


足は鈴のほうへ向いている。


雫はそれを分かっている。


何も責めない。


それが、いっそう痛い。


---


夜。


スタンドライトの下、日記を開く。


《33日目》


《重さがない》


しばらくして文字が浮かぶ。


《軽くなると、落ちやすい》


線が細い。かすれている。


蓮は強く書く。


《俺が重くする》


沈黙。


やがて。


《どうやって》


その問いに、手が止まる。


言葉。

記憶。

名前。

好き。


それでも足りない。


「鈴」


声に出す。


「なに」


甘い。弱い。


「触れたい」


正直に言う。


沈黙。


長い。


「無理だよ」


優しい声。


「分かってる」


それでも言わずにいられない。


触れられない。

重さを与えられない。

抱き締められない。


自分は何もできないのではないかという恐れが、喉を締める。


「アンタが覚えてる限り」


鈴が続ける。


「私は落ち切らない」


少し間。


「多分」


その曖昧さが怖い。


「でもね」


甘えるように。


「呼んでくれたら、ちょっと嬉しい」


弱っているのに、まだ可愛い。


蓮は目を閉じる。


風が動く。


窓の外で風鈴が鳴る。


ちりん。


ほとんど聞こえない。


三十三日目。


残り十六日。


空白は一分を越え。


名前は音だけになり。


重さは消えかけている。


それでも。


声は、まだ届く。


蓮は理解する。


残りは時間の問題ではない。


濃度の問題だ。


どれだけ刻めるか。

どれだけ呼び続けられるか。


「鈴」


一分。


心臓が速い。


「いる」


返事は、まだある。



評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

↑ページトップへ