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第3話 路地:風鈴が鳴るたび、過去が近づく

本作は、坂と一匹の猫をきっかけに、過去と現在が静かに交差していく時間SFです。


第3話は、商店街の裏にある路地が舞台になります。

小さな出会いが、涼太の気持ちを少しだけ動かしていきます。


気軽にお楽しみいただければ幸いです。

商店街の裏に、細い路地がある。三回曲がらないと通り抜けられない、地元の人間しか使わない道だ。


涼太はその日、自転車部の誰とも顔を合わせたくなくて、いつもと違う道を選んだ。表通りを避けて、路地に入った。


風鈴の音がした。


季節にはまだ早い。誰かの家の軒先に吊るしてあるのだろうと思ったが、音の方を見ても、何も見当たらなかった。


二回目の角を曲がったところで、また風鈴の音がした。今度は近い。すぐそこにあるはずなのに、見えない。


涼太は足を止めた。空気が変わっていた。


***


路地の壁が違う。塗り直されたばかりのような、新しい白壁だった。今はもう剥げて灰色になっている壁が、真っ白に戻っている。


三回目の角を曲がると、軒先に風鈴が吊るされた家があった。縁側に、女の子が座っている。涼太と同じくらいの年に見える。膝に、ノートを広げていた。


猫が、その子の隣に座っていた。ハルだ。今日は、最初から探していなかったのに、向こうから現れた。


「あなた、誰?」


女の子が顔を上げた。涼太は答えに迷った。


「……道に迷って」


「この辺の子じゃないね。それにしても変な格好」


涼太は自分の制服を見た。確かに、見比べれば妙だろう。


「何、書いてるの」


「日記。明日、引っ越すから。最後だから書いとこうと思って」


「引っ越し、嫌なの?」


女の子はノートを閉じて、猫の頭を撫でた。


「嫌っていうか……ここでの自分が、消えるみたいで。新しい場所では、新しい自分になるんでしょ。前の自分のこと、誰も知らないところで」


涼太は何も言わなかった。言葉が見つからなかった。


「でも、まあ、いいか。誰も知らない場所で、また一からやればいいんだし」


女の子はそう言って、笑った。あまり笑っていない笑い方だった。


「それ、本当に思ってる?」


口に出してから、自分でも驚いた。女の子がこちらを見た。


「……何?」


「前の自分のこと、知ってる人がいなくなるの、本当はそんなに平気じゃないんじゃないかって」


女の子は黙って、ノートの表紙を撫でた。


「平気じゃないよ。でも、言ったら、もっと辛くなるから」


風鈴が鳴った。猫が立ち上がって、塀の方へ歩いていった。


「ねえ、その猫」


「ハルって呼ばれてる、らしいです」


「ふうん。うちじゃ、来た子って呼んでる。名前、付けてないの。すぐいなくなるから」


猫は塀の上に乗って、こちらを見ていた。


「日記、捨てないで持っていったほうがいいと思います」


涼太はそれだけ言った。それ以上は、自分でも何が正しいのか分からなかった。


女の子は少し驚いた顔をして、それからノートを抱え直した。


風鈴の音が、遠くなる。白壁が、灰色に戻っていく。


***


涼太は路地の真ん中に立っていた。剥げた壁、誰もいない縁側、風鈴の音はもうしない。猫もいなかった。


家に帰って自転車を玄関の脇に停めたとき、壁のゼッケンが目に入った。いつもは見ないようにしている場所だった。


その日の夜、涼太のスマホに、自転車部のグループチャットの通知が来た。誰かが、来週の練習について聞いている。


いつもなら、見るだけで終わらせていた。涼太はその夜、初めて返信を打った。「行けたら行く」とだけ。送るのに、思ったより時間がかかった。


送ったあと、しばらく画面を見ていた。誰かが「お、久しぶり」と返してきた。それだけだった。それだけで、十分だった。

お読みいただき、ありがとうございました。


今回は路地を舞台に、過去との小さな出会いを描きました。

誰かの言葉や選択が、今を生きる誰かの背中を少しだけ押す――そんな一話になっていれば嬉しいです。


次回も、猫が導く不思議な時間を描いていきます。

引き続きお付き合いいただけましたら幸いです。

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