第2話 空き地:その空き地には、まだ“過去”が残っている
本作は、現代を舞台にした時間SFです。
坂と猫をきっかけに、少しずつ“過去の断片”が現れるような構成になっています。
第2話は、空き地をめぐるお話です。
日常の中に混ざる違和感を、静かに追いかけています。
短編としても読めますので、気軽にどうぞ。
坂を上りきった先に、空き地がある。
ロープを張った柵があるだけで、何も建っていない。雑草が膝の高さまで伸びていて、誰も入らない。涼太が知っている限り、この空き地はずっとこのままだった。
学校の友達は「呪われてる」と言う。涼太はそうは思わない。ただ、整地されないまま放っておかれている土地は、町の中で少し浮いて見える。
立ち漕ぎで坂を上るようになって、二週目だった。空き地の柵のあたりに、猫がいた。ハルだ。
柵の中、雑草の間に、猫はちょこんと座っていた。涼太は自転車を止めた。
「お前、入っていいのか、そこ」
猫は答えずに、奥のほうへ歩いていった。涼太は柵の隙間から、その後を目で追った。
雑草の向こうに、何かが見えた。古い建物の土台のようなコンクリートの跡。今はもう、誰もそれが何の跡だったか覚えていないだろう。
涼太は柵を越えた。本当は良くないと分かっていたが、足が先に動いた。
***
雑草を踏んで進むと、空気が変わった。
土の匂いがした。乾いた、何かが燃えたあとのような匂い。空き地のはずなのに、視界の先に、平屋の建物が見えた。木造で、窓が小さい。看板に「アトリエ文乃」と書いてある。
建物の前で、若い女が、画材を箱に詰めていた。
涼太はしばらく見ていた。女は時々手を止めて、壁に並んだ絵を眺めた。海の絵、坂道の絵、猫の絵。最後に手を止めたのは、空き地――今は何もないこの土地の、今と同じ角度から描かれた絵だった。
「もう、やめるんですか」
涼太は気づいたら聞いていた。女がこちらを向いた。驚いた顔ではなかった。
「あなた、誰?」
「すみません、たまたま」
女は箱に絵を入れる手を止めて、少し笑った。
「やめるよ。絵じゃ食べていけないって、父に言われた。正しいと思う」
「正しいけど、やりたいことじゃない」
涼太は自分が何を言っているのか、よく分からなかった。ただ、言葉が出た。
女は涼太を見て、それから猫を見た。柵の跡のあたりに、ハルが座っていた。
「あの猫、ときどき来るのよ。誰のものでもないみたいだけど」
「ハルって呼ばれてます、今は」
「今は、って変な言い方ね」
女はもう一度、空き地の絵を見た。
「この絵だけは、売らない。持っていく」
「持っていって、どうするんですか」
「分からない。でも、捨てたら、たぶん戻れない気がする」
風が吹いて、絵の角が揺れた。涼太はその絵をもう少し見ていたかったが、視界が滲んだ。
土の匂いが消えた。
***
涼太は柵の外に立っていた。膝丈の雑草、ロープの柵、誰も整地しない空き地。猫はもういなかった。
その日の帰り、涼太は商店街を通った。今までは気にしていなかった店が、ふと目に入った。古い雑貨店、看板には「アトリエ文乃」と書いてある。
中に入ると、壁に絵が飾ってあった。海の絵、坂道の絵。レジにいた年配の女が、涼太を見て少し首をかしげた。
「お客さん、絵、見るの?」
「あの……この絵を描いた人は」
「私だよ。もう何十年も前のだけど」
涼太は店の奥を見た。一枚だけ、他の絵と違う場所に飾られている絵があった。今はもう何もない、雑草だらけの空き地を描いた絵だった。
「これだけ、ずっと売らずに持ってるんですか」
女は涼太をしばらく見て、それから少し笑った。
「うちの店、昔はあそこに建ってたのよ。今は空き地になってるけど」
涼太は何も言わなかった。
「あなた、その猫、知ってる?灰色と白の」
「ハルです」
「ふうん。今もその名前なのね」
女はそう言って、絵の前に立った。
「あの子が来た日は、なんとなく、絵を描きたくなるのよ。今も」
店を出ると、夕方の風が空き地の方から吹いていた。涼太は自転車にまたがり、立ち漕ぎで坂を上った。柵の向こうに、猫の影が一瞬見えた気がしたが、確かめる前に消えた。
その夜、涼太は久しぶりに、自転車部のグループチャットを開いた。何も書かずに、しばらく画面を見ていた。
お読みいただきありがとうございます。
今回は空き地を中心に、少しだけ過去の気配が混ざる話でした。
坂と猫を軸にしたこの物語は、まだもう少し続きます。
次回も、静かな違和感を描ければと思います。




