第六話 脱走未遂と真夜中の夜食会と翌朝のお使い
深夜22:55
帝城の大半の人間が寝静まった頃。
俺は自室の扉をほんの少しだけ開けた。
目標確認。
視線の先にはクラウディア様の私室。
そして、その中央にある巨大な天蓋付きベッド。
豪華な布団の中に人影があった。
規則正しい寝息。
毛布から少しだけ見える金色の髪。
うん。
寝てる。
完全に寝てる。
「……よし」
小さくガッツポーズ。
勝った。
自由への第一歩だ。
音を立てないよう息を殺し、ゆっくりと扉を閉める。
完璧だ。
これなら暗殺者でも気付くまい。
もちろん脱走じゃない。断じて脱走ではない!
ちょっと同僚と夜食を食べて。
ちょっと愚痴を吐いて。
ちょっと酒場で黒ビールを飲みながら過ごすだけだ。
そう。
健全な社交活動である。
俺は足音を殺して廊下へ出る。
ゆっくり。静かに。慎重に。
俺の才能は近衛騎士より、もしかしたら斥候などに向いているかもしれない。
そんな自分を大いに褒め称え、帝城3階の近衛宿舎へ向かった。
時刻は23:00
近衛宿舎食堂。
夜勤組が軽食を取る程度で、昼間ほど人はいない。
俺は辺りを見回した。
ここでコンラートとマティアスと合流して『酒場の中のお散歩』を優雅に満喫するのだ。
だが……食堂の入口に足を踏み入れた瞬間。
「レオン、こちらですわ」
その声だけで、俺の背筋は凍った。
聞き覚えしかない声がした。
俺は固まった。
首をゆっくり動かす。
そして見た。
そこにいたのは。
優雅に椅子へ腰掛け、紅茶のティーカップを片手に、笑顔で手を振るクラウディア様だった!
「…………」
俺の脳が停止した。
「…………」
数秒後。
「うぅ……やられたぁぁぁ……」
俺は絶望のあまり床に両手両膝をついた。
テーブルにはクラウディア様の両脇に、コンラートとマティアスが真っ青な顔をして座っている。
完全に死刑宣告を待つ囚人の顔だった。
「……すまん」
コンラートが目を逸らす。
「俺達は最後まで黙秘していたんだ……」
マティアスも俯く。
「……1時間前には、もう完全に包囲されていた」
──同僚の近衛騎士・マティアスの回想(と書いて悪夢)
レオンと合流する1時間ほど前に遡る。
近衛兵詰所。
勤務を終えたコンラートとマティアスは、食堂でのんびり果実水を口にしていた。
「レオン殿も大変ですね。クラウディア様の護衛に就いてからというもの、ロクに外出出来ていないのでは?」
「ああ。護衛っていうより監禁生活だ。あれじゃ、さすがにレオンも哀れに思える」
「今日は久々に羽を伸ばして上げたいですね」
「黒ビールでも奢ってやるか!あと焼きたてソーセージ盛りも!」
2人が笑い合っていると。
──コツ、コツ、コツ。
規則正しい靴音が食堂へ響く。
振り返ると、そこには優雅に微笑むクラウディアと、侍女兼宮廷魔法士のミレーヌが立っていた。
「あら、マティアス殿にコンラート殿。ごきげんよう」
2人は反射的に立ち上がる。
「ク、クラウディア様!」
「このような、むさ苦しい場所に何用でございますか?」
「本日はお2人にお願いがあり参りましたの」
──にこり。
その上品で優雅な笑顔。なのに、なぜか背筋が寒くなる。
「実はレオンが、今夜ここへ来る予定ですの。お二人はご存知かしら?」
「えっ」
「さ、さあ?何を仰られていますやら……」
クラウディアは更に意地の悪い笑顔になる。
「あら?はっきりと申し上げた方がよろしいようね」
戦慄するマティアスとコンラート。
「その時は何も言わず、いつも通り振る舞ってくださるだけで結構ですわ。わたくしの言葉、理解されまして?」
「い、いや、それは……」
コンラートが困ったように頭を掻く。
「友人を売るような真似は……」
「そうですか……流石、近衛騎士の鑑と申し上げたいところですが……」
クラウディア様は残念そうに目を伏せる。
「仕方ありませんわね。近衛隊長へ『第三近衛隊には規律違反を黙認する騎士がいる』と、ご報告するしかありませんわね」
「…………」
2人の表情が凍り付く。
「もちろん、御三方のお名前は伏せませんわ」
「…………」
「勤務査定にも多少は影響するかもしれませんわね」
静かな笑顔。揺るぎなき脅迫。
圧が凄い。
ミレーヌも横でにこにこしている。
「コンラートさん、マティアスさんなら協力してくださるって信じてます♪」
逃げ道がない。
コンラートは天井を見上げた。
「……マティアス殿」
「何だ」
「友情って何でしょうね?」
「分からん」
「出世は?」
「大事だ」
「命は?」
「もっと大事だ」
2人はゆっくり顔を見合わせる。
そして同時に敬礼した。
「喜んで協力させていただきます!」
「ありがとうございます。話の分かる騎士は好きですわ」
クラウディアは満足そうに微笑んだ。
「お礼に明日、帝都で評判のお菓子をお持ちいたしますわ」
クラウディア様が立ち去ると、食堂は静まり返る。
コンラートは大きくため息をついた。
「……レオン殿、すまん」
マティアスも肩を落とす。
「俺たちは最後まで抵抗した。30秒だけな」
「30秒も抵抗したんです。レオン殿もわかっていただけますでしょう」
「わかってくれない気がする」
その後、2人は仲良くレオンへの謝罪の言葉を考え始めたが、結局何一つ思い付かなかった。
「裏切り者ぉぉぉぉっ!」
「違う!」
2人同時に叫ぶ。
「相手が悪かったのです!」
「完全敗北だった!」
「レオ殿!敗北を素直に受け入れることこそ騎士の誉れですぞ」
「そんな誉れいるか!」
3人の混乱する様子を見て、クラウディア様は楽しそうに笑った。
「ふふっ」
嫌な予感しかしない。
「ちなみにレオン」
「はい……」
「わたくしが寝ていたと思いました?」
「はい……」
「残念でしたわ」
そう言って背後を指差す方向を見ると
侍女ミレーヌがネグリジェ姿に金髪のカツラを被って立っていた。
にこにこしている。
「実は私が寝ていました♪変わり身作戦です♪」
変わり身作戦。手が混みすぎていませんか!?
しかも、何嬉しそうにしてんだよ。
誰得だよ!?
クラウディア様のベッドには、ミレーヌが寝たふりをしていたらしい。
そう、この睡眠イベントは全て仕組まれたもの。
俺達3人は掌で踊らされていたのだった。
ミレーヌは胸を張った。
「演技、上手でした?」
「上手過ぎです……気持ち良いくらい騙されました」
「ありがとうございます♪」
褒めてない!
俺は全然褒めてない!
侍女の名演技にクラウディア様は大層満足そうに頷いている。
「逃げるなら、もっと勉強なさい。レオン、貴方はまず確認が甘いですわね」
「はい……」
「監視対象の行動予測も不足しております」
「はい……」
「次回は頑張りなさい」
「ええ〜っ!?そこ、改善点なんですか!?」
食堂に笑い声が広がると、クラウディア様は一瞬だけ目を細めた。
「まあ」
ふわりと笑った。
「この事は不問にいたしますわ」
「え?」
俺達3人が同時に固まる。
クラウディア様は立ち上がると、軽く手を叩いた。
「その代わり、わたくしのお夜食にお付き合いなさい」
その一言で、空気が変わった。
侍女たちが次々と料理を運んでくる。
温かいスープ。
焼き立てのパン。
小さな焼き菓子。
甘い香りが食堂に広がった。
「え、これ全部……」
「わたくしの手作りですわ」
「えっ」
全員が固まる。
公爵令嬢が夜食を作るとか、予想を斜め上に行きすぎる!
ミレーヌが嬉しそうに補足する。
「私も少しお手伝いしました♪」
食堂の中央のテーブルの席に5人で腰掛ける。
クラウディア様は俺の向かいに位置する。
「では」
にっこり。
「いただきましょうか」
こうして始まったのは説教ではなく夜食会。
最初は気まずかった。
だがスープを一口飲んだ瞬間、全員の表情が変わる。
「……うまい」
思わず漏れる。
クラウディア様は満足そうに頷いた。
「よろしい」
ミレーヌが焼き菓子を配る。
「甘いものもありますよ♪」
コンラートが小さく笑う。
「なんか……怒られると思ってたのに」
マティアスも肩の力を抜く。
「普通に飯会だな」
クラウディア様は紅茶を注ぎながら言った。
「怒る必要はありませんわ……ただ」
少しだけ視線を上げる。
「あなた達がレオンと楽しそうにしているのを見るのは、少し悔しいですわね」
「え?」
「わたくしも、たまには混ぜなさい」
その一言で、場が一気に和み、気付けば5人で笑顔で話ながら、夜食を口にしていた。
夜食は2時間続き、いつの間にか穏やかな談笑に変わっていた。
クラウディア様は時折、俺達の話に笑い。
ミレーヌは楽しそうにお菓子を配り。
コンラートとマティアスは完全にリラックスしていた。
そして俺は思った。
……この人、悪役令嬢なんて言われているけど、貴族の中で一番優しいかも、と。
夜が更ける頃。
クラウディア様が静かに言った。
「今日はここまでにしましょう」
立ち上がる。
「皆様も明日もお仕事がありますから、身体を休めませんことよ」
俺達も立ち上がる。
「レオン」
「はい」
「次はもう少し上手に逃げなさい」
「逃げる前提なんですか」
クラウディア様は微笑んだ。
「楽しみにしていますわ」
こうして公爵令嬢を交えた、俺達の夜は終わった。
脱走劇と味方の裏切りから、なぜか温かい夜食会になっていた。
酒場には行けなかったけど……だが、悪くない夜だった。
夜食会から一夜明けた朝。
近衛兵詰所で朝食を終え、今日の予定でも確認しようかと考えていると、クラウディア様が優雅に紅茶を口へ運びながら、何気ない口調で呼び掛ける。
「レオン」
「はい」
「先程、第一皇女エリザベート様とお会いになったのですが、あなたご指名で頼みたいことが、おありのようですわ」
「私をですか?」
「ええ。レオンにとの仰せです」
嫌な予感しかしない。
俺、昨日何かやらかした?
いや、やらかそうとはしたが、第一皇女殿下は関係ない。
酒場へ行こうとはした。それだけのことだ。
だが未遂だ。未遂はセーフだろう。
……たぶん。
「それでは参りましょう」
クラウディア様が立ち上がる。
「クラウディア様も行くんですか?」
「当然ですわ」
「私もご一緒します♪」
ミレーヌまで笑顔で続く。
何だろう。
護衛というより保護者同伴の子供みたいになってきた。
俺は静かに涙を飲み込んだ。
皇族区画にあるクラウディア様の私室より更に奥。
そこには第一皇女エリザベート殿下の私室があった。
白を基調とした優雅な扉。
薔薇の意匠が施され、女性らしい華やかさが感じられる。
クラウディア様が3度ノックした。
「エリザベート様。クラウディアでございます」
「入りなさい」
凛とした少女の声。
部屋へ入ると、まず目に飛び込んできたのは、美しい金髪だった。
艶やかな金髪を見事な縦ロールに結い上げ、翠玉のような緑の瞳を持つ、美しい皇女。
第一皇女エリザベート様。
17..歳とは思えないほど気品に満ちた佇まいだった。
クラウディア様が優雅に一礼する。
「エリザベート様。仰せの通り、わたくしの護衛騎士のレオンを連れて参りました」
「ご苦労様です。クラウディア様。本日はお越しいただき、ありがとうございます」
互いに丁寧な挨拶を交わす2人。
ミレーヌも俺も、クラウディア様に習い丁寧に頭を下げる。
さすがは帝国でも指折りの名家同士。
品格というものが自然と漂っている。
……そう思った次の瞬間。
エリザベート様の視線が、すっと俺へ向いた。
「レオン」
「はっ」
「貴方、来るのが少々遅いですわ」
「申し訳ございません……」
「もっと早く来られたのではなくて?」
「ご案内に従って参りましたので」
「言い訳は結構ですわ。主のクラウディア様を辱めるような言動は慎みなさい」
「……失礼いたしました」
理不尽とは思わない。一部を除いた貴人は"理不尽極まりマン"であり"当たり前の生物学的習性"だからだ。
今更である。
ただ……。
何というか、この雰囲気には覚えがある。
クラウディア様とはまた違うが、こちらも人の逃げ道を作らない話し方をなさる。
……心の中で、そっとあだ名を付ける。
『クラウディア様二号だ』
もちろん、口に出したら俺の騎士人生が終わる。
「まあ、今回は許して差し上げますわ」
「寛大なお言葉、感謝いたします」
少しだけ胸を撫で下ろした、その時だった。
「ところで」
エリザベート様が微笑む。
「昨夜、お仲間の騎士と酒場へ行こうとなさいましたわね?」
……なぜ、それをご存じで。
俺は表情を崩さないまま、ゆっくりとミレーヌへ視線を向ける。
当の本人は、いつも通り穏やかな笑顔だった。
「エリザベート様にお尋ねいただいたので、そのままお伝えしました♪」
……なるほど、犯人はお前か。
余計なことを言うんじゃねえよ!
こっちは皇女殿下から尋問されている気分なんだぞ!
おっかねえだろうが!
この侍女、どうやら隠し事という概念が存在しないらしい。
笑顔で火事場に油を注ぐタイプだ。
「私、侍女ですのでクラウディア様と皇女様には隠し事はいたしません♪」
裏切られた。
この城に俺の味方はいない。
まさに宮廷とは、笑顔で味方を売る場所なのかもしれない。
コンラートもマティアスも裏切る。
ミレーヌも裏切る。
もう信じられるのは、城下町の酒場の親父さんと黒ビールだけだ。
エリザベート皇女殿下は扇子で口元を隠しながら、悪戯っぽく笑う。
クラウディア様は……ああ、やはり扇子で笑いを堪えている。
見るまでもなかった。
「ふふっ。お兄様から聞いていた通りの方ですわね」
「黒太子殿下がですか?」
「ええ。『レオンは面白い騎士だから、絡んでみると良い』と仰っていましたわ」
サイコ皇子め……。
変な情報共有を兄妹間でするなよ。
迷惑してるだろうが!
エリザベート様は小さく笑った後、表情を改める。
「安心なさい。咎める為に、お呼びしたわけではありません」
そして、真っ直ぐこちらを見る。
「本日は、あなたにお願いしたいことがありますの」
「何なりとお申し付けください」
そう答えると、エリザベート様は少しだけ表情を和らげた。
「帝都の城下町へ行っていただけますか?」
「城下町でございますか?」
……マジか。
これは皇族から正式に与えられた外出許可ということになる。
久しぶりに、城の外へ出られる!
「貴方には、城下町で是非ともやって頂きたいことがございます」
だか、クラウディア様の護衛騎士である俺を城下町へ向かわせる。
暗殺騒ぎがあったばかりだ。
何か重要な任務があるとも考えられる。
俺の表情は自然と引き締まる。
「皇女殿下。私の城下町での御用命をお聞かせ願えますでしょうか?」
「お買い物をお願いいたしますわ」
「……承知いたしました。へっ?」
お買い物?
意表突く一言。
「城下町の屋台で、美味しい物を買ってきて貰いたいのです」
何かと思えば、城下町の屋台巡りをして欲しいと言う訳か。
「御意にございます。してご所望の物とは?」
「リンゴ飴を2本、串焼き肉を4本、カリーヴルストを3皿、フラムクーヘン2皿、焼きアーモンド4袋、じゃがいものパンケーキ3人前、串焼き魚を5本、それから、大和王国の商人から『おやき』を数種類かしら」
「かしこまりました」
うわ〜……17歳女子の『大人買い』ってやつか?
1人で食べるには、高カロリー過ぎるだろう。
その細い身体のどこに入るんだ?
「もし美味しそうなお店がございましたら、お任せで買ってきてくださって構いませんわ」
「御意」
皇族とはいえ、エリザベート様も年頃の少女。
市井の食べ物も興味津々なんだろうなあ。
そう思うと、少しだけ親近感が湧いた。
その時、クラウディア様が穏やかに微笑む。
「レオン、久しぶりの外出ですわね」
「はい!」
城下町に出られる。それだけでも十分ありがたい。
そう思った矢先だった。
「そうそう」
エリザベート様が思い出したように付け加える。
「黒ビールの誘惑には負けませんように」
一瞬だけ、動きが止まりそうになった。
だが、俺は表情だけは崩さない。
「……心得ております」
「酒場への寄り道もいけませんわ」
「承知いたしました」
「もちろん、寄り道をなさいましたら、お兄様へご報告いたします」
「肝に銘じます」
くっそ〜。
このガキ、大人の行動を読んでやがる……。
黒ビール=俺という定義ができているのか?
内心で小さくため息をつく。
外出は許された。
しかし自由行動は許されないらしい。
酒場まであと数歩というところで、立入禁止の札を掛けられたような気分だった。
どうやら今回は、寄り道ひとつせず、真っ直ぐ任務を果たして帰帰還することが、長生きの秘訣になりそうだ。
クラウディア様は、そんな俺の様子を見て、どこか楽しそうに微笑んでいた。
こうして俺は、第一皇女エリザベート様の命を受け、帝都グランヴァルツの城下町へ向かう頃には、午後の昼間になっていた。
帝城の正門を抜けると、久しぶりに見る城下町の景色に、自然と肩の力が抜けた。
「……久しぶりだな」
思わず小さく呟く。
護衛任務に就いてからというもの、城内で過ごす時間がほとんどだった。
だからだろうか。
人々の話し声。
露店から漂う香ばしい匂い。
大道芸人へ歓声を送る子供たち。
行き交う冒険者。
そんな何気ない日常が、妙に懐かしく感じられた。
帝都へ来たばかりの頃も、こんな気持ちだった。
ララリカを旅立ち、このグランヴァルツ帝国へ初めて足を踏み入れた日。
数千年の歴史を持つ帝国の街並みは、俺の知る故郷とは何もかもが違っていた。
重厚な石造りの建物。
幾重にも連なる尖塔。
大通りを行き交う人々の活気。
鎧姿の騎士や商人、旅芸人、異国の行商人まで入り混じる様子は、それまで見てきたどの町よりも賑やかだった。
文化も食べ物も違う。
最初は見るものすべてが新鮮だった。
途中で立ち寄ったエーデルクローネ王国も印象深い。
あの国は焼き菓子やチョコレート菓子の種類が驚くほど豊富で、財布の紐が緩みっぱなしだった。
甘い物だけで一日が終わるんじゃないかと思ったくらいだ。
……今思えば、よく食べたものだ。
そんなことを思い出しながら歩いているうちに、屋台通りへ辿り着く。
辺り一面に食欲を刺激する香りが立ち込めていた。
炭火で焼かれる串肉。
焼き立てのブラートヴルスト。
香辛料の香りが漂うカリーヴルスト。
焼きアーモンドの甘い匂い。
焼き菓子を並べる露店。
どの屋台も繁盛している。
さて。
まずはエリザベート様から頼まれた品を……
そう考えた矢先だった。
腹が鳴る。
……そういえば、今日は朝から何だか慌ただしかった。
俺は串焼き肉の屋台で一本だけ買うことにした。
「1本ください」
「毎度あり!」
焼きたての串肉を受け取り、一口かじる。
肉汁が口いっぱいに広がり、香辛料の香りが鼻へ抜ける。
「……うまい」
城の料理も一級品だが、屋台飯には屋台飯にしかない魅力がある。
歩きながら食べる串焼き肉は格別。
これくらいなら任務に支障もないだろう。
のんびり屋台通りを歩いていると、不意に服の袖がくいっと引かれた。
「お兄ちゃん」
振り向くと、7、8歳くらいの男の子が立っていた。
「お友達が呼んでるよ」
「俺の?」
「うん!」
少年は元気よく頷く。
「早く来てって!」
……友達?
近衛騎士の同僚だろうか。
それとも冒険者時代の知り合いか。
軍服姿だから、遠巻きでも、俺だと分かったのかもしれない。
俺は少年に優しく微笑みかける。
「ありがとう。お友達のことろまで案内してくれるかい?」
「うん!」
少年に手を引かれ、人混みを縫うように歩いていく。
屋台をいくつか通り過ぎたところで、少年が立ち止まった。
「ここ!」
俺は視線を上げ、戦慄する。
そこにいたのは……。
「ごきげんよう、レオン」
優雅に手を振るクラウディア様。
その隣には、にこにこと笑うミレーヌ。
「……」
あれ〜?どうしてここにいるのかしら?
いや、それ以前に『護衛対象が護衛を尾行』してどうするんですか……とツッコみたい。
クラウディア様は俺の様子など気にも留めず、少年の前へ歩み寄る。
「案内、ご苦労さまでしたわ」
そう言って、小さな紙袋に入った焼き菓子と銀貨を手渡した。
「ありがとう、お姉ちゃん!」
少年は嬉しそうに笑うと、元気よく駆け去っていく。
クラウディア様はその背中へ優しく手を振り、再び俺へ向き直った。
「わたくしも思わず来てしまいましたわ」
「私もクラウディア様にご一緒させていただきました♪」
……来てしまいましたわ、じゃねえし!
普通に考えて、おかしいでしょう。
皇太子殿下の婚約者が、護衛も付けずに城下町へ出てきてるとかありえないし!
俺は恐る恐る尋ねる。
「失礼ながら……クラウディア様は、どのようにして城を出られたのですか?」
するとクラウディア様は、少しだけ頬を膨らませた。
「『抜け出した』とは、人聞きの悪い言い方ですわね」
「では……?」
「きちんと許可をいただいて参りましたの」
「……許可?」
「ええ」
クラウディア様は扇子で口元を隠しながら微笑む。
「エリザベート様へ『レオン一人では心配ですので、わたくしも同行したいのですが』とお願いしましたら、快く許可してくださいましたわ」
……。
言葉がない。
最初からグルだったんだ。この2人。
つまり、あのお使いそのものが俺を城下町へ送り出す口実であり、クラウディア様も同行する前提だったわけだ。
まんまと乗せられた。
その横でミレーヌが申し訳なさそうに笑う。
「それとですね……エリザベート様から『レオンさんには内緒にして驚かせたら、口から心臓が飛び出しそうだから観察してきて』って言われまして」
ええ、飛び出しましたとも……。
心臓だけじゃなく、この俺の穢れなき魂も一緒にね!
おまけに犯人まで増えてる!
黒太子殿下の妹君まで共犯とは帝国恐るべし!
俺は小さくため息をついた。
この城では、俺の味方は日に日に減っている気がする。
皇族と侯爵令嬢、それに宮廷魔法士。
とも最初から示し合わせていたのだ。
こんな豪華な面々に結託されたら、一介の近衛騎士に勝ち目なんてあるはずがない。
ハリケーンに巻き込まれ飛ばされる家みたいなものだ。
「では参りましょう、レオン」
クラウディア様が穏やかに微笑む。
「エリザベート様から頼まれた品を買い揃えなくてはなりませんもの」
「承知いたしました」
俺は気持ちを切り替え、2人の少し前へ出る。
護衛騎士としての任務は変わらない。
城の中だろうが、城下町だろうが、俺の役目はお2人を守ることだ。
もっとも、護衛対象が護衛騎士に、勝手について来るなんていあとさのは、教本のどこにも載っていなかったけど。
俺たちは人で賑わう屋台通りへ足を向けた。
香ばしく焼ける肉の匂い。
甘い焼き菓子の香り。
威勢のいい商人たちの呼び込み。
帝都の活気が、街中を包み込んでいる。
エリザベート様に頼まれた品は多い。
渡されたメモには、リンゴ飴、串焼き肉、カリーヴルスト、フラムクーヘン、焼きアーモンド、じゃがいものパンケーキ、串焼き魚、それに大和王国の『おやき』。
今日一日で、どれだけの屋台を巡ることになるのやら。
そんなことを考えていると、クラウディア様が俺の隣へ並び、楽しそうに微笑んだ。
「ふふっ。今日は楽しい一日になりそうですわね」
その笑顔を見て、俺も肩の力が少しだけ抜ける。
……まあ、酒場には寄れなくてもいい。
こうして誰かと城下町を歩くのも、悪くないのかもしれない。
今日は屋台巡りだけで終わるはずだった。
本当に、そのはずだった。
だが。
俺の人生というものは、平穏に終わった試しがない。
護衛対象が勝手について来る時点で嫌な予感しかしないし、その予感は大抵当たる。
そして、この日の城下町でも、俺たちは、とんでもない騒動へ巻き込まれることになる。
その時の俺は、まだ知る由もなかった。
皆さん、第六話を読んでいただきありがとうございました。
レオン・クラウスです。
今回、俺は学びました。
人間、本気で脱走……いや、健全な社交活動をしようとしても、公爵令嬢という存在には勝てません。
寝たと思ったら替え玉。
味方だと思った同僚は30秒で陥落。
侍女は笑顔で情報を全部漏らす。
そのうえ皇女殿下まで共犯。
帝国って、怖いところですね。
もっとも、その後に夜食をご馳走になったので、強く文句も言えないんですが。
クラウディア様の手料理は本当に美味しかったですし、コンラートとマティアスも久しぶりに笑っていました。
……いや、笑っていたのは途中からですけどね。
そして翌日は、皇女殿下のお使いで久しぶりの城下町へ。
ようやく自由だと思った矢先、なぜかクラウディア様とミレーヌまで合流。
護衛対象が護衛を尾行するなんて、近衛騎士の教本には載っていません。
誰か最新版をください。
さて、第七話は帝都の屋台巡りです。
串焼きにカリーヴルスト、フラムクーヘン、大和のおやきまで、食べ物だけは充実しています。
……食べ物だけで終われば良かったんですけどね。
俺の嫌な予感は昔からよく当たります。
今回も、きっと例外じゃありません。
それでは、第七話でまたお会いしましょう。




