第七話 護衛騎士レオン、冒険者時代の黒ビール伝説を暴かれる
帝都の屋台通りは、今日も大勢の人々で賑わっていた。
炭火で焼かれる串焼き肉の香ばしい匂い。
鉄板の上でこんがりと焼き上がる、じゃがいものパンケーキ。
焼き菓子や甘く煮詰めた果実の香りが風に乗って漂い、思わず腹が鳴りそうになる。
威勢のいい店主たちの呼び込み。
買い物を楽しむ家族連れや恋人たち。
大道芸に歓声を上げる子供たち。
帝都らしい活気が通りいっぱいに満ちていた。
そんな賑わいの中を歩くクラウディア様とミレーヌは、目立たないよう深くフードを被っているものの、その足取りはどこか弾んでいる。
あちらの屋台を眺め、こちらの露店を覗き込み、そのたびに小さく顔を見合わせて微笑む姿は、年頃の少女そのものだった。
どうやら、お2人とも城下町の屋台巡りがよほど楽しみらしい。
俺はエリザベート様から預かった買い物のメモへ目を落とした。
リンゴ飴。
串焼き肉。
カリーヴルスト。
フラムクーヘン。
焼きアーモンド。
じゃがいものパンケーキ。
串焼き魚。
そして、大和王国から伝わった『おやき』。
改めて見ても、なかなかの量である。
17歳の皇女殿下による『大人買い』とはいえ、これは買い過ぎにも程があるだろう。
というか、本当にお1人で召し上がるつもりなのだろうか。
あの細い身体のどこに入るんだ?
一日で食べようものなら、胃袋が悲鳴を上げる。
俺なら間違いなく腹が裂ける自信ある!
皇族には別腹が3つくらい存在する特殊な生命体なのかもしれない。
『サイコ兄貴』も脳みそ2つありそうだしね。
この世は不思議に満ちているんだ。
そんな馬鹿なことを考えながら、俺はメモを懐へ仕舞い込んだ。
それにしても、今回の買い物は間違いなく両手が荷物で塞がる。1人で運ぶには、少々骨が折れそうだ。
……とほほ。
荷物持ちが、もう一人くらいいてくれたら助かるんだけどな。
いっそ冒険者ギルドで「荷物持ち募集」の依頼でも出そうか、と一瞬だけ考える。
もっとも、そんな依頼を引き受けてくれる冒険者がいるのかは疑問だ。
荷物を運ぶだけでは報酬も安いだろうし、何より「皇女殿下のお使いです」なんて後で申告したら、ドン引きするのは依頼を受けた冒険者の方かもしれない。
俺も冒険者側にいたら、間違いなくドン引きだね。
そんな、ささやかな悩みを抱える俺の隣では、深くフードを被った2人の女性が、屋台を興味深そうに眺めていた。
クラウディア様とミレーヌ。
さすがに侯爵令嬢と宮廷魔法士が、そのまま城下町を歩けば大騒ぎになる。
そのため今日は2人とも冒険者風の旅装束に着替え、目立たないよう深くフードを被っていた。
……とはいえ。
正直、あまり意味はない。
隠しても隠し切れていないのだ……。
歩き方も、姿勢も、仕草も、言葉遣いも。
何から何まで品があり過ぎる。
どう見ても育ちの良いお嬢様である。
服装だけ冒険者にしたところで、漂う気品までは隠せそうにない。
「レオン」
クラウディア様が俺を呼ぶ。
「あちらのお店をご覧になってくださいませ」
視線を向ける。
そこには、大和王国の商人が営む屋台があった。
看板には見慣れない文字で『たいやき』と書かれている。
「これは……」
思わず足を止める。
鯛を象った生地を焼いたお菓子で、中には甘く煮た小豆の餡が入っているらしい。
最近、大和王国から伝わり、帝都でも人気が出始めた菓子だと聞いたことがある。
「面白い形ですわね」
「お魚の形なのに、お菓子なんですね♪」
2人とも興味津々に見つめていると、愛想の良い店主が笑顔で話しかけてくる。
「焼きたてですよ!1ついかがですか?」
「では、1つお願いします」
美味しそうなので、まずは1つ頼んでみる。
受け取ったたい焼きは、ほんのり熱さがあった。
出来立てほやほや、香ばしい香りが食欲をそそる。
すると。
「レオン」
「はい」
「半分くださいませ」
「……はい?」
「半分こですわ」
当然のように言われる。
さらに。
「私も半分欲しいです♪」
ミレーヌまで乗ってきた。
「一匹を3人でですか?」
「仲良く分ければ、美味しさも3倍ですわ」
そんな理屈あるのか?
俺の美味しさは、3分の1になるんじゃないか?
結局、店主にお願いして三等分に切り分けてもらった。
一口頬張る。
外は香ばしく、中の餡は上品な甘さだった。
「……うまい」
「本当に美味しい!生地はカリカリ」
「煮詰めた小豆が甘くて幸せです♪」
こんな風に屋台で菓子を分け合うなんて、少し前まで想像もしなかった。
悪くない。
そう思った矢先だった。
──視線。
人混みの向こう。
深くフードを被った男が、こちらを見ている。
距離は30メートルほど。
俺が視線を向けると、男は自然な足取りでこちらへ歩き始めた。
……追跡者か。
暗殺騒ぎがあったばかりだ。
警戒するに越したことはない。
俺はさりげなくクラウディア様とミレーヌの前へ出て、右手を静かに剣の柄へ添えた。
男との距離が徐々に縮まる。
20メートル。
15メートル。
10メートル。
5メートル。
間合いに入ったその時。
男は辺りを見回し、小さく声を潜めた。
「……俺だよ、レオン」
聞き覚えのある低い声だった。
男はフードを外す。現れたのは、浅黒い肌に鋭い黄金色の瞳。
頭から大きな二本の角が伸び、背中には竜人族特有のたくましい尾が揺れている。
「……ガレス?」
「よう!久しぶりだな、レオン!」
低く響く懐かしい声。
目の前に立っていたのは、竜人の大男――ガレス・ドラグーンだった。
エーデルクローネ王国で冒険者をしていた頃、俺が最初に組んだパーティの仲間である。
「元気してたか!」
「ああ!お前こそ変わらないな!」
俺たちは固く握手を交わし、そのまま軽く肩をぶつけ合う。
冒険者時代、命を預け合った仲間との再会だ。
「軍服姿のお前を見掛けてな。しかも女性を二人も連れて歩いてるから、思わず追い掛けちまった」
ガレスはニヤリと笑う。
「冒険者を辞めたと思ったら、ナンパでも始めたのか?昔から女の子好きだったよな」
「ばか!それ以上言うな」
俺は慌ててガレスの口を手で塞ぐ。
しかし、時すでに遅し。
背後ではクラウディア様とミレーヌが、何とも意味深な笑みを浮かべていた。
……嫌な予感しかしない。
「レオン」
クラウディア様が一歩前へ出る。
「ご紹介いただけませんこと?」
「……ああ、そうでした」
俺は小声で二人に耳打ちした。
「できれば、お二人とも身分は伏せてください。普通の旅の冒険者ということでお願いします」
「承知いたしましたわ」
「分かりました♪」
……よし。
これなら余計な騒ぎにはならない。
そう安心した俺は、ガレスへ向き直る。
「こちらは……」
だが、その瞬間だった。
「クラウディア・フォン・ローゼンフェルトと申しますわ。グランヴァルツ帝国ローゼンフェルト侯爵家の娘で、アルベルト皇太子殿下の婚約者ですわ」
クラウディア様は優雅に一礼した。
続けてミレーヌも微笑む。
「侍女兼、宮廷魔法士を務めておりますミレーヌ・フォン・ベルフェルトと申します。本日はよろしくお願いいたします♪」
「…………」
俺は静かに天を仰いだ。
お願いした意味が、一瞬で消えた。
2人に名乗られた、ガレスも当然、目を丸くして固まっている。
「……おい、レオン」
「何だ」
「お前……まさか誘拐したのか?」
「アホか!」
思わず即座にツッコむ。
「軍服姿で誘拐する護衛騎士がどこにいるんだ!」
「それもそうだな!」
ガレスは腹を抱えて笑い出した。
その様子を見て、クラウディア様もミレーヌも楽しそうに笑みを零す。
ガレスは咳払いを一つすると、表情を改めて胸に手を当て敬意を示した。
「公爵令嬢様、伯爵令嬢様とつゆ知らず、御無礼をお許し下さい。私はガレス・ドラグーンと申します。帝都の冒険者ギルドで戦士として所属しております」
「ありがとうございます、ガレス殿。騎士のような立ち振る舞い。見事ですわ」
クラウディア様は柔らかく微笑み、一礼する。
「どうぞお気遣いなく。わたくしの事は敬称ではなく名前でお呼び下さいませ。本日はよろしくお願いいたしますわ」
ミレーヌも笑顔で頭を下げた。
「よろしくお願いします♪私のことも敬称ではなく名前でお呼び下さい」
……身分を隠すどころか、初対面とは思えないほど自然に接している。
相手が冒険者だろうと貴族だろうと、態度を変えない。
そういうところは、本当に立派だと思う。
……その直後。
クラウディア様はガレスへそっと身を寄せ、小声で囁いた。
「後ほど、レオンの女性遍歴について詳しく教えていただけます?」
ガレスの目が、きらりと輝いた。
「喜んで!」
おい、そこ……。
意気投合すんなよ。
俺の黒歴史を切り売りするんじゃないよ!
どうやら今日も、俺に味方はいないらしい。
俺が呆れ半分で肩を落としていると、ガレスが苦笑しながらフードを軽く摘まんだ。
「そういや、さっきは驚かせて悪かったな」
「本当だよ。てっきり刺客かと思った」
「仕事中だからな」
そう言って、ガレスは辺りを見回す。
「今日はギルドから依頼を受けて、屋台市場一帯の自治警備を担当してるんだ」
「自治警備?」
「ああ。人が集まる場所は、スリや喧嘩、酔っ払い同士の揉め事なんかも増えるからな。冒険者ギルドにも警備の依頼が来る」
なるほど。
軍だけでは手が回らない場所を、冒険者が補っているという訳か。
「それでフードですか?」
ミレーヌが首を傾げる。
ガレスは頷いた。
「警備に入っている冒険者は全員この格好なんです。群衆の中ですと、目視が困難になりますので、こうして仲間同士なら一目で『警備担当』だと分かるようにしております」
「なるほど。そのような工夫があるのですね」
クラウディア様も感心したように頷く。
「おかげで、いざという時は互いの居場所も把握しやすいし、応援も呼びやすい。ギルドなりの知恵という事です」
ガレスはそう言うと、腰の革袋から小さな木札を取り出して見せた。
冒険者ギルドの紋章が刻まれた警備証だった。
「そろそろ交代の時間なんだ」
空を見上げる。
「これからギルドへ戻って任務完了の報告をして、その後は次の班に引き継ぐ予定だ」
「大変なお仕事ですわね。本当にお疲れ様です」
クラウディア様はガレスに労いの言葉をかける。
「勿体無いお言葉、ありがとうございます」
そう言って笑うガレスは、冒険者時代と変わらない。
クラウディア様とミレーヌは顔を見合わせると、ぱっと目を輝かせると、期待に満ちた表情で口を開いた。
「せっかくですもの。わたくし、冒険者ギルドも見学してみたいですわ」
ミレーヌも大きく頷く。
「私も冒険者ギルドには興味があります♪どんな雰囲気なのか、この目で見てみたいです」
ガレスは少し驚いたように目を丸くしたが、すぐに豪快に笑った。
「はっはっは!もちろんですとも!」
頼もしい胸をどんと叩く。
「クラウディア様もミレーヌ様も大歓迎です。冒険者ギルドは身分や家柄に関係なく、誰でも利用できる場所ですから!」
その言葉に、2人は嬉しそうに微笑む。
「素敵な場所ですのね」
「ますます楽しみになってきました♪」
あのう……御二方、皇女殿下のお使いを忘れていませんか?
そんな和やかなやり取りを眺めながら、俺は思わず額に手を当てる。
……これは嫌な予感しかしない。
まあ、ガレスが案内してくれるなら安心か。俺が2人を連れて外出している理由もギルドで説明すれば良いか。
それに……久しぶりに古巣の空気を味わえるのも悪くない。
「では、ご案内します」
ガレスが先頭に立つ。
俺は2人を守るようにその後ろへ付き、人で賑わう帝都の大通りを、冒険者ギルドへ向かって歩き始めた。
ガレスの案内でしばらく歩くと、見慣れた石造りの建物が見えてきた。
正面には大きく掲げられた剣と盾を組み合わせた紋章。
──グランヴァルツ帝国冒険者ギルド帝都本部。
「懐かしいな……」
思わず小さく呟く。
騎士になる前、俺が何年も世話になった場所だ。
依頼を受け、仲間と笑い合い、時には命懸けの戦いから戻ってきた場所。
俺にとっては第二の故郷と言ってもいい。
扉を開けると、途端に活気が押し寄せてきた。
「冒険者ギルドという場所は初めてですわ」
クラウディア様は興味深そうに館内を見回す。
「活気がありますね」
「皆さん、生き生きしています♪」
ミレーヌも目を輝かせていた。
「依頼を受けて働き、その報酬で生活する職人とでも言いましょうか、そんな人達の集まりですからね」
俺がそう答えると、ガレスも頷く。
「貴族も平民も種族も政治や文化も関係ない。ここじゃ実績と信用が何より大事なんです」
その言葉に、クラウディア様は宮廷では見ることのない光景に感心したように微笑んだ。
「素敵な場所ですわね」
依頼書の前で仕事を選ぶ冒険者。
討伐帰りで血まみれの鎧を着た戦士。
依頼達成の報告をする一団。
受付前には長い列ができ、酒場からは豪快な笑い声が響いてくる。
いつ来ても変わらない光景だ。
……そして。
俺の視線は、ごく自然に隣接する酒場へ吸い寄せられていく。
昼間から賑わう店内。
景気よく打ち鳴らされるジョッキ。
泡立つ黒ビール。
焼きたてのソーセージから漂う香ばしい匂い。
ああ……懐かしい。
まるで故郷へ帰ってきたような安心感がある。
気が付けば、足が勝手に酒場の方へ向かっていた。
一歩。
また一歩。
あと数歩で、その空間に入れる、その時だった。
「レオン」
穏やかな声が背中から掛かる。
俺はぴたりと足を止めた。
振り返ると、クラウディア様が穏やかな笑みを浮かべて立っている。
「ギルドの受付はあちらではありませんこと?まさか……酒場に入ろうなどと、考えてはおりませんわよね?」
「……いえ。違います」
「そうですわよね。わたくしの勘違い……ですわね」
クラウディア様は扇子で口元を隠しながら微笑む。
「本日の公務は、お買い物。皇女殿下の申し付けに背くなんてこと、ありえませんものね」
「仰る通りです」
「なら、よろしいですわ」
俺は静かに踵を返した。
酒場は何も悪くない。悪いのは、黒ビールの香りに負けそうになる俺の意志の弱さである。
クラウディア様の背後ではガレスとミレーヌが腹を抱えて笑っていた。
「はっはっは!レオン、お前は昔から本当に酒場に吸い寄せられるな!」
「……うるさい」
短く返すと、クラウディア様が耐え切れないといった様子で、くすくすと笑い始めた。
まったく。
笑顔だけを見れば、思わず見惚れてしまいそうなくらい可憐な少女なんだけどなあ。
中身は、俺の反応を眺めて楽しむのが趣味なんじゃないかと思う魔物そのもの。
何にせよ、目の前の黒ビールはお預けだ。
蛇の生殺しとは、まさにこのことだろう。
「……黒ビールよ。また今度な」
名残惜しく酒場へ視線を送ると、その様子を見ていたガレスが再び腹を抱えて笑い出した。
「はははっ! レオン、お前も苦労してるな!」
ミレーヌは感心したように両手を合わせる。
「レオンさん、今のお言葉、とても味わい深かったです♪」
「心からの渇望と、それでも任務を優先する騎士の葛藤が伝わって来て胸に迫りますわ」
クラウディア様まで、どこか芝居がかった口調で頷く。
「思わず涙を誘われました」
……いや。
その涙、人を面白がって笑い過ぎた涙だろう。
心の中だけで、そっとツッコミを入れておく。
ひとしきり笑い終えたガレスは、どこか懐かしそうに俺を見つめた。
「昔は依頼が終われば、真っ先に酒場へ飛び込んでたのにな」
「今は環境も立場も違うからな」
護衛騎士になった以上、軽率な行動は許されないだけでなく、酒一杯飲むにも、周囲への気配りが必要になる。
ガレスは腕を組み、大きく頷いた。
「なるほどな。護衛騎士ってのも、案外楽じゃないんだな」
「ああ。思っていた以上にな」
俺が遠い目をしていると、クラウディア様が館内を見回しながら口を開いた。
「せっかくですもの」
楽しそうに微笑む。
「わたくしたちも冒険者登録をしてみませんこと?」
「私もやってみたいです♪」
ミレーヌも嬉しそうに頷く。
ガレスは目を丸くした。
「もちろんできますよ。冒険者ギルドは身分に関係なく登録できますから」
4人で受付へ向かう。
受付には、金色がかった狐耳とふさふさの尻尾を持つ、美しい狐人の女性が座っていた。
柔らかな笑みを浮かべ、ガレスを見る。
「ガレスさん、お帰りなさい。本日の自治警備、お疲れ様でした」
「お帰りなさいませ、ガレス様。本日の自治警備、お疲れ様でした」
「ああ。市場周辺は異常なしだ。交代の連中にも引き継いできた」
「承知いたしました」
受付嬢は帳簿へ手際よく記録を書き込み、小さな革袋を差し出した。
「こちらが今回の報酬になります」
「ありがとう」
ガレスが受け取る。
そのまま俺たちを振り返った。
「今日はこの二人も冒険者登録をお願いしたい」
「かしこまりました」
受付嬢は笑顔で頷く。
「初めて登録される方には、冒険者について簡単な説明をさせていただいております」
クラウディア様とミレーヌは並んで耳を傾ける。
「まず、冒険者は十等級から始まります」
「等級というのは、強さを表すものなのですか?」
クラウディア様の問いに、受付嬢は首を横へ振った。
「いいえ。等級は強さではございません」
「冒険者として依頼をどれだけ達成し、どれだけ信頼を積み重ねてきたか。その実績を表すものです」
その説明に、クラウディア様も納得したように頷く。
「なるほど」
受付嬢はカウンターの奥から、縁に魔法文字が刻まれた銀色の鏡を持ってきた。
「こちらは《鑑定鏡》と申します」
鏡面は静かに揺らめき、不思議な光を放っている。
「この鏡は、皆様がこれまで積み重ねてこられた鍛錬や技能を確認するための魔道具です」
狐人の受付嬢は、丁寧な、ゆっくりとした口調で説明を続ける。
「適性のある職業や、普段鍛えておられる武器、習得されている魔法や技術などが表示されます。ただし、強さや優劣を決めるものではなく、実際の冒険者としての評価は、依頼の達成実績と信用によって積み重ねられていきます」
その説明に、俺は小さく頷いた。
冒険者の登録制度は昔と変わらず公明正大で何も変わっていない。だからこそ信頼に置けた。
受付嬢はクラウディア様へ微笑みかける。
「それでは、鏡をご覧ください」
クラウディア様が静かに鏡の前へ立つ。
鏡面が淡く光り、ゆっくりと文字が浮かび上がった。
──職業:治療師
──習得武器:レイピア、短槍、弓術
──習得技能:応急処置、薬草学、礼法、宮廷作法、馬術
──習得魔法:治癒魔法、補助魔法
受付嬢は感心したように頷いた。
「見事でございます。治療師としての基礎をしっかりと修めておられますね。治癒魔法だけでなく、薬草学や応急処置も身に付けていらっしゃるようです」
俺もクラウディア様の持つ技能に感心していた。
深窓の姫君などではない。
日々鍛錬を積み重ね、自らを磨いてきた人なのだと改めて実感する。
……うん?
待てよ。
ということは、俺への追跡能力も、その鍛錬の成果なのか?
いや、あれは絶対に違う。
あれだけは生まれてついている才能だ!
鑑定鏡には映らないのはなぜ?
「また、レイピアや短槍、弓も継続して鍛錬されておりますので、護身術としても十分な技量をお持ちでしょう」
クラウディア様は少し驚いたように鏡を見つめた。
「ここまで分かるのですか」
「はい。この鏡は才能を見るものではなく、皆様が積み重ねてこられた努力を映し出す魔道具です。どれほど優れた素質をお持ちでも、鍛錬を怠れば何も映りません。逆に、地道な努力を続けられた方ほど、多くの項目が映し出されます」
その説明に、クラウディア様は穏やかに微笑んだ。
「努力を映す鏡……素敵ですわ」
受付嬢も嬉しそうに頷く。
「冒険者ギルドでは、その努力を何よりも大切にしております」
クラウディア様は一礼すると、静かに鏡の前を離れた。
代わって前へ出たのはミレーヌだ。
「次は私ですね♪」
いつも通り柔らかな笑顔を浮かべながら鏡の前へ立つ。
すると鏡面が再び淡く輝き、新たな文字がゆっくりと浮かび上がった。
──職業:宮廷魔法士
──鍛錬武器:短杖・護身短剣
──習得魔法:火属性魔法・水属性魔法・風属性魔法・土属性魔法・治癒魔法・生活魔法
──習得技術:魔力制御・魔法陣構築・調薬・裁縫
──継承魔法:ベルフェルト家伝承魔法
受付嬢は鏡の内容を確認すると、感心したように微笑んだ。
「こちらも見事でございます」
「宮廷魔法士として幅広い魔法を修めておられるだけでなく、魔力制御も非常に丁寧です。日頃から相当な鍛錬を積まれていることが分かります」
「さらに、ご家門に伝わる伝承魔法も継承されているのですね」
ミレーヌは照れくさそうにはにかんだ。
「お父様やお母様、それに宮廷の先生方から教えていただきました♪」
「ご謙遜を。その教えを身につけられたのは、ミレーヌ様ご自身の努力あってこそでございます」
受付嬢は柔らかな笑みを浮かべた。
「この鏡は才能ではなく、皆様が歩んでこられた軌跡を映しております」
ミレーヌは嬉しそうに微笑み、クラウディア様の隣へ戻った。
その姿を見ながら、俺は改めて思う。
この2人が貴族社会で良くも、悪くも注目されている理由は、家柄だけじゃない。
誰にも見えないところで積み重ねてきた努力があるからこそ、自然と惹かれる人もいれば、嫉妬を集めてしまう者も集めてしまうのだろう。
ガレスは腕を組み、どこか懐かしそうに笑った。
「そういや、レオンにも笑える思い出があったな」
……嫌な予感しかしない
俺が制止するより早く、ガレスはクラウディア様とミレーヌへ向き直った。
「レオンが戦士適性を確認したいというので、エーデルクローク王国の冒険者ギルドの受付に連れてきた日のことですよ。聞きたくないですか?」
「まあ、是非お聞かせ下さいまし!」
「聞きたいです♪」
やめろ!
その2人は絶対に言っちゃいけない。
そんな心の叫びなど意に介さず、ガレスは構わず話し始めた。
まだレオンが冒険者になったばかりの頃、戦士適正を実戦で磨いた技術が、努力として反映されているか確認する為、エーデルクローネ王国冒険者ギルドの受付に来た時のこと。
受付嬢が《鑑定鏡》をレオンに差し出した。
「それではレオンさん、鏡をご覧ください」
鏡が淡く輝き、文字が次々と浮かび上がる。
──職業:戦士
──鍛錬武器:長剣・短剣・戦斧・弓術
──習得技術:野営・索敵・応急処置・空間識別・道具利用(基礎)・道具利用(応用)
「おお、いいじゃねえか」
レオもガレンも仲間達も納得して頷いた。
ところが……悪魔はここから忍び寄る。
一番最後に、見慣れない文字が浮かび上がったのだ。
──嗜好:黒ビール
受付嬢が首を傾げた。
「……黒ビール?」
レオン本人も鏡を覗き込む。
「は?何これ!どういうこと!?」
ギルド中にレオンの声が響かせると受付嬢は慌てて説明する。
「この鏡は日頃親しんでいるものも、ごく稀に表示されることがございまして……」
「そんなわけあるか!どんな鏡だよ!プライバシーダダ漏れじゃん!」
「毎晩飲んでませんでした?」
「飲んで……ないよ♪」
「昨日も飲んでましたよね?私、レオンさんが酒場でヘラヘラして黒ビール飲んでいる姿を毎日、見てましたよ」
「……はい。ごめんなさい」
見事、完敗のレオン。
その日の夕方。
レオンとガレンのパーティ4人全員はギルドマスターの執務室に呼び出された。
ギルドマスターは腕を組み、呆れた顔で言う。
「レオン」
「はい……」
「酒はほどほどにしろ……っていうかララリカ人のお前も、どんだけ黒ビール好きなんだよ!《鑑定鏡》に黒ビールとか出た奴はエーデルクローネの冒険者ギルドの歴史の中でも、お前しかいねえよ!」
「はい……」
「ガレス」
「はい」
「お前止めろよ……一緒になって毎日、飲んでるんじゃねえよ!」
「はい……」
「ゴードン」
「はい」
「一緒になって飲むな……っていうか、レオンを黒ビールの世界に引き込んだ責任をしっかり取れよ!」
「善処します」
「善処じゃないよ!」
「はい」
「エルザ」
「はい」
「お前まで笑って見てるんじゃない!」
「……ごめんなさい」
結局、パーティ全員が並んで説教を受ける羽目になった。
レオンを除く3人とも吹き出すのを我慢しながら……。
「──ということがあってな」
話し終えたガレスは腹を抱えて笑い始めた。
「はっはっはっ!あれは傑作だった!」
一瞬の静寂からそして。
「ぷっ……!」
ミレーヌが吹き出した。
「ふふっ……黒ビールが表示されるなんて……!」
クラウディア様も扇子で口元を隠したまま肩を震わせている。理性も何もかも決壊目前だ。
「努力を映す鏡に、黒ビールを映してしまうなんて……レオンの努力指標……ぶふっ!」
ついには2人とも声を上げて笑い始めた。
おまけに狐人の受付嬢まで肩を震わせて笑いを堪えている。
俺は静かに上を見上げる。
……昔の黒歴史というものは、どうしてこうも風化しないんだろう。
その隣では、ガレスがまだ笑っていた。
「いやぁ、今日一番笑った!」
……友達というのは『昔話を美談にはしてくれない』生き物らしい。
皆さん、第七話まで読んでいただき、本当にありがとうございます。
今回は皇女殿下のお使いで屋台巡りをするだけの平和な任務……だったはずなんですよ。
そう。
本当なら。
なのに、どうして冒険者時代の仲間に再会して、昔の黒歴史まで暴露される羽目になるんでしょうね?
しかも《鑑定鏡》事件。
忘れてください。
お願いだから忘れてください。
俺は何年も前の出来事だから、もう誰も覚えてないと思ってたんですよ。
ところがガレスの野郎。
嬉々として話し始めやがりました。
『努力を映す鏡』に『黒ビール』。
……違うんです。
あれは事故なんです。
たまたま毎日飲んでいただけなんです。
いや、毎日飲んでたら事故じゃないのか?
しかもギルドマスターから「歴史上初だ」と説教される始末。
そんな記録、残さなくていい。
英雄譚じゃなくて酒好き伝説なんですよ。
それにしても、久しぶりに冒険者ギルドへ戻ることができたのは嬉しかったですね。
身分も種族も関係なく、努力した人間が認められる場所。
やっぱりあの空気は好きです。
……まあ、その後に黒歴史も努力として認められたんですが。
あと、クラウディア様とミレーヌ。
あの2人、本当にガレスと仲良くなりましたよね。
最初は身分を隠してくださいとお願いしたはずなんですが、開口一番で本名も身分も全部名乗るとは思いませんでした。
俺の頼みって、そんなに軽いんですかね?
しかも、ガレスに「レオンの女性遍歴を教えてください」なんて耳打ちまでしてましたし。
あの時のガレスの笑顔、一生忘れません。
あれは完全に裏切り者の顔でした。
……俺に味方はいない。
最近、本気でそう思います。
次回は、黒歴史暴露大会にならないといいなあと願うばかりです。
でもなあ……ガレス1人で、あの破壊力ですから
酒好き女好きの破戒僧ゴードン。
頼れる女魔法士のエルザ。
そして、自由すぎる猫人の斥候がいると聞いているので、願わくば出くわしませんように。
でも、あの頃の仲間たちも懐かしいし、会いたい気持ちはありますけど、ロクな事を言いそうにないしなあ。
果たして、その時は再会は感動になるのか?
それとも、また俺の黒歴史が増えるだけなのか?
……たぶん後者でしょう。
それでは、第八話でまたお会いしましょう!
──レオン・クラウス




