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悪役令嬢付きのしがない護衛兵士ですが、冷酷な黒太子が彼女にだけ甘すぎるので毎日腹の中で笑っています  作者: 新小岩 茶太郎


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第十一話 クラッシャー討伐後、俺が馬車に喰われました

 破城蟻(グラドガス)こと通称クラッシャーが、低く身を沈めた。

 どう見ても、お辞儀したんじゃなく、敵意剥き出しの構えだよね。


 嫌な予感しかしない。


 というより、あれだけ巨大な蟻がこちらを真正面から睨みつけている時点で、予感やへったくれもないか。


 仕掛けてくるのは、恐らく突進だ。


「クラウディア様、ミレーヌ様。直ぐに下がってください!」

「ですが!」

「いいから!」


 俺は2人の前に出た直後、地面が爆ぜた。


「くっ!」


 破城蟻(グラドガス)が巨体を弾丸のようにして突っ込んでくる。


 速っ!猛牛が駆けてくるどころの話じゃない。

 あれはもう、蟻ではなく走る岩の巨塊だ!

 だけど、この距離ならまだ、間に合う。


「レオン!」

「クラウディア様、ミレーヌ。失礼します!」


 考えるより先に身体が動いた。

 俺はクラウディア様の腰を右腕で、ミレーヌの腰を左腕で抱え上げる。


「きゃっ!」

「えっ、ちょ、レオン様!?」

「事は急を要するため御無礼をお許し下さい!それから、舌を噛まないように!」


 言った直後、俺は地面を蹴って横へ飛ぶ。

 ほんの一瞬遅れて、破城蟻(グラドガス)が俺たちのいた場所を突き抜けた。


 轟音と地面が大きく抉れ、土砂が宙へ舞い上がる。


「うわっ……轢き逃げでもするつもりか!?」


 俺は2人を抱えたまま地面を転がり、何とか勢いを殺した。


「御2人とも、ご無事ですか?お怪我はありませんか?」

「ええ、無事です。怪我もございません」


 クラウディア様がそう答え、ミレーヌもすぐに頷く。


「私も無事です」


 2人の無事を確認して、俺はようやく息を吐いた。

 間一髪だった。

 先ほどまで2人がいた場所には、破城蟻(グラドガス)の攻撃によって深々と地面が抉られている。


「近衛騎士として、見事な働きぶりでした。さすがはレオンですわ」

「私まで助けてくれて、本当にありがとうございます」


 貴族令嬢のクラウディア様とミレーヌも、素直に感謝の御礼を口にするところは、素直で可愛くもあるんだよなあ。


「どういたしまして。御2人をお守りするのが、私の仕事ですから」


 そう答えながら、俺は2人の様子を改めて確認するが、本当に怪我もないことを確認して、肩の力が抜けた。


 ……よかった。

 さすがに目の前で2人に怪我をされたら、俺の胃が本格的に死ぬ。


 俺はすぐに顔を上げた。


 土煙の向こうには、破城蟻(グラドガス)の巨大な顎が地面を深く抉っている。

 その顎を引き抜くと、巨体をゆっくり振り向ける。


 六本の脚が、地面を踏みしめ、ずるりと巨大な顎を持ち上げながら、こちらを狙いを定めようとしていた。


 俺はグラドガスの動きを注視する。

 巨大な複眼が、俺たちのいる場所をゆっくりと見渡していると、その視線が、ある一点で止まった。


 ミレーヌだ。


 グラドガスの巨大な頭部が、わずかにミレーヌのいる方向へ傾く。


 嫌な予感が、背筋を這い上がった。

 間違いない!あいつの狙いは、ミレーヌだ!


 先程、彼女が放った古代魔法は、破壊力もインパクトも災害級。

 クラッシャーからしてみれば、仲間の魔蟻(マーガス)を一瞬で殲滅されたら、そりゃあ、草原びっくり伝説。


 ミレーヌを純粋に『攻撃』を加える者としてではなく、自分たちを滅ぼす『脅威』の存在と判断したのだ。


 まあ、確かにあれだけの事をされたら、最優先で潰しに来るわなあ……っと呑気に分析している場合じゃないな。

 このままクラッシャーが突っ込めば、後ろにいるミレーヌまで突進の餌食になり大惨事になる。


 俺は周囲を素早く見渡した。

 ミレーヌもクラウディア様も、そのすぐ後方に控えている。

 そのことを確認した直後、兵士や冒険者たちも足早にこちらへ駆けつけてきた。


「3人とも無事か!?」

「クラウディア様、ミレーヌ様、レオン殿、ご無事ですか?」


 ガレスとヴァルガー隊長も、慌てた様子で安否を確認しに駆け寄ってくる。


「こちらは無事だ。ギリギリ回避できたよ」

「そうか!無事で良かったぁ……」


 ガレスが大きく息を吐き、胸を撫で下ろした。


「寿命が縮んだぜ。あんなのをまともに食らったら、さすがの俺でもただじゃ済まねぇ」


 続いて、ヴァルガー隊長が深々と頭を下げる。


「こちらが咄嗟に行動できず、謝罪のしようも御座いません。御2方の御身に万が一、傷でも付こうものなら、黒太子殿下に申し訳が立たぬところでした。レオン殿、先程の回避行動、見事でございました。感謝いたします」

「ヴィルガー殿、どうか面(おもて)を上げてください」


 クラウディア様が穏やかに声を掛ける。


「無理を申し上げて最前線まで出てきたのは、わたくし達です。ヴァルガー隊長に非もなければ、責任もございませんわ。余計な気苦労を強いたこと、深くお詫び申し上げますわ。そうですわね、レオン」


 こちらへ顔を向けるクラウディア様に俺も頷いた。


「仰る通りです」

「寛大ならお言葉……感謝に絶えませぬ。この上は粉骨砕身でクラウディア様とミレーヌ様を御守りする所存にございます」


 ご自分の立場や権威を振りかざすことなく、相手の立場を思いやり、非を認め、素直に謝罪する姿勢は、本当に人として立派だと思う。


「クラウディア様もミレーヌ嬢もご無事なのですから、それで十分です。それより……」


 俺は土煙の向こうへ振り返る。

 巨大な黒褐色の甲殻が、ゆっくりとこちらへ向きを変えていた。


 六本の脚が地面を踏みしめ、全身が低く沈んだ。

 あれは、ただの威嚇じゃない。

 突撃の構えだ。

 だが、俺は、わずかに眉をひそめた。


 おかしい。

 本来なら、あの巨体は迷うことなく突っ込んでくるはずだ。

 なのに、破城蟻(グラドガス)ことクラッシャーは動かない。


 むしろ、低く身を構えたまま、こちらを睨みつけている。

 まるで、何かを警戒しているように。


 ……まさか。

 俺はミレーヌを見る。


 彼女は杖を握ったまま、グラドガスを真っ直ぐ見据えていた。


 ミレーヌの魔法を警戒しているのか?


 推測に過ぎないが、もしそうだとするなら、今が好機だ。

 グラドガスが動けないほど、ミレーヌの魔法を警戒している。


 なら、その僅かな時間を無駄にする理由はない。


「ヴァルガー隊長!」

「はっ!」


 俺はグラドガスから目を離さずに説明する。


「あのグラドガスの狙いはミレーヌ嬢です」

「……何ですと!?」


 ヴァルガー隊長が目を見開く。


「しかし、どうしてミレーヌ様だけを?」

「先ほどの古代魔法です。ミレーヌ嬢の魔法によって、魔蟻の群れは壊滅的な被害を受けた。クラッシャーは、彼女を『脅威』と判断したんです」


 俺は破城蟻(グラドガス)からミレーヌに視線を変える。


「……破城蟻(グラドガス)がミレーヌ様を排除しようとしていると言う事ですな」

「ええ、事は急を要します。ヴァルガー隊長。ミレーヌ嬢の前方に防御陣の指示をお願いします」

「承知しました!」


 ヴァルガー隊長が即座に振り返る。


「総員、聞いたな!ミレーヌ様の前に防御陣を構築しろ!絶対に突破させるな!急げ!」

「はっ!承知しました!」

「盾兵、前へ!」

「後列、間隔を詰めろ!」


 兵士たちが一斉に動き始める。

 盾が重なり、鉄がぶつかる音が連続して響くと、クラウディア様とミレーヌの前方周囲を、兵士たちと冒険者たちが取り囲んでいく。


 やがて、ミレーヌの前に厚い人の壁が出来上がった。


「よっしゃあ!俺たち冒険者は、兵士どもの背中を支えるぞ!ここまで来て逃げ出すんじゃねえぞ!」


 ガレスが大斧を担ぎ上げ、豪快に叫ぶ。


「誰が逃げるか!」

「こんなデカブツ、ぶっ倒してやるぜ!」

「素材、むしり取ってやる!」


 周囲の冒険者たちから、次々と声が上がり、盾を構える兵士の背中を全身で支える。

 その声と支援に押されるように、兵士たちも盾を握り直した。


「クラウディア様!ミレーヌ、私も兵士を支えます!後はよろしくお願いいたします!」

「お待ちなさい、レオン!」

「クラッシャーが構え始めてます!いつ来てもおかしくありません!生きて帰ったらお叱りは受けますので、どうか最後まで逃げ切ってください!」


 前衛のこの人数なら、破城蟻(グラドガス)の攻撃を防ぐのも、数人のパーティで討伐するよりは、気も楽ではある。


 だが、重量級の生物の突撃を一身に受けるのは、腕に自信のある兵士や冒険者だって命懸け。

 だけど……俺は近衛騎士である前に1人の男!


 対象の2人が、かよ弱き者……かどうかは、非常に異論は山ほどあるのだけど、それでも守りたいと思ってる。

 ならば、ここにいる兵士と冒険者たちと、命張って見せましょう!


「それならば、レオン……主(あるじ)として命令いたします」


 あっ……やべえ。クラウディア様の顔が明らかに怒っている。

 

 その声に、俺の足が止まり振り返ると、クラウディア様が、こちらを真っ直ぐ見つめている。


 怒っている……間違いなく怒っている。

 だが、それだけじゃない。

 その瞳の奥には、はっきりとした不安があった。


「必ず……必ず元気な姿で、わたくしの下に戻りなさい」


 静かな声だった。

 けれど、その一言一言が妙に重い。


「命を粗末にすることは、決して許しませんよ」

「……」


 俺は思わず言葉を失った。


 ……これは、ずるい。

 主(あるじ)として命令された以上、近衛騎士として従わなければならない。


 でも、何というか、今の言葉は命令じゃない気がするんだ。

 俺に生きて帰ってこいと、クラウディア様自身が純粋に願っている気がする。


「……承知いたしました」


 俺は胸に拳を当て、深く頭を下げる。


「この不肖、近衛騎士レオン・クラウス。必ずやクラウディア様の御許へ、生還することを誓います!」

「その誓い、破らないで下さいましね」

「はい」

「約束ですよ」

「……はい。必ずや、お約束いたします」


 クラウディア様は、ようやく少しだけ表情を緩めた。

 

「よろしい」


 クラウディア様のその声を聞いて、俺は再び前を向く。

 何気に心配性なのかしら?

 もしかしたら黒ビール飲みたさに、何度も帝城を脱走する常習犯だから、破城蟻(グラドガス)を倒した後、バックれて酒場に行くと思われているかもしれない。


 でも……参ったな。胸の奥が、妙に熱いのは何故だろ?

 俺は近衛騎士だから命令には従う。


 主を守るのが仕事だ。だから戻るり


 まあ……あんな顔をされてしまったら、死んでも帰ってこないとな。

 あっ、死んじゃダメなんだよね。


 ちゃんと生きて帰ろう。


 俺は小さく息を吐いた。


「それでは、行ってまいります」

「ええ、万が一怪我をしたら治療いたしますわ」

「それは心強いです!」


 クラウディア様も笑顔で頷く。


「いってらっしゃいませ、レオン」

「はい、クラウディア様」


 その声を背中に受けながら、俺は前衛へ駆け出した。

 目の前には、巨大なクラッシャー。


 命懸けの突撃が、もう始まる寸前だ。


 約束したからには、是が非でも守ろう。

 絶対に帰る。


 兵士を支える冒険者たちに合流すると、そのまま盾を構える兵士を気合いを入れながら全身で支えた。




---------




「魔法士の皆さん!」


 ミレーヌが5人の魔法士へ笑顔で向き直る。


「攻撃魔法は使わないでください!詠唱の最中に、クラッシャーに突っ込まれます」


 ミレーヌは迫り来る破城蟻(グラドガス)を指差した。


「今から詠唱しても、クラッシャーのあの移動速度で突撃されたら、術式が展開される前に前衛が持ちません」


 5人の魔法士が顔を見合わせる。


「確かに私たち魔法士も攻撃を回避するのが精一杯で、詠唱も術式も展開しづらいですな」

「何か方法はございますか?」


 何か閃いたかのような顔をするミレーヌ。


「短い詠唱で展開できる、防御力や速度を落とす術魔法を展開して下さい。私はクラッシャーの防御力を弱める魔法を展開します。急ぎましょう!」

「了解しました!」

「魔法の支援は承知した!」


「前衛の皆さん!魔法士5名がクラッシャーに防御力緩衝役と速度遅延の術式を施します。それから私は、衝撃緩衝の術式の盾を張ります。どうか持ち堪えて下さい!」


 ミレーヌの言葉に前衛から歓声が上がると、冒険者たちからは賞賛の嵐が飛び交う。


「ありがとうよ!伯爵のお嬢ちゃん!」

「ここで逃げねえなんて、本当に大した度胸だ!」

「伯爵令嬢にするのが勿体ねえ!」

「無事に綺麗なままで、お城に帰してやるからな!無理するじゃねえぞ!」


 荒々しい声ばかりだが、その1つ1つに悪意や敵意は一切なく、ミレーヌを1人の仲間として認めたような、温かさがあった。


「はい!」


 ミレーヌも負けじと声を張る。


「皆で生きて帰りましょう!」


「おう!」

「任せろ!」

「死ぬんじゃねえぞ!」


 再び歓声が上がる、その光景を見ながら、レオンも思わず口元を緩めた。


 ……なんだかんだで、こういうところは冒険者らしいんだよな。


 身分や立場も関係ない。

 強い奴も、弱い奴も関係ない。

 貴族も、平民も関係ない。


 いざ命を張る場面になれば、隣で戦う仲間だなのだ。


 ヴァルガー隊長も即座に応じる。


「ミレーヌ殿!ならび魔法士の助太刀、感謝いたします!」 「冒険者はその後ろだ!絶対に突破させるな!」


 兵士たちが盾を構える。

 冒険者たちも武器を手に取り、その背後へついた。

 俺は盾兵の一人の肩へ手を置いた。


「飛ばされる事は目に見えてますけど、一生懸命支えますからね!」

「はい!頼りにしています!」


 ミレーヌが杖を掲げる。


「お願いします!」


 2人の魔法士が防御力緩衝の術式を一斉に詠唱する。


「硬き守りを削ぎ(アルガ・ゼル)、脆き一点を生め(セラ・ネイア)──防緩(アルガ・ソル)」


 今度は、3人の魔法士が速度遅延の魔法を同時に詠唱する。


「その身を鈍らせ(ネス・ヴァル)、疾きを封ぜよ(エル・セラ)──遅緩(ネス・ソル)」


 5つの術式が、同時に発動した。


 空中に展開された5つの淡い光を帯びた魔法陣が、次々と破城蟻(グラドガス)の硬い外殻を包み込むと、甲殻の表面へゆっくりと浸透していく。

 まるで背中、胸部。腹部。そして六本の脚へ、魔法を水の如く、染み込ませていくように。


 それぞれの脚にも魔法陣が絡みつくように展開され、節の1つ1つを淡い光が覆っていく。


 グラドガスが、初めて大きく身を震わせた。


 ──ギギィィ……!


 耳障りな鳴き声が響かせ、6本の脚が地面を掻く。

 硬い甲殻に覆われていた脚の表面に、魔法陣の光が走しる。

 5人に一斉に、状態異常の術式を掛けられれば、さすがの破城蟻(グラドガス)と言えど、タダでは済まない。


「ミレーヌ様!魔法が効いています!」


 魔法士の1人が、ミレーヌに声を掛けると同時に、ミレーヌ自身も杖を掲げた。


「次は防御ですね!詠唱済みなので、このままいきますね!」


 杖の先に白い魔法陣が幾重にも重なる。

 例えばミレーヌが味方に付与するなら、


「──撃壁(アルガ・ヴァル)」


杖の先端に展開した魔法陣が、低い音を響かせながら回転する。


 次の瞬間、魔法陣から幾重もの光の紋様が放たれ、前衛舞台の兵士と冒険者たちの身体へと次々と包み込んだ。


 光は鎧や衣服の表面を滑るように走り、頭、胸元、肩、腕、脚へと各部位に刻まれていく。

 やがて全身を覆っていた光が収束すると、身体の周囲に薄い透明な膜が形成された。


 見た目には何も変わっていないが、皆が心強い不思議な力に身を包まれている確かなものを感じる。


「これは……?」


 兵士の一人が自分の腕を見る。


「身体が軽い?」

「違います」


 ミレーヌが説明する。


「衝撃を受けたときに、魔力の膜が物理的な力を分散させます!打撃や突進による衝撃や、お身体への負担を軽減する術式です!」


「つまり……吹き飛ばされてもくくなるってことですか?」

「はい!」


 ミレーヌが頷く。


「ただし、完全に防げるわけではありません!強すぎる攻撃や衝撃を受ければ、魔力の膜も破れます!」

「充分でございます!」


 ヴァルガー隊長が叫ぶ。


「全員、吹き飛ばされても受け止めるぞ!」


 俺も盾兵の背後へ回り、肩を添えた。


「よし!これなら一度や二度吹っ飛ばされても安心だ!」


 レオンも改めて支援魔法の有り難さを実感していた。




---------




 破城蟻(グラドガス)が地面を蹴り、突進してきた。

 ミレーヌと魔法士たちの魔法が『脅威』を増幅させ、トリガーになったようだ。


 地面が激しく震え、巨大な身体が迫ってくる。


「来るぞ!」

「総員、密集して構えろ!」


 盾が前後二列に密集隊形へとなる。

 

 あっ、破城蟻(グラドガス)の頭が、俺のいる縦列に迫ってるね。

 なぜか知らないけど、俺はこういう災難を引き当てる事が多いんだよね。


 前列の兵士を体重を掛けて支えながら、とにかく踏ん張ろう!


 そして、瞬きほどの瞬間。


 ──ドォォォォンッ!!


 グラドガスの巨体が、防御陣へ激突した。


 3メートル級の破城蟻(グラドガス)が繰り出す体当たりは、凄まじい衝撃が盾と兵士を通して俺の身体へ伝わる。


「ぐっ!」

「うおっ!」

「よし!食い止めたあ!踏ん張れえ!」


 俺の身体が後ろへ押し込まれる。

 だが、足が浮かない。


 いつもなら、この一撃だけで何人も吹き飛ばされていただろう。魔力の膜が衝撃を受け止め、身体へ伝わる力を分散してくれているのだ。


「耐えろ!」

「うおおおおおっ!」


 兵士たちも冒険者たちもガレスも歯を食いしばる。

 支援魔法の加護があっても、破城蟻(グラドガス)の勢いは凄まじかった。


 やがて、魔力の膜が軋み、光の亀裂が走り始めた。


 ──パキッ。


 嫌な音がした。


 まずい。


 次の瞬間。


 ──バキィィン!!


 魔力の膜が一気に砕け散った。


「うわあああっ!」


 防御陣が崩れる。

 体当たりを喰らった、兵士たちが次々と吹き飛ばされ、真後ろで支えていた俺も、クラッシャーの頭部をまともに受けた。


「ぐあっ!」

「ぎゃあああ!」


兵士や冒険者たちの悲鳴が入り混じる中、俺の身体も宙へ投げ出され、そのまま、勢いよく地面へ叩きつけられた。


「がっ……!」


 胸の奥に、鋭い痛みが走り、呼吸が止まった。

 これ、マジで苦しい……!


 無理やり息を吸うと、その瞬間、肋骨が軋むような痛みが走る。


「ぐっ……!」


 どうやら、体当たりの衝撃で肋骨にヒビが入ったらしい。

 自分の胸部や脇腹をさすったが、折れてはいない。


 もし身体を覆っていた魔力の膜がなければ、今の一撃で肋骨どころか、内臓までやられていてもおかしくなかった。


 だが、休んでいる暇なんて、当然なく……。


 ──ズガァァァン!


 俺のすぐ真横に、破城蟻(グラドガス)の巨大な顎が叩きつけられた。


「っ!」


 地面が大きく抉れると、土塊が弾け、吹き上がった土砂と土煙が周囲へ舞い散った。


 着地場所がズレていたら、今度は肋骨のヒビ程度じゃ済まなかった。

 考えるだけで背筋が冷える。


 ここで蟻の餌食なんて……冗談じゃない。

 俺は痛む胸を押さえながら、必死に身体を起こす。

 

 何とか動ける!

 まだ戦える!

 俺は痛みに耐えながら、ゆっくりと立ち上がった。


 ミレーヌの防御魔法がなかったら……本当にヤバかった。


 ……それにしても派手に吹っ飛ばされたなあ。

 まあ、当然と言えば当然だよな。

 あの巨体の突撃を真正面から受けたのだから、まともに踏ん張れた奴のほうが少ない。


 これ、討伐依頼だよね?

 採掘場で働いてたら、もっと安全だったんじゃないか?

 俺は痛む胸を押さえながら、周囲を見渡す。


 何人かは頭を押さえている。

 何人かは腕を庇っている。

 中には、地面に転がったまま空を見上げている奴までいる。


 あれはもう、戦闘不能というより人生について考え始めてる顔だなあ。


 だが……。


「くそっ……!」

「立て!まだ終わってねぇぞ!」

「誰か、怪我人を後ろへ運べ!」

「僧侶と治療師はすぐに手当を!」


 あちこちから怒号が飛び交う。


 倒れた仲間を引き起こす兵士。

 武器を拾い直す冒険者。

 肩を押さえながらも、前線へ戻ろうとする奴までいる。

 恐怖に足が竦んでいる者、逃げ出す者は誰1人いなかった。


 誰もが、失っていた勢いを取り戻そうと必死だった。

 

 ……なんだよ。みんな、すごい根性あるじゃんか。

 俺だけ「今日はもう帰っていいですか?」なんてララリカンジョークは流石に言いづらいよな。


 負傷して額から血を流している、ヴァルガー隊長の怒声が響く。


「まだやれるぞ!脚を狙え!正面から突っ込むな!」

「盾持ちは前へ!後衛を守れ!」

「クラッシャーの野郎!今度はこっちが身体ごとクラッシュさせてやらあ!」


 兵士たちが再び盾を構え、冒険者たちも左右へ散り、それぞれの得物を握り直していく。

 戦意は折れてはいない!あれだけの突撃を受けてなお、戦線を立て直そうとしている。


 ……頼もしいじゃないか、って言うか、これだけ吹き飛ばされて、まだ戦おうとしているのだから、吹き飛ばされた時に、命を大事にするという概念ごと飛ばされちゃだたんだろうな。


 俺は一度だけ深く息を吸った。


「ぐっ……!」


 胸が痛む。

 かなり痛い。

 肋骨にヒビが入っているんだから当然だ。


 まあ、折れてないだけ上出来かあ。今日の俺、妙に自分に甘いな。


 正直、今すぐ座り込みたい。

 できれば横になりたい。

 できれば医者に診てもらいたい。

 そして何より……。

 できれば酒場に行きたい。


 いけない、いけない。つい本音が出ちゃった。


 頭に描いた黒ビールを振払い、俺は剣を握り直した、その時、聞き慣れた大声が飛んできた。


「レオン!」


 振り向くと、ガレスが腕を抑えながら、こちらへ駆けてくる。


「お前、大丈夫か!?」

「見ての通り大丈夫だ!」

「全然大丈夫そうに見えねぇぞ!」

「まあ……肋骨にヒビが入ったくらいだ」

「お前、それは重症って言うんだぞ」


 ガレスが呆れた顔をする。


「まあ、止めても聞かないだろうから、これ以上は言わねえけど、無茶すんなよ!」

「無茶はしないさ!」


 俺はグラドガスを見る。


 巨大な甲殻と6本の脚。

 人間なんて簡単に吹き飛ばせる、馬鹿げた質量。

 力の差は歴然なのに凄く面白い!と思っている自分がいる。


「相手が強ければ、強いほど、燃えてくるよねえ」

「ガハハハ!レオン、それを世間じゃ無謀って言われたんだぞ!知ってたか?」

「なるほど!さすがはガレス。勉強になるなあ」

「ったく、今さらかよ!」


 硬い甲殻を斧が打ち据えると、ガレスの一撃が効いたのか、破城蟻(グラドガス)が身体を大きく振り回し、威嚇するように巨大な顎を鳴らした。


「まだ動けるんだな?」

「ああ!余裕で行けちゃうね!」

「上等だ!一気に畳み込むぞ!」


 破城蟻(グラドガス)の威嚇に臆する事なく、同じ前脚の付け根に戦斧を執拗なまでに斬り込んでいく。

 思えば、あいつも逆行に追い込まれるほど、強くなるんだよなあ。


 俺も負けちゃいられない!

 魔法士が放った防御力を緩める術式が生きている間に、斬り込むとしよう!


「まだ終わってねぇぞ!」

「解体してやる!」

「骨折させてくれたお礼をしてやる!」


 破城蟻(グラドガス)の一撃を喰らう前より増して、殺気を放ちながら躍り出てくる、兵士と冒険者たち。


 さすがの破城蟻(グラドガス)も束になって襲い掛かられたら、攻撃対象が定まらなくなる。


 まさにチャンス!


 俺は痛む胸を押さえながら、とある弱点に狙いを定めると、破城蟻(グラドガス)の下腹部に一気に身体ごと滑り込ませた。


「さあ、第2ラウンドだ」


 巨大な甲殻に覆われている破城蟻(グラドガス)だが、生物学上、腹部は甲殻もなく柔らかい箇所だ。


 暴れるクラッシャーの真下に潜り込むなんて、一歩間違えれば、踏み潰されるのは必至。

 だが、ここまで来れば引くつもりはない。


 俺はこの巨蟻の下腹部の動きに合わせながら、地中の虫の如く動き回り、狙いを定める。


 やっぱり、ここだ。


 硬い外殻に覆われていない、腹部の真下にある、薄い膜のような部分。


 俺は、コソ泥のような姿勢で剣を握り直した。

 格好悪い。

 実に格好悪い。


 帝国国民に親しまれている騎士物語や英雄譚なら、ここは勇敢な騎士が敵の前に毅然と立ち、颯爽と飛び掛かって、剣を一閃。そして、決め台詞。


 だいたいそんな感じだが、最前線に身を置くものからしたら、そんなのは夢見物語だ。


 実際の命懸けの戦場なんて、敵の前でビビる。震えながら剣を携える。大怪我は日常茶飯事。泥まみれになりながら、ヒーヒー言う。泣き喚き、へっぴり腰になる。転ぶ。吹っ飛ばされる。卑怯な手も使う。


 そして何より、カッコつけて、スカして、余裕ぶっこく暇なんて、ありゃしない。綺麗事なんざ存在しないのだ。


 生き残るためなら、コソ泥みたいな格好だろうが何だろうがやるしかない。


 痛む胸は、無視しよう。


 俺は、この『コソ泥アタック』からの一撃に賭けることにした。


「喰らえ!」


 俺は身を低くしたまま、破城蟻(グラドガス)の下腹部へ向けて剣を突き出した。


 剣先が、グラドガスの下腹部へ触れる。


 ──ザクッ。


「……!」


 手応えがあり!

 蟻んちょのお腹だけにアリってやつだ!


 剣先は、抵抗なく沈むと柄まで難なく潜り、食い込んだ!


 よっしゃ!入ったぞ!

 あとは、ヒィヒィ合わせてやる!と思いきや、次の瞬間。


 ──ギィィィィィッ!!


 破城蟻(グラドガス)が耳をつんざくような絶叫を上げた。

 

 ヒィヒィどころじゃない!

 これ断末魔だよね!


 巨体が大きく跳ねると6本の脚が一斉に地面を掻き、甲殻が激しく鳴り響いた。


「効いてる!」


 破城蟻(グラドガス)は苦痛の余り、上下左右に下腹部を激しく揺らすも、俺は剣を強く握り、振り落とされないように必死に捕まる。ここで離すわけにはいかない。

  

 故郷ララリカでは、カウボーイたちが、ブル・ライディングという、荒ぶる雄牛に乗り、落とされずに耐える根性試しを競技にしているけど、俺は破城蟻(グラドガス)の下腹部を剣で突き立てながら落とされずに耐えている。


 カウボーイ達もこれを見たら、驚くだろうなあ。


「だったら、『なんちゃってカウボーイ』からのサプライズだ!」


 突き刺さった剣を、そのままにして、腕を思いっきり縦に引くと、食い込んだ剣先が、柔らかい腹膜を縦一文字に引き裂いていく。


 ──ギギィィィィィッ!!


 グラドガスが絶叫した直後、巨体が激しく左右へ振り回される。


「うおっ!?」


 俺の身体がこれまでにない程、大きく振られ限界に達したとき、咄嗟に剣を引き抜こうとした次の瞬間。


「くっ……!」


 振り回さらたいきおいで、身体が地面を滑るように宙へ放り出された。


「うわあっ!」


 情けない悲鳴を上げながら、俺は地面を転がりながら着地する。


 その直後、グラドガスがさらに身体を捩ると、腹部の傷口から、緑色の血液が勢いよく噴き出した。

 巨体が振り回されるたび、血飛沫が遠心力に引っ張られ、弧を描いて周囲へ撒き散らされていく。


「うわっ!汚なっ!」


 俺は慌てて腕で顔を庇う。


 緑色の飛沫が地面へ振り撒きながらも、尚、抵抗して暴れる破城蟻(グラドガス)の根性というか、殺戮本能もかなりヤバもんだけど、それに臆する事なく、斬りかかる兵士や冒険者たちも、かなりキテるとおもう。


 うわぁ、全身緑色に染まっている人もいるよ。


 そんな光景を見ていると、反動で振り回された一本の脚が、まるで鉤爪のようにこちらへ迫ってきた。


「やばっ!」


 反応は出来たが、胸の痛みもあり、即座には避けれず、腕を差し出し受け身を取る。


 次の瞬間。


 ──ドゴッ!!


「ぐあっ!」


 鉤爪のような脚先が、俺の右腕をまともに捉えた。


 ──ミシッ。


 えっ?今すごく嫌な音がしたような。

 腕の骨まで響くような衝撃、それから身体が宙へ浮く身体。


「うおおおおっ!?」


 俺は、またしても吹き飛ばされ、地面を二度、三度と転がる。土と砂が舞い上がり、背中を地面に擦り付けながら、ようやく止まった。


 ……嘘だろ!?


 俺は仰向けのまま、呆然と空を見上げる。

 短時間で2回も巨大な魔物に吹き飛ばされるなんて……人生初かもしれない。


 胸を張って言うような記録更新ではないのだけど、痛む右腕をゆっくり動かしてみる。


 よし、動く。

 腕も指も動く。

 だが、力を込めた瞬間、腕全体に鋭い痛みが走った。


 ……骨まではいってない、か?良くてヒビかな?

 確信はない。

 ただ、剣を握れないほどではない。


 なら、まだ戦える!


「……よし」


 立ち上がろうとした、その瞬間。

 視界に、見慣れた顔が入った。


「…………」


 倒れた先が、偶然にもクラウディア様のすぐ目の前だった。


 見上げれば、クラウディア様が真っ青な顔色で、俺を見下ろして、完全に固まっていた。


 普段の飄々とした雰囲気とは別人だ。

 目を見開き、口元をわずかに震わせている。


「レオン!」


 声が裏返った。もはや悲鳴に近い。


「えっ、いやだ……ねえ、レオン!」

「はは……やられてしまいました」

「い、今……右腕に……!吹き飛ばされて……」

「2度も吹き飛ばされてしまいました。不甲斐ないことです」

「不甲斐ないことです、ではありませんわ!」


 痛みに耐えながら立ち上がろうとしている俺の姿を見て、クラウディア様がしゃがみ込み、俺の右腕へ視線を向ける。

 治療師であるこの人に、治療術式をお願いしようとしたのだけど……。

 

 クラウディア様の表情が、すっと変わった。

 いつもの上品な微笑みは消え、代わりに浮かんでいたのは、隠しようもない怒りの形相だった。


「よくも……」


 クラウディア様が、グラドガスを睨み付ける。


「よくも、私の大切な騎士を!」


 その声が戦場に響く。


「レオンを吹き飛ばしてくれましたわね!」


 言い放つと同時に、クラウディア様は傾いた脚を足場にして跳んだ。

 うわっ!めっちゃ身軽な動きだよ。


「クラウディア様!?」


 俺が声を上げる。

 だが、もう遅かった!


 クラウディア様はグラドガスの甲殻へ手を掛け、そのまま巨体を駆け上がると、そのまま頭部の上へと飛び乗った。


 グラドガスが異変に気づき、激しく頭を振る。


 巨体が左右へ揺れ、頭部が大きく振り回される。


 普通なら、とても立っていられるような揺れではないが

うつ伏せの体制で、触覚を掴むクラウディア様は、意地でも喰らいついて離さなかった。


 すると、冒険者の1人が左中脚を斬り落としたため、破城蟻(グラドガス)の身体は少し左に傾きながら沈むと、悪役令嬢は再び立ち上がり、膝を柔らかく曲げ、揺れに合わせて身体を傾ける。


 再度、揺れると片足を甲殻の隆起へ掛け、もう片方の足でしっかりと踏ん張る。


 破城蟻(グラドガス)はさらに頭を振り、クラウディア様の身体も大きく流される。


 それでも、落ちない!

 むしろ、その動きを利用して身体を捻った。

 カウガールかよ!


「そこですわ!」


 狙いは、首と胸部を繋ぐ関節。

 頭部が動くたびに甲殻の隙間がわずかに開く、その一点。

 クラウディア様は剣を逆手に握り直す。


 破城蟻(グラドガス)が頭を振り上げた、その瞬間。


「はあっ!」


 全身の体重を乗せて、細身の剣を鋭く突き下ろした。

 刃が硬い甲殻の隙間を貫き、その奥へ深々と突き刺さる。


 ──ギィィィィィィッ!!


 破城蟻(グラドガス)が、これまでにない絶叫を上げ、巨体が大きく仰け反る。

 それでもクラウディア様は剣を手放さない。


 両足で頭部を踏み締め、身体を低くして振り落とされるのを防ぐ。

 細身の剣は、首と胸部の関節へ深々と食い込んでいた。


 ──ギィィィィィッ!!


「この村から離れなさい!」


 巨体が大きく震え、さらに身体を激しく捩(よじ)る破城蟻(グラドガス)。

 首の後背の付け根、腹部の傷口から、緑色の血液が勢いよく噴き出す。


 巨体が振り回されるたび、血飛沫が遠心力に引っ張られ、弧を描いて周囲へ撒き散らされていく。


「うわっ!」


 俺は慌てて腕で顔を庇った。


 緑色の飛沫が地面へ降り注ぎ、周囲の兵士や冒険者たちの足元まで緑色に染め上げていく。


「うおっ、汚ぇ!」

「顔にかかったぞ!」


「構うな!今が好機だ!」


 ヴァルガー隊長の怒声が響く。

 やがて、剣牙蟻(ヴァルガス)の動きが少しずつ鈍り、6本あった脚も、2本斬り落とされ踏ん張れていない。


「今だ!」

「脚を落とせ!」

「一気にいくぞ!」


 兵士と冒険者たちが、一斉に前脚と後脚へ殺到する。


 硬い甲殻へ何度も刃を叩き込み、脚の付け根へ集中して斬り込んでいく。


 1本、また一本確実に斬り込むと、グラドガスを支えていた脚が、次々と力を失い、巨体が大きく傾いた。


「倒れるぞ!」


 誰かが叫ぶ。

 だが、グラドガスはまだ倒れない。

 残った脚で必死に地面を踏みしめ、なおも身体を起こそうとしている。


 ……まだ動くのかよ。どんだけ根性あるんだよ。

 俺は思わず苦笑せざるを得ない。

 こいつ、本当にしぶとい。

 痛みは感じているようだが、怯むことがない。


 まるで、ゾンビやスケルトンを相手にしているような感覚だ。

 普通なら、これだけの傷を負えば怯むか、とっくに倒れているはずなのに。


 それでもグラドガスは、残された脚で地面を踏みしめ、巨体を起こそうとしている。

 その首元では、クラウディア様の細身の剣が深々と食い込んでいた。


 腹部にも、俺が刻んだ傷が残っている。

 脚も、まともに動かせる状態ではない。


 それでも「ギィ……ィィ……!」と剣牙蟻(ヴァルガス)は低く呻き、なおも立ち上がろうとする。


「おいおい……まだやる気かよ」


 俺は剣を握り直した、その時だった。


 身体を起こそうと必死の破城蟻(グラドガス)に、クラウディア様の剣が突き刺さったまたの首元が大きく揺れた。


 俺は、そこで初めて気付いたことがあった。


「……待て」


 首と胸部の繋ぎ目。


 硬い甲殻と甲殻が噛み合うように覆っている胴体や脚と違い、首の付け根には、頭部を動かすためのわずかな隙間がある。


 そこには、外側を守る厚い甲殻がない。人も動物も魔物も頭と胴体の繋ぎ目に、打撃を加えれば致命傷になる。


 俺がさっき見つけた腹部の薄い部分と同じだ。

 動くために、どうしても必要な場所。


 それならば、例外なくこいつの弱点でもある。


 思い返せば、クラウディア様の剣がそこへ突き刺さった瞬間、破城蟻(グラドガス)の動きが明らかに鈍っていた。


 これならイケる!

 やっとこさ、生命力無尽蔵なクラッシャーの息の根を止められる!


 俺は首元へ目を凝らすと、剣が刺さった周囲の甲殻に、細かな亀裂が走っているのが見えた。


 しかも、その亀裂は一箇所だけじゃない。


 クラッシャーが身体を動かすたび、首の付け根に力が集中し、亀裂が少しずつ広がっている。


 クラウディア様の剣は、すでに内部まで到達し、動脈や各組織を破壊しているはずだ。


 なら、あと一押しだ。!

 

 破城蟻(グラドガス)が身体を起こそうとする。

 その動きに合わせて、刺さった剣が首の関節を押し広げていく。


「……そこですわね」


 クラウディア様が呟くと、細身の剣を握る手に力が入る。


「我が騎士レオンを傷つけた代償……その身をもって受けていただきますわ!」


 クラウディア様は身体を低く沈めた。


 そして、破城蟻(グラドガス)が首を振り上げた瞬間、その動きに合わせて剣をさらに深く押し込む。


「ええいっ!」


 ──ズブッ!!


 細身の剣が、首と胸部の隙間へさらに食い込むと、口先から剣の刃先が飛び出した。


 ──ギィィィィィィ――ッ!!


 巨体が大きく震え、脚が地面を掻きむしる。

 必死に身体を起こそうとするが、力は入っていなかった。


 首を支えていた体組織も断たれたのだ。

 もう、動くのは無理だろう。


 頭部が、ぐらりと傾く。

 クラッシャーも終わりの時を迎えたのだ。

 それでも魔物は倒れまいと、残った脚で地面を踏み締めた。


 最後の意地なのかな?

 それとも、魔蟻(マーガス)に存在する哀しき生態本能なのかな?


 ──ギギィ……。


 脚が震え、首が垂れ、脚の力がすうっと抜ける。

 そして、そのまま地面に平伏した。


 ──ズズゥゥゥン。


 土煙が一気に舞い上がる。

 しばらくの間、誰も動かない。

 俺も、動けず、ただ倒れたグラドガスを見つめていた。


 破城蟻(グラドガス)の触覚が、ぴくりと動く。

 俺は反射的に剣を構え直した。


 だが、もう完全に沈黙し動かなくなった。


「…………」


 俺はゆっくりと息を吐いた。


「……終わった」


 誰かが呟いた。

 その一言をきっかけに、周囲から一斉に声が上がる。


「やったぞ!」

「クラッシャーを倒した!」

「勝ったぞ!!」


 兵士たちと冒険者たちの歓声が、平原いっぱいに響き渡った。

 俺はその声を聞きながら、倒れたグラドガスを見つめる。

 あれだけ暴れ回っていた巨体が、今はもう動かない。


 ……本当に倒したんだな。


 人間で言うと盆の窪の箇所になるのかな?

 クラウディア様の細身の剣が深々と突き刺さっていた。


 まさに、これがトドメとなったのだ。


 しかも、この人……実戦経験、初めてなんじゃなかったか!?


 剣の稽古や武術を師範から学んでいるとは聞いていた。

 だけど、十等級冒険者のクラウディア様が、破城蟻(グラドガス)に馬乗りになって、剣で関節を突きまくるなんて、そんな話、聞いたことないぞ!


 ビギナーズラック、という言葉もあるのかもしれない。

 だけど、それだけじゃないだろう。


 初めての実戦で、クラッシャーなんていうとんでもない強敵を前にして逃げず、怯まず、最後まで立ち向かった。


 それだけでも、十分に勇敢だ。

 そして、本当に凄いことだと思う。


 少なくとも俺には、初陣であんな真似はできない。


 ……いや、俺の場合、初陣でクラッシャーに遭遇したら、まず「聞いていた依頼内容と違うんですけど?」って受付嬢に文句を言いに戻ると思う。


 命が懸かってるんだから、それくらいは許されるだろ?


 俺やガレス、兵士や冒険者たちは、腹部の弱点を見つけて傷を刻み、脚を斬り落としていった。

 そこへクラウディア様が、誰も攻撃できなかった首と胸部の関節を正確に突いた。


 偶然じゃない。


 俺たちが積み重ねてきた攻撃を、最後の一撃へと繋げた結果だ。

 最後にグラドガスの命を断ったのは、間違いなくクラウディア様の剣だ。


 だけど、兵士も冒険者たちも、本当に最後までよく戦ってくれた。

 あのグラドガスを前にして、一歩も引かずに立ち向かった。

 吹き飛ばされても立ち上がり、傷を負っても剣を握り直し、仲間と声を掛け合いながら最後まで戦い抜いた。


 正直なところ……。

 こいつら、近衛兵にしても帝城の防衛にしても、かなり向いてるんじゃないか!?

 そんなことを本気で思ってしまうくらい、勇猛果敢な戦いっぷりだったよ。


 血の気が多い連中だから平和暮らしに、すぐ飽きそうだけどね。


 あっ、いけね!

 クラウディア様の安否を確認せねば。


「クラウディア様!」


 俺は慌てて駆け寄るとクラウディア様は、破城蟻(グラドガス)の頭部からゆっくりと剣を引き抜いているところだった。


 血に濡れた細身の剣を見つめ、それから俺へ視線を向ける。


「……レオン」

「ご無事ですか!? お怪我などございませんか?」

「何を仰っているのです。わたくしなら怪我などありませんわ。それより、レオン」

「え?」

「先ほど、二度も吹き飛ばされていましたでしょう?」

「……まあ」

「右腕も打たれましたわよね?」

「……はい」


 クラウディア様の眉が、きゅっと寄った。


「今すぐ治療しますので、上着をお脱ぎになりませ!」

「いえ……私は大した怪我では」

「お黙りなさい!」

「はい!」


 思わず背筋が伸びる。

 歳下なのに、ララリカにいる俺の1つ上の姉ちゃんみたいな貫禄だ。


 あっ、ちなみに実家は姉、俺、妹の3人構成なのよ。


 そして妹は妹で、16歳のワガママ盛り。

 反抗期真っ只中で、生意気盛りのティーンエイジャーだ。

 あれはあれで、手に負えない。


 姉には逆らえず、妹には振り回される。

 ……考えてみれば、俺は昔から女家族に鍛えられてきたらしい。


 クラウディア様は、そんな俺の心情など知る由もなく、じっとこちらを見つめている。


 ……やっぱり、姉ちゃんに似てる。

 逆らったら面倒なところまで、そっくりだ。


 クラウディア様は、そんな俺の心情など知る由もなく、じっとこちらを見つめている。


「怪我を甘く見てはいけません。先ほどの衝撃、わたくしにはかなりのものに見えましたわ」

「私も近衛騎士として、普段から鍛えております故、ご心配には及ばないかと……」

「言い分は結構です」

「……はい」


 完全に逃げ道を塞がれた。


 さすがに、ここで「大丈夫です」と言い張るのは近衛騎士としてもよろしくないのかな?


 俺は大人しく上着へ手を掛けた。


「必ず治療を受けてくださいませ。よろしいですわね?」

「はい」


 クラウディア様はようやく小さく微笑んだ。

 その表情を見て、俺も少しだけ笑う。


 ……参ったな。守るはずの公爵令嬢に、逆に守られてしまった。

 俺が傷ついた事を本気で怒ってくれて、そして守ってくれた。


 俺を傷つけた相手を、自分の手で終わらせる。

 それが、あの人なりの「守る」ってことでもあり、臣下に応える義理なのかもしれない。


 そう思うと、さっきまで痛かった右腕も……。


 いや、普通に痛ぇわ。肋骨も死ぬほど痛い!


 感動で痛みが消えるほど、俺の身体は都合よくできていないし、世の中甘くはない。


 上半身裸を晒した俺の姿に、顔を赤らめながら治療術式を施すクラウディア様を見ながら、俺は少しだけ微笑んだ。





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 激しい戦闘も終わり、空も陽が落ち漆黒の夜空となっていた。


 グリューナー・ヴィント砦の外では、ささやかながら祝杯が上げられていた。

 今日一日、魔蟻《マーガス》の群と死闘を繰り広げた冒険者や兵士たちが、村人たちを交えながら、焚き火を囲んで酒を酌み交わしている。


 戦いの最中は、あれほど殺気立っていた連中だ。

 それが今では、酒を片手に笑っている。


「いやぁ、今日は死ぬかと思ったぜ!」

「お前、さっきからそれ何回目だよ!」

「3回目だ!」

「覚えてるならよ、死ぬ気なんてねえだろ!」


 あちこちから笑い声が上がる。

 どうやら、今日の勝利を実感するには酒が一番手っ取り早い。


 俺だって、今日は何度か本気で死を覚悟した。


 特に破城蟻(グラドガス)の突進。

 あれはもう、魔物というより走る災害そのもの!


 思い出すだけで胸と右腕が少し痛む……気がする。

 ……まあ、酒でも飲めば気にならなくなるか。


 ……たぶん。

 俺は自分の判断力を信じることにしたのだけど……。

 こういうときに「たぶん」で酒を飲む時は、だいたい後で後悔するんだよね。


 経験者の言葉である。


 そうそう。コルンエーレン村は明日、改めて調査を行うことになっている。


 今日の戦闘で魔蟻《マーガス》は撃退したとはいえ、村の内部や周辺に何が残っているのかは、まだ完全には分かっていない。

 村人の皆さんに制限解除するなら、徹底した安全確認が必要だからね。


 そのため、ガレスを始めとした参加冒険者たちは今夜は砦に一泊。


 明日の朝、村を詳しく調査してから帝都へ戻る予定だ。


 念のため、村の周辺にはミレーヌと5人の魔法士が結界を張り、外部からの侵入を防ぐ、一時的なセキュリティも施している。

 この結界が凄いのは、万が一、魔蟻(マーガス)が村の中に残っていたら、即座に結界の使用者に感知する徹底ぶり。


 魔法って本当に便利なんだねえ。


 ちなみに、斥候(スカウト)も何度か村の周囲を確認しているが、今のところ魔蟻の姿は見ないそうだ。


 多分、全滅することが出来た。


 あっ、こういうときは「たぶん」を付けないほうがいいな。

 物語の神様が聞いていたら、絶対に嫌なフラグを立てられる。

 俺は慌てて頭の中から、その考えを追い出した。


 せっかくの祝杯だ。

 余計なことは考えない。


「レオン!」


 突然、後ろから大声が飛んできた。

 声の主に振り返ると、案の定、頑丈そうな竜人(リザードマン)のガレスだった。


 片手に大きな杯を持ち、すでに顔が赤い。


「お前も飲め!」

「顔赤いなあ、結構飲んでるだろ?」

「もちろんだ!」

「明日の調査に差し支えるんじゃないのか?」

「細けぇことは気にすんな!」

「それ言ったの何回目だよ?」


 ガレスは豪快に笑った。

 その隣では、冒険者たちが次々と杯を掲げている。


「今日は気持ちよく勝てたな!」

「そうだ!今夜はオレ様にご褒美だ!」

「飲め、飲め!」

「明日の調査のことは、明日考えりゃいい!」


「それ、一番やっちゃいけないやつじゃん!」


 俺が突っ込むと、また笑い声が上がった。

 ……こういう雰囲気、俺は結構好きだ。

 命を懸けて戦った連中が、無事に生きて戻ってきた。


 そして今は、何事もなかったみたいに笑いながら、互いの杯を交わしている。

 さっきまで死ぬ気で魔蟻(マーガス)と斬り合っていたとは思えないくらい、穏やかな時間だった。


 今日一日、誰もが必死だった。


 吹き飛ばされても立ち上がり、傷を負っても剣を握り直し、仲間と声を掛け合いながら戦った。


 怪我人は続出したけど、犠牲者が出なかったのは幸いと言うべきだよね。


 だからこそ、今こうして笑っていられることが嬉しい。

 酒の味も、いつもより凄く美味く感じた。


 ただなあ。


 ひとつだけ、無念なことがある。

 黒ビールがない。


 砦の兵士たちが用意してくれた酒は、基本的にエールとワイン。


 もちろん、エールも悪くない。

 ワインだって美味い。


 美味いんだけど……黒ビールが飲みたい。

 どうやら、この辺りの兵士たちは酒にこだわりがないらしい。


 俺のこだわりが強すぎるだけなのかもしれないけど、そこは譲れない。

 命懸けで戦った日の一杯くらい、好きな酒を飲みたいと思うじゃない?


 次に砦へ来るときは、自分で持ってこよう。

 俺は密かに決意を新たにして、手渡された杯を受け取る。


 今日一日、共に戦った仲間たちと囲む焚き火の輪の中に、功労者のクラウディア様とミレーヌの姿もあった。


 クラウディア様は、少し離れた場所で、今日共に戦った兵士や冒険者たちに囲まれているようだ。


 どうやら、破城蟻(グラドガス)との戦いで見せた、あの一撃について、賞賛の嵐を浴びながら、戦いの様子について、あれこれ聞かれているらしい。


 本人はいつも通り上品に微笑んでいるが、兵士たちのほうは完全に興奮している。


 まあ、あれを目の前で見たら、そうなるよね。


 そしてミレーヌはというと魔法士や村人の若者相手に話し込んでいる。


「この結界の術式、もう少し改良できそうなんですよ♪」

「ミレーヌ様、今は酒飲みを楽しむ時間ですよ」

「そうそう。今くらいは仕事も忘れて飲みましょう」


 相変わらずだった。

 戦いが終わった直後だというのに、もう次の魔法のことを考えている。

 願わくば、酔った勢いで試作段階の古代魔法やらなんやらを使わないでもらいたい。


 ……まあ、元気そうで何よりだ。


 俺は小さく笑った。

 黒ビールがないことだけは、どうしても残念だったけど、冷たい酒が喉を通り、身体に染みていく。


「……うまい」


 思わず呟いた。

 今日一日の疲れが、少しだけ抜けていく気がする。


 戦場では剣を握り。

 魔蟻を斬り。

 破城蟻(グラドガス)に吹き飛ばされ。

 クラウディア様に怒られ。

 そして、最後はこうして酒を飲んでいる。


 ……人生、何が起こるか分からないな。


 まあ。

 明日また村の調査があるんだけど、ガレスの言う通り今日は忘れよう。


 俺はもう一口、酒を飲み明日のことは明日の俺に任せることにした。

 今日の俺はとりあえず、生きて帰ってきたことを祝うことにした。


 物語ならここで一区切りつくはずだった。


 だか「たぶん」で酒を飲む時は、だいたい後で後悔するというジンクスの魔の手は、容赦なく訪れた。




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 遠くから、馬蹄の音が聞こえてきた。

 一定のリズムで近づいてくる。一頭や二頭どころではない。


 俺は何気なく顔を上げた。


 野党かとも思ったが、帝都のお膝元にあるグリューナー・ヴィント草原一帯に、野党の類が現れたことは一度もなく、治安も良いのだ。


「夜な夜な団体さんが来ているみたいだな」


 異変に気づいたガレスが、戦斧を片手に冒険者たちを引き連れてやって来た。


 先ほどまで酒に酔って豪快に笑っていた表情は、まるで嘘のように消え失せ、その目には、戦士としての鋭い光が戻っていた。


「相変わらず、切り替え早ぇなあ」

「そりゃあ、そうさ。酒は飲んでも決して飲まれるなってね」


 俺は思わず感心する。

 こういうところは、昔から変わらない。 


 普段は豪快で、酒を飲めばさらに豪快になるガレスだが、ひとたび異変を察知すれば、誰よりも早く戦士の顔に戻るのだ。


 同じく異変に気付いたヴェルナー隊長と兵士たちとも合流して、砦の門まで移動すると、出入口から広がる街道を、目を細め、こちらに向かってくる姿を追った。


 基本、整備された街道の両脇には、一定間隔で魔灯柱が立っているため、青白い光が夜道を照らし、その姿をぼんやりと浮かび上がらせていた。


 先頭にいるのは、武装した馬に跨った近衛騎士が3騎。

 夜の中でも、その甲冑ははっきりと分かる。


 さらに後方には、ひときわ立派な馬車。

 その左右と後方には、それぞれ1騎ずつと3騎の近衛騎士が、馬車を守るように追従している。


 先頭に3騎、馬車の護衛が3騎。

 合計6騎の近衛騎士。


 しかも、ただの近衛騎士じゃない。

 その装備と兜の羽飾りから俺よりも、かなり凄腕の連中だと分かる。


 黒を金を基調とした車体には帝国の紋章が刻まれ、金属の装飾が魔灯柱の灯りを受けて、鈍く輝いている。


 見るからに高貴。

 見るからに高級。

 そして、見るからに、俺みたいな平民出身の近衛騎士には関係なさそうな乗り物だった。

 まあ、乗りたいとも思わないけどね。


「なあ、レオン……なんだ、あれ?」


 ガレスが、珍しく声を落として尋ねてくる。


「……帝城から、お仲間がお出迎えが来たかもしれない」

「お仲間って言い方で済む規模か、あれ?」

「まあ……そうだよねえ」


 俺は目を細めて、闇の中から近づいてくる一団を見つめる。


「それじゃあ、あの馬車は?」

「多分、皇族専用の馬車……になるかなあ」


 俺がそう答えると、周囲からざわめきが広がった。


「皇族だと?」

「こんな場所まで?」

「何で皇族の馬車が、こんな夜中に……?」

「クラッシャーの次は皇族かよ!」


 兵士たちの間には緊張が走り、冒険者たちはポカンとなる。


 さっきまで焚き火を囲んで酒を飲み、笑っていた連中とは思えないほど、空気があらぬ方向へと変わる中、ガレスが俺の横へ並ぶ。


「レオン……お前、何か聞いていないのか?」

「……何も」

「本当か?」

「……本当に」


 ガレスが俺の顔をじっと見る。


「じゃあ、何でお前、露骨に嫌そうな顔してるんだ?」

「馬車の中の人と会いたくないからかなあ……」

「おい、何かやらかしたのか?」

「何もやっちゃいねえよ!」


 思わず声が大きくなる。


「俺はいつも、ワガママに振り回される可哀想な近衛騎士なんだぞ」

「自分で言うか、それ?」

「事実だからな」

「本当に何もしてないんだろうな?」

「してないって!」


 俺は迫ってくる馬車を見ながら、深いため息を吐いた。


 ……ただ。

 心当たりがないわけじゃない。


 今日一日を思い返す。


 コルンエーレン村を占領する魔蟻(マーガス)の群れと戦った。

 破城蟻(グラドガス)とも戦った。

 ミレーヌとクラウディア様を守った……いや、最終的には守られたのか。

 そして、ミレーヌは魔 魔蟻(マーガス)の群をジェノサイドして、クラウディア様が破城蟻(グラドガス)を倒した。


 更に負傷した俺をクラウディア様が怒りながら治療してくれた。

 そして、皆と楽しく祝杯を上げた。

 ミレーヌは結界の術式について熱く語っていた。

 クラウディア様は兵士や冒険者たちから大絶賛だった。


 そして今は、2人ともいつの間にか酒を飲んでいる。


 これ全て、第一皇女殿下から頼まれた、屋台市場でのお買い物を放り投げてと来たもんだ!

 説明しろと言われたら、説明することが多すぎて困っちゃうね!


「レオン……近衛騎士って大変だな」


 ガレスは、俺の心中を察したように、肩に手を置いたその時、6騎の近衛騎士と豪華絢爛な馬車が目の前で停止した。

 本当に。何しに来たんですか?

 その光景を見ながら、俺は静かに見守る。


 頼む!せめて今日は、俺の胃に優しい人が乗っていてくれ!と願ったところで、俺の身体を健康体にしてくれる人なんて、帝城には誰1人いやしないけどね!


「帝城から、あんな立派な馬車で近衛騎士を六人も連れてくるような用事が、俺たちにとって良い話だった試しがない」


「…………」


 ガレスや周囲の冒険者たちも、ヴァルガー隊長も配信たちも一言も発さずに、場の空気はしんと静まり返った。

 誰もが固唾を呑んで見守っている。


 静まり返るのは非常にわかるけど、何か、それはそれで怖さを煽るからやめて!


 御者が降りて扉へ回り、馬車の扉を丁寧に開けると、最初に見えたのは、ハーフロングのライトブラウンの髪、ダークパープルの瞳に整った顔立ち。


 凛とした佇まいと、近衛騎士の制服に身を包んだ抜群のスタイル。

 夜の砦には、あまりにも場違いなくらいの美人が姿を現した。


 俺はその顔を知っている。

 帝国近衛騎士団副隊長であり俺の直属の上官。


 イングリッド・フォン・グライフェン隊長補佐。


 ……なんで?

 いや、本当に。何しに来たんですか?

 頭の中に、その一言しか浮かばなかった。


 隊長補佐だぞ?

 帝都で仕事をしているはずの人だぞ?


 なのに、なぜグリューナー・ヴィント砦の外に、こんな豪華な馬車から降りてくる?


 俺のそんな疑問を他所にイングリッド様は、周囲の視線を一身に受けながら、静かにこちらへ歩いてきた。


 そして俺の目の前で足を止めると、ダークパープルの瞳が、真っ直ぐ俺を捉えた。


「レオン・クラウス」

「はっ!」


 反射的に立ち上がり、敬礼する。

 イングリッド副隊長は、毅然とした声で続ける。


「今回のこの顛末、貴官には後ほど、ゆっくりと話を伺う……と言いたいところだが」

「……はい」

「事情は、ミレーヌ伯爵令嬢ならびに第一皇女殿下から伺っている」

「……は?」


 ミレーヌ、第一皇女殿下という『不吉なワード』がイングリッド副隊長から出た瞬間、極寒の雪原に放り込まれたような寒気が全身を走る。


 買い物すっ飛ばして、蟻んちょ討伐できたのも、クラウディア様のフォロー付きという保険があるからこそなのが……。


 ミレーヌが報告したという時点で、真実が歪曲されて伝わってないだろうな!?

 って言うか、魔蟻(マーガス)討伐でずっと一緒だったのに、いつの間に報告をしたんだ?っていうか、どのようや手段でしたんだ!?

 本当の意味で人怖(ひとこわ)なんだけど!


 イングリッド副隊長の厳しい表情が、ほんの一瞬だけ緩んだように見えた。


「ただ、あの馬車の中で、貴殿に話を伺いたいと仰せの方がおられます」

「……私に、ですか?」

「ええ、貴殿にです。凄く、凄〜く話したいとご所望されているぞ」


 イングリット副隊長の『凄〜く』という間延びが、嫌な予感が、恐ろしい確信に変わった。

 今の言葉で馬車にいる人が誰だか、回答を出しているようなもんじゃん!入りたくねえよ!


「さあ、お待たせするわけにもゆかぬ、急ぎ、馬車の中へ入られよ」

「……」

「レオン近衛騎士、返事は?」

「承知仕りました!」


 ひでぇよ!拒否権無しの有無を言わさぬ権威の圧力じゃん!


 その権威を惜しみもなく振り翳して来た、イングリッド様が周囲を見回す。


「して、クラウディア公爵令嬢とミレーヌ伯爵令嬢はいずこに?」

「イングリッド~~!」


 ……来ちゃった。

 しかも、いつものクラウディア様からは、絶対に出ないような妙に伸びた声だった。


「貴方もいらしたのですね~!良かったら、ここにいる皆様と一杯飲みませんこと~~!」

「…………」


 イングリッド様の動きが止まる。

 俺も止まる。

 ガレスも止まる。

 ヴァルガー隊長も止まる。

 兵士も止まる。

 冒険者も止まる。

 村人も止まる。


 全員の視線の先には、木製のジャッキを片手にご機嫌なクラウディア様が、ふわあっとした足取りで、こちらにやって来た。


 明らかに酔っている。

 思いっきり酔っている。

 しかも、いつもの上品な微笑みではなく、酒場でテンションが上がっているオヤジ冒険者そのものじゃないのよ!

 

「イングリッド様~~!」


 今度はミレーヌまで手を振っている。


「お疲れさまですぅ~~!私の使い魔さんの知らせを受けて来てくれたんですね~~!」

「…………」


 イングリッド副隊長は俺に無表情な視線を向ける。

 俺はヘラっとした笑みで返すしか無かった。


 だって、ここまで来たら、そうするしかないじゃない!?


「レオン・クラウス」

「はっ!」

「貴殿は馬車の中へ」

「承知仕りました!」


 俺は逃げるように、馬車の扉を二度ノックした。


 ──コン、コン。


 返事はない。


「失礼いたします」


 もう一度、軽く扉を叩く。

 暫くすると、扉が、ゆっくりと開いた。


 ──ギィィ……。


 中は真っ暗で灯りひとつない。

 何も見えない。


 俺は思わず固まった。

 人が乗っているはずなのに、なぜ真っ暗なんだ?

 まるで、口を開けた洞窟みたいじゃん!?


 ……これって、入っていいのか?


 俺は扉の前で一瞬迷った。

 だが、相手を待たせるわけにもいかない。

 仕方なく、ほんの少しだけ身体を前へ傾けて中を覗き込む。


 その瞬間だった。


 ──ガシッ!


「え?」


 真っ白な腕が闇の中から伸びて俺の胸ぐらを掴む。


「えっ?うわっ!」


 物凄い力で馬車の中へ引きずり込まれた。


 ──ドンッ!!


 扉が勢いよく閉められる。


「ちょ、待っ──!」


 狭い暗闇の中で身体が浮いた。

 次の瞬間、馬車の座席へ背中から叩き付けられる。


「ぐっ!」


 何が起きた!?

 敵襲か!?

 暗殺者か!?


 何者かが俺の上に馬乗りになり覆い被さった。


「えっ!?」


 顔が近い、近いどころじゃない。

 鼻先が触れそうな距離だ。


 「えっ!?なに!?人喰い馬車なの!?」


 暗闇の中で、ゆっくりと声が響く。


「ご機嫌よう、レオン。皇族専用の馬車を人喰い馬車呼ばわりするなんて心外ですわね」


 ……聞き覚えがある。

 ものすごく聞き覚えがある。


「破城蟻(グラドガス)との戦闘で怪我をされたみたいですね。クラウディア様が治療を施したそうですけど、その後の経過は如何かしら?」


 怒りを必死に抑えている声。

 そして、闇の中でも分かる、見覚えのある縦ロールの金髪。

 鼻先が触れる直前まで迫った顔。

 その整った容貌に浮かぶ、隠しきれない怒気。


 俺は悟った。


 終わった。


「エ、エリザベート皇女殿下!」

「貴方」


 にっこり。


 ……笑っている。

 笑っているのに、怖い。

 ものすごく怖い。


「私の買い物を一蹴しただけでなく」


 皇女殿下の声が、さらに低くなる。


「のうのうとお酒まで嗜んでいましたわね?」

「い、いえ、それはですねぇ……」

「あまつさえ!」


 ビクッ。


「クラウディア様とミレーヌまで、すっかり出来上がっていますわよ!」

「…………」

「これはどういうことかしら?」

「いや、その……」


 俺が言い訳を探している間にも、エリザベート皇女殿下の左手が俺の右肩をがっちりと押さえ込む。

 右手は俺の髪を鷲掴みにした。


「痛っ!」


 そして、さらに顔が近づけてくる。

 鼻先が交差して、触れているけど身動きが取れない!


「エリザベート皇女殿下!」

「何かしら?」

「近い!近すぎます!」

「おだまり!」

「はい!」

「あなたは文句を言える立場ではなくてよ!」

「はい!仰る通りです」

「あなたの口から事情をすべて聞くまでは……」


 皇女殿下の瞳が、暗闇の中で鋭く光った。


「解放いたしませんことよ!」

「…………」


 俺は悟った。

 魔蟻(マーガス)でもない。

 破城蟻(グラドガス)でもない。

 暗殺者でもない。


 今日、俺が初めて本当の意味で恐怖を感じた相手。

 それは……。

 エリザベート第一皇女殿下だった。


「ぎゃあああああ!お許しを~~!ひぃぃぃぃ!」


 


---------




 一方、馬車の外では。


「クラウディア様、レオンが馬車に吸い込まれましたよ!?」


 ガレスが目を丸くして恐怖で固まっている。


「……断末魔、だよな」


 冒険者の1人が、引きつった顔で呟いた。


「兄ちゃん、馬車に喰われちまったのか?」


 村人まで心配そうに馬車を見つめている。

 そして、酔った魔法士の一人が目を輝かせながらミレーヌへ尋ねた。


「ミレーヌ様、もしかして魔道具の一種ですか!?」

「ええ、とても強力な魔道具です♪」


 ミレーヌは楽しそうに頷いくと、クラウディアも悪ノリをし始める。


「中は恐らく、普通の魔道具よりも恐ろしい何(・)か(・)かもしれませんわね!」

「なるほど!」

「おぉーっほっほっほっほ!」


 クラウディアが上品に口元へ手を添えながら、楽しそうに笑う。


「レオン、無事にお帰りになれるとよろしいですわね」

「ぷぷぷ……レオン様、生きて帰れますかねえ?」


 ミレーヌがケラケラと笑う。


 その真横では、イングリッドが口元を手で覆い肩が小刻みに震えている。

 どうやら、必死に笑いを堪えているらしい。


 やがて……。


「……ぷっ」


 小さく息が漏れ、とうとう耐えきれなくなったのか。


「……っ、ぷぷっ……くくくくくく!」


 肩を震わせながら、俯き笑いをしてしまう。


 全員が同じ方向を見ていた。


 豪華な馬車。

 閉ざされた扉。

 そして、その中から時折聞こえてくる……断末魔。


「ぎゃあああああ!」

「申し訳ございませんでしたぁぁぁ!」

「話します!全部話しますからぁぁぁ!」


 ……。


 ガレスが、ぽつりと呟いた。


「……レオン、生きて帰ってこいよ」


 その夜、魔蟻の群れを全滅させた英雄たちの祝杯は、1人の近衛騎士の断末魔で、静かに幕を閉じた。


 後に『グリューナー・ヴィント砦の断末魔』としてレオンの名も含め、地域の逸話として残ることになる。

 それは無論、酒の肴としての笑い話としてである。


 ちなみに彼のついた渾名は『人喰い馬車に喰われた男』。

 そのままである。



第十一話、読んでいただきありがとうございます。


 今回、俺は\破城蟻(グラドガス)ことクラッシャーと戦いました。


 いやあ……本当にデカかった。


 突進を受けて吹き飛ばされ、肋骨にヒビが入り、右腕まで痛めて、それでも何とか戦い抜きました。


 正直に言えば、もう二度と相手にしたくありません。


 ですが、兵士も冒険者も最後まで誰一人諦めず、クラウディア様とミレーヌも戦場で立派に戦ってくれました。


 特にクラウディア様。


 まさか初陣でクラッシャーに飛び乗って、首と胸部の関節を剣で突き刺すとは思いませんでした。


 ……あの人、本当に公爵令嬢なんですよね?新手の公爵令嬢詐欺じゃないですよね?


 俺なんか初めてクラッシャーを見たとき、「依頼内容と違うんですけど?」と受付嬢に文句を言いたくなりましたよ。


 それに比べてクラウディア様は、俺が吹き飛ばされたら怒って、そのままクラッシャーに飛び乗ってトドメを刺す。


 どうやら俺の主は、守られるだけのお嬢様ではないようです。


 そして戦いが終わった後は、みんなで祝杯。


 ……黒ビールがなかったのだけが心残りですが。


 まあ、エールも悪くありません。


 命懸けで戦った後に、仲間と酒を飲める。


 それだけで十分幸せってもんです。


 そう思っていたのも束の間、まさかその直後、皇族専用の人喰い馬車がやって来るとは!


 しかも、俺を待っていたのは魔物より恐ろしいエリザベート第一皇女殿下。


 クラッシャーには肋骨と腕をやられましたが、皇女殿下にはメンタルをやられました。


 ……俺、明日ちゃんと生きてるかな?


 次回、俺は無事に人喰い馬車から生還できるのか。


 それとも、グリューナー・ヴィント砦の新たな怪談になるのか。


 どうか次回も、レオン・クラウスの胃と命の無事を祈っていてくれると励みになります!


 俺からは以上です。

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