第十二話 近衛騎士に逃げ場はなし!公開恋愛劇場ならび人喰い部屋(前編)
魔蟻討伐から3日後のシュヴァルツクローネ城。
俺は現在、クラウディア様のお部屋に隣接する私室にて、書類を眺めている。
……いや、正確には書類を眺めながら、3日前の出来事を思い出している。
グリューナー・ヴィント草原での魔蟻討伐は、兵士、冒険者と共に肩を並べ戦えたこと、本当に充実する時間だった。
まあ、侍女のミレーヌは草原を古代魔法の実験場にしたり、
破城蟻こと通称クラッシャーをクラウディア様がトドメを刺したりと、番狂せはあるもののクラッシャー討伐後、共に戦った者同士で交わす祝杯は格別だった!
本当に幸せな時間だった。
そう……あの忌まわしい厄災が訪れるまでは……。
忘れたい。
できれば今すぐ忘れたい。
だが、人間というものは嫌な記憶ほど妙に鮮明に覚えているもので、今でも忌まわしい馬車を思い出す。
帝国の紋章を掲げた、黒塗りの車体に金の装飾。
そして、その馬車の中に、俺を容赦なく引きずり込んだエリザベート第一皇女殿下の白い常世の手。
そう、まさにあれは人喰い馬車だ。
今でも、あの光景がフラッシュバックしてくる。
扉を開けると漆黒の闇。
ものすごく暗い。
まるで俺の未来を先取りしたいるんじゃないか?と暗示させるような闇が広がっていた。
いや……闇なんて生温いものじゃないな。
あれは、異界そのものだったね。
そして、白い手が、魔蟻を上回る腕力で俺を掴み、椅子に薙ぎ倒された俺の眼前には「これ人ですか?」と思うような形相を浮かべたエリザベート第一皇女殿下の顔。
あっ、これ、絶対に帰れないやつだ。
勿論、逃げようとも考えたよ。
だが、逃げられるはずもないんだよね。
何しろ相手は皇女殿下なのだから抵抗出来るはずもない。
「ご機嫌よう、レオン。怪我の具合は如何かしら?」
俺の右肩を押さえつけながら、にっこり笑っている。
笑っている……笑っているのに、目が笑っていない。
「あなた、私の買い物を一蹴しただけでなく、のうのうとお酒まで飲んでいましたわね」
そして俺は、そのまま馬車に閉じ込められた。
……これって完全に監禁だよね?
守るはずの近衛騎士を、皇族専用の馬車に監禁するなんて、そんな話、聞いたことがあります?
故郷ララリカで例えるなら、大統領令嬢が要人警護隊を拉致監禁するようなものだよ。
こわいよ!この17歳のガキンチョ、もはや人怖というカテゴリーに入るよ!
そうそう、俺が馬車に監禁されたいる間、外では兵士や冒険者、コルンエーレン村の村人たち、皆が皇女殿下やクラウディア様たちの周囲に集まっていた。
「この度は本当にありがとうございました!」
「皇女殿下も、どうかご壮健で!」
「クラウディア様、次は冒険にご一緒させて下さい」
「ミレーヌ様、また魔法を見せてください!」
別れを惜しむ声が飛び交っているのも聞こえた。
俺はというと、帝城までの帰りの馬車で、隣に座った皇女殿下から、延々と文句を聞かされる始末。
「そもそも、貴方は〜(覚えていないので割愛)」
「はい……」
「私がどれほど楽しみにしていたか〜(覚えていないので割愛)」
「はい……」
「それを一蹴して〜(思い出したくないので割愛)」
「はい……」
「そのうえ酒まで〜(トラウマになるので割愛)」
「はい……」
俺の返事、ほぼ「はい」しかない。
反論する隙がない、というより、反論したら話がさらに長くなる。
これは元冒険者として培った危機察知能力が、全力で警告していたのだ。
今は黙っていろ。
生き残るためには、それが最善だ。
そして、そんな俺を見ていた人たち。
クラウディア様。
ミレーヌ。
そしてイングリット隊長補佐。
3人とも、見事なくらい反応が違った。
クラウディア様は口元を隠して、くすくす笑っている。
ミレーヌは完全に楽しそうだった。
そしてイングリット隊長補佐は、最初こそ真面目な顔をしていた。
だが、途中から肩が震えていた。
(隊長補佐まで笑ってるじゃないですか!)
俺には味方がいなかった。
ガレスにしても俺が馬車へ連行される直前に……。
「気をしっかり持てよ、レオン!」
と、大声で笑っていた。
……あいつ。
絶対に面白がっていた。
間違いない。
人を笑って冷やかすところも、昔と変わっていない。
ちなみに、俺が馬車の中で監禁されている間、エリザベート皇女殿下自身は、馬車を降りて砦の兵士や冒険者、村人たちにも声を掛けていた。
しかも、ただ形式的に労うだけではない。
「この度は、帝国のためによく戦ってくださいました」
「皆様のお力がなければ、被害はさらに大きくなっていたでしょう」
「どうか今、ゆっくりと身体を休めてくださいませ」
身分を振りかざすことなく丁寧に、そして相手の立場を気遣うように対応していた。
兵士たちも冒険者たちも、最初こそ緊張していたものの、次第に表情を和らげていったそうだ。
……まあ。
そういうところは、ちゃんとしているんだよな。
俺への扱いは、恐ろしいほどサディスティックだけどね!
そして翌日。
皇女殿下は、皇帝ヴァルデマール陛下へ政務として進言した。
魔蟻討伐に参加した兵士や冒険者たちへの褒賞。
そして、コルンエーレン村の現地調査をするため、帝国巡察省から、魔物調査部直属の現地巡察隊を派遣すること。
それらについて、正式に皇帝陛下の裁可を得たことで、結果、魔物調査部が急ぎ現地巡察隊をコルンエーレン村へ派遣したらしい。
……早い。
とにかく早い。
鶴の一声って、こういうことを言うんだろうな。
当然、皇帝陛下が勅命を出せば、帝国の各部署が一斉に動く。
俺たちが命懸けで戦っていた頃には、まだ「調査するかどうか」すら念頭になく、グリューナー・ヴィント砦の兵士や冒険者が調査する手筈だったのだ。
それが、皇女殿下の進言一つで動き出した。
皇族ってすげぇ。
まあ、俺の胃にとっては、ものすごく怖い存在なのは変わらないけどね。
そんなこんなで。
魔蟻討伐も無事終わり、俺たちは、再びシュヴァルツクローネ城で、黒ビールに恋焦がれながら、日常へと戻っていた。
ちなみに魔蟻の討伐報酬は、帝都冒険者ギルドのギルドマスターと副ギルドマスター自ら訪れ、応接間にてクラウディア様に昨日、お渡したようである。
それから、討伐した魔蟻や破城蟻は冒険者たちによって綺麗に解体され、皆も懐がほくほくだそうだ。
また、グリューナー・ヴィント草原に散らばった魔蟻たちの屍は、魔法士たちが術式で分解処理済らしい。
屍は放置すると、腐食による環境破壊や別の魔物を呼ぶ原因にもなるから、適切な処置を施さないといけないのだ。
俺のメンタルはガタガタになったけど、平和も戻って良かったと言うべきかな。
そんな訳で、普段の近衛騎士としての職務に励んでいるのだけど、本日は午前中から黒太子ことアルベルト皇太子とクラウディア様のイチャラブコントが転載されようとしていたのだった。
誰か、労働精神苦痛手当を、規定に設けてもらえませんかね。
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その日の午後。
俺はクラウディア様の私室前に立っていた。
今日の任務は、いつも通りクラウディア様の護衛。
以上……。
魔蟻の討伐も終わった。
破城蟻も倒した。
エリザベート第一皇女殿下の人喰い馬車からも、どうにか生還した。
ようやく平穏な日常に戻れたと思ったのだが……。
そう、あの人が来るまでは。
「アルベルト殿下がお見えになりました」
扉越しから侍女のミレーヌ伯爵令嬢の声がした。
うわっ、来たよ!サイコ皇子!
俺は反射的に姿勢を正す。近衛騎士として当然なのだが、どうにも後ろめたい気持ちもあり、落ち着かなかった。
考えても見てよ。
近衛騎士というのは、帝城で皇族や貴族を護衛する事が主な職務だよね。
その直近の護衛を任されている俺が、サイコ皇子の婚約者であるクラウディアを外に連れ回し、挙げ句の果てに魔蟻を仲良く討伐に行って、お酒を飲ませて酔っぱらいオヤジにさせてしまっている。
心の底では、何か言われるんじゃないかと、内心ヒヤヒヤものなのよ。
扉が開くと、ミレーヌは扉の端に立ち、丁寧に一礼すると、その目の前をアルベルト第一皇太子が通り過ぎる。
「クラウディア」
低く、落ち着いた声。
黒い軍服。
隙のない立ち姿。
ダークブラウンの髪に鋭い紅い瞳。
側にいるだけで、空気が一段階冷たくなるような、いつもの黒太子殿下だ。
余談だが、この人は俺より2つ年上。
たった2歳しか違わないのに、どうしてこうも威圧感に差があるのか。
人殺し大好きマンになると、メンタルも歪んで大人の階段に登っちゃうのかね?
俺は一礼する。
「アルベルト殿下」
「レオンか。久しいな」
「お久しゅうございます。殿下もご壮健で何よりです」
「ふむ……レオン」
「はっ」
アルベルト殿下が、じっと俺の顔を見る。
「少しやつれたか?」
「何を仰られておりますやら。私は至って変わりません」
「そうか?」
「はい。健康そのものにございます」
……ふざけんな!
俺は盛大に叫んだ。
黒ビールも飲ませてもらえず、半ばストーカー気質の公爵令嬢。
危険な魔法をヘラヘラ笑いながらぶっ放して、何かあると上にチクるイカレ魔法娘を押し付けた挙げ句、その上、あんたのサイコパス気質が色濃く出ている第一皇女殿下にまで、身も心も削られまくってるんだよ!
俺の人生、どこで道を間違えたんでしょうかね!?
いや、道を間違えたのは俺じゃない!配属先だ!配属先が全部おかしい!
何かあったら労災認定されるんだろうな!?
……いや。
そもそも近衛騎士に労災という制度があるのか疑問だけど、あるなら今すぐ申請させて下さいよ!
今すぐにだ!
できれば過去分もまとめてね!
勿論、これは『心の中』で絶叫している。
口に出して言うほどバカじゃない。
俺が心の中で、苦情と罵詈雑言を浴びせているなど、微塵も思ってはいないであろうサイコ皇子は、顎に手を当てながら考える仕草をすると、視線を俺に戻した。
「そうか。それならいい」
「殿下からな、ご配慮とお気遣い、身に余る光栄に存じます」
俺は、忠実な近衛騎士の顔を完璧に作っていた。
表情は穏やか。
姿勢も正しい。
返答も完璧。
何しろ、この人は冗談が通じないことで超有名な黒太子殿下だからなあ。
……いや。
正確には、人の首をたっくさ~ん跳ね飛ばしすぎて、「流血」とか「惨殺」とか「他殺体」に悦びを感じる、その精神的な異常性を、自身のお笑いセンスとして「他者からのツッコミ」に変換させているというか。
ようはツッコミ入れる材料を提供してくれる訳よ。
もちろん、本人に言ったら首が飛ぶので、絶対に口にはしない。
でも、これは比喩じゃなく真実。
「ところで、レオン」
「はっ!」
アルベルト殿下が、こちらを真っ直ぐ見つめる。
「クラウディアとミレーヌを連れ立って帝都を闊歩し、冒険者ギルドにて登録申請をさせ、グリューナー・ヴィント平原で魔蟻を討伐したと聞いているが、相違ないか?」
はいっ!恐れていた質問、来ましたぁ~!
いつかは聞かれるだろうと思っていた。
絶対に聞かれると思っていた。
だが、質問する側の顔は、いたって無表情。
声も平坦。
怒っているのか?怒っていないのか?ま〜ったく分からない。
怖ぇよ!せめて眉毛くらい動かしてくれ!
こっちは今から、自分の人生を左右する可能性のある報告をするんだぞ!?
俺は背筋を伸ばした。
近衛騎士として、ここは冷静に。
余計なことは言わず、事実だけを簡潔に伝えよう。
「はっ。間違いございません」
「ほう」
「役割を超越しているとは思いながらも、帝国の民の非常事態に、座視できず独断で加勢した次第です」
「クラウディアとミレーヌも同行したそうだな」
「はっ!恐れながら申し上げさせて頂きたます」
ここだ。
慎重に言葉を選ぼう。間違っても、『2人が勝手についてきました』などと言ってはいけない。
そんなことを言えば、クラウディア様に全面的に非があると言っているようなものだ。
ミレーヌに至っては、たぶん本人が「行きたいです!」と笑顔で言っただけなので、遠慮や悪びれるという概念がない。
それに、この子は侍女だから、付いてくるのは当然だ。
ならば、俺が近衛騎士として責任をすべて被ろう。
できれば、二人の自主性を強調したいけどね。
「お2人の同行につきましては、私が護衛の責任を負う立場である以上、危険を承知のうえで同行を許可いたしました」
「ほう。お前の判断だったと?」
「……」
違います!いや、違わないけど!形式上は俺の判断です!
でも、実際にはクラウディア様がすでに討伐用の装備を揃えていて、ミレーヌは杖を握って「行きます♪」とか言ってたんです!
こうなったら、俺に何ができたっていうんですか!?
もちろん、そんなことは口にできない。
「はい。最終的な判断は、私が下しました」
「そうか」
アルベルト殿下は、相変わらず無表情だった。
「クラウディアは?」
「はい?」
「魔蟻と戦ったのか?」
「……はっ」
声が一段低くなった気がした。
怖ぇ。さっきまでより、明らかに怖い。
気分次第で人の首を刎ねそうなサイコパス相手に、あなたの婚約者を一日中あちこち連れ回し、危険な魔物ともやり合ったんですよ、と報告しているのだ。
殿下、もしかしてクラウディア様の話になると、温度が下がるタイプですか?
とにかく、俺は慎重に答えよう。
「はい。クラウディア様は自ら戦闘に参加されました」
「怪我は?」
「ございません」
「そうか」
短い返答。
だが、紅い瞳がわずかに細くなった。
……さて。
ここは少し、サイコパス殿下の機嫌が良くなるように畳み掛けてみるか。
何しろ今の俺は、あなたの大切な婚約者を一日中連れ回した挙げ句、危険な魔物の群れに突っ込ませた近衛騎士である。
このまま正直に報告したら、俺の人生が報告書になる可能性がある。
ならば、クラウディア様がいかに立派だったかを、これでもかというほど強調しておこう。
「クラウディア様、ミレーヌ嬢に至りましては、傷を負うどころか、魔蟻の大群を前に一歩も引くことなく、勇敢に立ち向かわれました」
「……」
「それどころか、破城蟻に対しても果敢に挑まれ、最後には自らその巨体へ飛び乗り、見事に討ち果たされております」
「……そうか」
「はい。まさに公爵令嬢の鑑ともいうべき、勇敢なお姿でございました」
よし、褒めた。
これ以上ないくらい褒めた。花マル貰えるほどだ!
俺は今、遠回しに命乞いをしている。
報告という形式で。
「詳しく聞かせてもらおう」
「はっ! ミレーヌ嬢は支援魔法による援護に加え、魔蟻の大群に対して古代魔法を行使し、敵勢力の大幅な削減に貢献されました」
俺は有無を言わせぬ間も与えないよう、言葉を続ける。
「クラウディア様は負傷者の救護に当たられたほか、戦闘中に負傷した私を庇い、破城蟻へ直接攻撃を敢行。そのまま単独で致命傷を与え、討伐を完遂されております」
よし!もうひと押し!
「その結果、グリューナー・ヴィント砦の兵士および冒険者に戦死者はなく、負傷者も最小限に抑えることができました。
今回の戦闘における両名の功績は、極めて大きいものと判断いたします」
偉いぞ、俺!
近衛騎士としての報告というより、もはやサイコ皇子の機嫌取りだが、命が懸かっている以上、手段を選んでいる場合じゃない。
……ただ、俺も人間である以上、葛藤はあるよ!
心の中では、責任の押し付け合いがすでに始まったしね。
まず最初に言っておきますけど、俺は貴方の妹君からお買い物に行かされました。
1人で行くはずが、ストーカーとアッパー娘が俺を追跡して加わったんです!冒険者登録も提案したわけじゃありません!
クラウディア様が自分で登録したんです!
ミレーヌも自分で登録したんです!
俺は止めようとしました!
いや……ちょっとしか止めてないけど!
でも止めました!
……たぶん。
……いや、待て。
そもそも、クラウディア様とミレーヌを連れて帝都を歩いていたのは俺だ。
冒険者ギルドへホイホイ付いて行ったのも俺だ。
討伐にホイホイ参加したのも俺だ。
そして何より、俺は2人の護衛だ。
…………。
俺、思考が既に詰んでないか?
つまり、下手に心を曝け出さずに、こう言えば良いのだ。
クラウディア様は立派でした。
ミレーヌ嬢も大活躍でした。
俺はちゃんと2人を守りました。
これで完璧だ。
……大丈夫だよね?
あとはサイコパスが、どうリアクションするかだよなあ。
ここで「よくやった」と言ってくれれば万々歳。
逆に「なぜクラウディアを戦場へ出した?」なんて聞かれたら……。
はい、人生終了。
サイコ皇子のサイコ剣で首チョンパコースまっしぐら!
しかも俺の場合、たぶん斬られる直前まで「これは殿下のためを思っての判断でして!」とか言い訳するな。
我ながら、最後まで往生際が悪い。
だが、死にたくないんだから仕方ない。
昔から、生き残るのは往生際が悪い奴と相場は決まっているんだから。
近衛騎士の最重要任務は主君または、主を身を挺して守ること。
そして、追加事項に自分の首も守ること。
……追加事項のほうが、今は切実だし1番大切だ!
あとはもう、運を天に任せるしかない。
頼むぞ、運命。
そんな、恐怖な未来を考えていると、アルベルト殿下が静かに口を開いた。
「クラウディア。レオンはどうやら君の身を、非常に案じているようだな」
「ええ。正直に事の顛末をお話すれば良いものを、レオンはご自分の身の危険も顧みず、わたくしやミリーを庇い立てしたのですわ」
えっ?どういうこと!?
俺、今そんな立派なことしてた!?
いや、待て。
確かに2人を庇いながら魔蟻とは戦った。
そこだけ切り取れば、まあ、立派どころか半職務逸脱とヘタレなことばかり。
でも……実際のところは、クラウディア様やミレーヌが責められないようにしたい気持ちが半分。
俺の首が飛ばないよう、必死に言葉を選んでいたのがもう半分。
比率で言えば、むしろ後者のほうが大きい。ていうか、ほぼ後者だ。
なのに、どうして話がこんなにも美談になっている!?
クラウディア様、俺はそんな高潔な人間じゃありません!
俺はただ、生き残りたかっただけです!
「レオン」
「はっ」
「先日、既に我が婚約者からすべての事情は聞いている。一応、お前の口からも聞きたかっただけだ。許せ」
ふっざけんな!サイコパス野郎!
こっちは、自分で罪状を読み上げさせられ、あんたの用意した『サイコ棺桶』に片足を突っ込んだ気分だったんだぞ!
それを「一応聞きたかった」だと!?だったら最初に言えよ!イカレ皇子!
今ので寿命が縮んじまったよ!
「まさか、お前のような飄々とした者が、俺に対して2人を庇い立てしようとはな。忠義としては見事なものよ」
『お前のような飄々とした者』というのが引っ掛かるけど、なぜか否定もできない。
「殿下、レオンは大変優秀で、忠義に厚い近衛騎士ですわ。どうか寛大なご処遇をお約束くださいませ」
「私からもお願いいたします。レオン様は命懸けで、コルンエーレン村の民のために砦の兵士や冒険者たちと肩を並べて戦いながら、私たちの身も案じてくださいました」
……ちょっと待て。
何だ、この流れ。
仮に減刑されても護衛任務を外され、謹慎処分の後、近衛騎士の称号を剥奪されても不思議じゃない。
それが、忠義に厚い近衛騎士に格上げされているじゃん!
優秀な護衛?
命懸けで民と主君を守った英雄?
俺から言わせれば、我ままお嬢様たちに振り回され、黒歴史を暴露され、蟻んちょに吹っ飛ばされ、最後に人喰い馬車に喰われ第一皇女殿下から、おぞましい責苦を受けるなど、ロクな記憶しかない。
改めて振り返ってみても、本当にろくな記憶じゃないね。
とはいえ、クラウディア様とミレーヌも、俺の処遇について嘆願してくれている。
そこだけは、素直にありがたいと思う。
「レオン。お前の行動には問題がないとは言えぬが、クラウディアだけでなく、ミレーヌ、我が妹エリザベートも加わり労苦もあろう。今回の顛末について敢えて何も問わぬ。それに……」
黒太子殿下が、少し口元を緩めたが、穏やかと言うより、少し気味の悪い部類だ。
ララリカンスマイルとは程遠く、名付けるならサイコスマイルとでも言うべきかな。
「宮廷での箱詰め生活では、息も詰まろうからな。たまの外では息抜きにもなろう。クラウディア、今後は必要とあらば外出は許可する故、私か近衛参謀のカール、不在の際は妹エリザベートに常時、報告を入れてほしい」
「まあ、今後も外に出てよろしいのですね!わかりましたわ!お約束します」
「ああ。だが……先日の暗殺者襲撃の件もある。破城蟻を倒した武勇を待ってしても油断はできん」
黒太子殿下は、そこで俺へと視線を向けた。
「レオン。お前は引き続き、クラウディアの護衛任務を継続せよ。婚約者に降りかかる、あらゆる危険から、彼女を守れ」
「御意!クラウディア様の護衛の任、謹んで続行いたします」
「それから……妹のエリザベートから、お前宛に伝言を預かっている」
「ご伝言でございますか?」
「うむ。今夜の夕食後、お前と話したいそうだ。使いの者を向かわせるから、自室で待機せよとのことだ。お前、随分とエリザベートに気に入られたようだな」
「私のような一介の騎士を、そこまでお気に掛けていただけるとは、身に余る光栄。至極恐悦にございます」
全然、嬉しくねえよ!
至極恐悦どころか、至極恐怖でございますだよ!
ていうか、クラウディア様の近衛兵を自分の部屋に呼び出して何の話をするんだよ!?
人喰い馬車から、人喰い部屋に引き込まれるのか?今度は何されるんだよ!?すげぇ、怖えぇよ!
でも、まあ……今回の件でお咎め無しにしてもらった以上、断れないよなあ。
「では、エリザベートについては、伝えたぞ」
「承知仕りました」
処分は免れた…..そしてクラウディア様の外出許可も出た瞬間、俺の休日は反対に外出許可を失ったことに、俺は今更に気付いた。
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クラウディア様の頬がほんのり赤い。
声が柔らかい。
触れられただけで、かすかな吐息が漏れていた。
それは、目が完全に恋する乙女のそれだ。
そして何より、さっきまで、あの凛とした雰囲気がどこにもない。
……誰だこの人?
俺は本気でそう思った。
いや、クラウディア様なんだけど、なんつうか、クラウディア様なんだけどさ。
俺が知ってる17歳の公爵令嬢、どこ行った?
今は恋する大人な雰囲気漂う許嫁じゃない?
クラウディア様は、婚約者である黒太子殿下と甘い時間を過ごしているわけだが、俺は、それを黙って見ていた。
いや、正確には……見せつけられていた。
黒太子殿下はクラウディア様を膝の上に抱き上げ、首筋へ何度も軽く口づけを落としているところだった。
「ようやく、2人になれたな」
「アルベルト殿下ったら、いけませんわ。わたくしがせっかくエーデルクローネ産の紅茶を淹れましたのに、いきなり抱え上げるなんて」
「久しぶりに君と、こうして過ごせるのだ。少しくらい許してくれ」
「もう……」
クラウディア様が頬を赤らめる。
そしてアルベルト殿下も、いつもの無表情ではない。
柔らかな笑みを浮かべ、愛おしそうにクラウディア様を見つめている。
……誰だ、こいつ?
戦場は敵兵、移動では襲ってくる野党、宮廷では暗殺者を剣で真っ二つに斬る、『人殺しをするのも、見るのが大好きマン』の黒太子殿下と同一人物とは、とても思えない。
いや、待て。
これが本来の姿なのか?
人前では「近寄るな、斬るぞ」と言わんばかりの顔をしてるくせに、婚約者の前ではこんな顔をしている。
落差が酷すぎる。
公私の切り替えというより、サイコパスだから人格を二種類搭載しているんだろうなあ。
俺の中の黒太子は、脳みそ2つある説に加え、生物学上、人間のような別の生き物説もあるしね。
しかも今のこいつ、完全に恋する青年の顔だ。
普段の「冷酷無慈悲な黒太子様」はどこへ行ったんだろう?
たぶん今頃、城のどこかに置き忘れたんだな。
そして俺なんだか、クラウディア様の部屋にポツンと立って、毎度お馴染みの恋愛劇場を鑑賞中だ。
先ほどの一件も無事に終わり、
「それでは小官は、これにて失礼いたします」
と、部屋を出ようとしたんだよ。ところがさあ、クラウディア様が足止めしてくると来たもんだ。
「お待ちなさい、レオン」
「はっ」
「貴方はわたくしの直属の護衛騎士のはずですよ」
「……はい」
「でしたら、ここにいなさい」
「…………」
俺の気持ちを、誰か分かってくれるだろうか。
直属の護衛騎士。
その言葉自体に間違いはない。
俺の仕事は、クラウディア様を護衛すること。
だから、お側にいる。
命令だし職務だから文句はない。
こう見えて俺は、忠実な近衛騎士だから。
だけどさあ、俺だって空気くらい読める。
むしろ読めるからこそ、今すぐ消えたい。
何が悲しくて、人の皇族と公爵令嬢の恋愛コント……じゃなかった、恋愛模様を見ないといけないのだ?
「クラウディア」
「はい?」
「今日はもう、誰にも邪魔をされずに君と過ごしたい」
「わたくしもですわ」
黒太子殿下が、クラウディア様の髪を優しく撫で、頬にチューしていた。
サイコパスキッスにクラウディア様も嬉しそうに微笑む。
……。
あのう、2人とも?
誰にも邪魔されたくないんじゃなかったのか!?
せめて、俺を退出させてからくんずほぐれつしてくれないかな。
残す意味がわからねえよ。
どう考えても俺が一番の邪魔者だろうが。
あっ、巷で言う他人に見られて興奮するという奴か!?
サイコパスとの甘い、甘~い時間を過ごすんだろうが、いくら護衛の俺でも、ここにいるのは本当にしんどいんだぞ。
壁じゃない、柱でもない、観葉植物でもない。
ましてや、お前らの公開恋愛劇場を最前列で鑑賞するために雇われた観客でもない。
……ていうか、護衛騎士にこんな精神的苦行を強いるのやめろよ!
敵の暗殺者よりタチが悪い。
だから余計に始末が悪い。
こんなツッコミどころ満載のコント見るくらいなら、今すぐ部屋を出て、酒場で黒ビールを飲みたい。
できれば今日の記憶ごと黒ビールで流し込みたい。
そうだ!そおっと抜け出そう。
俺は忍足で、真横にある部屋の扉に手を掛けた瞬間
「レオン」
「はっ!」
「そこにいなさい」
「……御意」
逆らえない……主君の命令には。
俺は直立不動の姿勢を取った。
目線は正面からやや上。
表情も心も無の境地……なんて出来るか!
俺の人生、どこで道を間違えたんだろう?
いいや、道を間違えたのは俺じゃない。
配属先だ。
第三近衛騎士団に配属されてから、ろくなことがない。
サイコパスの護衛から悪役令嬢の護衛を任されたと思ったら、2人とも公開恋愛劇場のチケットまで付いてきちまった。
おまけに本人たちは俺がいることを完全に忘れている。
そう思った直後。
「アルベルト殿下……」
「どうした?愛しクラウディア」
今のは吹き出しそうになった、やべえ!
唇が堪えすぎて震えているが、何とか耐えよう!
「レオンが少し困っているようですわ」
「そうか?」
「ええ」
アルベルト殿下が、こちらを見ると、紅い瞳と目が合った。
「……」
「……」
気づいたか。
頼むから「レオン下がってよい」と感情のない声でとっとと命令しろ!
俺が邪魔者だと認識してくれ!
そうすれば、俺は今まで見たことのない速さで退室してやるよ!
「レオン」
「はっ」
「そこにいろ」
「……」
「何か不満でもあるのか?」
「いいえ、お2人の折角の貴重な愛のお時間に、私がいては不粋かと存じまして」
「構わぬ。お前は俺の近衛兵の時もそうだが、性格的に人の色恋には無関心そうだったからな。破壊した英雄像のように黙って立っていれば良い」
「御意」
なんでだよ!2つある説の脳みそに蛆湧いてるのか?それとも元からアッパッパーな性格なのか?
今の流れで、なぜ俺を残す!?意味わからねえよ!
人の色恋に関心はねえよ!だけど、目の前で見せつけられる苦痛くらいは持ち合わせているんだよ!
いや……なんかここまでくると、分かってて残してるだろ!?
もしかして、これも何かの近衛騎士に課す修行プログラムの一環なのか!?
(破城蟻を相手するより、目の前のイチャつきを無視するほうが難易度高いよ!
俺は無表情のまま、2人のイチャイチャを見るしかなかった。
聞こえてくる甘い会話と吐息。
漂ってくる紅茶の香り。
そして、伝わってくる幸福そうな空気。
一方の俺は、この状況から逃げられない絶望感。
果てしなく続く孤独感。
何ともやり切れなかった。
これって、巷でよく聞くハラスメントなんじゃないかな?
そう思わない?
……誰か、この任務に糖分過剰摂取手当を付けてくれ。
もしくは、精神的苦痛手当を要求したい。
あと、エキストラ参加料を2人から徴収したい。
俺は護衛騎士だぞ。
恋愛劇場の観客として雇われたんじゃない!
しかも、入場料を払うどころか、こちらが出演料を請求したいくらいだ。
そんなことを考えていた、その時……。
「クラウディア、顎を上げてくれるかい?」
「そんなに見つめないでくださいまし。心臓が高鳴って、耐えられませんわ」
チュ♡
…………。
………………。
あっ。
サイコパス野郎、とうとうマウス・トゥ・マウスでチューしやがったよ。
おいぃぃぃぃぃ!!
ついにそこまで進んだか!
いや、進むな!俺の目の前で進展するな!
せめて俺を部屋から追い出してからにしろ!
なんなんだ、この2人は。
普段は周囲を震え上がらせる黒太子と、気品あふれる公爵令嬢。
肩書きだけなら、帝国を代表するお似合いの婚約者同士だ。
だが、今の俺にとっては、ただの糖分製造機と、それを加速させる砂糖の精霊にしか見えない。
甘い!甘すぎるぅぅぅ!
紅茶に砂糖を何杯入れたら、ここまで甘くなるんだよ!
というか、その紅茶、もう冷めてるんじゃないのか!?
俺は無表情を保ったまま、心の中で天を仰いだ。
……頼む。
誰か、この2人に教えてやってくれ。
ここに、まだ人間が一人いるってことを!
「殿下……」
「すまないな。君を見ていたら抑えられないんだ」
「だから、次は君の心臓を食べたい」とか言い出しそうだな。
恋愛小説の類なら、この2人の場面に花飾りの枠や、光の粒などの演出が添えられるのだけど、俺の視界には髑髏とラフレシアと死神の枠がどよ〜んと囲っている絵面にしか見えない。
あまり、想像を膨らましすぎると、また吹き出しそうになるので、この辺でやめておこう。
そう言えば俺、今日だけで何回「帰りたい」と思ったと思ったんだろう。
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夕方の帝城。
俺は自室のテーブルに突っ伏していた。
もう動けない……。
剣を振るったわけでも、魔物と戦ったわけでも、暗殺者に命を狙われたわけでもない。
ただ、ひたすら精神を消耗したのだ。
原因はもちろん、あの2人にある。
クラウディア様と、黒太子アルベルト殿下。
チューをしてから3時間。
3時間だよ!
大事なことなので、もう一度言う。
3時間も、あの2人のイチャイチャを見せつけられたんだぞ!
だが、俺もただ黙って見ていたわけではない。
時には心の中でツッコミを入れ、時にはサイコパスだの砂糖製造機だのと罵倒し、時には笑いを堪えるために唇を噛み締めた。
おかげで、腹筋まで痛い。
服をめくったらバッキバキになってるんじゃないかな。
ともあれ、敵と戦ってもいないのに、全身が疲労困憊。
……俺、何か悪いことしたかな?
前世で何かやらかした?、
それとも、女神様が俺の人生を使って恋愛コメディの実験でもしてるのか?
だとしたら、そろそろ実験を中止していただきたい。
被験者の心身は限界突破です。
そんなことを考えていると、控えめなノックの音がした。
「レオン様、失礼いたします」
「……どうぞ」
扉が開き、ミレーヌが入ってきた。
手には湯気の立つ紅茶と、小さな菓子皿を持っている。
「レオン様、お2人の護衛お疲れ様でした」
「ありがとう、ミレーヌ」
俺は顔を上げ、紅茶を受け取った。
温かな香りが鼻をくすぐる。
……ああ。
人間の生活って、まさにこういうのでいいんだよ。
紅茶を飲み、椅子に座り、誰にも命を狙われず、誰かの恋愛を実況する必要もない。
なんて素晴らしい時間だろう。
できることなら、このまま一週間ほど休ませてほしい。
そんな俺を見て、ミレーヌが小首を傾げた。
「レオン様は、お2人の恋模様を間近でご覧になったんですよね?」
「……そうだね」
ええ……見ましたとも、3時間フルタイムでね。
休憩なし、交代要員なし、途中退場不可。
しかも、給料に特別手当が付く保証もない。
これを労働と呼ばずして、何と呼ぶ!?
「いかがでしたか?」
「……いかが、とは?」
「アルベルト殿下とクラウディア様です。お2人とも、とても仲睦まじかったのでしょう?」
ミレーヌの目がキラキラと興味津々なまでに輝いている。
ああ、なるほど。
そういう話が聞きたいのか。
確かに、あの2人は仲睦まじかった。
それはもう、砂糖菓子の山に蜂蜜をぶちまけ、さらに上から練乳をかけた、更にチョコレートソースをかけた、身体に非常に悪そうな甘さだった。
普段は冷酷無慈悲と恐れられる黒太子殿下が、クラウディア様の前では別人のように微笑む。
クラウディア様も、そんな殿下を見て頬を赤らめる。
……うん、絵面だけなら、実に微笑ましい光景だ。
ただし俺は、そのすぐそばで直立不動の悲惨な状況。
俺を巻き込み精神衛生を犠牲にしなければ、の話になるけどね!
「そりゃあ、とても仲睦まじかったよ」
俺はいつもの理解あるお兄さんを演じ、得意のララリカン笑顔を浮かべた。
「それはもう、周囲への配慮を忘れるほどに」
「まあ!素敵ですねえ♡」
ミレーヌが嬉しそうに手を合わせる。
素敵なのはお前のアッパーな感性だよ、ミレーヌ。
先程の優雅なティータイムはあっという間に吹き飛び、ツッコミモード全開になっていた。
そりゃあ、恋愛が素敵というのは否定しないけど、そこじゃない。
近衛兵が2人の恋路の現場に監禁され、嫌と言うほどの糖分地獄を味わう。
普通、ツッコむところだからね。
だが、そんな辛酸を舐めた俺の苦悩など知る由もなく、ミレーヌは、にこにこと微笑んでいた。
「それで、レオン様」
「……ほいほい」
「お2人は、どんなことをなさっていたんですか?」
紅茶を飲もうとしていた手が止まった。
……来た。
悪魔の質問が来た。
このまま詳細を語れば、俺は再び3時間分の記憶を脳内で再生する羽目になる。
しかも今度は、聞き手の期待に応えるため、情景を言葉にして説明しなければならない。
これ何の罰ゲームだろう?
俺は静かにカップを置いた。
「ミレーヌ」
「はい♪」
「人には、知らないままでいた方が幸せなことがあるんだ」
「……?」
「これは年上男性からの、心の籠ったアドバイスだ」
ミレーヌは不思議そうに首を傾げた。
「よく分かりませんけど……レオン様が大変だったことは分かりました」
「……君は素直で可愛くて助かるよ」
思わず、目頭が熱くなった。
そうだ、それでいい。細かい事情は知らなくていい。
俺の苦労を理解してくれるだけで十分だ。
だが、次の言葉で、その思いも一瞬で吹き飛んだ。
「今度、私もご一緒していいですか?」
「……は?」
「お2人の仲睦まじいご様子、私も見てみたいです!」
俺はゆっくりと顔を上げた。
ミレーヌは満面の笑みだった。
紅茶を一口飲む。
温かい。
香りもいい。
そして何より、この紅茶には、砂糖が入っていない。
……ああ、甘くないって素晴らしい。俺はビターな大人なんだよ。
俺は心の底から、しみじみそう思っている、その時だった。
──コン、コン。
部屋の扉をノックする音が響いた。
「あら、どなたでしょう?」
ミレーヌが顔を上げる。
「私が応対いたしますね」
「……頼む」
俺はテーブルに突っ伏したまま、ひらひらと手を振った。
正直、今は立ち上がる気力すらない。
先ほどの魔3時間で、俺の精神力はほぼ底をついている。
そう言えば、エリザベート第一皇女殿下から呼び出されていたんだ。
今度は人喰い馬車から人喰い部屋。
城下町の屋台B級グルメを買わなかったのを、相当根に持っていたからなあ。
食い物の恨みは本当に怖すぎる!
外からは何やら短い挨拶が交わされ、その後、少しばかり話し込んでいる様子だった。
俺が顔を上げるより早く、ミレーヌが1人の侍女を連れて戻ってきた。
「レオン様、エリザベート第一皇女殿下のお使いの方より、お迎えが参りました」
「代わりに行ってくれないかなあ」とは言えず、俺はゆっくりと背筋を伸ばした。
そこに立っていたのは、見覚えのあるエルフの侍女だった。
エルフらしい整った顔立ちに、落ち着いた物腰。
綺麗に編んだ銀髪の三つ編み。
姿勢も立ち居振る舞いも隙がなく、いかにも宮廷仕えの侍女といった雰囲気だ。
「お久しぶりでございます、レオン様。エリザベート第一皇女殿下にお仕えしております、アンネリーゼでございます」
彼女は背筋を伸ばし、淑やかに一礼した。
「こんばんは、そしてお久しぶりです、アンネリーゼ殿。第三近衛騎士団所属のレオン・クラウスです」
俺も姿勢を正し、右手を胸に添えて礼を返す。
アンネリーゼ・クロイツァー。
確か帝国の南東にある大森林出身のエルフで30歳。
只人に換算すると23歳くらいかな?
エルフは約400年も長生きする種族で、0歳から20くらいまでは只人と同じ年輪を重ねるのだけど、20代から成長や老化も極端に遅くなるんだよね。
ようは30年生きても、俺とほぼ年齢が変わらない訳よ。
おまけに美人でスタイルも良い!
だから、同年代の貴族や、子弟、はたまた老貴族と多方面から口説かれる。
彼女と顔見知りになったのも、とある頭の悪そうなバカ子弟が、アンネリーゼの腕を掴み強引に寝室に連れ込もうとしたところを、俺が身を挺して防いだことがきっかけなんだよね。
それ以来、エリザベート殿下の目が厳しく光っているから、貴族たちも下手なことは出来ないらしく、アンネリーゼも安心して宮廷勤めが出来るらしい。
「レオン様」
アンネリーゼが微笑む。
「エリザベート皇女殿下がお待ちでございます。殿下のお召しにより、お迎えに参りました。早速ですが殿下のもとへご同行願います」
「……承知いたしました」
人間、あまりにも恐ろしい予定を控えた場合、脳が自主的に記憶を棚上げするらしい。
医学的な根拠は知らない。
だが、俺の脳は今、間違いなくその機能を発揮して「何それ?記憶にございませんわ」と忘れた振りをしたかった。
しかし、忘れたフリをしようものなら、今度こそ皇女殿下に人喰いされそうなので、やめることにした。
俺は椅子から立ち上がり、軍服の襟元を整えた。
表情は平静。
姿勢も完璧。
どこからどう見ても、皇女殿下のお召しに応じる忠実な近衛騎士である。
ただし、内心は違う。
来たぁぁぁぁぁ!
今度は馬車じゃなくて、皇女殿下の私室に直行便!
精神的苦痛のリレー競技である。
世界選手権があれば、間違いなく金メダルだね!
しかも俺は、第一走者からアンカーまで1人ときたもんだ!
「レオン様?」
アンネリーゼが不思議そうに首を傾げ、俺の顔を覗き覗き込んだ。
「いかがなさいましたか?」
「いえ!何でもございません」
俺は笑顔で答えつもりだけど、多分、顔は引き攣っていたかもしれない。
「承知いたしました。お約束の件、心得ております。ご案内をお願いいたします」
できれば、呼ばないでいただきたかったです。
その本音だけは、今日も胸の奥へ厳重に封印して、侍女のアンネリーゼの後について行った。
第十二話 前編 あとがき
どうも、レオン・クラウスです。
今回は魔蟻討伐という、実に充実した任務から始まりました。
兵士や冒険者たちと肩を並べて戦い、巨大な破城蟻まで討伐する。戦士としては、なかなか得難い経験でした。
……ミレーヌが草原を魔法の実験場に変えたり、クラウディア様がクラッシャーにとどめを刺したりと、いろいろ想定外の出来事はありましたけど、それでも、最後に仲間たちと交わした祝杯は格別でした。
そう、あの時までは……。
その後、俺を待っていたのは、エリザベート第一皇女殿下の人喰い馬車。
そして、黒太子殿下とクラウディア様による、糖分過剰摂取不可避の公開恋愛劇場。
……どうして俺の任務には、魔物討伐より厄介なものばかり追加されるんでしょうか。
しかも、ようやく恋愛劇場から解放されたと思ったら、今度は第一皇女殿下のお呼び出し。
どうやら俺の人生には、平穏という言葉が実装されていないようです。
というわけで、第十二話前編はここまで。
次回、後編ではエリザベート殿下との面会が人喰い部屋で待っています。
俺は無事に生還できるのか。
それとも、人喰い馬車に続く新たな恐怖が誕生するのか。
……できれば、黒ビールを飲みながら平和に過ごすだけの話にしてほしいものです。
それでは、後編もよろしくお願いいたします。
レオン・クラウスでした。




