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悪役令嬢付きのしがない護衛兵士ですが、冷酷な黒太子が彼女にだけ甘すぎるので毎日腹の中で笑っています  作者: 新小岩 茶太郎


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第八話 皇女殿下のお買い物から魔蟻討伐に予定が変更になりました

 鑑定鏡の最後に表示された一文。


『嗜好:黒ビール』


 エーデルクローネ王国の冒険者ギルドの受付で起きた、あの瞬間の空気を、俺は今でも鮮明に覚えている。


 誰も、何も言わなかった。

 かつての冒険者仲間たちも。

 受付嬢も。


 そして俺自身も。


 ただ全員が、鑑定鏡に映ったその一文を見つめていた。

 あのときの俺は、本気で鑑定鏡を叩き割ろうかと思った。

 もちろん、叩き割らなかったよ。

 そんなことをしたら弁償する羽目になっちゃうし、下手したらタダ働きになっちゃうよ。俺だって、そこまで馬鹿じゃない。


 ただ、あの一瞬だけは、本気で思った事だけは間違いない。


 なぜ、よりによって黒ビールなんだ!?

 戦士としての適性や、これまで身につけてきた技能が並んでいたというのに。


 鑑定鏡は、まるでそれが俺の人生の最重要情報であるかのように、妙に綺麗な文字で並べやがった。


 俺はその日、心に誓った。

 そうだ!無かったことにしよう♡

 あれは夢……鏡の妖精さんのお茶目な悪戯なんだ♡

 俺自身も二度と思い出さないから、記憶の彼方に放り投げよう!


 こうして、黒歴史として静かに埋葬したのだか……。


 俺のかつての冒険者仲間である、アホ竜人(リザードマン)はまったく忘れてくれなかった。


 そして今。


「いやぁ、懐かしいな!あの『嗜好:黒ビール』には笑わせてもらいましたぜ!」


 目の前でガレスが、クラウディア様とミレーヌ、そして狐人の受付嬢3人の笑いのツボを見事に押し、噴射させてしまっていた。


「しかもなぁ!」


 ガレスは更なる追い打ちをかける。


「こいつ、酒場で黒ビールを見つけるたびに『愛人が俺を呼んでいる』とか言ってたんだぜ!」

「もうやめろ!人権侵害だろう!」


 俺は心からやめて欲しいと叫んだ。

 だが、誰も助けてくれない。


「本当に面白い話ですわ……レオンがそこまで黒ビールがお好きだったなんて。ねえ、ミリー」

「はい。レオンさんの身体に流れているのは、血ではなく黒ビールなんですね」

「ミレーヌ……それ、あんまりじゃない?」


 クラウディア様が扇で口元を隠して笑っている。

 狐人の受付嬢に至っては、完全に下を向いて笑いが止まらない。


 ……もう、何とでも言ってください。


 俺の尊厳は、今まさに黒ビールの泡と同じ、一抹の夢と共に消えていくんだろうなあ。


「……私は、もう帰っていいですか」

「駄目ですわ。帰るなんて許しません」

「ですよねえ……」


 クラウディア様が笑いを残したまま答えた。


「貴方、お忘れになられて?まだ皇女殿下のお使いが残っていますのよ」

「…………」


 その言葉を聞いた瞬間、俺の背筋に冷たいものが走った。


「…………お使い」


 そうだ!

 俺には任務があった!ていうか、そもそも今日は、そのために城下町へ来たのだ。


 黒ビールの黒歴史を暴露されるためじゃない。

 たい焼きを食べるためでもない。

 ましてや、ガレスと昔話に花を咲かせるためでもない。


 エリザベート第一皇女殿下から頼まれた、山のような買い物をするためだ。


 俺は慌てて、懐からエリザベート第一皇女殿下から渡された書簡を取り出し、書かれている買い出しリストに目を通す。


 リンゴ飴。

 串焼き肉。

 カリーヴルスト。

 フラムクーヘン。

 焼きアーモンド。

 じゃがいものパンケーキ。

 串焼き魚。

 大和王国のおやき。


「ヤバい……1つも買ってない」

「ええ、何1つ買えていませんわ」


 クラウディア様が微笑んだ。

 なに?その他人事のような感じは?


「クラウディア様、急いで屋台市場に向かいましょう!」

「もちろん、ご一緒いたしますわ」

「ミレーヌも行くよ」

「はい♪」


 俺たちは慌ただしく立ち上がった。


 頼まれた仕事を放り出して、食べ歩きと昔話に時間を使っていましたなんて言おうものなら、巻き貝のような髪型の第一皇女殿下から、怒涛の如く『許せませんですわ〜』攻撃を受けること間違いない。


「今ならまだ間に合う……!」


 俺は自分に言い聞かせるように呟いた。


「屋台市場はすぐそこだ。走れば!」


 ギルドの出口の扉に向かう。

 買い物を始められる。

 そう思った、その時だった。


 バンッ!


 勢いよくギルドの扉が開いた。


「誰か……! 誰か助けてくれ!」


 入口に、1人の男が倒れ込むように飛び込んできた。

 ローブは泥と血で汚れ、片腕を押さえ、息は荒く、顔面は蒼白だった。


 男はそのまま床に膝をつく。


「負傷者が……!大勢の負傷者がいる……!」


 さっきまで笑い声に包まれていたギルド内が、一瞬で静まり返った。


 俺も足を止める。 

 頼まれた買い物を終えなければならない。

 何としても今日中に品物を揃えなければならない。


 何と言うバッドタイミング!


 こういう時の「誰か助けてくれ」は、大抵ろくな話じゃないと相場が決まったいるのだ。


 そして俺の経験上、こういう時に限って、予定はさらに狂い、自分の首を締め上げる。


 何だろうなあ……今回は、予定が狂うだけでは済まない気がしてきたような。


「何があった!?」


 ガレスが真っ先に駆け寄った。

 男は荒い呼吸を繰り返しながら、震える声で告げた。


「東の農村が……魔物に襲われた……!」


 その一言で、ギルド内の空気が変わった。

 さっきまで笑っていた冒険者たちが、次々と立ち上がる。

 狐人の受付嬢も笑顔を消し、男のもとへ駆け寄った。


「落ち着いてください。魔物の種類は?」

「……魔蟻(マーガス)です」

「数は?」

「30……いや、もっとです」


 男は荒い息を吐きながら続ける。


「冒険者と騎士殿たちとで応戦し撃退させるところまで善戦していましたが……途中で、クラッシャーが出てきて……」

「クラッシャー!?」


 ガレスの顔から笑みが消えた。


「……ああ」


 男は震える手で自分の肩を押さえた。


「盾を構えた騎士が……盾ごと吹き飛ばされました。負傷者が大勢出て……今は村人と共に、すぐ近くの砦に立てこもっています」


 ガレスはすでに戦斧を背負い、他の冒険者たちへ声を掛けていた。


「野郎ども!聞いての通り、蟻んちょが出てきやがった!動ける奴は準備しろ!すぐに応援に行くぞ!」


 次々と冒険者たちが立ち上がる。


「農村を襲うなんて、いい度胸だ!」

「ブチ殺してやる!」

「冒険者舐めんじゃねえぞ、蟻んちょ共!」


 ……皆さん、血の気が多すぎませんかね。

 いや、まあ。冒険者は魔物を相手に命を張ってなんぼだからね、こういう時に腰が引けるようじゃ、冒険者稼業は務まらないしねえ。


 ふと視線を落とすと、負傷した魔法士は、まだ肩で息をしていた。

 ローブには血が滲み、片腕を押さえたまま、必死に立っている。その姿を見た瞬間、出口へ向きかけていた俺の足が、止まった。


「…………」


 俺は何も言わず懐へ手を入れる。エリザベート皇女殿下から預かった書簡の買い物りリストに触れる。


 ──ぐしゃり。


 小さく俺は目を閉じる。

 屋台市場へ行けばいい、それだけだ。

 皇女殿下からとはいえ、王家から頼まれた任務である。


 今から向かえば、まだ間に合う。

 俺は一度、出口を見た。


 魔法士を見る。


 また出口を見る。


 …………。


 長い沈黙だった。

 俺はもう一度、何一つ買えていない、買い物リストを眺める。


 書簡を丁寧に折り畳むと懐へ戻す。


 そして剣の柄へ手を伸ばした。


 ──カチャリ。


 鞘が鳴る。

 その音に、クラウディア様がこちらを振り向いた。


「レオン?」


 俺は少しだけ間を置いた。


「……クラウディア様」

「はい」

「俺も、魔物討伐に加わります」


 一瞬、クラウディア様が目を見開いた。

 ミレーヌも驚いた顔をする。


「まあ……」

「レオンさん……」


 クラウディア様は、やがて柔らかく微笑んだ。

「そう言うと思っておりましたわ」


「……私は一介の近衛兵士です。王家への忠義は絶対。ですが……民もまた、王家の大切な宝。なればこそ、このレオン、民を守ることもまた忠義と考えます。どうか、ご裁量を」


「ええ」


 その目が、少しだけ嬉しそうに細められる。


「貴方は目の前で傷ついた方を見て、何もしないまま立ち去れないお人柄であることは、分かりきっていますわ。それに、わたくしも民を害する魔物を放っておくほど甘くはありません」

「買い物のこともありますけどね……」


 思わず口を挟むと、クラウディア様が、きょとんとした顔で俺を見る。


「ふふ、そうね。皇女殿下はお怒りになるかもしれないけれど、わたくしが何とかフォローしましょう」

「良かったですね、レオン!」


 ミレーヌが小さく笑う。

 クラウディア様も、柔らかな笑顔で頷いた。


 ……なんだろう。

 2人とも、やけに迷いがない。


 俺は思わず2人の顔を見比べた。


 いや、待てよ。俺は今、皇女殿下から命じられたお使いを放り出して、魔物討伐に行こうとしてるんだぞ?

 しかも相手は、東の農村を襲ってる魔物だ。

 それを「フォローしましょう」で済ませていい話なのか?


 そんな俺の戸惑いをよそに、クラウディア様は一歩前へ出ると、すっと背筋を伸ばす。


 先ほどまでの柔らかな表情が消えた。

 今、そこに立っているのは、ローゼンフェルト侯爵令嬢であり、皇太子殿下の婚約者の顔だった。


「近衛騎士レオン・クラウス」

「はっ!」


 反射的に背筋が伸びる。

 クラウディア様は俺を真っ直ぐに見つめた。


「今をもちまして、わたくしクラウディア・フォン・ローゼンベルクの名において、東の農村に跋扈する魔物討伐への従軍を承認いたします」

「……!」


 思わず目を見開いて驚いた。そこまで正式にやるの!?


 だが、これはある意味、『建前』として必要な通過儀礼なのだろう。


 ローゼンベルク侯爵家の令嬢として。そして、黒太子殿下の婚約者として。

 クラウディア様は、俺の行動に正式な裁可を与えてくれたのだ。


 皇女殿下から命じられた使いを中断し、独断で魔物討伐へ向かった。そんなことになれば、後から何かと面倒な話になる。

 そのお咎めがないようにと、クラウディア様はわざわざ自分の名を使って、俺が動くための筋道を立ててくださったのだ。


(……ありがたいな)


 俺は感謝を込めて、すぐに右手を胸へ当て、深く頭を下げる。


「……ご裁可、確かに賜りました」


 顔を上げるとクラウディア様の顔はいつもの柔らかで可憐な笑顔に戻っていた。


 俺は剣の柄を握り直す。

 ……よし!これで迷う理由はない!


 皇女殿下のお使いは、いったん後回しだ。

 今は目の前で助けを求めている人たちを救うことに専念しよう。それが、俺の選んだ騎士としての忠義なのだから。


「ありがとうございます、クラウディア様」

「ええ。どういたしまして」


 クラウディア様は、にこりと微笑む。


 ……なんだろう。その笑顔が、妙に気になる。

 何かを企んでいるような……いや、まさかな。


 俺が首を傾げていると、クラウディア様は人差し指を1本、すっと立てた。


「ただし、一つ条件がありますわ」

「……条件?」


 嫌な予感がする!

 ついさっきまで感じていた安堵が、音を立てて消えていくぞ!


「はい」


 クラウディア様は、いつもの上品な笑顔のまま告げた。


「わたくしとミリーも、同行いたします」

「…………はい?」


 間の抜けた声が出た。

 俺は思わず、クラウディア様とミレーヌを交互に見る。


 その隣で、ミレーヌが手を挙げる。


「私も行きたいです♪」

「ミレーヌまで!?」


 お前は命懸けの現場に行くのに、何でそんなに楽しそうなんだ?

 頭のネジが飛んでっちまってるんじゃないのか!?


「いや、ちょっと待ってください!?」

「何か問題でも?」

「問題しかありませんよ!」


 思わず即座に突っ込む。

 俺が命を懸けて魔物討伐に、よりによって護衛対象が2人増えるってことだよね!

 しかも、王族の婚約者を最前線の身に晒すんだぞ!


「クラウディア様は、帝城へお戻りください。ミレーヌも一緒に」


「嫌ですわ」

「お断りします♪」

「即答!?」


 クラウディア様もミレーヌも悪びれもせず微笑んでいる。

 しかも、何でそんなに楽しそうなんだよ……。


「レオン。あなたは先ほど、『民を守ることもまた忠義』と仰いましたわね?」

「……はい」

「ならば、わたくしたちも、その忠義に協力させてくださいませ」

「いや、それとこれとは……」


 クラウディア様の瞳が、ほんの少しだけ使命感を帯びた。

「目の前で傷ついた方がいるのですもの。治療師であるわたくしが行けば、助けられる命が少しでも多くなりましょう」


「それは……そうですが、お2人の身を危険に晒すわけには……」

「それに」


 クラウディア様の瞳が、ばあっと輝いた!

 恐ろしいほど生々してるう!


「血気盛んな冒険者の皆様を目の前にして、わたくしまで血が湧き、心が躍ってしまいましたの!こんな気持ち、どうして抑えることが出来ましょうか!」

「クラウディア様!?」


 俺は思わず声を上げる。


「言い方が完全に戦闘狂なんですが」

「失礼ですわね。私はただの治療師ですわ♫」

「今の台詞、治療師から出てくる言葉じゃないでしょう……声も嬉しそうです」

「あら、公爵令嬢として失言ね、ふふっ♫」


今にも飛び出しそうなクラウディア様の横では、ミレーヌもまた、我慢できないと言いたげな顔をしている。


「レオン様、実は、ちょっと試してみたい新魔法がありまして。ちょうど、ぶっ放すには場所といい、対象といい、好条件なので、やっちゃいますねえ♪」

「ちょっと待てい!ぶっ放すって……前の秘伝魔法のアルバ何とかみたな、強力な魔法なのか?」


 俺は恐る恐る尋ねる。


「はい♪ 聖光天穿(アルバ・ルクス)ほどではないですが、試作段階で制御も定義されていないので、手違いで半径50メートルは瞬時にヤバいことになるかもしれません♡」

「実戦で試すなよ!最前線の俺たちが危ねえじゃん!」

「でも、こういう機会でもないと試せませんよ」

「いやいやいや!」


 俺は頭を抱える。

 まずい……この2人、目が完全に行く気満々だ……しかも1人は新兵器クラスの試作実験ときたもんだ。

 俺が何を言っても、間違いなく止まらない。


「レオン、目の前で傷ついた方が大勢いるようですし、治療師である、わたくしがも同行すれば、助けられる命も増えると言うものですわ」

「それは……そうですが」


 俺は言葉に詰まる。


 確かにクラウディア様の言うことは正しい。

 負傷者の手当てに僧侶、薬師、治療師は多ければ多いほど良いのだから……。


 クラウディア様は治療師だ。

 負傷者が出ている場所へ向かえば、助けられる命がある。


「……分かりました」


 観念して息を吐く。


「ただし、私の指示には必ず従ってください。戦況が危険と判断した場合は、即座に撤退していただきます」

「承知しましたわ」

「はい♪」


 2人揃って頷くも、本当に分かってくれたのかなあ?

 俺は自身の胃に、また1つ耐えるという仕事を増やした。




---------



 

クラウディア様は、先ほど負傷した魔法士の前へ歩み寄った。


 魔法士は壁に背を預け、荒い呼吸を繰り返している。


 ローブは泥と血で汚れ、腕には大きな裂傷が走っていた。顔色も悪い。さっきまであれほど苦しそうにしていたのだから、無理もない。


「少し失礼いたしますね」


 クラウディア様が、そっと彼の傷口へ手をかざすと、目を瞑り、呟くように術式を唱える。


「──治癒《セラ・フィール》」


 淡い光が、クラウディア様の掌から溢れ出した、柔らかな光が魔法士の身体を包み込む。

 裂けていた傷口は、みるみる内にゆっくりと塞がっていく。


 血色を失っていた皮膚が元の色を取り戻し、苦しげだった呼吸も次第に落ち着いていった。


 俺は、その様子を黙って見つめていた。


(……やっぱり、すごいな)


クラウディア様が治癒を施す様子を見ながら、俺はふと、冒険者時代に聞いた話を思い出していた。


 ──治療術。


 傷を塞ぐだけなら、使える魔法士はそれほど珍しくない。

 だが、クラウディア様の使用する治癒術は別の術式体系となる。


 俺が知る限りの範囲で……ではあるが。


 根っこの部分は同じなをだよなあ。

 人の身体には、生きるための根源的な力『マナ』が宿っているとかで、魔法士なら、そのマナを魔力へ変換する。

 僧侶や司祭なら、法力になるのかな?


 そして、治療師ならマナを命力(めいりき)にするらしい。


 魔力、霊力、法力、神力、命力。


 呼び方も差別化されているけど、どれも大元を辿れば、人の体内にあるマナが源になっているわけだ。


 ただ、何へ変換されるのかは、術者の資質によって異なる。

 魔法士が魔力を操るように、治療師は命力を操る。


 命力は、その名の通り生命に働きかける力だ。

 傷ついた肉体を本来あるべき状態へ戻し、身体が持つ生命力を支える。


 俺が知っているのは、その程度だ。冒険者時代、怪我をするたびに治療師の世話になって、その仕組みを聞いたことがあるくらいだからね。


 だが、1つだけ。


 治療術には、他の術とは大きく違うところがある。


 ──詠唱がない。


 魔法のように長い言葉を唱える必要もない。

 大和の神術のように神へ祝詞(のりと)を唱えるわけでもない。


 治療師が生命に対する尊厳を祈りへ変える。

 その祈りが命力となり、傷ついた身体へと働きかける。


 それがどういう仕組みなのかわからないが、治療への時間は短縮される利点があるのかな。

 

 こうして目の前で見ていると、それはまるで、身体そのものが「まだ生きたい」と願いに、術式が寄り添うように応えている。


 ……治療術ってのは、そういう力なのかもしれないな。


 そんなことを考えているうちに、淡い光がゆっくりと消えていった。


 魔法士は自分の腕をゆっくり動かした。


「……傷がなくなっている」


 先ほどまであった裂傷は、跡すらほとんど残っていない。

 魔法士は何度か腕を握ったり開いたりしてから、慌てて立ち上がった。


「ありがとうございます!」


 深々と頭を下げる。


「本当に……ありがとうございます、クラウディア様。おかげで、もう動けます」

「お気になさらないでください」


 クラウディア様は柔らかく微笑んだ。


「あなたが無事で何よりですわ。今は無理せず、ギルドの医務室で診ていただきなさい」

「了知いたしました。このご恩は忘れません」


 魔法士は森人(エルフ)のギルド嬢に付き添われ医務室の奥へと姿を消した。


 先程まで、俺の黒歴史に腹筋をフルに使っていた狐人のギルド嬢の声が、広間いっぱいに響き渡った。


「皆さん、緊急依頼を発動します!」


 ざわめいていた冒険者たちの声が、ぴたりと止まる。


「討伐対象は、帝都東に位置する農村コルンエーレンを占拠した魔蟻《マーガス》の群れです」


 その名を聞いた瞬間、幾人かの冒険者が顔を見合わせた。


 ──魔蟻(マーガス)。

  

 古エルフ語の呼び名が付けられた蟻の魔物。

 公用語ではデーモン・アント。


 単体や数匹程度であれば、さほど恐ろしい魔物ではない。

 だが、群れとなれば話は別だ。


 俺たちが踏み締める地面にいる、どこにでもいる小さな蟻。

 どういう訳だか知らないけど、人以上に大きくなった化け物蟻というのが、この世界には存在する。


 本能や生態はそのままで、密林に生息する軍隊蟻よりも遥かに凶暴。獲物と認識した相手には、死ぬまで襲いかかってくる厄介な魔物だ。


「なお、群れの中に剣牙蟻(ヴァルガス)、そして……」


 狐人のギルド嬢が、一度言葉を切ると、その表情が僅かに強張る。


「破城蟻《グラドガス》。通称クラッシャーの存在が確認されています」


 ──破城蟻(グラドガス)。


 その名の通り、建物や城壁を破壊することに特化した大型の魔蟻(マーガス)で、ついたあだ名はクラッシャー。

 そのまんまじゃん!


 硬い甲殻。

 異常な膂力。

 そして、その3メートルほどの巨体からは想像もつかない突進力。


 ただの魔蟻(マーガス)の群れならば、経験を積んだ上級組冒険者なら対処できる。

 剣牙蟻(ヴァルガス)が混じっていても、十分な人数を揃えれば討伐は可能だ。


 しかし、破城蟻(グラドガス)が加わったとなれば話は変わる。 ギルド嬢からの通知に冒険者は、戦々恐々する……者など誰1人いなかった。

 

「……村を占拠してる、ってことはよう」


 体格のいかつい猫人(ダヤン)の戦士が呟いた。


「つまり、巣が作られる可能性があるな」


 その横で狐人の斥候が、呑気な口調で答える。


「……グラドガスなんて、いつ以来だ?」


 只人の戦士が、懐かしむように顎を触る。


「へっ……面白そうなことになったぜ」


 鉱人(ドワーフ)の僧侶が口角を吊り上げる。


「村を占拠してるなら、まとめて墓標にしてやる」

「おいおい、クラッシャーまでいるんだぞ?」

「だから面白ぇんだろ」

「違ぇねぇ」


 周囲から一斉に笑い声まで上がった。

 誰1人として怯えていないし、何でそんなに皆、楽しそうなの?


「まあ、皆さんなんて勇敢なんでしょう。その、クラッシャーとかいう難敵を耳にしても、怯え一つありませんわ」


 クラウディア様も冒険者たちの交戦的な雰囲気に飲まれて、顔を赤らめ高揚してるしなあ……。

 これってもうノリで討伐にしに行こうと思ってるよね。

 

 レオンが思わず口を挟んだ。


「クラウディア様。そこは感心するところではありませんよ!」

「まあ、なぜですの?」

「先ほどの説明、覚えていらっしゃいますよね?」

「ええ。もちろんですわ」

「補足すれば、魔蟻(マーガス)は人より大きくて、軍隊蟻より凶暴で、死ぬまで襲いかかってくる魔物なんですよ?特に破城蟻(グラドガス)はクラッシャーと呼ばれ、身体は大きく、力も相当あります。更に厄介で、危険なんです」


 クラウディア様は黙って俺を見つめている。

 よし!さすがに怖さが伝わったかな。


 そう思った。


 ところが、クラウディア様の頬が、さらに赤くなった。


「まあ、大変!それほど恐ろしい魔物なのですね」

「そうです」

「それなら、余計に生かして返してはおけませんわ!滾りますわね!」


 えっ?……そっち!? 

 しかもワクワク顔になっちゃってるよ……。


 駄目だ……。

 この人に、怖さを説明しても余計に戦意を煽るだけで、更に行く気に満々にさせてしまった。


「レオン様、大丈夫ですよ。いざとなれば魔法で焼き払うか、毒素を充満させて、蟻もイチコロです♪」

「やるなよ!そんな事、砦や農村の中で絶対やるなよ!」 


 虫も殺さぬ顔で、物騒なことを言うミレーヌも相当。キテるよなあ……。


 それにしても冒険者たちも輪を掛けて、クレイジーな連中ばかりだ。


 破城蟻(グラドガス)も出てきているのになぜ笑える?


 死ぬまで襲ってくる。

 3メートルの巨大で怪力。

 軍隊蟻より凶暴。

 既に騎士たちですら、盾こと吹っ飛ばされている。


 普通なら、もう少しくらい顔を引きつらせてもいいはずだ。


 というか、俺の知っている緊急依頼って、もっとこう……『これは危険だ!死ぬかもしれない!』みたいな空気になるよね?


 しかし、この人たちときたら…..。


「武器を新調してくる!」

「俺は回復薬を買い込むぞ!」

「誰か盾持ちはいねぇか!」

「クラッシャーの甲殻、傷物にするなよ!高く売れるからな!」

「お前、素材の心配が先かよ!」

「当たり前だろ!」


 なんでみんな、遠足にでも行くみたいな気分なんだろう……。


「レオン!お前たちも行くんだろ!準備が出来たら俺と一緒の馬車に乗ればいい」


 ガレスが大声を上げながら、駆け寄ってきた。


「助かる!俺はこのままで大丈夫だ」


 剣の柄に手を添え、装備や道具袋をざっと確認する。


 問題ない。


 現役の近衛騎士として、普段から戦闘を想定した装備を整えている。今さら準備し直す必要はないのだ。


「お前と肩を並べて戦うのも、ずいぶん久しぶりだな」


 ガレスはそう言って、嬉しそうに俺の肩を叩いた。

 そんなんだよね。昔は、こうして何度も一緒に戦った。


 魔物の討伐も、盗賊の掃討も、くだらない揉め事の仲裁も。俺たちはいつも並んで剣を振るっていた。


 そして今、俺は近衛騎士。

 ガレスは三等級冒険者。


 立場も身の振りも変わったはずなのに、こうして再び肩を並べたことは、素直に嬉しい。


「……本当に、古巣に戻ってきたみたいだな」


 思わず、そんな言葉が漏れた。

 俺はガレスの隣に並び、ふと周囲を見渡した。


「……ここにゴードンとエルザまでいたら、完璧だったのにな」

「だよなぁ。あいつらがいりゃ、もっと楽に片付いたかもしれねぇ」


 ガレスは懐かしそうに笑った。


「そういや、あの二人は今どうしてるんだ?」

「ゴードンとエルザか?」

「他に誰がいるんだよ」


 いつもの調子に、俺も思わず口元を緩める。


「2人なら、今もエーデルクローネ王国の冒険者ギルドで冒険者を続けてるぜ」

「エーデルクローネから離れていなかったんだ」

「ああ。俺も1ヶ月くらい前に向こうへ行ったけど、2人とも元気そのものだったよ。ゴードンは相変わらず酒ばかり飲んでたしな」

「そうか。元気ならよかったぜ」


 かつての冒険者仲間である、ゴードンとエルザたちど離れて数年は経過している。元気と聞いて、俺も安心というものだ。


「……また、あいつらと一緒にやれたらいいんだけどな」

「ああ。俺もそう思うよ」


 昔の仲間が、再び同じ場所で戦う。

 そう考えると、胸の奥が少し熱くなった。


 ゴードンの豪快な笑い声。


 エルザの冷静な判断。


 ガレスの無茶苦茶な突撃。


 そして、それを止めるはずが、結局一緒に突っ込む俺。

 ……懐かしいな。

 ほんの少しだけ、昔に戻ったような気がした。


「今度、あいつらにも声を掛けてみるか」

「おう。帝国もなかなか面白いぞって教えてやろうぜ」

「……お前の場合、『稼げるぞ』の間違いじゃないか?」

「それも大事だろ!お前だって稼ぎは必要だろ?」

「まあ、それは否定しないけどな」


 ガレスが豪快に笑い、俺もつられて笑った。


 ──本当に、来てくれたら嬉しいな。


 あの2人がいれば、今回のような依頼も心強い。

 ……もっとも、昔の悪ノリまで復活しそうなのが少々怖いところだ。


 そう考えたところで、俺は小さくため息を吐いた。


「どうした?急にため息なんかついて」

「いや、ゴードンまで来たら、酒場が一軒じゃ済まなくなると思ってな」

「ははっ、そりゃ間違いねぇな!」


 ガレスは腹を抱えて笑った。懐かしい仲間が揃うのは嬉しい。

 ただし、俺の財布と胃には優しくないのよね。

 昔から、そういう連中だから。


 でも……なんだかんだで、憎めない大切な家族のような仲間たち。

 大切にしないといけないよね。





 ところで……。

 俺はふと、あることに気付いた。


「……クラウディア様とミレーヌは?」

「ん?」


 ガレスが首を傾げる。


「2人とも、どこに行ったんだ?」

「……あ」


 俺も思わず声を漏らした。

 やべぇ!昔話に浸りすぎて、完全に忘れてた!


 慌てて周囲を見渡すが、見えるのは魔蟻《マーガス》討伐にイキリ立つ冒険者たちばかりだ。


「素材と報酬がたんまり出たら、ヒルダに宝石でも買って口説くぜ!」

「俺は一週間は酒浸りだな!今回の稼ぎなら、朝から飲んでも文句は言われねぇ!」

「俺は新しい剣を買ったんだ!こいつで蟻んちょの頭を叩き割ってやるぜ!」

「いいねぇ!ついでにギルドに破城蟻《グラドガス》の頭を飾ろうぜ!」

「それ最高だ!受付嬢が毎朝びっくりするぞ!」

「だったら俺は牙を持って帰る!いい酒の肴になりそうだ!」


 ……元気だな、お前ら。絶対死ななそうだ。

   そしてヒルダって誰だよ?


「お待たせしましたわ」


 背後から、聞き慣れた声がした。


「うおっ!?」


 振り返るとそこには、クラウディア様とミレーヌが立っていた。


「ど、どこに行ってたんですか?」

「ギルド直営の販売所ですわ」


 クラウディア様は、こともなげに答えた。


「討伐に必要な装備と道具を揃えておりましたの」

「……装備?」

「ええ。サイズも一通り取り揃えてありますから、こういう時には便利ですわね」


 そう言って、クラウディア様は軽く身体をヒラリと回してみせる。

 さっきまでの街歩き用の服装とは、明らかに違っている。


 細身の片手剣を腰に下げ、背には短槍を負っている。

 さらに胸元には、意匠を凝らした鉄製の胸鎧。


 華美すぎるわけではない。


 だが、要所をしっかり守りながらも動きを妨げないよう、細かな装飾と実用性が両立された作りになっている。


 いかにも貴族令嬢らしい品の良さを残しながら、ちゃんと戦うための装備だった。


 クラウディア様は片手剣の柄にそっと手を添える。


「これで行けますわね」

「……本当に揃えてきたんですね」


 俺は思わず呟いた。

 しかも、俺が心配している間に。


「お嬢様、ずいぶん様になってますぜ!出立ちも素晴らしい」


 ガレスが目を丸くする。


「ありがとうございます」


 クラウディア様はにこやかに微笑む。


「店員の方にも、動きやすくて魔物討伐に向いたものを選んでいただきましたの」

「へぇ。じゃあ、ミレーヌは?」


 俺もガレスも隣のミレーヌに視線を向ける。


「私も準備できていますよ♪」


 いつもの魔導杖を手に、にっこり笑っていた。


「変わった様子なくない?」

「私はこのままで大丈夫ですよ♪」


 ミレーヌがくるりとその場で回ってみせる。


「普段からお城の中でも外でも、有事の際にも動ける服装ですから。魔法を使うのに邪魔になるものもありませんし、問題ありません」

「本当に大丈夫なんだろうな?」


 ガレスがミレーヌの服装を上から下まで眺める。


「はい。必要なら、魔物の群れをまとめて吹き飛ばせますよ♪新魔法を試すいい実験場……じゃなくて、良い機会ですからね」

「聞き間違いかな?今、実験場と聞こえたような……」

「やだなあ、聞き間違いですよ。新魔法を使う標的が揃ったので、群れを見たら即吹っ飛ばすだけです♪」

「そ、それはやめような……俺たちまで吹っ飛んじまうから」

「冗談ですよ、ガレス様。困った顔もギャップがあって可愛いですね♡」

「はは……俺は戦士のおっさんなんだけどね」


 ミレーヌはにこにこと笑っている。

 冗談なのか本気なのか、判断がつかないから恐ろしい。


 クラウディア様がくすくすと笑う。


「まあまあ、レオン。わたくしもミレーヌも、準備は万端ですわ。貴方と肩を並べていざ出陣!」

「……はい。行きましょうねえ」


 俺は額を押さえた。

 世間知らずのお嬢様たちの引率だなこりゃ。


 ガレスには『申し訳ないと』ほ(・)ん(・)の(・)ち(・)ょ(・)び(・)っ(・)と(・)思(・)っ(・)て(・)る(・)けど、冒険者仲間として道連れにしよう!

 うん、それがいい!


 こうして俺たちは、いよいよ帝都東の農村へ向かうことになった。


第八話 あとがき


 どうも、近衛騎士のレオン・クラウスです。

 第八話、最後まで読んでいただき、ありがとうございました。


 ……いやあ。

 今回は、本当にいろいろありました。


 まず言わせてください。

 俺は別に、冒険者ギルドへ遊びに行ったわけじゃありません。

 皇女殿下からちゃんとしたお使いを頼まれていたんです。


 リンゴ飴。

 串焼き肉。

 カリーヴルスト。

 フラムクーヘン。

 焼きアーモンド。

 じゃがいものパンケーキ。

 串焼き魚。

 大和王国のおやき。


 ……結構な量ですよね。

 俺だって、最初はちゃんと買うつもりだったんですよ。


 ところが、昔の仲間に再会したのが、まさに運命の分岐路。

 昔話に花が咲き、黒ビールの黒歴史を掘り返される悲劇に見舞われました。


 


 どうして、こうなっちゃったんだろうなあ?

 特に納得できないのが、あの鑑定鏡です。

『嗜好:黒ビール』

 ……これ、今でも納得してませんし、根に持っています。

 しかも数年経っても、ガレスの奴は覚えていやがる。


 親友の口に栓は出来ない。

 身体で学ぶことが出来ました。


 えっ、違う?ふむふむ、そうですか。

 俺の周りだけですか?

 それも何か切ないなあ。


 ……まあ、でも。

 久しぶりにガレスと肩を並べられるのは、正直嬉しいです。


 昔は、あいつと一緒に何度も魔物を倒しましたし、ゴードンもエルザも、今もエーデルクローネ王国で元気に冒険者を続けているらしいですしね。


 いつかまた、全員で一緒に戦えたらいいと思いますよ。

 ……その時は、できれば酒場じゃなくて戦場だけにしてほしいですがね。


 財布が死ぬから。


 そして今回、近衛騎士として一つの選択をしました。


 皇女殿下から命じられた仕事を一時中断して、目の前で助けを求めている人たちを救う。

 もちろん、王家への忠義を軽んじたわけじゃないのですが、クラウディア様は快く了承してくれました。

 これには本当に感謝するしかありません。


 


 ……まあ、そんな良い場面の直後に


「わたくしとミレーヌも同行いたします」


 なんて言われるとは思いませんでしたけどね。


 俺の仕事。

 魔物討伐。

 負傷者の救助。

 そして、クラウディア様とミレーヌの安全確保。


 ……仕事、増えてません?


 しかもミレーヌは新魔法を試す気満々だし、クラウディア様は冒険者たちに影響されて、妙に戦意が高い。


 俺の胃だけが、どんどん追い詰められていくのはどうしてだろう?


 さて。

 次回は、いよいよ帝都東の農村へ向かいます。


 相手は魔蟻《マーガス》。


 さらに、その群れには破城蟻《グラドガス》、通称クラッシャーまできてるというから大変ですよ。


 ……3メートル級の蟻です。


 嫌ですね。

 ものすごく嫌です。

 できれば会いたくありません。


 でも。

 村人たちや負傷者、それに先に剣を手に戦っている人たちが助けを待っている。


 なら、行くしかないっしょ!


 それに、久しぶりにガレスとも仲間と肩を並べて戦えるし、クラウディア様とミレーヌも一緒だ。


 ……だからまあ。

 なんとかなるでしょう。


 たぶん。


 きっと。


 ……なるよね?


 それでは、次回もよろしくお願いします。


 あ。

 皇女殿下のお使い?


 ……。

 …………。


 魔蟻を倒したら、急いで買い物に戻ります。


 間に合うよな?


 ……誰か、そうだと言ってくれ!

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