我が家らしくなってきた
私は、前の人生を忘れないまま育った。
体がまだ歩くには小さすぎた頃から、プエボという名も、あの暮らしの記憶も、頑なに胸の底へ留まり続けていた。ルシアン・アーデントとして初めて瞼を開いた朝のことも、赤ん坊だった日々から今日までの時間も、途切れぬ一本の糸のように繋がっている。
今の私の体は、子どもの体だ。歳は五つほどで、少し下かもしれないし、少し上かもしれない。大人のように年を数えることはまだできない。けれど、走れること、小さな木剣と小さな弓を握れること、誰も探しに来ない場所へ身を潜められることは、よく知っている。
父は庭の稽古へ私を連れ出したがる。兄は遊びの合間に、木剣の握り方を教えてくれる。母は本を読み聞かせ、家事に立ち働く間も、私を傍らに座らせてくれた。
私は、母の傍がいちばん好きだった。
母は、前の母を思い出させる。顔や声が似ているわけではない。私の頭に触れる手つきに、何かが宿っているのだ。少し離れても怖がらなくていいと諭すように、ゆっくりと撫でてくれる。
二人が別人だということは、承知している。それでも、母が隣で頁をめくってくれる時間だけは、誰も失っていないふりができた。
ある朝、兄が戸口に立って腰に手を当てた。
「ルシアン、稽古の時間だよ」
私は母と並んで床に座っていた。膝には開いた本があり、こっそり取っておいた蜂蜜菓子の欠片が、袖の内側に隠れている。甘い匂いが布越しに立ちのぼるのを、私は本を閉じる音で紛らわした。
「もうちょっとだけ」
兄は靴の先で床板を軽く叩き、呆れた目で私を見下ろした。
「昨日もそう言っただろ」
私は閉じた本の表紙を指でなぞりながら、何食わぬ顔で兄を見上げた。
「それなら、昨日もまだ終わってないってことだよ」
兄の口から長い溜息が漏れた。母は俯いて、本の陰で口元を綻ばせている。肩が小さく震えていた。
兄が本気で怒っていないことは、知っている。稽古から逃げる私を捕まえたときだけ、兄は説教を始める。だから私は、捕まらないようにしていた。
剣と弓の稽古は、貴族の家の男児がまだ幼いうちに始まるものらしい。四つか五つの頃から、武器の持ち方を正しく身につけるのだという。ヴァレニオ王国のどの家でも同じなのかは知らない。けれど父も兄も、それを当然のことと考えていた。
私にとっては、隠れることも当然だった。
兄が背を向けて私を探しに行くと、私はカーテンの裏へ滑り込んだ。分厚い布の埃っぽい匂いが鼻先をくすぐる。隙間から、戸口を通り過ぎる兄の靴の先が覗いた。
「ルシアン?」
私は息を止め、布の襞に頬を押し当てた。
「さっきまでここにいたわよ」
母の声は、のんびりと落ち着き払っていた。兄の足が止まり、床板が軋む。
「だから心配なんだよ」
兄の足音は遠ざかり、廊下の奥へ溶けていった。私はそれが完全に消えるまで待ってから、カーテンの陰を抜け、母の隣へ戻った。
隠れ場所を見つけるのは得意だった。机の下、衣装棚の裏、滅多に開かれない納戸。使用人たちさえ知らない隙間を、見つけることもある。
みんな、一度は私を探した。父は庭の真ん中に立って私の名を呼んだ。兄は部屋という部屋を調べて回った。使用人たちは戸棚を開け、カーテンの裏を覗き込んだ。
それでも、誰も私を見つけられなかった。
母は、探索が長引いたところで観念したように息を吐き、皆を制して、私が自分から出てくるのを待つように言う。
私が出ていくのは、たいてい空腹のときだ。とりわけ、どこかへ隠した甘いものを取りに戻りたくなったとき。
私はいつも、食べ物を少しだけ取り分けておく。パン、果物、菓子。家に食べ物がないわけではない。食卓にはいつも皿が並び、母はおかわりを頼む私を一度も咎めなかった。
それでも、私は隠してしまう。体のほうが、優しい言葉よりも古い習慣を信じているのだ。
父や兄に見つかることは滅多にない。兄に見つかったときは、目の前に座り込まれて説教が始まる。
「食べたいなら言えばいいんだ。隠さなくていいんだよ」
私は神妙に頷き、その日のうちにまた別の場所へ食べ物を隠した。
母は私を叱らなかった。隠し場所に虫や獣が寄らないよう確かめ、長く置かれて傷んだものをそっと取り替えてくれる。私が布の山の陰から菓子を取り出すときも、気づかないふりをしてくれた。
だから私は、母の傍にいるといくらか楽だった。
父や兄や使用人たちとは、まだ距離を置いている。彼らが私を傷つけたことは一度もない。それは分かっている。けれど、頭で理解したことを、体が信じるとは限らなかった。
見知らぬ女の人が家を訪れると、私は声をかけられる前に姿を消す。使用人たちの顔や足音や声には、もう胸がざわつかない。ただ、まだ知らない女の人を前にすると、うなじが強張って動かなくなる。狭い場所へ潜り込み、息を殺し、家が静まり返るのを待つ。
無理に引きずり出されたことは、一度もない。少なくとも、まだ。
家族揃っての夕食も、覚えるのが難しかった。背筋を伸ばし、食器を正しく使い、手を伸ばす前に待たなければならない。父は貴族の作法を、根気強く教えようとしてくれた。
「フォークは左手だ」
私は卓の下で握り直し、フォークを左手に移した。
「背中を丸めるな」
私は椅子の背に押されるように、背筋を真っ直ぐに伸ばした。
「食べるのが早すぎるぞ」
私は匙を持つ手を、ゆっくりと遅くした。
そこで皿の上のパンが目に入り、私は教わったことをすべて忘れてしまった。
母も作法を教えようとしてくれた。けれど、母は授業を中断しては、お腹はいっぱいになったか、お部屋へ戻りたいかと私に訊ねてばかりいた。
私も、人の少ない家の中で母と食べるほうが好きだった。どの匙を使えばいいのか、考えずに済むからだ。
食事のとき以外は、母の傍で本を読むのが好きだった。知らない絵や言葉について、ときどき母に訊ねる。何も訊かず、ただ頁をめくりながら、母の声に耳を傾けることもあった。
弓も好きだった。
赤ん坊の頃に選んだ小さな木の弓は、今では掌にしっくりと馴染む。父は足を開いて立つ姿勢と、弦をゆっくり引くやり方を教えてくれた。兄は的を狙う私の肘を、そっと支えてくれる。
的の中心に当たるとは限らない。それでも、矢が板に突き立つ音が好きだった。
タン、と。
乾いた音が、まっすぐ的に吸い込まれる。
母は窓辺から、よく私を見守っていた。矢が当たれば、微笑む。外れても、変わらず微笑んでいる。
母に幸せでいてほしかった。だから私は、母の近くで本を読み、食べ、弓を引く。母が笑ってくれている間は、自分がちゃんとやれているのだと思えた。
母がそれだけで幸せなのかどうかは、分からない。
けれど、母が隣に座って頁をめくってくれるとき、稽古のあとで肩にもたれさせてくれるとき、私は部屋の外の足音を数えるのをやめられた。
今のところ、この家は家のように感じられる。
そして、もし私が長く隠れすぎてしまったとしても、叱らずに出てくるのを待ってくれる人を、私は知っている。
母だ。




