第八章 壁の越えかた
マハルーナから帰って、ニヴァルへ発つまでの五年間、私は旅に出ず、これまで蓄えたものをすべて見返していった。あの白馬の龍との出会いが、私の中で何か一つの形になり。これまで求め続けてきたものが今そこに手に入る。そう私は確信していた。
帰ってまずやったのは、帳面の並べ直しである。それまで私は、五十年ぶんの声形を、龍ごとに綴じていた。一頭ごとにひとつの言葉、と考えていたからである。だが白馬の方は、私の継ぎはぎを、羽のことば、鹿のことば、水のことば、山のことば、と数え上げられた。龍ごと、ではない。元の生き物ごと、である。それで私は、冬をひとつ潰して、すべての声形を、元の姿ごとに綴じ直した。鹿の姿の方々の頁。鳥の姿の方々の頁。水に棲む方々の頁。並べ終えた晩のことは、忘れられない。それまで別々の山だったものが、峰続きに見えたのである。鹿の方々の声は、互いに似る。鳥の方々の声も、互いに似る。そして、鹿の節と鳥の節は、まるで違う音でありながら、同じ場所で同じ働きをしている。歌の頭にしか立たない節。締めにしか出ない節。名乗りの形。呼びかけの形。骨組みはひとつで、その骨に、それぞれが生まれ持った肉が付いている。龍語とは、ひとつの言葉の、姿ごとの訛りだったのである。
並べ直しは、もうひとつ、思わぬ土産をくれた。写し替えの決まりである。鹿のことばで低く下がる節は、鳥のことばでは細かく震える。水のことばで長く引く節は、山のことばでは二つに割れる。行き当たりばったりではない。決まって、そうなるのである。私はこの決まりを使って、悪戯をひとつやってみた。聞いたことのない形を、決まりから逆に組み立てて、予言したのである。水に棲む方の挨拶は、こういう形のはずだ、と紙の上に書いた。それから、ウルの湖のノエが三十年送り続けてくれた写しの山を、三晩かけて浚った。あった。九百の声の中に、二つ。紙の上で先に作った形が、本物の中から出てきたのである。私はその晩、ひとりで祝いの酒を開けた。予言が当たる、ということは、決まりが本物だ、ということである。学のある方々がこの手記をどう扱うかは知らないが、この二つの声形だけは、笑わずに検めてほしいと願っている。
さて、ここからが、この章の本題である。言葉の壁は、どう越えるものなのか。私はそれを、龍より先に、人で一度知っていた。若いころ、北方の隊商の毛皮買いと、ふた冬、山小屋で組んで働いたことがある。向こうの言葉は、最初、音の壁だった。覚えた単語を頭の中で並べ、訳して、訳し返して、それでも会話は荷車より遅い。ところが、ふた冬目のある朝、小屋の親方が焚き火の前で何か言い、私は、笑ったのである。訳すより先に、笑ってしまった。冗談が、冗談のまま、届いたのだ。あの朝のことを、私は生涯の物差しにしている。壁は、少しずつ低くなるのではない。ある朝、気づくと、後ろにあるのである。そして越えた瞬間は、自分では分からない。笑いや、返事や、涙が先に出て、遅れて、いま越えたのだと知る。
五十年、私はそのときを、龍語で待っていた。
それが来たのは、ニヴァルへ発つ二年前の、雪の朝である。場所は、書くまでもない。エルダの森の縁である。いつものように見回りの声に挨拶を返し、いつものように、あの短い、私の名らしい声をいただいた。そこまでは、五十年やってきたとおりだった。その朝は、続きがあった。名の声のあとに、聞いたことのない長さの節が、ひとつ付いたのである。そして私は、それが、分かった。訳したのではない。単語を並べたのでもない。意味が、音より半歩先に、胸に着いたのである。老いたな。そういうことを、言われた。細かく言えばもっと広い意味で、久しいとか、変わったとか、そういう色も混ざっていたと思う。だが芯は、それだった。白いものの増えた、腰の曲がりかけた男に向かって、百十二度会った隣人が、老いたな、と言ったのである。気づいたら、私は返事をしていた。組み立てた覚えのない継ぎはぎが、勝手に口から出ていた。何と返したのか、正確には思い出せない。あなたも、というようなことだったと思う。それから雪の上に座り込んで、六十を過ぎた男が、声を上げて笑った。笑いながら、少し泣いた。隊商の親方の冗談のときと、寸分違わぬ順番である。先に体が越えて、頭は、あとから追いついた。
学者の端くれとして、水を差すことも書いておかねばならない。あの朝の理解に、証しはない。聞き違いかもしれず、五十年望み続けた男の、都合のよい夢かもしれない。私はそれからニヴァルに発つまで、森に通って確かめ続けた。分かる朝と、分からない朝があった。分かるときも、言葉のすべてではなく、意の輪郭が、遅れて届くだけである。お気づきだろうか。これは、マハルーナの言伝のものが語った聞こえ方と、そっくりなのである。奇跡の道を生まれつき歩いてきた人と、習う道を五十年這ってきた男が、着いた場所の景色は同じだった。道は違っても、壁の向こう側は、ひとつしかないのだろう。
この五年で、私は覚悟というものの正体も知った。覚悟とは、腹の据え方のことではない。支度の別名である。私は対照表を清書し、いちばん古い言い回しを組み立てた。写し替えの決まりを遡れば、諸々の訛りの元にある、いちばん古い形の見当がつく。ならば、千年を生きた最も古い方には、私の継ぎはぎが、いちばん通じるはずなのである。若い龍に通じぬ古語も、古い方には届く。私は挨拶と、名乗りと、問いの言い回しを、畑で、舟の上で、夢の中で、繰り返した。村の者は、爺さまがまた鳥と喧嘩している、と笑っていたそうである。笑わせておいた。橇の手入れをし、五十年の帳面を選りわけて荷にし、姪に留守を頼み、それから、北を見た。支度は、終わった。いよいよ七つのときの憧れに答えを出す時である。




