第五章 ガルドの山の二頭
これまで書いてきた方々は、人と間柄を結ぶ龍だった。今度は、そうでない龍のことを書く。南東へ、街道と山道で二月。ガルドの山と呼ばれる大きな独立峰があり、この山に、龍が二頭棲んでいる。西の斜面を蛇の姿の方が、東の斜面を猪の姿の方が、それぞれ縄張りにしている。どちらも、森を守るとか、村と約定を結ぶとか、そういうことは一切なさらない。縄張りに不用意に踏み込んだ者は、人であろうと獣であろうと、襲われる。麓の村々の墓には、山で死んだ者の墓石が、代々ぶん並んでいる。炭焼きは山裾から上へは登らず、街道は山を大きく迂回して付けられている。要するに、近づいてはならない山である。私はその山の麓で、二年と七月を暮らした。
わざわざ出かけた訳は、ひとつの噂である。行商から聞いた。ガルドの二頭は、決してやり合わない。それどころか、時折、縄張りの境である山頂で、夜通し、何かを話し合っているらしい、と。知られたきっかけも聞いた。ある狩人が、日暮れに尾根筋を登っていく猪の主を見かけ、豪気なことに興味本位で跡をつけた。山頂で猪の主は西から来た蛇の主と行き合い、二頭は夜通し、声を交わしていた。狩人は岩陰で夜明かしして、腰を抜かして帰ってきた、という話である。私はこの噂を聞いた晩、眠れなかった。龍が人に向ける声なら、書き取ってきた。だが、龍が龍に向ける声を聞いた者は、私の知る限り、世にその狩人ひとりしかいない。もし本当なら、聞き逃してよい話ではない。翌年から私は、夏の旅をやめて出稼ぎに回り、三年かけて路銀を作った。冬の狐を三年ぶん前借りした勘定である。生涯で初めての、年を跨ぐ旅だった。
麓に着いてまずやったのは、噂の狩人を探すことである。すでに亡くなっていたが、倅が存命で、父から何度も聞かされた話を、そのまま聞かせてくれた。二頭は向かい合って座り、交互に声を出していた。片方が長く唸り、終わると、片方が返す。取っ組み合いは一度もなかった。夜明け前に、二頭は同時にひと声出して、それぞれの斜面へ下りていった、という。交互に、というくだりと、最後に同時に、というくだりを聞いて、私は自分の耳で確かめると決めた。それと、村々がもうひとつ教えてくれた。猪さまが山を登る晩は、東の斜面の鳥という鳥が、日暮れ前にいっせいに麓へ下りてくる、と。
待つことについては、書くほどのことがない。猟師の子は待つのが仕事である。私は麓の村に住み、猟の手伝いで食い扶持を稼ぎながら、夕方ごとに東の空を見た。一年目は、何もなかった。二年目の秋の終わり、鳥が下りた。雲霞のように、東の斜面の鳥という鳥が、夕日の中を麓へ流れてきた。私はその足で、支度をして出た。登ったのは、ガルドの山頂ではない。命がひとつでは足りない。山頂と谷ひとつ挟んで向かい合う、隣の峰の肩である。風下になることは、季節柄、確かめてあった。月のある晩だった。
夜半、谷の向こうで、始まった。先に着いたのは猪の主で、月あかりに、岩山ほどの影が見えた。牙は左右に湾曲して伸び、その先だけが白く光る。遅れて、西の斜面から蛇の主が来た。長さは書かない。書いても信じてもらえない長さである。二頭は山頂の岩場で向かい合い、そして、話した。話した、としか書きようがない。猪の主の声は、地の底を転がすような唸りで、蛇の主の声は、擦れた笛のような高い声である。似ても似つかない二つの声が、交互に、夜通し続いた。重なったことは、一度もない。片方が終わると、間があって、片方が返す。その間が、驚くほど揃っていた。私は谷を挟んだ岩の上で、凍えながら書き取り続けた。帳面が尽きて、外套の袖に書き、袖が尽きて、脛に書いた。数えられただけで、やりとりは百と七十を超えた。何の話かは、ひとことも分からない。ただ、長い唸りのあとは長い返しが、短い唸りのあとは短い返しが来ることが多く、時折、片方の声の節を、もう片方がそっくりなぞって返すのが分かった。人の世でこれをやるのは、相手の言葉を確かめるときか、からかうときである。
夜明け前、噂のとおりのことが起きた。二頭が、同時に、ひと声出したのである。夜通し一度も重ならなかった声が、最後にただ一度だけ、狙いすましたように重なった。それで、終わりだった。猪の主は東へ、蛇の主は西へ、来たとおりに下りていった。重ねない、という決まりを夜通し守り抜いた者同士が、別れ際にだけ、わざと重ねる。あれは唱和である。取り決めか、別れの挨拶か、それとも歌なのか。証しのない話の棚が、この夜だけでいっぱいになった。
書き取った声形を、家に帰ってから何年も突き合わせた。言えることはひとつで、これが本書の背骨のひとつになっている。猪の主の声と蛇の主の声は、音としてはまるで別物なのに、並びの型が、同じなのである。節の切り方、繰り返しの置き方、なぞって返すときの崩し方。別々の楽器が、同じ作法で弾かれていた。龍語に根の骨組みがある、と私が言い張る根拠の大半は、あの一晩の、袖と脛の書き取りである。
白状も書く。私はあの二年と七月のあいだに一度、様子見のつもりで東の裾を歩き、迂闊にも古い岩塩の舐め場に踏み込んで、死にかけた。地面が揺れ、木々の向こうで何かが立ち上がり、私は荷を捨てて逃げた。翌日、村の者と拾いに行った荷は、背負い籠ごと、踏み潰されて土に半分めり込んでいた。籠の中の帳面だけが、なぜか無事だった。偶然だと思う。偶然だと思うが、あれ以来、私はあの山の話をするとき、少しだけ声が小さくなる。
この二頭と人との間に、言葉はない。挨拶も、間も、何もない。試しに安全な距離から声を出してみたことはあるが、返らないどころか、こちらを見もしなかった。風の音と同じ扱いである。それでも、と私は思う。あの山頂の一晩は、龍が黙っているのは話せないからではない、という私の見立ての、動かぬ証しだった。彼らは話す。夜通しでも話す。ただ、私たちに向かって話す理由が、彼らの側にないだけである。理由は、こちらが作るほかない。それが五十年かかる仕事でも、である。最後にひとつ。夜が明けて、蛇の主が西へ下りる前、あの長い首が、谷を挟んだ私の岩のほうを、しばらく向いた。気づかれていなかった、と書くほど、私は自分の腕を信じていない。見逃されていたのだと思う。害ではない、と勘定されたのだろう。あの山で頂ける扱いとしては、あれが最上である。




