↑ページトップへ
表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
PR
5/11

第四章 雨乞いの龍



 南西へ、街道で一月。ザレの高地と呼ばれる地方がある。土は浅く、地面は固く、掘れば岩に当たる。畑は岩と岩の間に段々に切ってあり、水は天から来るほかない土地である。この高地には、村がひとつだけある。イサの村という。その村が、年に一度、決まった日に、龍へ舞を奉納する。私はその祭りに二度立ち会った。ただし、この方を、会った十七頭に数えてよいのかどうか、いまも決めかねている。姿は、一度も見ていないからである。声だけなら、二度聞いた。姿を見せずに声だけ返す龍は、私の帳面でこの方だけである。


 姿を書けない章になるので、代わりに、土地の者が語る姿を書いておく。曰く、長い。蛇のように長く、しかし蛇ではなく、四つの短い脚と、枝角と、長い髭があり、鱗は雨上がりの空の色で、雲を踏んで歩く。絵物語でおなじみの、あのお姿である。ただしこれは、はるか昔にただ一度だけ姿を見た者たちからの言い伝えで、いまの村に、見た者は一人もいない。聞いたことの頁に、聞いたとおり書いておく。


 その、ただ一度の話がこの章の根である。いつのことかは定かでない。村の言い方では、爺様の爺様の、そのまた向こう、である。この高地を、何年も雨の来ない大旱魃が襲った。井戸は涸れ、段畑は割れ、人は次々に土地を捨てた。高地にいま村がひとつしかないのは、このときの名残だという。捨てなかった者たちの村が、イサである。そこへ、空を渡る長いお方が通りかかった。棲みかを探していたのだとも、ただの旅の途中だったのだとも言う。残った村人は、藁にもすがる思いで、岩山の上に集まり、祈った。効くとは誰も思っていなかった、と伝わっているのが、この話の正直なところで、私は気に入っている。だが雨は、来た。三日三晩降って、井戸が戻り、土地が戻った。村長が岩山に上がり、御礼を、何か御礼をと尋ねると、あの方は空の上から、ひとことだけ返したという。舞を。美しき舞を見たい、と。


 以来この高地では、年に一度、同じ日に、雨乞いの社で舞を奉納する。社といっても岩山の頂の平場に石を積んだだけのもので、屋根はない。屋根があっては、見えないからだそうである。当日は、村の組ごとに舞を出す。男衆の組、女衆の組、子供組と、その年に立てられるだけの組が立つ。まず最初に、口伝の最も古い舞が置かれる。旱魃の年に舞われたものと同じと伝えられる、乞いの舞である。この舞のあいだに声が返ったことは、一度もないという。挨拶なのだと、舞の師匠は言った。それから、組ごとの舞が続く。剣の舞もあれば、麦振りの舞もあり、子供らの跳ね回るような舞もある。舞の中身は代替わりのたびに少しずつ変わってよいことになっており、社には、どの年にどの舞を出し、何番目で声が返ったかを書き継いだ舞帳が、二百七十年ぶん残っている。私はこの帳面を三度の夏に通って写させてもらった。本章の半分は、あの社の代々の帳役のものである。


 声のことを書く。声は、必ず返る。二百七十年の舞帳に、返らなかった年はひとつもない。晴れた空の、どこと言えないところから、遠雷に鐘を混ぜたような声がひとつ響き、その日のうちに雲が湧いて、雨が来る。高地の雨季はこの日から始まる。ただし、いつ返るかは、年によってまるで違う。二番目の舞で返った年もあれば、その年の舞がすべて尽き、日が傾いてから、ようやく返った年もある。村ではこれを、龍さまのご機嫌と呼ぶ。遅い年は、どの舞がいけなかったのかと、組同士でいささか険悪になる。祭りとは、どこでもそういうものである。


 二度の立ち会いと二百七十年の帳面から、証しのない見立てをひとつ書く。私は二度とも、返った声を声形に取った。そして気づいた。声の節が、直前の舞の拍子と、重なるのである。一度目の年、声はゆったりした麦振りの舞のあとに返り、声形は長く、うねって、麦振りの足拍子とぴたり合っていた。二度目の年、声は子供らの跳ねる舞のあとに返り、短く弾む声形だった。舞帳の書き役たちも、代々似たことを書き残している。曰く、声はいつも、最後の舞に似る、と。つまり、あの方は雨の約束を返しているのではなく、舞に、返歌をしているのではないか。人が体で歌い、あの方が声で舞う。二百七十年続いてきたのは、雨乞いというより、年に一度の、長い長い掛け合いなのではないか。


 この見立てに寄りかかりたくなる話が、舞帳に一件ある。八十年ほど前、高地を疫病が通った年である。舞える者がほとんど倒れ、祭りの日に社へ上がれたのは、年寄りの女がひとりと、その孫娘だけだった。二人は、二人だけで、乞いの舞を舞った。手順も足りず、途中で娘が転んだ、とまで帳面は正直に書いている。声は、乞いの舞の終わらぬうちに返った。二百七十年で、最も早い返りである。雨はその夜のうちに来た。この件を教えてくれた帳役の爺様は、こう言い添えた。龍さまは、上手いのを待っておられるのではない。本気なのを待っておられるのだ、と。聞いたことの頁に書くべき言葉だが、私はこれを、自分の帳面のいちばん良い頁に書いた。


 白状をひとつ。二度目の立ち会いのとき、私は声形の帳面を懐に、返った声へこちらからも一声返してみたい、という誘惑と長いこと戦った。やらなかった。あの掛け合いは、二百七十年かけてあの村が続けてきた対話であって、通りすがりの帳面書きが割り込んでよい筋のものではない。私にできるのは、書き取ることだけである。それで足りている、と言えば嘘になるが、それが正しいことは分かる。帰り道、岩だらけの峠を下りながら考えた。雨は、返事の中身ではないのかもしれない。受け取った、という印なのかもしれない。だとすれば、あの村の人々は、二百七十年、雨をもらってきたのではない。受け取ってもらってきたのである。固い土地の上で、それはたぶん、雨と同じくらい、人を生かすものである。


評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。