第三章 湖の大亀
東へ、街道で二十日。山ひとつを丸ごと沈めたような大きな湖があり、ウルの湖と呼ばれている。岸には七つの村が散らばり、漁と麻と舟運で暮らしている。湖のまんなかには、白樺の生えた小島がひとつ浮かんでいる。よそから来た者は、誰もが島だと思う。舟運の船頭ですら、初めての者は島だと思って通り過ぎる。あれは島ではない。大亀の姿の龍の、甲羅である。この方に、私は生涯で三度会った。会った、と言ってよいのは年に一度きりの日だけだから、その一度のために、私は三度、夏をまるごと使ったのである。
ふだん水の上に出ているのは、甲羅の背だけである。甲羅の上には土が載り、草が生え、白樺が三本立って、鳥が巣をかけている。木の齢を数えればあの方の齢の見当がつくかと考えたこともあるが、あの木々は枯れもせず、さして伸びもしないのだそうで、勘定の役には立たなかった。首から下は、年に一度の日にしか見られない。首は太く、皺の一本一本が谷のようで、目は、覗き込んだ古井戸に似ている。ひとつ、白状しておく。その日、湖の水嵩がどう変わるか、私は上がるほうに賭けて、岸の岩に印を刻んで待った。あれだけのものが動けば、水は押されて上がるはずである。下がった。指四本ぶん、きれいに下がったのである。あの方が首と前脚を岸に載せるぶん、湖から出て行く量のほうが多いということなのだろう。帰りの宿で寝ながら考えて、いまも半分しか腑に落ちていない。杭の外側の話である。
この湖の流域には、大水がない。これは村の自慢話ではなく、帳面で確かめられる話である。湖からは二筋の川が流れ出るが、七つの村のどこにも堤らしい堤がなく、それで水害の言い伝えがひとつもない。隣の谷筋の村々が幾度も流されてきた年にも、ウルの湖の水は静かなままだった。村の者は、亀さまが呑んでくださる、と言う。それから、もうひとつ。七つの村の寺社の過去帳を三つまで検めさせてもらったが、湖で溺れて死んだ者の記載を、私はひとつも見つけられなかった。漁で暮らす村々で、である。書いていて、いまでも少し、背中が冷える。
あの方は、年にただ一度だけ、動く。夏の初めのどこか、日は決まっていない。だから季節が近づくと、七つの村は湖番を立てて、島を見張る。何百日も動かなかった島が、ある朝、音もなく岸へ向かいはじめる。番の丘で煙が上がり、煙が岸をひとまわりして、七つの村がいっせいに支度にかかる。祭りは、この日である。前もって整えるだけ整えておいて、あの方が動いた日に開く。人の暦にあの方を合わせるのではなく、あの方の一日に、人の暦のほうを合わせるのである。あの方は社の下の岸に着くと、首をゆっくり陸に載せる。一年の平安の礼を申し上げ、それからこの一年に生まれた子と、嫁いできた者、移り住んできた者を、ひとりずつ、その首の前に立たせて紹介する。赤子は親が抱いて掲げ、大人は名を呼ばれて進み出る。日が傾くころ、あの方は首を引き、島に戻って、また一年、動かない。
そして、ここからが私の仕事である。ひとり紹介されるたびに、あの方は、ひと声、発する。腹の底に響く、短い、低い声である。赤子にひとつ。嫁にひとつ。移り住んだ炭焼きにひとつ。列が尽きるまで、ひとりに、必ずひとつずつ。私は最初の訪いでこれを聞いて、その夏のうちに帳面を三冊使い切った。二度目の訪いで、社の帳役をしているノエという女性に声形の書き方を教え、以来三十年、ノエは毎年の声をひとつ残らず書き取って、冬の隊商に託して私へ送り続けてくれている。私の手元には、いま、九百を超える声の写しがある。この場を借りて書いておくが、本章の値打ちの半分は、ノエのものである。
九百の声を並べて、言えることが二つある。第一に、同じ声が、ふたつとない。九百人に九百通りである。第二に、声の作りが、呼ばれた者の別と釣り合っている気配がある。赤子への声は短く高く、年寄りの移り住みへの声は長く低い、という寄りがあるのだ。ここから先は、証しのない話になる。私の見立てを二つ書く。ひとつ、あれは名である。あの方は、紹介された者へ、一人ずつ名を付けているのではないか。ひとつ、あれは挨拶である。新しく岸に加わった者へ、よく来た、と言っているのではないか。村の者の見立ては、もっと堂々としている。あれは言祝ぎだ、と七つの村は口を揃える。亀さまに声をもらった子は、湖の子になる。湖の子は、水で死なない、と。私はこれを、聞いたことの頁に、聞いたとおり書いておく。過去帳の白紙のことは、思い出さないことにして書いておく。
古い話も、ひとつ拾ってある。いつの戦かは村でも定かでないが、曾祖父の曾祖父のころ、と年寄りたちは言う。よその国の兵が谷を越えて来て、岸の村がひとつ焼かれ、多くの人が死んだ。その夜、島が消えた、という。島が消えて、湖が立った。そこから先は、語り手ごとに違う。水の壁が兵の宿営へ歩いて行ったと言う者。霧が兵の松明だけを順に消したと言う者。朝になったら兵がいなかった、とだけ言う者。確かなのは、翌朝から兵が来なくなったこと、それきり二度と、どこの兵もこの湖に手を出していないことである。浅瀬にはいまも、錆びて珊瑚のようになった槍の穂が沈んでいて、村の子らは触ってはならないと教えられて育つ。あの方が四つの脚で岸を歩いたのは、あとにも先にも、その一夜きりだと村では言う。
最後に、私の恥を書く。三度目の訪いは、六十を過ぎてからだった。三十年ぶんの声形の礼だと言って、七つの村は私を客分として祭りに招き、そして誰の思いつきか、紹介の列のいちばん尻に、私を並ばせた。湖の子にしてもらえ、という冗談半分、餞別半分である。列は進み、私の番が来た。あの方の首がゆっくり回り、古井戸の目が、私を見た。長かった。息を五つ数えるあいだ、見られていた。それから首は静かに水のほうへ戻り、声は、なかった。九百にひとつの例外である。岸が妙に静かになって、ノエが気の毒そうな顔をしたので、私は笑って見せた。負け惜しみでなく書くが、あれでよかったのだと思う。あの声が何であれ、あれは湖の内側の言葉であって、岸に三度立っただけの余所者に向けるものではないのだ。帳簿として、あの方は正しい。私はあの日、声の代わりに、確かめを一つもらった。あの声は、誰にでもくれるものではない。ならばあれは、音ではなく、間柄なのである。五十年、声ばかり追いかけてきた男には、これはずいぶん、こたえる確かめだった。それでも、湖を発つ朝、私は岸に向かって、森守りさま仕込みの挨拶をひとつ置いてきた。返事は期待していない。挨拶とは、そういうものである。




