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第二章 森守りの龍


 最初に書くのは、私の家からいちばん近い龍のことである。ロヴニの村から南へ、峠をふたつ越えて歩いて三日、エルダの森と呼ばれる深い森に、鹿の姿の龍が棲んでいる。森の際にあるテルの村では、代々、森守りさま、と呼びならわしてきた。私が生涯で会った回数を帳面から数えると、百と十二度になる。二番目に多く会った龍が三度だから、この方だけが桁違いである。本書を森守りさまから始めるのは、古い順という決まりのためでもあるが、それだけではない。龍に会うとはどういうことかを、私はすべて、この森で教わったからである。


 姿から書く。大きさは、荷馬車を二つ縦に並べたほど、と書きかけて、比べるものが悪いと思い直した。冬の納屋ほど、と書き直す。四つ脚の立ち姿は鹿そのもので、毛並みは季節で変わり、夏は苔の色、冬は樺の幹の色をしている。角は左右に七叉ずつ。若木の枝ぶりそのままに伸びて、春には角の先に本物の芽が吹く。歩いても足跡が残らない。雪の上でも、である。ただし匂いはあり、風下に立てば、雨のあとの土の匂いがする。魔力のことは第一章に書いたとおりで、この方が近くにいると、焚き火の炎が伏せ、猟犬は吠えることを忘れて座り込む。数年に一度、古い角が落ちる。落ちた角は、そのままにしておくと、ひと夏で根を張り、若木になる。森の縁がすこしずつ広がっているのは、このためだと私は考えている。村では落ちた角に触れることを固く禁じている。理由を訊いたら、テルの村の年寄りは、木になりたがっているものを薪にする阿呆がいるか、と言った。


 あの方は、朝と夕、決まった道筋で森を巡る。ただ歩くのではない。雷火が出た夜は、火が尾根を越える前に消え、虫の害が広がった谷は、翌年の夏にはきれいに戻る。日照りの年も、エルダの木々だけは葉の色を落とさない。テルの村が二百年、山火事も飢えた冬も知らずにきたのは、この方が森を守っているからだと、村の者は疑いもしない。私も、疑わないことにしている。


 森守りさまは、森に害するものを払うが、森に入る者をすべて払うのではない。これは声を大きくして書いておきたい。テルの村の者は薪を拾い、茸を採り、決めた数の鹿や猪を狩りに、普通に森へ入る。ロヴニの猟師も、冬ごとに泊まりがけでこの森へ通う。私が初めて父に連れられて行ったのは、十の年である。私が見聞きした限りで払われたのは、毛皮の買い付けに来て一冬で百頭を獲ろうとした他所の狩り組、船材のために斜面ごと木を倒しにきた伐り出しの一団、それに、落ちた角を掘りに来た盗人が二人。払い方は決まっている。まず、森じゅうの獣が消える。次に、どの道を選んでも森の縁に出る。それでも粘る者の前には、あの方が立つ。立つだけである。私の知る限り、角にかけられた者はいない。かける必要が、ないのだろう。


 村との間柄は、約定と呼ぶほかない。書面であるものではないが、昔から、村は数を決めて狩り、伐る木は一本ずつ選び、切り株の脇に苗を挿す。父が私に教えた森の作法は、つまるところひとつだった。入る前に、獲る数を決めよ。決めた数から、一頭も超えるな。超えなければ、森守りさまは、猟師を森の一部として勘定してくださる。超えた者は、その日から森に獣を見つけられなくなる。


 森の奥には、芽吹きの民の小さな杜がある。あの民と森守りさまの間柄は、五十年眺めても、よく分からない。挨拶ひとつ交わすのを見たことがない。ただ、あの方の見回りの道筋は、杜のまわりだけ、きれいに迂回している。芽吹きの民のほうも、あの方の通り道には花壇ひとつ作らない。互いに素知らぬ顔で、互いの場所を空けている。仲が良いのかとテルの村で訊くと、年寄りは笑って、あれは隣同士というもんだ、と言った。名答だと思う。


 さて、ここからが私の五十年である。森守りさまの声を、私は十四種、書き取った。見回りのときに繰り返す長く低い声。角の落ちる年の秋にだけ出る、震えの多い声。芽吹きの杜の近くでは決して出ない声。それぞれの声形は巻末に付す。だが本章で書きたいのは、声の種類ではなく、間のことである。


 三十を過ぎた年の秋、私は初めて、あの方の見回りの声に、自分の喉で返事をしてみた。似せ方は長年工夫してあった。返ってこないことに慣れていたから、返ってきたとき、私は木の根に尻餅をついた。以来、二十年かけて確かめたことを、順に書く。第一に、あの方は、私が声を出し終えてから、息二つ半ののちに返す。百十二度のうち、返事のあった六十七度、この間はほとんど狂わなかった。第二に、私の声とあの方の声は、決して重ならない。一度、うっかり途中で声を重ねたことがある。あの方は黙り、その日はもう、何を出しても返らなかった。第三に、これがいちばん妙なのだが、こちらの返事が早すぎても、遅すぎても、あの方は次を返さない。息二つ半。あちらが守る間を、こちらも守ったときだけ、続きがある。早すぎる返事は返事ではないらしい。遅すぎる返事も、返事ではないらしい。


 もうひとつ、書いておく。会いはじめて二十年ほど経ったころから、あの方は、出会いがしらに、決まった短い声をひとつ出すようになった。十四種のどれとも違う。そして百十二度のうち、この声を聞いたのは、私が一人でいるときだけである。村の者と一緒のときは、出ない。証しは何もない。だから、これは杭の外側の話である。それでも書いてしまう。私はあの声を、私の名だと思うことにしている。五十年通って、そのうち四十八年、言葉はひとつも通じなかった。あの方が何を言っているのか、知らないまま通った。私が覚えたのは、言葉ではなく、間である。何を言えばよいかは、長いこと分からなかった。いつ言えばよいかだけが、分かるようになった。それでも、名を呼ばれて、間を違えずに返す。人の世でも、付き合いの半分は、それでできている。


 最後に、ひとつだけ、猟師の子の忘れ物のような話を書く。ニヴァルへ発つ前、私は暇乞いに森の縁へ行って、見回りの声を待ち、挨拶をした。息二つ半ののち、返事があった。それから、間を置いて、もうひとつ、あの短い声があった。呼ばれたのだと思うことにして、私は北へ発った。百十二度会って、百十二度、互いに何も奪わなかった。言葉に頼らず五十年かけて築けるものの上限が、これだとは、私は思っていない。だが下限がこれなら、上等ではないか。顔見知り、という言葉を、この方に使うことを許してほしい。私の生涯で、いちばん古い顔見知りである。


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