エピローグ
エクリムス王国の王城は、いつものように穏やかな空気に包まれていた。ソフィア王妃の一件から二年が経ち、王国の再建も順調に進んでおり、嘗ての王国最盛期とまではいかないまでも、人々の生活に活気と潤いが戻ってきていた。
国王のアルフも執政者としての才能を発揮し、国民や貴族たちを良くまとめ、外交でもその非凡さを示し、弱体化したエクリムスを狙う周辺各国に付け入る隙を与えなかった。そうして今では賢王フェリス二世の再来とまで言われるようになっていた。
静羽が自分の世界に帰った後、アルフの宣言通り旧後宮は取り壊され、明るく美しい庭園に生まれ変わっていた。四季折々の花々が咲き誇り、清らかな噴水が涼しげな水音を奏でている。その噴水の中央には、この庭園を護るように戦女神とその使途の石像が建てられていた。使途は毅然とした表情で立ち、手に持つ物を前に構えている。もちろんその使途のモデルは静羽だった。手に持っているのはラクロスのクロスだ。服装は質素な神殿の巫女服になっているが、自身の存在感で少しも貧相な印象は受けない。そして戦女神レティメイシアがその背後に立ち、優しげな表情で静羽を護るように背中の翼を広げている。まさにあの舞踏会でのワンシーンを再現しているようだった。その庭園は、《シズハ・ガーデン》と呼ばれ城内のみんなに愛され大事にされている。
そんな静かな庭園を文官が一人、焦った様子で歩き回っていた。辺りをキョロキョロと見回して誰かを探しているようだ。目的の人物が見付からず諦めて庭園を出ようとしたところで、同じように焦った様子で本宮への回廊を急ぐ人物を見掛けて声を掛けた。
「カーチス様!」
宰相のカーチスは立ち止まって振り返ると、駆け寄ってくる文官に問い掛ける。
「いらっしゃいましたか?」
「いいえ、やはり庭園にもおられませんでした」
宰相は困り果てたという顔で溜息をつく。
「もうすぐダファトとの通商会議が始まってしまうというのに、陛下がおられないとは・・・」
皆が探しているのはアルフだった。午後の定期会議まではいたのだが、その後姿が見えなくなってしまっていた。この後のダファトとの通商会議では、輸出入物の関税額を取り決める重要な会議なので国王がいないと格好がつかなくなってしまう。
次に宰相は文官を連れて顧問神官長の部屋に向かった。
ノックもそこそこに部屋に入ると、エトヴァがギョッという顔をした。
「神官長殿。陛下がどちらへ行かれたのか、ご存知ありませんか?」
宰相の問いにエトヴァの視線が泳ぐ。あらぬ方を向いて答える。
「い、いいえ。わ、私は、なにも・・・知らない、です」
明らかに動揺していて怪しい。絶対に何かを知っている顔だった。
問い詰めようとしたところへ、別のところを探させていたもう一人の文官が青褪めた顔で駆けてきた。
「た、大変です! 馬が、陛下の馬の、ダイアナが馬屋におりません!」
それを聞いた宰相は、肩を落として大きな溜息をついた。
「また、逃げられましたか・・・」
そのアルフは、王城を見下ろす丘に来ていた。そして、その隣には、
「シズハ・・・」
長い髪をサラサラと風に吹かれながら静羽が佇んでいた。以前はまとめていた髪を今はゆったりと下ろしていて、顔に掛かる髪を掻き上げる仕草に大人の女性を感じさせる。
二年前とは見違えるように大人びた静羽が、目に今にも零れそうな涙を溜めながら笑顔を作る。そして、ずっと言いたかった言葉を口にする。
「・・・ただいま。アルフさん・・・」
アルフも込み上げてくる涙を耐えながら、満面の笑顔で答える。
「おかえり。シズハ」
我慢の限界だった。静羽はアルフの胸に飛び込むと何度もアルフの名を呼ぶ。アルフも静羽をきつく抱き締め、その存在が夢でないことを確かめる。
見詰め合う二人。多くの言葉はいらなかった。自然にお互いに引き寄せあい、そして二人の唇が重なった。
それから二人は、あの日のように寄り添って丘に座り、この二年間にあったことを話した。静羽は、ラクロスの全国大会で優勝したことや、あちらで何度かあった霊の事件や、社交ダンスを習っていることなどを語り、アルフは復興した国の様子や、静羽の作ったマヨネーズが国内外で人気を博し一級輸出品になって王国の経済を潤していること、ラクロスが正式競技になったこと、エトヴァや城の者たちの近況などを語った。そうやって離れていた間の溝を少しずつ埋めていく。
ふと話が途切れて、二人は何となく黙り込んだ。夕日が二人を染めていく。実はお互いに一番聞きたいことをまだ聞いていない。暫く沈黙が続いた後、アルフが意を決する。
「シズハ」
「は、はい!」
静羽も何を聞かれるか予想がついて緊張する。
「・・・戻ってきてくれるのだろうか?」
その問いに顔を赤くしながら静羽は問い返す。
「はい・・・ 戻ってきても、いいんですか?」
「もちろんだ! ずっと、ずっと待っていたのだ・・・」
その言葉にハッとして、静羽は慌てて謝る。最初に言わなくちゃいけないことだった。
「長い間待たせちゃってごめんなさい! 私の我が侭で・・・」
アルフは笑って首を振る。
「謝る必要はない。その時間のお陰でお互いの気持ちも確実になったのだ。それに、あの約束も、ちゃんと守っていたぞ」
約束の意味を思い出して、静羽も照れたように言う。
「わ、わたしも、ちゃんと約束守りましたよ」
アルフも嬉しそうに頷くと、すっと立ち上がった。
「シズハ、立ってもらえるかな?」
「あ、はい」
アルフは立ち上がった静羽を自分の正面に立たせると、おもむろにしゃがんで片膝をつく。そして静羽を見上げ、右手を静羽に向かって差し出し告げる。
「我、アルフレッド・キルウォルフ・リーク・エクリムスは、汝、オクムラ・シズハに結婚を申し込む。我と共に生きる決意あらば、この手を取りたもう・・・」
そういってアルフは、手を差し出したまま頭を垂れた。これがこちらの世界での正式なプロポーズだった。
静羽には迷いはなかった。それでも少し震えながらアルフの手を取る。
「喜んで、お受けします・・・ で、いいのかな? なんて言えばいいんです?」
アルフは顔を上げると優しい顔で答える。
「この手を別つは死のみとここに誓う。と」
「はい・・・ この手を別つは死のみと、ここに誓います・・・」
すごくロマンチックなプロポーズだが、気恥ずかしさで真っ赤になって俯いてしまう。
アルフは立ち上がると静羽を抱き締めた。
「愛している。シズハ。必ず幸せにする!」
「私も、愛してます。 もう離れません!」
もう一度唇を重ねた二人を、赤眼の月が優しく照らしていた。
それからが大変だった。アルフと共に城に戻った静羽を見た皆は大喜びし、更に結婚することを告げると文字通り踊り上がった。そのことは瞬く間に王国中に広まり、国民は戦女神の使途の再臨と、国王との結婚を祝福した。
すぐにでも婚儀の式をと言われたが、静羽にはまだ最大の難関が残っていた。それは自分の親を説得することだ。
次の赤眼月に一旦自分の世界に戻り、両親に打ち明けたが、当然信じてもらえなかった。これまで全く男っ気のなかった静羽が突然結婚すると言い出したことにも信じられなかったが、それがまして異世界の王様ととなると、呆れて馬鹿いってるんじゃないと怒られてしまった。必死に全部本当のことだと説明するが、霊感が強くて非日常的なことにも理解を示している母親にしても、さすがにそれは信じられず真剣に精神科に連れて行こうか悩み始めていた。
そこで静羽は作戦を変更する。論より証拠である。赤眼月になる日、適当な嘘を言って両親を例の場所まで連れてきた。そして目の前の空間が突然光り始めると両親は驚きに目を見開く。事前に打ち合わせていた通りエトヴァが光の中から現れると驚愕を通り越して呆気にとられてた。その隙に静羽とエトヴァは両親を光りの中に引っ張り込んだ。
現実に異世界に連れてこられて両親も真実であると信じざるを得なかった。そして、そこでいかに静羽が大事にされ愛されているかを知り、またこれが今生の別れになるわけではなくいつでも会いに帰れると知って、二人の結婚を許したのだった。まあ、父親は最後の最後まで難色を示していたが・・・
それから二ヶ月後、エクリムス暦千七百三年九月九日、皆の祝福の中で静羽はエクリムス王妃となった。




