11.元の世界、元の時間?
瞼に感じる光が和らいで静羽はゆっくりと目を開けた。
夕暮れの街角。見慣れていながら懐かしい風景。
帰ってきたのだ。自分の世界に。
暫く茫然としていたが、右手の温もりが離れていくのを感じて我に返った。隣を見るとエトヴァが寂しそうに小さく微笑んでいた。
「・・・ここで、間違いありませんか?」
弱々しく確認するエトヴァに、静羽は努めて明るい口調で答えた。
「うん! 間違いないわ。私の街よ。日にちとか時間もちゃんと戻っているのよね?」
「はい。私には確認のしようがありませんが、おそらく・・・」
「おそらく? 心配だなぁ。エトヴァさんって時々抜けてるからな~」
「そんなぁ、たまにですよ。たまに」
そういうと二人で軽く笑いあう。しかし、その笑いもすぐに消えてしまった。暫し二人の間に沈黙が訪れる。
エトヴァの背後に開いた光の門がゆっくりと小さくなり始めた。
「・・・エトヴァさん、そろそろ・・・・・・」
「あ・・・ そうですね・・・ あの、静羽殿・・・ 本当に色々ありがとうございました」
「やぁね。そんな改まらないでよ。私の方こそ、他の誰にも味わえない経験させてもらったわ。ありがとう!」
そう言って差し出された静羽の右手を握り返しながら、エトヴァは溢れそうになる涙を堪えながら無理やり笑顔を作る。
「・・・それじゃあ、お元気で」
「うん。みんなにもよろしくね ・・・アルフさんにも」
静羽も涙を堪えながら笑顔で答える。
「はい。必ず伝えます・・・」
エトヴァは光の中に入りながら、最後にもう一度静羽を振り返った。何かを言いたげにするが結局言葉が出ない。
「さよならは言わないわ ・・・また、ね」
その静羽の言葉にエトヴァは初めて明るく笑った。涙を拭って静羽に手を振る。
「そうですね。では! またです!」
「うん! また、二年後に!」
「え? それってどういう・・・」
静羽は答えず元気に手を振る。そして、エトヴァは何かを叫びながら光と共に消えていった。静寂に包まれる。静羽は光が消えた辺りをじっと見詰めたまま動かなかった。アルフには二年後の今日のこの場所にエトヴァを迎えに寄越してほしいと伝えてあるが、いずれにしても二年後である。
色々な思い出が浮かんでくる。そして初めての想い。自分で決めたことに後悔はないが、心の一部に穴が開いてしまったような空虚感は拭えない。
そんな静羽の後ろを自動車が通り過ぎた。一ヶ月ぶりの自動車の音に、現実に引き戻される。
パシッパシッ!
静羽は両手で自分の頬を二度叩いた。そして、真っ直ぐに顔を上げて歩き始める。その後ろ姿には、もう迷いはなかった。
「た、ただいまぁ・・・」
少し緊張しつつも普段通りを装って自宅の玄関に入る。しかし、いつもの母の返事が返って来ない。
本当に大丈夫なの? 不安に思いながらも、できるだけ音を立てないようにそっとダイニングに入る。
「・・・誰もいないのかな? あれ? ご飯もない」
いつもだったら部活で遅くなる自分の分だけがテーブルに残されているはずだが、それが見当たらない。壁に掛けられた時計を見る。いつもよりは少し遅いが、このくらいはよくあることだ。
キッチンに廻ってみたが、食器も片付けられ、食器乾燥機に入れられていた。不安が募る。
「あら? あなた、まだそんな格好してたの?」
突然掛けられた声に静羽は飛び上がるように驚いた。慌てて振り向くと、頭にタオルを掛けた風呂上りの母がキッチンのドアの前に立っていた。母も静羽の驚きように逆に驚いている。
「どうしたの? そんなにビックリして?」
「あ、あ、あ、あの、あのあの、な、なにか、た、食べるものがないかなーって・・・」
バクバクいってる心臓を押さえながら、静羽は苦しい言い訳を搾り出す。
静羽の言葉に母は呆れたような口調で言った。
「まだ食べるの? あなた、さっきあんなに食べたじゃない。いくら運動してるっていっても、食べ過ぎると太るわよ」
そう言うと母は冷蔵庫から牛乳パックを出してコップに注いだ。
さっき食べた? どういうこと?
「そ、そうよね。や、やっぱりやめとこうっと・・・」
訝しく思いながらも話を合わせて、静羽は何気ないようにドアに向かう。そんな静羽を母は牛乳を飲みながら眺めていたが、出て行く直前に呼び止めた。
「静羽」
ビクリと立ち止まって静羽はゆっくりと振り返る。
「な、なに?」
そして、軽く首を傾げた母が一言。
「あなた・・・恋してる?」
直球、いや大砲を撃ち込まれた。顔に血が上るのが分かったがどうにもならない。
「な、な、な、なに言ってるのよ! そ、そ、そ、そんなのあるわけ、ないじゃん!」
あからさまに動揺する静羽を、母は面白そうに見る。
「ふふぅん?」
「ない! ない! ありえないよ!」
「そう? ま、いいわ。お風呂空いたから、早く入っちゃいなさいね」
「は、はーい!」
意味深に笑う母から逃げるように静羽はキッチンを出た。母、恐るべし。昔から勘が鋭く母親には隠し事はできなかった。霊感も母親から受け継いだものだ。
「・・・ふぅ」
大きな溜め息をつきながら居間のドアの前を通り過ぎた。と、
「!?」
飛び付くように居間のドアに張り付いた静羽は、ドアのガラス越しに居間のテレビ画面を見詰めた。
テレビでは、見た覚えのある、お笑い芸人たちのバラエティー番組が流れている。
そう、一ヶ月前の今日であるはずの、昨日見た番組だ。
「ま、まさか・・・」
囁いた静羽の耳に笑い声が聞こえた。こちらに背を向けたソファーに座っている人物の笑い声。その人物はテレビのお笑い芸人のギャグに笑い声をあげながら、テーブルに置かれた好物の固焼き煎餅に手を伸ばした。
パジャマ兼用の部屋着のスウェットを着た自分。
そう、一ヶ月前の過去の自分。そして制服を着たままの現在の自分。いやどちらが現在か?
静羽は冷や汗を流しながら慌てて廻りを見回す。母はまだキッチン。玄関までの廊下には誰もいない。静羽はカバンとラクロスのクロスを抱きかかえて忍び足で玄関に向かった。
玄関で靴を履こうとして、脇に寄せられているもう一つの同じ靴に初めて気付く。音を立てないように玄関ドアを開けると滑るように外に出て、急いで家から離れる。
「はぁ、はぁ、はぁ・・・」
近所の公園まで走ってきて、ベンチに疲れたように座り込んだ。そして沸々と湧いてくる怒り。
「もう! 馬鹿エトヴァ! 一日前じゃない! 世界を破滅させる気!!」
タイム・パラドックスといい、同じ次元に同じ者は存在できない。もしその二人が接触すれば時空が崩壊すると言われている。あのまま気付かずに昨日の自分と会ってしまっていたらどうなっていたか。
「まったく! やっぱり肝心なところで抜けてるんだから!! わたしに野宿しろっていうの!」
もちろん昨日の自分がいる家には帰れない。明日、自分が連れ去れた時間までどこかに隠れていなければならないのだ。まったく、なんで私がこんな苦労を。これというのも、あのドジエトヴァのせいだ。
しばらくブツブツとエトヴァの文句を言っていたが、落ち着いてくると、今度は笑いが込み上げてきた。
「あは、あははははっ!!」
一人で馬鹿みたいと思いつつも声を上げて笑った。いかにもエトヴァらしいドジっぷりだ。今度会ったときに思いっきり文句を言ってやろう。その時するであろうエトヴァの焦った顔と、やれやれと苦笑するアルフの顔を思い浮かべて、また笑った。
ひとしきり笑った後、煌き始めた星空を見上げた。そこには赤い月はなく、見慣れた白い月が一つだけ浮かんでいる。
そう、今度会ったら・・・・・・
でも、こうして自分の世界にいると、あちらでのことが夢だったように思えてきてしまう。
静羽はカバンから携帯を取り出す。先ほどみんなで撮った写真を眺める。うん。夢なんかじゃない。
「あ、写真、保護っとこ」
間違えて消してしまわないようにみんなの写真を保護設定にする。そして少し考えて、アルフとエトヴァと三人で撮った写真を待受画面に設定する。
「さて、とりあえず今夜どうしようかな・・・」
さすがに公園で夜を明かすわけにはいかない。うーんと考えて携帯の電話帳から友達の番号を呼び出す。中学から一番仲が良く、高校は別々になったが今でもよく一緒に遊んでいる子だ。
「・・・・・・あ、もしもし、琴美? わたし。・・・うん、うん、そう。それで急で悪いんだけど、今夜、泊めてもらえないかな? ・・・え? うん、ちょっとお母さんと喧嘩しちゃってさ。・・・ううん、大したことじゃないんだけど、ちょっと顔合わせ辛くて・・・ いい? よかった! ありがと! じゃあこれから行くから。 ・・・えぇー、まあ仕方ないか。コンビニでまた電話するから・・・うん、・・・うん、じゃあね」
よかった。何とか一晩寝る場所は確保できた。
「・・・・・・」
暫し携帯の画面を見詰めると、夜空を見上げる。
「・・・頑張らなくっちゃ!」
そして、携帯をパタンと閉じた。




