10.離別(わかれ)は始まり?
混乱の舞踏会から一夜明けた翌日、エクリムス王宮は昨夜以上の混乱に見舞われていた。
主には舞踏会に招待した諸外国や出席者に対する説明と謝罪の対応だった。厳密に言えばエクリムスも被害者なのが、主催国として、また自国に対するソフィア王妃の恨みから招待客を危険に晒した責任は逃れられない。朝から抗議文書を携えて遣って来た使者への対応や、謝罪文の作成と発送。混乱時に発生した怪我人への補償など、国王のアルフを始め、宰相や文官たちは食事を摂る間もなかった。
各国への対応の中でも特に神経を使うのは、やはり静羽のことであった。戦女神レティメイシアの降臨。そして、その使徒である静羽のことは、まるで光の矢のように広まった。神話の女神が大勢の目の前で降臨したのだから無理もない。エクリムスによる集団催眠や幻覚ではないかという疑いの声も上がったが、その場にいた者が感じた、その神聖なる威厳は決して作り物ではないと、皆が口を揃えて言っており、真実として受け入れられるまでに時間は掛からなかった。
レティメイシアは神界に帰ってしまったが、その使徒である静羽はこの地に留まっているのだ。誰もが一度は会いたいと思うのは当然であった。その結果、朝から静羽に対する謁見依頼が殺到している。しかし、だからといって静羽を見せ物のようにするわけにはいかない。静羽はエクリムスの本当の救世主になったのだ。その扱いは今や国王以上といっても過言ではない。誰もが昨夜のことで静羽も疲れているので休ませてあげたいと思っていた。
そして、今夜は“白月と赤目月の邂逅”。そう、赤目月に白月が重なり異世界との道が開かれるのだ。そして静羽が自分の世界に帰ってしまう日なのだ。
しかし、各国はそれに納得するはずもなく、遠回しに、或いは直接エクリムスを非難してきた。今も、隣国でエクリムスに次ぐ大国であるダファト王国の使者がアルフと宰相に対して苦言を申し立てていた。
「・・・戦女神レティメイシア様は、この世すべてを守護する女神様であらされる。その御使徒様についても同じはず。一国がその恩恵を独占しようとは、如何なものでございましょうか?」
何度となく繰り返されてきたやり取りに、朝から休み無しのアルフはさすがに疲労を隠し切れない。宰相も疲れた溜め息を漏らしながら応えた。
「ですから、先程から申しておりますように、使徒殿がご滞在しますのは今宵までなのです。それは使途殿御自身が申されていたことで、決して我が国がそのように仕向けたわけではございません。まして独占しようなどとは露程にも考えておりません」
「では、もう暫しご滞在頂き、是非とも我が国にもおいで下さいますようお願いして頂けませんでしょうか?」
食い下がる使者にアルフが答える。
「我が国としても、できればもっと滞在してもらいたいが、予てから一ヶ月の間だけという約束であった。王家の呪いも祓われた今、彼女を引き止める理由がない。王家のために尽力して頂いた上に、こちらの我が儘を通せる道理がないのだ。その辺ご理解頂きたい」
「なるほど判りました。貴国の立場では、御使徒様にお願いするのは難しいようですね。では我が国からの要請ということで、わたくしから直接お願いを致しましょう。御使徒様に御目通りをお願い致します」
「そのことですが、大変申し訳ございませんが、昨夜のことで使徒殿は心身共に疲労しており、今は安静にお休み頂いております。ここで無理をさせて疲労を残されたままでご帰還させてしまっては、我が国の立場がございません。何卒、ご理解頂きたく・・・」
宰相の言葉に、使者は疑わしげにする。
「そのような詭弁を弄されて、やはり御使途様を隠匿し、独占するつもりではございますまいな?」
「ですから、そのようなことは決して・・・」
アルフは疲れた溜め息をついた。朝からずっとこの調子なのだ。
そんなことよりもアルフにはもっと大事なことがある。もちろん静羽のことだ。彼女は本当に今夜帰ってしまうのだろうか。お互いの気持ちは確かめ合った。しかし、こちらの世界に留まるかどうかの答えはまだ聞いていない。本当ならば今すぐに会いに行きたい。しかし、それができない。今ほど国王の立場が恨めしく思えたことはなかった。
「はぁ・・・・・・」
静羽は窓際のテーブルに頬杖をついて長い溜め息をついた。
体の疲労は一晩寝たらすっかり取れていたが、今は精神的に落ち込んでいた。
それというのも、一夜明けたら皆の態度が一変してしまったからだ。
これまでも冗談めかして救世主様などと呼ばれたこともあったが、ただの賓客として、普通の人間として接してくれていた。それが昨夜のことがあってから私は人間でなくなった。完全に神様扱いで、使徒様と呼ばれるようになってしまった。廊下ですれ違うときは恭しく頭を下げられ、こちらを見る目が明らかに違っている。これまで通り気軽く挨拶すると畏れ多いと言って恐縮されてしまう。すっかり打ち解けて一緒にお茶していた侍女たちに至っては、それこそ床にひれ伏さんばかりだ。なんか急にみんなとの距離が開いた気がして憂鬱になる。
それともう一つ。宰相や近衛長など、王宮の主だった人たちが代わる代わるやって来ては、このままこちらの世界に留まるように嘆願というか、説得していくのだ。まだ自分でもどうするか決めていないのに。
それらが全部鬱陶しくなって、今は部屋で一人、外を眺めていた。
「はぁ・・・・・・」
また溜め息が出る。でも、今の溜め息はアルフのことを考えての溜め息だった。
今日はまだ一度も会っていない。昨夜のことで何かと忙しいらしい。王様なんだから仕方ない。それに近衛長さんの話では、私に会いたいという人たちが押し寄せてきていて、それを私に負担を掛けまいと頑張ってくれているらしい。その気遣いは嬉しいけど、やっぱりちょっと寂しい。
昨夜のことで自分の気持ちははっきりした。私はアルフさんが好き。大好き。男の人を好きになったことは初めてではないけど、こんなに強い好きという想いは初めて。そして、生命の危機を乗り越えて、お互いの絆も深まったような気がする。
でも、こちらに残るかというと話が別。もちろん、ずっと一緒にいたいとは思う。彼の傍で、寄り添って、笑ったり怒ったり、泣いたりしていきたい。でも・・・・・・
本当にそれでいいの? 私は自分に問いかける。
こちらに留まりたいという気持ちはある。ならば、自分の世界に未練はないの? いいえ。そんなことはない。優しい家族に、大切な友人たち。それこそ寝る間を惜しんで頑張って手に入れたラクロスのレギュラー。充実した毎日だ。不満など何もない。それらを捨てることが本当にできる?
答えは、限りなくNoに近い。
私は中途半端が嫌い。ここで恋を選択することもできるけど、今まで努力が無駄になってしまう。また、ラクロス部のみんなの期待を裏切ることになる。大好きな家族も、私が居なくなったらどれだけ悲しむだろう。
でも、アルフへの想いも捨てられない。彼を失うと思ったときの絶望感、喪失感は耐え難かった。もちろん、今回は命を失うようなことはないが、これで会えなくなってしまったとき、その切なさ、寂しさに私は耐えられるだろうか。
でも、でも、と、自分の中で同じ問答が繰り返される。
そのとき、ハッと閃いた。
「そうだ! アルフさんが向こうに来れば! ・・・・・・て、できるわけないよね・・・王様だもんね」
名案だと思ったが、非現実的だった。また長い溜め息をつく。
その時、侍女が遠慮がちに部屋に入ってきた。
「お休みのところ失礼いたします。御使徒様・・・」
その言葉に静羽はうんざりしたように言った。
「だから、その御使徒さまっていうのは止めてって言ってるのに・・・・」
「も、申し訳ございません! 御使・・・いえ、シ、シズハ様!」
神の不興を買ったかと青くなる侍女に、静羽はまた溜め息をつく。歳も近くて、昨日までは一緒にお茶しながら談笑していたのに。そのうち部屋が溜め息に一杯になってしまいそうだ。
「もう、いいわ。それで?」
「あ、は、はい! あの、顧問神官長さまがいらっしゃっております。お通し致しますか?」
いろいろなことが面倒で、しばらく誰も通さないで欲しいと頼んであったのだ。
「エトヴァさん? ・・・まあ、いいわ。通してあげて」
また同じこと言われるのかと思ったが、エトヴァならば少しは気が紛れるかもしれない。
「はい。畏まりまして」
「こんにちは。シズハ殿。ご機嫌は・・・悪いようですねぇ」
いつもの調子で入ってきたエトヴァは、静羽の憂鬱そうな顔を見て苦笑した。
「もう嫌になっちゃう! 昨日の今日でみんな掌返したように人を神様扱いだし、残れ残れって言うし・・・」
「そうでしたか。それは心中お察しします。ですが、まあ仕方ないですね。あれを見た後では」
「それは、そうかもしれないけど。でも、私は使徒とかじゃないし、女神だって私が呼んだわけじゃなし・・・」
後で判ったことだが、退魔の護符の下にあったもう一枚の御札は、守護霊の加護を呼び出すものだった。また自分の血を供物にすることで近くにいる強い霊を召喚して使役させることができるというものだった。それが異世界で護符の力が強まり女神を召喚するということが起きたらしい。
「いやぁ、あれは感動しましたね! それよりも女神様を前にしても動じないシズハ殿には、もっと感動しましたけど!」
いいもの見せてもらいましたぁと感動しているエトヴァに、静羽は苦笑を返す。
「あ、あれは・・・ だって私、こっち来てから非現実的というか、ファンタジーなことばかりだったから免疫できてたというか・・・ でも、よかった」
「え? 何がです?」
エトヴァの問いに、静羽はホッと肩の力を抜いた。
「だって・・・ エトヴァさんは今まで通りだったから・・・」
エトヴァは一瞬キョトンとしたが、あぁっと微笑んだ。
「なんだ、そんなことですか。そりゃ変わりませんよ。だって、私にとってシズハ殿は、最初から救世主様、女神様だったんですから!」
あっけらかんというエトヴァを、静羽は呆れたように見やり、そして笑った。
「そうよね。エトヴァさんってそういう人だもんね。でも、その天然さが今は救われるわ」
コロコロと笑う静羽に、褒められている気がしませんねぇとおどけて見せつつ、エトヴァは内心ホッとしていた。実は神殿の方にも女神やその使徒に対する問い合わせが殺到していて大騒ぎなのだが、静羽が落ち込んでいるようだから代わりに様子を見に行ってくれというアルフからの伝言があったため、急ぎ飛んできたのだ。
それからしばらく、たわいも無い話で談笑していたが、話の切れ間にフッと静羽の表情が曇った。そのまま黙ったまま窓の方に顔を背ける。
「・・・アルフさんは、忙しいんだよね・・・・・・」
その小さい呟きに、エトヴァの胸の奥がズキッと小さく疼いた。本当はここに居て欲しいのは自分ではないのだ。
「そ、そうですね。国内外からの使者が後を絶たないようで・・・ でも、本当は・・・すぐにでもシズハ殿に会いたいと思っているはずですよ」
「・・・そうかな・・・」
寂しげな静羽に、エトヴァは殊更に明るく言い募る。
「そうです! 間違いありません!」
変に強気なエトヴァに、静羽はプッと吹き出す。
「あはは。ありがと」
しかし、すぐに寂しげな顔に戻ってしまう。
エトヴァは掛ける言葉が見付からず、僅かに沈黙が下りる。
「・・・エトヴァさんは、私に残れって言わないのね」
静羽の言葉にエトヴァも表情を改める。
「それは・・・ もちろん私も、シズハ殿には留まってほしいと思っています。 ・・・でも、私には責任があります。シズハ殿をこちらに連れてきた責任が・・・ それに、約束したじゃないですか。事が終わったら必ず元の世界に帰すと。だから、私はシズハ殿の決めたことに従うつもりです」
「・・・そっか。ありがと」
二人の間に再び沈黙が下りる。
何か言わなくてはと思うが、うまい言葉が見付からず、エトヴァは唇を噛んだ。
「・・・ごめんね。少し、一人にして・・・・・・」
静羽が窓に顔を向けたまま呟いた。
「・・・はい」
結局力になれなかった。エトヴァは肩を落として部屋を後にした。
しばらくして静羽はそっと部屋を抜け出した。ずっと籠って考えていたら気が滅入る一方だったから。
一人は寂しい。でも誰かと話す気にはなれない。そこで足が向いたのは厩の方だった。
幸いここまで誰も会わずに来れた。静羽はそっと厩に入っていった。
「ダイアナ、いる?」
静羽が声を掛けると、前と同じ囲いからダイアナが顔を出して来た。ユニコーンの角が煌く。静羽が傍に来ると、嬉しそうに顔を寄せてくる。
「よかった。覚えていてくれたのね・・・」
静羽も嬉しそうにダイアナの首筋を撫でてあげる。
ダイアナも気持ち良さそうにしていたが、ふと静羽の手が止まると不思議そうに静羽を見る。
「・・・私ね・・・どうしたらいいのか判らないの・・・」
静羽の独り言にダイアナは首を傾げた。何?と訊いているようでもあり、それで?と先を促しているようでもある。静羽は微笑してダイアナに語り掛けた。
「私ね・・・アルフさんが好きなの。とっても好きなの。 ・・・でも、このまま流されたら、私、きっと後悔すると思うの・・・ でも、でもね・・・やっぱり離れたくないの・・・」
そう言うと静羽はダイアナの白い首に抱き付いた。ダイアナは黙ってされるままにしている。
「・・・どうすればいいんだろうね・・・」
白い鬣に埋めた静羽の頬を、一筋の涙が流れ落ちていった。
「やはり、ここだったか」
突然の声に、静羽は驚いて弾かれたように顔を上げた。そして、厩の入り口に立つ人物を見て更に驚く。
「ア、アルフさん!」
執務で忙しいはずのアルフがそこに立っていた。一瞬呆然とした後、静羽は慌てて涙を拭った。
「ど、どうしてここに?」
「一区切りついたのでな。部屋の方にいったが居なかったから、もしやと思い来てみたのだ。当たりだったな」
アルフが近付くと、ダイアナは一つ鼻を鳴らして、囲いの奥に退がってしまった。それを見てアルフは苦笑する。
「相変わらずだな。ダイアナは。シズハに惚れているのか?」
「そ、そんなわけないでしょう。 ダイアナって女の子だし。あ、いえ、そうじゃなくて! あの、えーと、それで・・・あ、あの、ごめんなさい! 折角お部屋の方に来てもらったのに抜け出してて・・・ そ、それで、何か?」
泣いていたのを見られたかと思い、内心動揺する。
静羽の言葉にアルフは溜め息をつく。
「何って・・・ シズハに会いたかったからに決まっているではないか」
「あ・・・ えっと、はい・・・」
アルフのストレートな言い方に、今度は真っ赤になる。
「悪かったな。なかなか会いに来れなくて」
「い、いいえ! お仕事大変なのは判ってますから。でも、疲れてるみたいですけど大丈夫ですか?」
見れば疲労の色が濃いように見える。
「まあ、な。さすがに朝からずっとだったからな。だが、シズハの顔を見たら疲れも吹っ飛んだよ」
「ま、またそんなこと!」
静羽は更に赤くなる。舞踏会あたりから妙に積極的で、こちらの方がドギマギしてしまう。
「っていうか、なんか性格変わってません?」
恥ずかしいことをサラッと言えるって、アルフは意外にプレイボーイなのかもしれない。
「そうか? あまり経験がないから、比較しようがないが」
「そんなこと言って、怪しい~」
静羽のジト目に、アルフは肩を竦める。
「物心ついた頃にはファラミス神殿にいたからな。色恋事からは無縁だった」
「うー まあ、そういうことにしておきましょう」
「うむ。そういうことにしておいてくれ」
二人してまじめな顔で言い合って、同時に吹き出して笑った。
「ははは。まあ、それはさておき、どうだ、ちょっとダイアナで出掛けるか?」
「え? 出掛けるって、何処へ?」
「まだ行き先は決めていないが、近くで眺めの良い所だな・・・ そうだ。城の裏手に小高い丘がある。この辺一帯を見渡せる場所だ。どうだ?」
「はい。行ってみたいですけど、でも急にどうしたんです? それにお仕事は大丈夫なんですか?」
急な話でアルフの意図が掴めない。
「なぁに、ただの気分転換だ。働き尽くめでは気が滅入るしな。執務など俺が居なくとも何とでもなるさ」
「はぁ、そうなんですか・・・」
「・・・と、いうのは建前で、本当はシズハと二人きりになりたいというのでは、駄目かな?」
おどけて片目を瞑ってみせるアルフに、静羽はまた真っ赤になって俯いた。直接的過ぎて恥かしいが正直嬉しい。
「い、いえ。・・・いいです」
「よし! では、膳は急げだ。捕まる前にな」
そういうとアルフは自ら鞍を持ってきて、ダイアナに載せて準備を始めた。静羽は呆気に取られながらその様子を眺めていたが、ふと気付いて訊き返す。
「捕まる?」
その問いにアルフは悪戯っぽく笑う。
「実は、逃げ出してきたのだ」
「え? ええ!?」
「よし! 行くぞ!」
驚いて固まっている静羽を馬上に引っ張り上げると、城門に向かって駆け出す。
城門を潜る直前にアルフを呼ぶ声が城から聞こえたのは、きっと空耳ではないだろう。
城を出て三十分ほど走ると、眺めのいい丘の上に出た。アルフが言ったように、眼下にはエクリムス城と城下町が、そして、その先に緑豊かな大地が広がっている。
「うわぁー! すごーい!!」
日本では有り得ない絶景に、静羽は感動する。
二人並んで柔らかい草の上に座り、その眺めを楽しんだ。暫くしてアルフが声を掛ける。
「どうだ? 気に入ったか?」
「ええ! そりゃもう! こんな綺麗な風景見たことないです!」
まだ感動冷めやらぬといった感じの静羽にアルフも笑顔を返す。
「それは良かった。連れてきた甲斐があったな。しかし、シズハのところでは、こういった景色が見られる場所はないのか?」
「そうですねぇ。日本って、お城といっても和風だし、ああいう王城っていうのですか? あんな大きなお城なんて海外でもほとんど残っていないし。こんな大自然の中のなんていったら、もう映画の中だけですね。それに私の家って結構都心に近いから、みんな舗装されて建物ばっかりで、こんな大自然なんて滅多に見れないんですよ」
「・・・そうか・・・」
アルフは楽しそうに話す静羽を嬉しげに見ていたが、ふと笑顔を収めて前に視線を向ける。
「アルフさん? どうかしました?」
「いや、考えてみれば、俺はシズハのこと、あまりよく知らないのだなと思ってな・・・」
寂しげにいうアルフに静羽は戸惑った。言われてみれば、ラクロスのこととかは話していたが、自分のこととか、あちらの世界のことって、あまり話していなかったような気がする。
「えーと、そうでしたっけ? じゃあ、何でも訊いていいですよ? 何でも答えますよ」
折角の雰囲気を壊したくないので静羽は明るく言う。
「いいのか?」
「はい。別に隠すようなことはないし、そ、それに・・・私のこと、もっと知って欲しいから・・・」
静羽は顔を赤らめて、最後の方は消え入りそうな声になってしまった。しかし、それでアルフの表情もまた明るくなる。
「そう言ってもらえると嬉しいな。では、そうだな。シズハの家族は?」
「家族ね。うちは極平凡な家庭ですよ。普通のお父さんとお母さんと。あ、私一人っ子なの」
「そうか。父上殿は何をしておられるのだ?」
「あはは、父上殿ってなんか時代劇みたい。お父さんはね、デジカメとか、あ、デジカメって言っても判らないですよね。うーん、なんて言ったらいいんだろう? とにかく、色々な新しい機械を作る仕事をしているの」
アルフはなるほどと相槌をうつ。
「それで、お母さんはね・・・・・・・」
そうして家族のこと、学校のこと、部活のこと、霊能力のことなどをアルフに語った。アルフも意外に聞き上手で、適度に質問を挿みながら楽しげに聞いてくれる。
そして、今は憧れの白鳥先輩の話になっていた。
「―それで、私がレギュラーになれたのも、白鳥先輩が推してくれたからなんですよ。他にも上手な人いっぱいいるのに。だから私、先輩の期待を裏切らないようにいっぱい頑張ってるの。今度の高体連の大会が先輩の引退試合になるんです。だから、その大会だけは絶対に負けられないんです! だから、私、・・・・・・わたしは・・・・・・」
楽しげに話していた静羽の顔が急に暗くなった。俯いて自分の両手を黙って見詰める。
「シズハ?」
急に黙ってしまった静羽に、アルフは訝しんで声を掛ける。しかし、静羽は黙ったまま顔を上げようとしない。
少しして、静羽は小さく呟いた。
「・・・私、この一ヶ月、全然練習、してないんだ・・・・・・」
それを聞いたアルフは申し訳ない気持ちでいっぱいになった。静羽はラクロスという競技の選手なのだ。競技をする者が長い間、何もしなければ体が鈍ってしまう。それは、剣や弓も同じだ。できなくなるということはないが、勘を取り戻すまでに時間が掛かってしまうだろう。まして、静羽がやっている競技は全身を使った激しいものだ。練習できなかった影響が大きいだろうことは、想像に難しくない。
「申し訳ない・・・シズハ」
アルフは素直に謝罪した。しかし、今度はそれに静羽が慌てる。
「あ! いえ! アルフさんのせいとかじゃないですよ! わたし、そんなつもりじゃ・・・」
「いや、こちらの都合で無理やり連れてきてしまったのだ。そのせいで競技に影響が出てしまうことは、こちらの落ち度だ。今更謝罪したところで取り返しはつかないが・・・ 本当に、すまぬ」
「そ、そんな! 大袈裟ですよ! それに、元の時間に戻れるんだし、それからまた頑張れば・・・ ・・・え? あれ? ・・・わたし、なんで・・・・・・」
慌ててフォローしている間に、無意識のうちに涙が流れていた。
自分でも驚いてしまう。別に悲しいとか、そんなんじゃ全然ないのに。
「ごめんなさい! わ、私、なんで泣いてるんだろ! すぐ、止まりますから!」
しかし、拭っても拭っても、涙が溢れ、止まらない。
「あれ? あれ? おかしいな・・・ 止まらないよぉ・・・・・・」
必死に止まらぬ涙を拭っている肩に、大きな手が乗せられ引き寄せられた。そして、そっと優しく抱き締められる。
驚いているところへ優しい声が響く。
「泣きたいときは、泣けばいい」
まるでその言葉がスイッチだったように、静羽はアルフの胸に縋り付いて泣いた。理由は判らない。悲しいのか、寂しいのか、つらいのか。ただ、泣きたかったのだ。
一頻り泣いて落ち着いた後も、アルフは静羽を抱いたまま、優しく背中を撫でてあげている。静羽もしばらく気持ち良さそうにアルフに身を預けていた。
「落ち着いたか?」
遠慮がちに掛けられた声に、静羽はアルフの胸に顔を埋めたままコクリと頷く。そして、ポツリと呟いた。
「・・・ごめんね。 服、濡らしちゃった・・・」
「なに。気にするな」
アルフの優しい言葉に、静羽はアルフの服をまた強く掴んだ。そして、意を決して口を開く。
「アルフさん。ごめんなさい・・・ わたし・・・やっぱり帰ります。自分の世界へ・・・」
「・・・そうか」
静羽の答えは半ば予想していたが、実際に言われると、やはり心が痛む。しかし、ここで無理強いするわけにはいかない。彼女には彼女の生活、人生があるのだ。
「わたし、中途半端が嫌なんです。ずっと頑張ってきた部活のことも、学費高いのに、我が侭言って入れてもらった高校のことも・・・ それらをみんな途中で投げ出すようなことは、できないの・・・ ごめんなさい・・・」
「いや、謝る必要などない。シズハが決めることだからな」
静羽はそっとアルフを見上げた。二人の目が合い、アルフが優しく微笑む。
「それに・・・その方がシズハらしいと思う。どんなことにも真っ直ぐで、一生懸命な、そんなシズハだから、俺は好きになったのだ」
静羽は真っ赤になって、再びアルフの胸に顔を埋める。そして、躊躇いがちにアルフの背中に両手を回すと、ギュッと抱き締めた。アルフもそれに応えて抱き締め返す。
「ありがとう・・・ わたし、アルフさんが大好き。ずっと、ずっと一緒にいたい・・・ でも、今はまだ駄目なの・・・」
うんうんと黙って聞いていたアルフだったが、静羽の最後の言葉が気になった。
「・・・今は、まだ?」
アルフは静羽の身を優しく起こし、その顔を見詰めて訊き直した。
静羽は赤くなって視線を外す。そして何やら言い難そうにモジモジする。
「あ、あのね・・・ できればなんだけど・・・ その・・・」
「うん?」
「あの、もし、アルフさんが嫌でなければ・・・」
「なければ?」
「・・・もう少しだけ待って欲しいの。できれば、高校卒業するまで・・・ そうすればちゃんと自分の道を選べると思うんです・・・だから・・・」
それを聞いたアルフの顔に微笑みが広がった。
「それは、シズハの気持ちの整理がついたら、またこちらへ、私の所へ戻ってきてくれるということか?」
アルフの問いに、静羽は恥ずかしそうに、しかし、しっかりと頷いた。
「こんなお願い、身勝手なのは判っているんですけど・・・」
申し訳なさそうにする静羽の肩に手を置き、アルフは嬉しそうに言う。
「身勝手なものか! 大事なことを決めるのだ。迷いがあって当然だ。それを待てないなどと言えば、こちらの方が余程身勝手というものだ」
静羽もそれを聞いてホッとする。
「ありがとうございます」
「いや。礼を言うのはこちらの方だ。ありがとう」
「はい・・・」
静羽ははにかみながら答える。肩に載せられたアルフの手に自分の手を重ねると、アルフを見詰め、そして、そっと、目を閉じた。
重ねられた唇から感じる熱い想い。このまま時が止まってしまえばいいのに。
名残惜しそうに身を離した二人はじっと見詰め、そして、どちらからともなく抱き締め合った。お互いの存在を確認するかのように・・・
二人は寄り添いながら眼下の風景を眺めていた。吹き抜ける風が火照った顔に気持ちがいい。
「ところで、その卒業とやらは、どのくらい掛かるものなのだ?」
はたと思い出したようにアルフが訊ねる。
「そか。ごめんなさい。言ってなかったですね。えーと、二年くらいです ・・・やっぱり長過ぎます?」
静羽が不安げに訊くのに、アルフは笑って首を振る。
「いや。これからエクリムスは復興に向けて忙しくなる。二年など、あっという間だ」
「本当に? あ、でも、待っていて欲しいけど、アルフさんを束縛するつもりは、ないですから・・・ もし、待ってる間に他に良い人現れたら・・・いいですから・・・」
静羽の言葉にアルフは顔を顰める。
「それは心外だな。俺はシズハが居ないからといって、ホイホイと女を乗り換えるようなやつに見えるのか?」
少し怒ったようなアルフに、静羽は慌てて弁解する。
「ご、ごめんなさい! そんなこと全然ないです! でも、あの、アルフさんは王様ですよね?」
「まあ、そうらしいな」
「そしたら、あの、やっぱり政略結婚とかって・・・」
それを聞いたアルフは一瞬驚いたような顔をしたが、次いで面白そうな顔をして答えた。
「まあ、そういうこともあるかもしれんなぁ」
アルフの言葉に静羽は表情を暗くする。
「・・・やっぱり・・・」
「が、しかし、俺は、好きでもない相手と結婚する気はないな」
「で、でもでも、世継ぎ問題とかで側室を持ったりとか・・・」
次々に出てくる静羽の不安に、さすがのアルフも苦笑する。
「まったく、余計な知識ばかり豊富だな。まあ、その心配も判らぬではないが・・・ とりあえず、我がエクリムスでは世襲制は既に廃止されている。次王の選定は議会が行うのだ。まあ血統も多少は考慮されるが。だから、子をもうけるために側室を置く必要もないし、俺自身、側室など欲しいとは思わぬ。面倒なだけだ」
「ほ、本当に?」
「ああ、心配いらぬ。信じろ。しかし、まあ、あれだな。今からもう世継ぎのことを心配してくれるというのは、男冥利に尽きるというものだな?」
にやけ顔で悪戯っぽく言われて、初めて気付いた静羽は耳まで真っ赤にして慌てた。
「そ、そんなんじゃないです! わ、私は、ただ・・・」
「うむ。しかし。玉座に関係なく、子は沢山いた方がよいな。そのときは、よろしく頼むぞ。シズハ」
「なっ! ば、馬鹿! もう、知らない! い、いいわ! 私も他にいい人いたら、そっちに行っちゃいますからね!」
そう言った途端、アルフは真剣な顔で静羽の両肩を掴んだ。
「ならぬ。他の男に惹かれることは許さぬ!」
「・・・束縛するの? わたしを・・・」
「ああ。俺にはシズハだけだ。だからシズハも俺だけだ ・・・これは、命令だ」
少し乱暴な言葉だったが、その真剣さが伝わって静羽の胸がキュンと鳴った。それでも顔だけは顰め面しくして言う。
「・・・暴君」
アルフは表情を和らげて、静羽を引き寄せると、その耳元で囁いた。
「君だけのな・・・」
そうして、二人はもう一度唇を重ねた。
日も暮れかかった頃に城に戻った二人は、エトヴァの呆れた顔と、近衛長の怒った顔と、宰相の疲れきった顔に出迎えられた。
「何処まで行ってたのですか? 随分探しましたよ」
「まったく国王ともあろうお方が、護衛も付けず、執務を放り出して逢引とは! なんたることですか!」
「陛下は体調不良でと使者たちには伝えておきましたが、納得させるのにどれだけ苦労しましたか・・・」
口々に言われて二人は平謝りするしかなかったが、今夜のことで話し合っていたというと、渋々ながら矛先を収めたのだった。
しかし、静羽がやはり自分の世界に帰ることを伝えると、皆ガッカリして大きな溜息をついた。二年待ってということはあえて伏せておいた。戻るつもりではいるが、本当のところはこの先どうなるかは判らないから、期待されると困るからだ。
特にエトヴァはとても気落ちしていて意気消沈していた。
それでは、盛大にお別れの夕餉をという宰相の提案も、静羽は謹んで辞退した。大袈裟なのは面倒だし、来た時間に戻るのならば、家に帰って夕飯を食べなければならない。そして何よりも、みんなを前にしたら決意が揺らいでしまいそうだから・・・
そして“赤眼の月”と白月が東の夜空に昇った頃、召還されたときと同じ部屋に、ごく親しい者だけが集まった。アルフにエトヴァ、宰相、近衛長、そして、世話になった女官長。女神の使徒と称される者のお見送りとしては寂しいが、静羽にはそれで十分だった。
「本当に、帰ってしまうのですね・・・」
エトヴァなどは、部屋に入る前から既に涙ぐんでいる。
「ちょっと、エトヴァさん。しっかりして! 間違えずにちゃんと送ってよ」
そう言って元気に突っ込みを入れる静羽は、約一ヶ月ぶりに自分の制服を着ていた。こちらではずっと裾の長いドレスを着ていたので、逆に膝上丈の自分の制服が気恥ずかしい。無骨な近衛長などは赤くなって目のやり処に困っている。
静羽は、一人ひとりに別れの挨拶を済ませ、なんとなく黙って床に書かれた魔方陣を眺めていた。エトヴァによれば赤眼の月が中天に差し掛かると魔方陣が光り始めるらしい。前ここに現れたときは、この魔方陣が光り輝いていた。それから一ヶ月、今から思うと本当にあっという間だったように思う。色々なことがあり過ぎて時間の経過も意識していなかったのだ。
「・・・あ、そうだ!」
突然はたと思いついて、静羽は自分のバッグを開くと携帯電話を取り出した。
「ねぇ! みんなで写真撮ろう!」
しかし、皆なんのことか判らない。アルフも首を傾げて訊きかえす。
「シズハ。その、シャイン、とは?」
「ああ、そっか、判らないよね。えーと、なんて言えば・・・ そう、簡単にいうとみんなの絵を作るの」
「絵を? そうか・・・ しかし、今から画家を呼んでも、とても間に合わぬぞ?」
「画家? ううん、そんなのいらないです。これで、この携帯でできるんです!」
そう言って携帯を掲げてみせる。しかし、アルフたちは益々訝しげな顔になる。
「それで、か? それは、絵の具か何かか?」
「違いますって。えーと、論より証拠。撮ってみせますね。じゃあみんなそこに並んで」
なんだかよく判らないが、アルフたちはとりあえず言われた通りに固まって並ぶ。
静羽は一ヶ月ぶりに携帯の電源を入れる。もちろんこちらでは電波は届かないので、ずっと電源をオフしていたので、電池はまだ十分ある。
「はーい。じゃあ撮りますよー みんなここの小さな丸の部分見ててね。はい、チーズ!」
ピロロローンという電子音が部屋に響く。突然鳴った聞き慣れない音に、皆驚いた。
「うん。ちょっと暗いけど良く撮れてるわ」
ほら、と言って画面をみんなの方に向ける。みな恐る恐る不思議に明るく光る画面を覗き込んで、途端に驚愕の声を上げた。
「こ、これは! なんと!」
「おお! わしが小さくなって描かれておる!」
「まあ! なんて精巧な絵画なのでしょう! まるで生きているようですわ!」
「すごい! すごいですね! シズハ殿!」
「ほほう。これは魔法の類か?」
静羽もみんなの驚きようを面白がりながら説明する。
「そう。魔法といえば魔法かなぁ 私だって原理なんて説明できないし。でもこれで、簡単に写真、綺麗な絵ができるんですよ。さあ! もっと撮りましょ!」
そうして、皆でワイワイと撮影会が始まった。並び方を変えてみたり、ポーズをつけてみたり、どうしても表情の硬い近衛長に笑ったりと楽しい一時になった。
「そうだ! 私も撮ってもらおうっと! アルフさん、エトヴァさん! 一緒に撮りましょう!」
女官長に撮り方を教えて、三人で並ぶ。緊張気味の女官長がギクシャクと携帯を構える。
「で、では、いきます! はい! ど、どうでしょう?」
「えーと、はい。よく撮れてますよ! ありがとうございます! わぁいっぱい撮れたなー」
静羽が撮った写真を嬉しそうに確認していると、それを隣で見ていたアルフが言った。
「そのシャシンとやら、俺にももらえないか?」
「あ・・・ ごめんなさい。ここじゃプリントできないんです・・・」
「駄目なのか? そうか・・・残念だ。俺も静羽のシャシン持っていたかったのだが・・・」
至極残念そうにするアルフに申し訳なく思ったが、そう言ってくれたことがとても嬉しい。でも、さすがに無理だ。できることならアルフにも写真持っていてほしかったけど・・・
「あ! そうだ!」
思い付いて静羽は再びカバンを開けると、ペンケースを取り出す。そしてその蓋を開けた。そこには友達と撮ったプリクラのシールがいっぱい貼られていた。
「あった、あった! えーと、どれがいいかな・・・ うん、これにしよ!」
その中から、写りの良いのを選らんで、丁寧に剥がす。そして、アルフに差し出す。
「はい、これ! 小さくて、友達も写っちゃってるけど、これで良ければ。あ、裏くっつくようになってますから気をつけて下さいね」
「おお! ありがたい! ほほう! すごいな! こんな小さい中に。ありがとう。大切にする」
そういうアルフの気持ちが嬉しくて、益々好きになってしまう。
ちょっと決心が揺らぎ始めた頃、俄かに魔方陣が輝き始めた。
「あ・・・・・・」
賑やかだった雰囲気が一気に冷める。皆黙って徐々に輝きを増していく魔方陣を見詰めた。
少ししてかなり輝きが強くなると、静羽は意を決して魔方陣の方へ一歩踏み出す。
「シズハ・・・」
アルフは自分の傍らを離れていく静羽を思わず引き止めようと手が上がりかけたが、なんとか思い留まった。
静羽は魔方陣の真ん中で振り返る。光の向こうに皆の寂しげな顔が見える。思わず涙ぐみそうになるのをぐっと堪えて言う。
「・・・エトヴァさん。お願い」
「・・・はい」
エトヴァもできれば送りたくないという感じだったが、異世界への道は僅かな時間しか開かれないのだ。約束を違えるわけにはいかない。仕方なく静羽の隣に立ち、手にした魔法書の召還呪文を唱え始めた。
エトヴァの呪文が終わると、目の前の空間に見覚えのある光り輝く門が現れた。これを潜れば自分の世界だ。
静羽はアルフへ振り返る。光の向こうでアルフが小さく頷く。それに自分も頷き返して、再び光の門に向き直る。でも、どうしても一歩が出せない。俯いて唇を噛むが溢れる涙は抑えられなかった。
振り返ってそのままアルフへと走り、愛しい人に抱きついた。アルフも強く抱き返す。
そして二人だけに聞こえる声で囁き合った。いってきます。と、待っている。と・・・
静羽は抱きついたときと同じ勢いでアルフから離れると、今度は振り返らず、自らエトヴァの手を引いて、光の門に飛び込んだ。




