第81話「半分ずつにしたら、どっちも欲しくなかったものになりました」
火曜日の午後五時十八分。
PANDEMONIUMの窓際で、女の子が二人、一つの紙袋を両側から掴んでいた。
「絶対、駅」
髪の長い子が自分の方へ引く。
「やだ。河原」
短い髪の子も離さない。
紙袋の底で、ポテトの箱がかさりと鳴った。
「喧嘩?」
渾沌ちゃんがカウンターから身を乗り出す。
「違う!」
二人の声だけはぴたりと揃った。
「そこは揃うんですね」
秩序ちゃんが、袋の口から覗いていた二つのバーガーを奥へ押し戻した。ほかにポテトが一つと、小さな紙箱が入っている。
「持ち帰りで揃っています。あとは、どこで食べるかですか」
「河原」
「駅」
また同時だった。
短い髪の子が先に袋から手を離し、窓の外を指した。
「去年も河原で食べたの。その前も。今日やったら三年目」
「駅には今日の電車が来るの」
長い髪の子はスマートフォンの画面を見せた。時刻表ではなく、保存した告知画像だった。五時四十六分。特別列車、一日限り。
「新しい色!」
渾沌ちゃんの目が輝く。
「じゃ駅!」
「渾沌ちゃん」
「はい」
短い髪の子が、むっとした顔で椅子の背へ寄りかかった。
「河原も今日だけ」
「夕焼け?」
「姉ちゃん、明日引っ越すから」
渾沌ちゃんの口が閉じた。
長い髪の子も、スマートフォンを伏せる。
「……それ言う?」
「だって最後じゃん」
「最後じゃない。遊びに来るし」
「いつ?」
「知らないけど」
短い髪の子は答えず、紙袋の取っ手を指に巻いた。
秩序ちゃんは時計を見た。五時十九分。駅まで歩いて十二分ほど。河原は反対方向だった。
「駅で見てから河原!」
渾沌ちゃんが両手を叩く。
「日が落ちる」
「河原から駅!」
「電車が行く」
「走る!」
「バーガー持って?」
「食べながら!」
「落とします」
秩序ちゃんが言うと、渾沌ちゃんは紙袋を抱える真似をして、その場で二歩走った。すぐに止まる。
「……ポテトが死ぬ」
「そこ?」
長い髪の子が、初めて少し笑った。
その笑いが消える前に、渾沌ちゃんは指を二本立てた。
「じゃ半分! 駅と河原、半分ずつ!」
二人は顔を見合わせた。
「電車、半分だけ来る?」
「来ません」
秩序ちゃん。
「夕焼け、半分待ってくれる?」
「待ちません」
「時間、けち!」
午後五時二十二分。
二人は窓際の席へ並んで座った。さっきまで引っ張り合っていた紙袋は、今度はテーブルの真ん中に置かれている。どちらも開けない。
揚げたてだったポテトの匂いが、少しずつ弱くなっていく。
「冷めます」
秩序ちゃんが言う。
「分かってる」
短い髪の子が返した。
「急かしているわけではありません」
「急かしてる」
長い髪の子も言う。
秩序ちゃんは時計から目を離した。
「……少しは」
短い髪の子が紙袋の端を指でなぞった。
「去年、ここで買って、そのまま河原行ったよね」
「うん」
「一昨年はポテト落とした」
「それ私じゃない」
「姉ちゃんだよ」
「風」
「風のせいにした」
今度は二人とも笑った。
その笑いの中に、三年目になるはずだった時間が一瞬だけ戻った。
長い髪の子が、伏せていたスマートフォンをもう一度持ち上げる。
「電車、お父さんと見るはずだった」
短い髪の子の指が止まった。
「今日?」
「うん。でも仕事で来れなくなったから、写真送るって言った」
「……そっか」
窓の外を、普通の電車が一本通り過ぎた。特別列車ではない。二人とも見なかった。
渾沌ちゃんが、さっきより小さな声で言った。
「両方いるね」
「はい」
秩序ちゃんはそれ以上言わなかった。
「昨日は、箱、分けたら置けた」
「今日は箱ではありません」
「でも、両方大事」
「はい」
「並べる?」
秩序ちゃんは窓際の二人を見る。片方の前には河原で重ねた二年分があり、もう片方の手には父へ送る一度きりの列車がある。どちらも、別の棚へ移して保存できるものではなかった。
「同じ時間には入りません」
午後五時二十六分。
長い髪の子が立った。
「駅、行く」
短い髪の子は、すぐには返事をしなかった。
紙袋の取っ手に巻きつけた指を一本ずつほどく。
「……分かった」
「いいの?」
「よくない」
「じゃ、河原でも」
「行く」
「どっち?」
「駅」
長い髪の子が黙る。
短い髪の子は立ち上がり、自分から紙袋を持った。
「河原、行きたいよ」
「うん」
「三年目やりたい」
「うん」
「でも駅行く」
渾沌ちゃんが出口までついていく。
「行きたいのに?」
短い髪の子はドアノブに手を掛けた。
「行きたいまま、行かない」
扉が閉じた。
店内に、ポテトの匂いだけが少し残った。
「これでいいの?」
渾沌ちゃんが聞く。
秩序ちゃんは、二人が座っていた椅子を見た。どちらも同じだけ後ろへ引かれている。
「分かりません」
「え」
「私が決めたことではありません」
「昨日より弱くなった?」
秩序ちゃんは椅子を戻しかけて、やめた。
「そう見えるかもしれません」
午後五時四十三分。
扉が勢いよく開いた。
「戻った!」
二人とも息を切らしている。長い髪の子がカウンターへ駆け寄った。
「紙箱! 袋の中の小さいやつ!」
「あります」
秩序ちゃんが、置き忘れた小箱を差し出す。
「開けて!」
中には、細いキャンドルが二本入っていた。
短い髪の子が一本を摘まむ。
「昨日頼んだやつ」
「誕生日?」
渾沌ちゃん。
二人がまた同時に言った。
「三年目!」
「河原でバーガー食べるの、三年目だから」
短い髪の子が説明する横で、長い髪の子が壁の時計を見た。
五時四十四分。
「あと二分!」
「走って!」
渾沌ちゃんが叫ぶ。
二人はキャンドルを一本ずつ掴み、そのまま店を飛び出した。
秩序ちゃんが開いたままの小箱を閉じる。
「今度は忘れませんでしたね」
「使える?」
「何にですか」
渾沌ちゃんは答えなかった。
午後六時十二分。
今度は、二人は歩いて戻ってきた。
紙袋は空になっている。
「見れた?」
「見た!」
長い髪の子がスマートフォンを掲げた。画面には、夕方のホームへ入ってくる特別列車が写っている。
「お父さんにも送った」
「バーガーは?」
「駅のベンチで食べた」
渾沌ちゃんは短い髪の子を見る。
「キャンドルは?」
少女はポケットから一本出した。
芯は白いままだった。
「使わなかった」
「河原は?」
少しだけ間が空いた。
「行かなかった」
「三年目は?」
短い髪の子はキャンドルを掌の上で転がした。
「なくなった」
長い髪の子が唇を噛んだ。
「ごめん」
「やめて」
「でも、私が電車って」
「私が駅行くって言った」
「私が行きたいって言ったからでしょ」
「それでも私が言ったの」
「でも」
「やめてって」
短い髪の子の声が、店の奥まで届いた。
秩序ちゃんは入らなかった。
渾沌ちゃんも、口を開きかけて閉じた。
しばらくして、短い髪の子が自分のキャンドルを長い髪の子へ差し出した。
「これ、持ってって」
「なんで」
「そっちで四年目やって」
「一人で?」
「私も行く」
「いつ」
「知らない」
「さっきと同じじゃん」
「うん」
長い髪の子はキャンドルを受け取った。二本を並べて見てから、一本だけ短い髪の子へ返す。
「じゃ、一本ずつ」
「半分?」
渾沌ちゃんが思わず言った。
二人は同時に首を振った。
「違う」
短い髪の子が、自分の一本を握る。
「今日を半分にするんじゃない」
長い髪の子も、もう一本をポケットへ入れた。
「これは次のやつ」
「曲がったら?」
「使う」
「溶けたら?」
「その時考える」
午後六時二十七分。
二人は一本ずつキャンドルを持って帰った。
テーブルの上には、もう何も残っていない。
渾沌ちゃんは窓際へ行き、二人がさっき座っていた椅子の間に立った。
「駅は見れた」
「はい」
「河原はなくなった」
「はい」
「でも半分ずつにしなかった」
秩序ちゃんは椅子を一脚ずつテーブルへ戻した。
「半分にすれば、二人が欲しかった時間とは別のものになりました」
「でも、片方なくなった」
「はい」
「それ、嫌だな」
「私もです」
渾沌ちゃんは窓へ額をつけた。外はもう、河原の夕焼けが残る時間ではない。
「正解じゃない?」
秩序ちゃんは答えなかった。
昨日の倉庫には、全部を置くための隙間があった。
今日は、なかった。
駅の方角から、遅れて別の電車の走行音が届く。
河原の方角は、もう暗い。
二本のキャンドルは、どちらも灯らなかった。
それでも二人は、失った三年目の代わりにはせず、一本ずつ別の家へ持って帰った。




