第8話「世界を一つ、持ってきました」
世界は、順番を守っていた。
地平線の向こうから歩いてきたそれは、列の最後尾で止まった。
直径は測れない。
秩序ちゃんには、巨大な球体に見えた。
表面に大陸。
海。
雲。
夜側には都市の灯り。
ところどころで戦争までしている。
「……生きていますね」
「世界だもんね」
「そういう意味ではありません」
渾沌ちゃんは首を傾げた。
球体の表面。
都市。
道路。
人。
数え切れない。
「これ全部、このまま来てる?」
「おそらく」
「誰が注文するの?」
答えはすぐ出た。
世界の一部が。
めくれた。
大陸だった。
海ごと持ち上がり、細長く伸びる。
先端に。
口ができた。
「最後尾はこちらでいいですか」
丁寧な声だった。
白いクルーが答える。
「はい。少々お待ちください」
「ありがとうございます」
世界は。
黙って待った。
その表面では。
まだ朝が来ていた。
◇
二十三分後。
「次のお客様どうぞ」
世界が前へ出る。
床は沈まない。
店も壊れない。
球体の大半は外にある。
なのに。
レジ前には。
ちゃんと「客」として収まっていた。
「ご注文は?」
白いクルー。
世界は。
少し間を置いた。
「出口を一つ」
秩序ちゃんが顔を上げた。
渾沌ちゃんも。
「出口?」
白いクルーは驚かない。
「片道ですか」
「はい」
「戻り保証なし」
「承知しています」
「移動対象は?」
「全部」
「住民含む?」
「含みます」
「死者は?」
「できれば」
「追加料金です」
「払います」
淡々。
まるで。
ポテトのサイズを確認している。
「移動先の希望は?」
「ありません」
「気候条件」
「問わず」
「物理法則」
「生存可能なら」
「宗教体系」
「持ち込みます」
「時間方向」
「前向きで」
「承知しました」
白いクルー。
レジを操作。
「お会計」
そこで。
一度だけ。
手が止まった。
「世界一つです」
秩序ちゃんの視線が。
世界へ戻る。
「……自分自身を?」
聞いてしまった。
世界の口が。
こちらを向く。
「はい」
「支払ったら、あなたはどうなるんですか」
「なくなります」
「では移動するものは?」
「中身です」
秩序ちゃん。
表面の都市を見る。
人々は。
何も知らないようだった。
電車が走る。
店が開く。
誰かが学校へ向かう。
誰かが病院で泣いている。
誰かが朝食を作っている。
「住民は同意しているんですか」
世界は答えなかった。
白いクルーが言う。
「注文処理中です。質問は別料金になります」
「…………」
秩序ちゃんは黙った。
◇
厨房が。
開いた。
第7話で見た、地平線まで続く巨大厨房。
だが。
今回は。
調理器具がなかった。
代わりに。
扉が並んでいた。
何千。
何万。
大きさも形も違う。
木の扉。
鉄。
石。
水面。
穴。
炎。
巨大な瞳。
墓石。
星そのもの。
「出口売り場?」
渾沌ちゃんが言う。
「……そのようですね」
白いクルーが。
一つずつ確認する。
「酸素過多」
閉める。
「時間逆行」
閉める。
「知性体非対応」
閉める。
「全生命が一個体扱い」
閉める。
「既に満員」
閉める。
「神が近い」
閉める。
「近いって何」
「聞かないでください」
次。
白いクルー。
止まった。
「これで」
選んだ扉。
小さい。
普通の木製。
どこにでもありそうな。
白いドア。
「適応可能性、六十二%」
世界。
「十分です」
「生存保証、十一%」
「十分です」
「文明継続率」
少し間。
「三%」
「……十分です」
秩序ちゃんの眉が動く。
世界は。
急いでいる。
「何から逃げているんですか」
また。
聞いた。
今度は。
白いクルーが止めなかった。
世界の表面。
夜側。
都市の灯り。
一つ。
消えた。
次。
もう一つ。
そして。
海の向こう。
大陸の端。
黒いものが。
広がっている。
闇ではない。
消失。
海岸線が。
なくなる。
地形ごと。
文字を消すように。
「……あれですか」
「はい」
世界の声。
静か。
「もう半分ありません」
◇
秩序ちゃんは測定した。
結果。
出ない。
存在純度でも。
世界線損傷でも。
崩壊でもない。
ただ。
測定範囲の外側から。
順番に。
「ない」に変わっている。
「原因は?」
「わかりません」
「いつから」
「こちらで数えるなら、七百年ほど」
「七百年?」
「最近です」
渾沌ちゃんが。
球体を見る。
「世界って時間感覚でかいね」
消失は。
今も進んでいる。
遅い。
だが。
止まらない。
「ぱんでむに来れば助かると?」
「昔から」
世界が言う。
「出口が必要なら、ここへ来いと」
「誰から聞いたんですか」
「ぱんでむから」
「…………」
「私の中にもありました」
秩序ちゃん。
動きを止めた。
「ぱんでむが?」
「はい」
「どんな店でしたか」
「店?」
世界が。
初めて。
わずかに困った。
「違うんですか」
「私には」
一拍。
「潮でした」
◇
海。
その世界では。
毎日一度。
潮が逆流した。
海から陸へではない。
現実から。
別の現実へ。
沿岸に立つ者だけが。
波の向こうに。
巨大な厨房を見る。
魚ではなく。
季節を捌く何か。
塩の代わりに。
死者の名前を振るクルー。
注文は。
海岸に置く。
代金も。
波が持っていく。
「……それが」
秩序ちゃん。
「ぱんでむ?」
「そう呼ばれていました」
「バーガーは?」
「ありました」
「どんな?」
「島を二枚」
渾沌ちゃんが。
少し笑った。
「でかい」
「中に海流を挟みます」
「食べるの?」
「神々が」
「神いるんだ」
「昔は」
黒い消失。
また。
都市を一つ飲んだ。
世界の声。
少しだけ。
低くなる。
「もういません」
白いクルー。
「お客様」
「はい」
「処理を開始します」
◇
世界が。
支払われた。
レジ端末。
『入金確認』
一行。
それだけ。
球体の表面。
ひび。
ではない。
世界そのものが。
薄くなる。
大陸。
海。
空。
透明。
その代わり。
木製の扉。
巨大化する。
街一つ。
国一つ。
惑星一つ。
収まる大きさへ。
扉の向こう。
何も見えない。
「移動開始」
白いクルー。
世界の中。
最初に。
鳥が消えた。
次に。
雲。
飛行機。
高層ビル。
道路。
人。
一人ずつではない。
世界の出来事そのものが。
向こうへ滑っていく。
戦争中の兵士も。
昼寝中の子供も。
死体も。
墓も。
海底も。
まだ生まれていない卵も。
全部。
「……気づいてない」
渾沌ちゃん。
住民たちは。
普段通り動いている。
ある瞬間。
景色ごと。
扉の向こうへ。
消える。
最後。
海。
大陸。
空。
なくなった。
世界は。
殻だけになる。
透明な。
何もない球。
「移送完了」
白いクルー。
「生存確認?」
端末。
少し待つ。
『応答あり』
世界の声。
もう。
どこからも聞こえない。
代わりに。
木製の扉の向こうから。
小さく。
波の音。
「……成功したんですか」
秩序ちゃん。
「注文は完了しました」
「生存率は」
「計測中です」
「文明は」
「計測中です」
「世界は」
白いクルーが。
初めて。
秩序ちゃんを見る。
顔はない。
「お支払いいただきました」
そして。
透明な殻を。
厨房へ運んでいく。
「何に使うんですか」
「次のお客様のお会計に」
「…………」
秩序ちゃん。
その意味を聞かなかった。
◇
列は。
まだ続いていた。
世界。
影。
都市。
月。
名前しか残っていない王。
巨大な胎児。
音だけの文明。
誰も。
ぱんでむを異常だとは思っていない。
必要だから来る。
注文する。
払う。
帰る。
あるいは。
帰らない。
渾沌ちゃんが。
ぽつり。
「便利だね」
「何がですか」
「ぱんでむ」
秩序ちゃんは。
返事をしなかった。
便利。
確かに。
世界一つを代金に。
世界の中身を逃がした。
助けた。
とも言える。
世界を食べた。
とも。
「秩序ちゃん」
「はい」
「あれ」
渾沌ちゃんが。
店の奥を指した。
世界の殻。
厨房へ運ばれた。
その先。
鉄板。
巨大な鉄板。
透明だった殻が。
ゆっくり。
焼けていく。
茶色。
焦げ目。
香り。
秩序ちゃん。
知っている匂いだった。
バンズ。
白いクルーが。
殻を二つに切る。
その間に。
何か。
まだ見えないものを。
挟んだ。
包み紙。
商品名。
《新天地バーガー》
受け渡し口。
「九百一番のお客様」
列の奥。
誰かが。
手を挙げた。
「はい」
そして。
今しがた失われた世界が。
別の誰かの夕食になった。




